ダン――ダン――、ダンダンダンダンダンッ!!



「な……なんだ!?」

 暗冬直前の晴れた朝。バルドの宿で心地良く眠っていたコノエは、階下から響いてきた怪音に尾を膨らませて飛び起きた。
 隣の寝台にいたアサトも耳を伏せ、険しい顔をしている。二匹は部屋を飛び出して階下に下りると、怪音の聞こえる厨房の扉を開け放った。


「どうしたんだ!  、バル――、……ッ!」

「んー? あら、おはようコノエ、アサト」


 ――そこには、見事すぎるほどミンチにされた鶏肉らしき物体を前にして、爽やかに微笑む がいた。




Dance! with Lover





「……ど、どうしたんだよ……」

 前掛けを着けた は右手に包丁を持ち、左手で頬に飛んだ血を拭っていた。朝日を受けて金髪がきらめき、美しいまでの笑顔をたたえている。……しかし手元はミンチだ。

「え? 何が?」

 惨状と相反するその笑顔がむしろ怖い。だいぶ怖い。相当怖い。コノエが尾の先端を震わせて問い掛けると、 はミンチを大きな皿に移し、今度は白い餅のようなものを捏ね始めた。

「今日のお昼は! ショウロンポウっていう! 鶏肉の詰め物だからね! ……私、結構得意なの。楽しみにしててね」

 笑顔で話しながら、 は白い生地を調理台に叩き付けてはひっくり返す。その手付きは慣れたものではあったが、料理には必要ないくらいの気迫(というか殺気)が感じられて、コノエとアサトは無言で後ずさった。


が……怖い。すごく怒っている』

『しー! こういう時は、したいだけやらせてやった方がいいんだ。黙って出よう』

 アサトが小声で囁いた。コノエはその口を押さえ付けると、音を立てないように厨房の扉を閉めた。





 +++++   +++++





 事の発端は数日前。夕食の仕度をしていた に告げられた鶴の一声にあった。


「舞踏会に出てみようぜ、 。大会があるんだってよ」


 そう告げたのは、もちろん のつがいのバルドである。 はポカンと鍋を片手に固まったあと、眉を寄せて首を振った。


「なに言ってんの。暗冬最終日なんて一番宿が混む日じゃない。ここを空けられるワケ――」

「それはそれだ。あらかじめ料理だけ作っといて、適当に誰か代わりに置いてきゃいいだろう」

「は? そんな……」

「ていうかもう手配済みだ。ゲンさんと向かいのソマリが手伝ってくれるってさ」

「え!?」

「つーワケでさっそく練習しよう。絶対優勝しような!」

 矢継ぎ早にやたらと上機嫌なバルドが話を進める。 は鍋を置くと、慌ててバルドに詰め寄った。


「ちょ、ちょっと……! なに勝手に決めて――っていうか、私、踊りはちょっと……」

「なんだ? 好きじゃないのか? そんな事ないだろ。あんたと俺が組めば、優勝間違いなしだって」

「いや、あの、ホントに……」

 楽しそうな様子のバルドに水を指すのは気が引ける。けれど何だかワケの分からないうちに付き合わされるのは、たまったものではない。だいいち自分は――

 
「もうエントリーして服も注文しといたからな。……さ、頑張ろう!」

「ちょ……」

 なんとか夫を止める方法はないかと考え始めた の努力は、バルドの一声で泡と消えた。


「ま……、待ってよ――ッ!!!」 


 この日から、 の憂鬱な特訓が始まったのだった。








 ――特訓初日。 はバルドの前で、早速ガクリと膝をつく羽目になった。


「あんた……踊り、下手だったんだな……」

「だから言ったでしょうが……ッ!!」

 呆然としたバルドの声に、 は剣呑な視線を向けずにはいられなかった。


  は踊りが下手だった。悲しいことに、昔から全く才能がないのだ。
 鳥唄にいた頃に折々の行事で踊らされることもあったが、 は上手いこと抜け出してほとんど参加しなかった。自分の無様な舞を奉納するくらいなら、最初からやらない方がマシである。そんなことを繰り返し、コンプレックスを克服することなく成長してしまったのだが……。


「……歌は上手い。運動神経もいい方だ。なのになんでこれだけ……なぁ?」

「…………」

 本気で訝しがっている口調に腹が立つ。けれど言い返すこともできず、いい年をして は半べそをかきそうになった。
 苦手なものは苦手なのだ。バルドの思う通りに動いて上手く合わせられたらいいが、こんな状態では彼に恥をかかせてしまう。黙りこくった を見遣り、バルドは困惑の視線を向けた。


「泣くほど嫌なのかよ」

「泣いてないわよ……っ」

 ますます情けなくなってくる。するとバルドは視線を和らげ、 の頭をぽんぽんと叩いた。

「……すまん。苦手なのに、何も言わずに決めちまって悪かったな」

「バルド……」

 バルドの眉が申し訳なさそうに下がる。……やっと諦めてくれたのだろうか。
 申し訳ないがこうするのが一番いいのだ。ようやく安堵しかけた は、続くバルドの言葉に顔を強張らせた。


「だが苦手ならますます克服しないとな! まだ時間はあるし、俺となら毎日だって練習できる。あんたは踊りが上手くなって嬉しいし、俺はあんたと踊れて嬉しい。一石二鳥だな。――さ、頑張ろう」

「…………」

 バルドがにこりと笑う。その曇りのない笑顔を見て、 は思った。――鬼だ、と。




 それからというもの――




 ある日の食堂では、

『はい1、2、3……いってぇ! 足踏むなよ、 !』

『あ……ゴメン。なんでそんなとこに足が――ッ、うわっ!』 

『ハイまた尻餅。――やり直し。これで五回目だからな』

『…………』

 ――とお互い青痣だらけになり。





 ある日の待合室では、

『もーやだー! ……ね、休憩しよ?』

『可愛く言っても駄目だ。ここができるまでは休まない約束だろ』

『……ケチ』

『何か言ったか? ……ほー、うちのカミさんは一度言ったことも守れないのか』

『なんか言動がライ化してる……。もう、やればいいんでしょ! やったろーじゃない!』 

 ――と妙な意地を張り合ったり。





 ある日の寝室では、

『1、2、3……そうそう。上手くなったじゃないか』

『まぁね……。――っと……やっぱここじゃ狭いわよ。食堂が空いてからでも……』

『今日はここでいいよ。……はい、ここで背中を反らして』

『こう? ――えっ、わ…っ、倒れる……!』

 ――と寝台に押し倒され、


『ん……! ――んんッ……、ちょ……やぁ……っ』

『今日は終わりにしよう。……今の腰使い、かなりキた。……久しぶりに、するか』

 ――となだれ込んでみたり。





 そんなこんなで暗冬も始まり、気付けば舞踏会前日になっていた。





  +++++   +++++





「明日で終わる……。うふふふふ……」


 大賑わいだった夕食の後片付けを手伝っていたコノエは、 の不気味な独り言に思わず反応してしまった。

「おい……、 ……?」

  は皿を重ねながら、あらぬところを見てうっすらと笑っていた。
  が苛々してたのはあの日がピークで、あとは多少の愚痴をこぼしながらもそれなりに練習を楽しんでいたように見えたのだが、やはり相当色んなものが溜まっているのだろうか。
 ふいに心配になり、コノエは皿を置くと の前に立った。


……大丈夫か? 無理してないか?」

「え? ……大丈夫だけど?」

 コノエに視線を向けた はからりと笑った。それはあまりにいつも通りの笑みだったが、直前の微笑がコワすぎたためコノエは念のためもう一度問い掛けた。

「もし嫌なら……今から取りやめたっていいんじゃないか? バルドもそこまでは強制しないだろうし……」

 コノエが控えめに提案すると、 はきょとんと目を瞬いたあとに首を振った。

「ううん。だってこれだけ練習したのに勿体無いじゃない。相当うまくなった気がするし、こうなったら絶対優勝する気でいるのよ? 私」

「……そうか。頑張れよ」

 腰に手を当てて、 がニッと笑う。落ち着いたように見えても、負けず嫌いな性格は変わっていないようだ。それが随分可愛らしく思えてコノエは笑った。しかし――


「優勝したら絶ッッ対に仕返しするけどね。この何日かで溜まった鬱憤、アイツに返してやらなきゃ不公平よねぇ……? もうそれを考えたら楽しくって」

  がつがいに向けた、完璧かつ黒い笑顔にコノエは尾の毛が逆立つのを感じた。







 そして暗冬三日目の夜。仕事を終えた は、今日届いたばかりの衣装を片手に寝室へ引っ込んだ。

 どうやらアサトとコノエも一緒に来てくれるらしい。今朝藍閃についたばかりのライはさすがに行かないが、一応見送ってくれるようだ。
 久し振りに顔を揃えられた事が嬉しい。彼らを待たせては悪いと は急いで仕事着を脱ぎ落とした。だが手渡されたばかりのその衣装を身に着けてみると――



「…………」

 寝室の扉を押し開け、 は待合室にいたつがいの元につかつかと歩み寄った。その縞柄の耳を掴み、引っ張り上げる。見たこともない異国風の衣装に身を包んだバルドは、「いてて」と悲鳴を上げた。


「痛いって。……おっ! お似合いだな 。さすが俺が見立てただけの事はある」

「なんで悪魔の衣装じゃないの? 暗冬だからてっきりそういうものだと思ってたのに、こんなの聞いてない!」

「言ってないからなぁ。……ま、いつも同じ衣装じゃつまらんし、たまにはいいだろ。それも仮装には違いない。二つ杖の由緒正しい踊りの衣装だぞ?」

「……っ」

 耳を解放されたバルドは をしげしげと見つめ、しゃあしゃあと言ってのける。……そう、確かに普段と違うとか二つ杖の衣装だとかいうのは気にならない。むしろちょっと嬉しい。だが――!


「それは構わないけど――、ちょっと、露出……多すぎない……?」

 バルドの耳に口を近付け、 は小声で告げた。目を瞬いたバルドが を見下ろす。
 剥き出しの肩に視線を感じる。肩だけでなく、腕も覆うものがなく胸元に至ってはきわどいところまでしか布がない。腕で隠そうとした の手をやんやりと腰に回させて、バルドはあっさりと言った。


「普通じゃねえ? 足はしっかり隠れてんだろ」

「足はね……。――じゃなくて! こんな格好で街中なんて歩けないわよ!?」

「そりゃ大丈夫。会場まではコート羽織ってくし、会場でも他の奴には指一本触れさせねぇって。な?」

「な?じゃないわよ! ――ねぇ、みんなコレどう思う……?」

 この雄相手に怒りをぶつけても、のらりくらりと受け流すばかりで埒が明かない。
 同意を求めるように は他の雄たちに視線を向けた。ライはバルドに向かって「貴様……」と冷たい視線を送り、コノエとアサトは赤くなってわずかに視線を逸らした。だが――

「じゃあ着替えた方がいいと思うヤツ、手ェ上げてー」

 というバルドの質問に、挙手するものは一匹もいなかった。雄どもの分かりやすい意思表示に はがっくりと肩を落とした。


「もう直すにも時間がないし……。なんでこんなギリギリに届く――、…………。……ギリギリに届くように、仕組んだわね……?」

 じろりと見上げた妻の視線に、バルドがにやりと笑った。 はもう一度夫の耳を摘まみ上げた。







 ところ変わって舞踏会場。本気でない怒りなど長続きしないものだ。あっさりと立ち直った は、初めて入るホールの大きさに目を瞬いた。

「すごーい……」

「だろ? 一度来てみたかったんだよなぁ」

 心なしか嬉しそうに答えたバルドの顔を見上げた は、小さく吹き出した。仮面を着けた顔が見慣れず、面白かったからだ。
 暗冬の舞踏会は仮面舞踏会だ。もちろん後ろに続いたコノエもアサトも当然 も仮面を着けてはいたが、バルドが最も違和感がある気がする。一番身近だからそう感じるだけかもしれないが、遠慮なく笑った にバルドが渋面を向けた。

「笑うなよ。……ま、これなら俺たちだってバレないだろ」

「くくっ……、そうね。――あ、始まるみたいよ」

 軽やかなラッパの音が響いたのを合図に、舞踏会が幕を開けた。






『――ほら、やっぱり。運動神経はいいんだから、苦手意識さえ克服すりゃあ上手くなると思ったんだよ』

『……どれだけ練習したと思ってるのよ。ま、慣れれば結構楽しいかもね』

『結構……どころじゃなさそうだけどな。俺は楽しいぜ? 美人な新妻を見せびらかし放題だからな』

『……バカ。顔見えてないって。……ほら集中しなさいよ、足踏むわよ?』

『……はいはい』


 長いスカートの裾を翻し、踊る。つがいの手を取り、導かれてステップを踏む。
 くるりと回れば涼やかな衣が身体に沿い、軽く跳ねれば大きな手に受け止められた。

 小声で時折会話を交わしながら、 とバルドは踊り続けた。だんだんと無心になって、密やかに熱中していくのが分かる。直前まで気にしていた大会や順位の事も、 はいつの間にか気にならなくなっていた。
 ――楽しい。踊りだけでなく、つがいと共にいるからこその喜びをひしひしと感じる。
 バルドの温もりを存分に受けて、また一つ新たな世界を は知った。




 そして踊り続け、夜も更けた頃に舞踏大会の成績が発表された。



「三位……」

 告げられた順位に は呆然と瞬いた。傍らのコノエが喜色を上げる。

「すごいな、 。初エントリーでこれって相当すごいんじゃないか?」

「ひゃー……」


 ――すごい。予想外の結果だ。順位なんてどうでもいいと思ったが、やはり評価されると嬉しいものがある。 は勢い良くつがいを振り返った。しかしバルドは既に立っておらず、 の足元で絶賛ヘコたれ中だった。


「あーくそ! 絶対うちが優勝だと思ったんだがなぁ……」

 バルドは本気で悔しそうだ。手を出して立ち上がらせると、 はバルドを見上げて笑った。

「いいじゃない、順位なんて何位でも。三位だってすごいし、楽しかったからやった甲斐はあったわよ」

……。……しかしなぁ……」

  の言葉にバルドは幾分か気が晴れたようだが、まだ悔しげだ。するとコノエが進み出てバルドに問い掛けた。


「なぁ……。アンタ、なんでそんなに大会に出たかったんだ? 舞踏会だけじゃ駄目だったのか?」

「あ?」

「あー、それ私も聞いてみたかった」

 コノエに並んで もバルドを見上げた。……祭を楽しみたい、 の苦手意識を克服させてやりたいとバルドが思うのは分かるのだが、今のバルドが優勝に拘ったのが不思議でならなかったのだ。
 すると二匹に迫られたバルドは頭の後ろを掻き、言いづらそうにボソリと告げた。 


「優勝賞品が……欲しかったんだよ」

「……は?」

 聞き違いかと思って は間抜けに聞き返した。バルドがホールの正面を指差す。そこでは今まさに優勝したつがいに賞品が手渡されるところだった。


『優勝者への副賞は、【祇沙の桃源郷・泉果(せんか)で温泉三昧! 七日月分の宿泊券】です!』


「……あれ?」

「ああ」

 バルドにつられて賞品を指差した に、バルドが頷く。 はますます唖然とした。
 泉果は隠れた名湯で、春には一面に花が咲き乱れ、その中で湯治を楽しめるというそれはそれは素晴らしいところらしい。その泉質は万病に効くと言われているが、人気ゆえに裕福な猫たちにしか手の出ない宿代を設定していることでも有名だった。

 ……秘湯で温泉三昧を送りたかったのだろうか。 が見上げると、バルドはバツの悪そうな顔で渋々口を開いた。


「いや……いつも苦労かけてるから、気晴らしに出かけてみたいと思ったんだよ。あんたが喜ぶかと思ったんだが……付け焼刃じゃやっぱ難しかったか。頑張ってくれたのにごめんな」

「…………」

 ボソボソと告げられた真相に、 はポカンとバルドを見つめた。やがて言葉が心に届き、尾が小さく震える。 は息を吸い込むとバルドの肩に額を押し当てた。


「…… ?」

「もう! ……バカなんだから。そんな所行かなくても、いや行ったら行ったで楽しそうだからいつかは行きたいけど、私は今の暮らしに満足してるのに……!」

「…… ……」

 バルドがゆっくりと の肩に手を回す。抱きしめられながら、 は呟いた。

「アンタのその気持ちだけで、私は十分嬉しいわ。……また来年頑張ればいいじゃない。これからだって何度もチャンスはあるんだから……」

「……そうだな」

「バルド……」




 目の前で宿屋の夫婦がイチャつき始めた。 の隣にいたコノエはアサトを引っ張ると、無言で踵を返した。

「…… ……」

「帰ろう、アサト。俺たち……邪魔だ。見てたら悲しくなるぞ」

 名残惜しそうなアサトの手を引いて、会場を後にする。街中を歩きながら、心配したのは何だったんだろうとコノエは虚しさ半分、安堵半分の微妙な心もちになった。
 とりあえず宿はこれからも安泰だ。それだけで良しと思うことにしようとコノエは思った。







 こうしてこの年の暗冬前後の騒動は幕を閉じた。その後も変わることなく、夫妻は宿を切り盛りしている。
 なおこの年の舞踏大会第三位の副賞は、クィムほか祇沙の特選果実一年分だった。材料費が節約できて結果的に が大喜びしたのは、言うまでもない。











 END



(2008.1.12)

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