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 【 書架の本 】


 夕暮れの館内に、二匹分の足音が響く。ライは足を止めると熱心に書架を眺めている雌猫を見遣った。

「まさかアンタが付き合ってくれるとはねぇ」

「強引に引っ張ってきたのはどこの誰だ。……早く選べ。武器屋に案内するんだろう」


 交換条件を出して同行を依頼した の言葉を、ライは一も二もなく受け入れた。
 条件などなくともいつだって付き合うのに、いまだにこの猫は分かっていないようだ。


「ハイハイ。……っと、もうちょい……」

 精一杯手を伸ばして、 が上段にある本を手に取ろうとしている。だが、あと一歩高さが及ばない。
 ……何故俺がいるのに頼ろうとしないんだ阿呆猫。
 ライはそうぼやきたいのを堪えて雌猫に近付くと、無言で本を抜き取った。緑の瞳が頭上に向けられる。

「……あ。ありがと……」

「転んで怪我でもしたら間抜け以外の何ものでもないからな。……ほら」

「そこまで間抜けじゃないわよ。わぁ……これずっと見たかったのよ……」

 喜色を浮かべて本を受け取った は、そのまま熱心にページをめくり始めた。
 こちらを一瞥もしないその様子に、少々ムッとするものを感じ始める。


「……おい。いい加減に出るぞ」

「うんうん」

「お前だけ置いて行くぞ」

「うんうん」

「…………」


 雌猫はこちらの話なんて聞いてはいなかった。生返事だけ返し、目は本を追い続けている。

「……ここは、絡むにはいい場所だな。邪魔な奴らの目もない」

「うんうん」

 声色を変えたライにも気付かず、 は頷き続ける。ライは片腕を書架につくと小柄な身体を静かに囲った。

「声もよく響いて楽しめそうだ。……言う意味が分かるな? 拒否権は与えんぞ」

「うんうん。――んぅ…ッ!? ――っぷは! ちょ、アンタいきなり何!?」


 いきなりの暴挙をかましたライに、剣呑な眼差しが向けられる。
 ライはその眼差しを無言で受け止めると、 の持っていた本を静かに取り上げた。


「……こんな物よりも、もっと夢中になれるものを教えてやる」

「え、ちょ、なに何ナニ!? なんで怒ってるの!? イヤー!」

「拒否権はないと言った。二言はないな? ……存分に付き合ってやろう」

「聞いてない聞いてない! っていうかドコ触ってんのよ!? あ、ちょ……馬鹿ッ…」


 夕暮れの静かな館内に響き始めた吐息を、書架の本だけが聞いていた。














 【 道行く猫の 】


 藍閃は、様々な姿かたちをした猫で溢れ返っている。
 毛の色、肌の色、目の色、体格――どれを取っても同じ猫は二匹としていない。

 道行く猫を屋根から眺めていたアサトは、いつしか自分が一つの色を探している事に気付いて苦笑を漏らした。


「アサト。……やっぱりここにいたのね」

「!  ……。探してた…のか?」


 突然声を掛けられて振り向いたアサトは目を見開いた。……きらきらとした、綺麗な姿。
 アサトが求めてやまないその猫は、片手を上げると綺麗ではない棒のような物を差し出した。


「探したわよ。……これ、やったのアンタでしょう。家具で爪研ぎしちゃダメだって言ったでしょうが!」

  の手にあるのは、テーブルの脚……だったものだ。アサトの爪に削られ、バッキリと折れている。
 折れるか折れないかのところでハッと気付いて解放したのだが、耐え切れなかったらしい。


「すまない……手頃な物が、見つからなくて。……バルド、怒っていたか?」

「室内で探してもある訳がないわよ……。ちゃんと直せば大目に見てくれるって」

 しゅんと項垂れたアサトの耳に小さな溜息が聞こえてきた。しかしそれはすぐに柔らかい声に取って代わられた。


「アンタ器用だから、こんなのすぐよ。……直して一緒に謝りましょ。ね?」

「ああ……」

  が首を傾げてアサトを覗き込む。アサトは頷くと、再び視線を雑踏へと向けた。



「また通りを眺めていたの? 何か面白いものでも見つかった?」

「ああ……いつまで眺めていても飽きない。けど、もっと見ていたいものがある事にさっき気が付いた」

「何?」

 アサトは顔を上げると、緑の瞳を見上げた。キョトンとした顔を見ていると自然に笑みが浮かんでくる。


「お前を見ている方が、飽きないし楽しいし嬉しい。……それに、たまに失敗するのも可愛いと思う」

「……っ!」

「だからもっともっと見ていたいと思った。――どうした? 面白い顔をしている」

「〜〜〜、アンタね……っ」


 顔を真っ赤に染めて唸った が、ぷいとそっぽを向いた。
 その爪は押し出され、今にも爪研ぎをしたそうに震えている。……こらえているのだろうか。
  はバシバシと尾を振ると、「先行ってるわ!」と叫んで飛び降りてしまった。


 正直に発言するたびに怒らせてしまうのは何故だろう。
 だが、怒った顔も可愛いとアサトは思っていた。それを言ったらまた怒られるから、口にはしないけれど。

 道を行くどの猫よりも心を掻き立てるのは――温かい光の色をした、ただ一匹の猫。



















 【 店を覗けば 】



「トキノいますか〜。って、あれ? コノエ!?」

「! アンタ……!」

 トキノに店番を頼まれて座っていたコノエは、店を覗いてきた猫の姿に仰天して齧っていたクィムを取り落とした。



「コノエも遊びに来てたのね。しかしトキノも忙しいわねー」

「すぐ戻ってくるとは言ってたけど。アンタ、遊びに来たのか?」

「買出しも兼ねてね。……ま、前にも店番やった事あるから大丈夫よ。ふたりで待ってましょ」


 コノエの隣に腰掛けた が、同じくクィムを齧り始める。
 零れた赤い汁を舐め取る舌の動きにドキリとして、コノエはとっさに店内へと目を逸らした。


「アンタ……昔からここに来てたのか」

「そうよ? 幼馴染だからね。最初に来たのはいくつだったかしら……。トキノ可愛かったなぁ」

「へぇ……」

 自分の知らない過去の二匹の関係に、わずかにモヤモヤしたものを感じる。
 それがこの猫に向けるものなのか、トキノに向けるものなのかは分からなかったが。


「バルドの宿ができるまでは、ここに泊まってたんだって? トキノに聞いた」

「うん。あの頃は小さかったからね、一緒の寝台で寝てたわよ」

「い、一緒の……」

 思わぬ発言にコノエが小さく動揺すると、 は小首を傾げて何かを思い出しているようだった。

「あ、それに一緒に水浴びもしたわね〜。もうはしゃいじゃって素っ裸! あの頃はなんで自分と身体の作りが違うんだろうって不思議に思ったけど、まあ小さかったからね」

「へ、へえ……」

 小さければ何をやっても許されるとでも言うのか。うらやまし……いや、許すまじトキノ。
 コノエが見当違いな怒りをトキノに向けようとしたその時、傍らの雌猫はコノエを見上げて口を開いた。


「……でも、もうしないわ。今の私がそんな事をしたいと思うのは、一匹だけ。……分かるわよね?」

「……っ」


 ニコリと見上げてきた視線に、また上手を取られたという悔しさを少々抱く。けれどやがてコノエは赤い顔で頷いた。
  は機嫌良さそうに立ち上がると、鼻唄を歌って奥へと引っ込んでしまった。


 店を覗き込んだ客猫が、赤い顔をして俯く店番に心配そうな視線を向けている事など には知る由もなかった。

















 【 噂の宿屋 】



「確かあそこって、主人の見た目によらず料理がすげー美味いトコだよな?」

「それがな、最近それだけじゃないらしいんだよ! ちょっとした噂になってんだぜ」

「どういう意味だ?」

「料理のメニューに毛色が違うのが増えたっつーのもあるが、妙な客が出入りしてんだよ」

「あー、俺もなんか聞いた事がある気がすんな。ちっちゃくて可愛い顔したガキと、やたらデカい悪魔コスプレの四匹だっけ? もう暗冬終わってんのにな」

「だな。……ってそれだけじゃねぇんだよ。どうやら若い雌がいるって情報もあるらしい!」

「マジか!? 行きゃ会えんのか? オレ金なくて娼館行けねーから、ツラだけでも拝みてぇなー」

「それがよ、ちゃんと見た事ある奴はいないらしいんだわ。それ目当てで行っても、でけぇ白猫と黒猫にコテンパンにやられるんだと。殺されるかと思ったって」

「げ〜、マジかよ。宿の評判落ちるんじゃねぇ?」

「いや。それが追っ払った後で、何故か白猫黒猫が互いに戦りあっちまうみたいで、それがスゴい真剣勝負だっつーんでむしろ客足は伸びているらしい。タダで戦闘ショーを見る感じか?」

「へー。それはそれで面白そうだな。よし、俺らも今晩行ってみようぜ」



「…………」

 街中に買出しに来ていたバルドは、たまたま聞こえたきた会話に足を止めて聞き入ってしまった。
 もしかするともしかしなくても……うちの宿の事だろうか。

「最近やけに客が多いと思ったら……そういう事かよ」

 バルドはぼやくと、荷物を抱えなおして家路を急いだ。





「あ、お帰りー! 遅かったじゃない、そんなに買ったの?」

 厨房の扉をくぐると、調理台に向かっていた が振り返った。その両手は別々の鍋を器用に操っている。

「いや、そうでもないが……随分早くから混み始めたな」

「そうなのよ! もー、なんでこんなに混むのよー!! 二つ杖の手も借りたいってヤツよ!!」


 それを言うなら「猫の手だ」と突っ込む余地もなく、 があわあわと厨房内を駆け回る。
 その足を止め、剥き出しの頭をクシャクシャと撫でると は怪訝に顔を上げた。


「何? お鍋吹きこぼれるわよ」

「儲かるのはそれなりに助かるんだが……悪いな」

「? お客が多いのはいい事じゃない。それより早く入って。待ってたんだから――うわッ!」

 首を傾げた を眺めると、バルドはそのフードを引っ張りあげた。


「被っとけ。自分の部屋以外は、どこでもだ」

「え〜! 暑いのにー。……アンタがいる時くらいはいいでしょ? それなら安心だもの」

「あんたなぁ……。いやいや、やっぱり駄目だ」

 無意識に嬉しい事を言ってくれるのに思わずほだされそうになったが、バルドは首を振ると の提言を却下した。


 噂はあながち間違ってはいない。けれど、一つだけ足りていないところがある。
 宿屋の親父が、その雌猫に骨抜きになっているという事を。








2007.10.1



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