「……!!!???」
四者四様、雄たちはそれぞれの驚愕を浮かべてフラウドの膝に乗った子猫を凝視した。
『おいお前、とうとう変態が高じて幼児を攫ってくるまでになったか』――そんな非難さえも、口から出てこない。 コノエの背丈の半分にも満たない、愛らしい雌の子供。その身体的特徴……金の髪や緑の目は、その猫が誰であるかをはっきりと物語っていた。
「おい貴様、これはどういうことだ……!」
茫然自失も束の間、いち早く立ち直ったライがフラウドに詰め寄った。彼はルート上、悲しいかなこの悪魔の奇行に多少は慣れている。
をあやしているフラウドの前に立ちはだかり、ライは今にも魔物十匹くらいは刺し殺せそうな目つきで悪魔を睨んだ。
「僕? 僕はなんにもしてないよ? 彼女がおやつに何か食べてたのは見たけど、そうしたらいきなりこうなったんだよ。……どうしたんだろうね?」
しれっと両手を上げて、悪魔が何事もなかったかのように答える。 この異常事態でこの態度、自分こそがその訳を知っていると言わんばかりなのに、いつものように悪魔は話をはぐらかして愉快そうに笑う。 埒が明かないと判断したライは、今度はフラウドの膝から降りた
へと詰め寄った。
「おい…! 阿呆猫。お前、何を食べた……!?」
「ふぇっ!?」
膝をつき、常よりも随分と低くなったその肩に手を置くと、幼い猫は目に見えて竦んだ。 凍りついたようにライを凝視し、口がパクパクと開く。幼子は「……ライ……」と搾り出したかと思うと、次の瞬間大きく顔を歪ませた。
「う……うぇ……」
「……? お、おい……」
嫌な予感にライの背中を冷や汗が伝った。子猫は大きく息を吸うと、耐え切れなくなったかのように大声を上げて泣き出した。
「うえぇぇぇーん! ライおにいちゃん、こわいよう……! ……
、
、クッキーたべただけだもん! フラウドおにいちゃんがくれたんだもん!」
目を真っ赤にして大粒の涙を零した
は、小さな手で涙を拭った。それでも涙は留まることなく溢れ続ける。呆気に取られた一同は
を見て、次にライへと視線を移した。
えっと……小さい
にも多少は記憶が残っているようで……
やっぱり原因はフラウドにあるらしくて……
――でも、それよりも、何よりも……!
「……ライ……お兄ちゃん……」
「ぶ……よりによってライが、なぁ……?」
「……似合わない」
には悪いが、残りの三匹とフラウドは思わず吹き出してしまった。 ――おにいちゃん。衝撃的な称号が、これまた一番似合わない猫に付けられた。
ライもライとてその響きに一瞬呆然としたが、
の泣き声で再び現実へと引き戻された。 やはりこの悪魔が元凶だった。……しかし、今
を泣かせたのは確実に自分のせいだ。
「いや……お前を責めるつもりでは……。俺は、ただお前が何を食べたのかと……。――おい、いい加減に泣きやめ……っ」
「っ! う……うぇっ……ひっく……」
「……っ……」
さすがのライも、大泣きしている子供の慰め方など分かりはしない。いつもの調子では、逆に追い討ちをかけてしまったようだ。 小さな子供の前で大柄な身体を丸めて困り果てていると、見かねたのか(あるいは怒りが抑えきれなくなったのか)他の三匹がようやくこちらへとやってきてライは幾分か安堵した。
「アンタ、顔が怖いんだよ。……ゴメンな。このお兄ちゃん、本当は怖い猫じゃないんだけど……。えっと、君は
だね?」
「……ひっ……、うっ……。うん……」
と目線を合わせ、なるべく優しい声でコノエが話し掛ける。
は赤い目でコクリと頷いた。コノエの横に並んだアサトは、ライをぎろりと睨み上げた。
「……お前、最低だ。こんな小さな子に怒鳴るなんて」
「……小さいと言っても、そもそもそいつはあの阿呆猫だろうが。なぜそんな姿になったのか、誰かが聞く必要が――」
「つってもなぁ。お前の身長で見下ろされたら、子供はそれだけで泣くぞ」
「…………」
弁解するも、バルドにまで呆れたように言われてライは押し黙った。 小さな
を囲むようにコノエ、アサト、バルドが膝をついている。一同から離れ、とんだ茶番だと溜息をついたライはふとフラウドがニヤニヤと笑みを浮かべていることに気付き、さらに不快になった。……そうだ、そもそもの元凶はコイツではないか。
「貴様……何もしていないなどと、よく言えたものだな。何を使ったかはしらんが、とっととこの妙な術を解け」
「えー? 僕が何かしたわけじゃないだろう? 僕はお菓子をあげただけ。食べたのは彼女だよ」
「貴様……よくも抜け抜けと……!」
「まぁそう怒らないで、見てご覧よ。……結構楽しそうじゃないかい?」
「……?」
フラウドの指の先では、相変わらず雄三匹が子猫相手に熱心に話しかけていた。
「……そっか。じゃあ、俺たちのことは分かるんだな。色々忘れてることもあるみたいだけど――」
一通り聞きたいことを聞き終えたコノエは、小さく溜息をついた。 ……
は、ある程度はこの姿になる前の記憶が保たれているようだ。脳の許容量の関係なのか、精神は見た目どおりの子供に戻ってしまっているようだが。
「俺の名前、分かるか?」
確認するようにコノエは首を傾げた。すると
は大きな目をパチパチと瞬き、にこりと笑って言った。
「……コノエおにいちゃん!」
「…!!」
コノエの鉤尻尾がビシリと伸びた。……錯覚ではない。確かに一瞬、それはまっすぐに伸びきった。
(お……おにいちゃん……)
それは、麻薬のような響きだった。ライが呼ばれていたときは笑えるばかりで別段どうも思わなかったのだが、自分に向けて(ましていたいけな笑顔で)呼ばれるとその破壊力は凄まじいものがある。 くらりと仰け反ったコノエを支え、今度はアサトが身を乗り出した。
「
…! お、俺は……?」
「? ……アサトおにいちゃん」
「……っ」
語尾に「はぁと」が付いていたように聞こえたのは、たぶんアサトの妄想であろう。 アサトは頬を染めて絶句すると、コノエを置いて壁に走った。そのままバリバリと爪を研ぎ始める。
凄まじい勢いで削られる壁に頓着することも忘れ、最後はバルドが何かを期待するように
に話しかけた。
「じゃあ、俺はどうだ? 覚えてるだろ」
「え? バルドおじちゃん?」
「……そ、そうだよな。やっぱ……」
ガクー、とバルドの肩が残念そうに下がる。どうやらいい年をして「おにいちゃん」などと呼ばれたかったらしい。厚顔もいいところだ。むしろ犯罪だ。
「ね? 楽しそうだろ。うーん、どんな猫でも多少はロリコンの気があるんだねぇ。これは興味深いな」
「…………」
フラウドのしみじみとした呟きに、ライは無言で返した。決して沈黙が肯定の証というわけではない。断じてない。ないったらない。
その頃、ようやく立ち直ったコノエは無邪気そのものの
を眺め、唐突にある質問を思いついた。 ……そうだ。普段の
にはとても聞けないが、この姿なら――答えてくれるかもしれない。
「なぁ
――この中で、どのお兄ちゃんが一番…好きかな?」
「!?」
コノエの大胆な発言に、残りの雄たちは目を剥いて振り返った。なんと勇気のある。いやむしろ俺が聞いてみたかったのに……! そんな複雑な視線を受け、中央の
が小首を傾げた。
「えっとねー……」
トテトテ。小さな足が動き始めた。
は一直線にある雄の元へと向かった。そしてその者の足にガバッと抱きつく。
「フラウドおにいちゃん!!」
満面の笑みで答えた
に、雄猫たちは悲喜こもごもの表情を浮かべた。
「そっかー。君、僕のコト好きなんだぁ。じゃあ特別に、君にだけもっと楽しいことを教えて――」
「待て! 貴様どこへ飛ぶつもりだ…!? ――おい
。お前はこんな奴のどこがいいんだ…?」
をひょいと抱き上げたフラウドが
ごと消え去ろうとするのに、ライは待ったをかけた。引き止められた
がフラウドの腕の中できょとんと瞬きをする。 今度は距離が離れているからか、はたまたフラウドの側にいるからか、
は泣きもせずにケロリと答えた。
「だってフラウドおにいちゃん、いちばんおもしろいもん!」
「…!?」
またもや雄どもがショックを受ける。そんな悲哀をものともせず、フラウドと腕の中の
は「ね〜」と声を揃え、ニコニコ笑い合った。
「じゃあ雌猫ちゃん。仲良しのしるしに僕にチューしてよ」
「ん? いいよー」
雄たちが悲哀に浸っている間に、喜悦の悪魔はさっさとコトを進めていく。猫がハッと振り返った。それよりも早く、子猫の唇が悪魔の顔へと近付いていく。間に合わない……!
「ちょっと待っ――、!?」
ボフンと音がして、フラウドの手の中の猫が急に質量を増した。
「あーあ。結構すぐに戻っちゃうんだねぇ。胃袋にある間が勝負かな?」
「…………。…!? ひっ、なっ…! キャアアアアッ!!?」
煙が晴れると、
の目の前にはフラウドの顔がドアップで迫っていた。 実際迫っていたのは
の方なのだが、そんなことは知ったこっちゃない。思考するよりも早く、
は目前の白い顔を本能的に押し退けた。
「ギャー! なに、なになにナニ…!? ちょっとアンタ迫らないでよ! ドコ触ってんのよ…!!」
思いっきり両手で顔を押しているのに、フラウドの手が腰に回っていて抜け出せない。パニックになりつつも、
は段々とそれまでの出来事を思い出し始めた。どうしてこんな事態になっているのか――。
「ア、アンタ、私になに食べさせたのよ! あんな小さくなって……なんなのアレ!?」
早口で問い掛けるも、フラウドはニコニコするばかりで全く意に介さない。ムギュウムギュウと押し合いが続く間も、頼みの雄たちは呆然としたまま足が止まってしまっている。……使えない奴らだ。
しかしあのタイミングで元に戻って、本当に良かった。あと数秒遅れていたら……。嫌すぎる想像が頭に浮かんで、
はフラウドを押し退けながらブルリと震えた。 するとそんな
を見透かすように、フラウドが一瞬力を緩めた。
「わっ……むぐッ!」
身体が傾き、虚を突かれた
の口に何かが押し込まれた。……クッキーだ。 『この虫野郎、重ね重ねよくも――!』と罵るよりも早く、
の意識は再びブラックアウトした。
「!? またか……?」
ボフンと音がして、コノエは目を擦った。突然元に戻った
とフラウドの攻防に目を奪われていたら、またも
を不運が襲ったらしい。 もうもうと立ち込めた霧が引き、二つの影が見えた。一つはフラウドだ。もう一つも――今度は大きい。
「……あぁ…君か。数ある未来の中でも、君が来るとはね」
陶然と呟いたフラウドの腕の中には、金の髪をした雌の悪魔が立っていた。
「な――。……
、か……?」
コノエをはじめ、雄たちは目を疑った。現れた「
」が、あまりに今の
とかけ離れた姿をしていたからだ。
金の髪や、姿かたちは確かにそのままだ。だが肌も露わな衣を纏い、頭に耳ではなく固そうな角を生やした
は――はっきり言って、恐ろしく妖艶だった。
紅い唇の上の瞳が、ゆっくりと開かれる。森のような緑ではなく、揺らめく赤を宿した瞳はゆったりと一同を見渡し、コノエに向けて意味ありげな微笑を浮かべた。その蟲惑的な表情にコノエはわけもなく胸が波立った。
「……随分と、懐かしいところに来たわね……」
唇から甘く艶のある声が零れる。
のものであって今の
が持ち得ないその響きに、フラウドが満足げな笑みを浮かべた。
「こりゃあまた……えらい色っぽくなっちまったなぁ」
衝撃を受けている一同の中で、年長者の貫禄かバルドが一声を発した。素直に賞賛するその響きに、ますます
が笑みを深くする。
「悪魔の
、か。もし悪魔に生まれてたらこんな風になってたんだな。こりゃ一度見たら拝みたくもなっちまうな」
「フフ……違うよ。もしも、じゃない。あのクッキーは過去の姿と、起こりうる未来の姿をそのまま写すんだよ。だから……この彼女も、決して幻じゃあない」
「……?」
感嘆したバルドに、フラウドが意味ありげな返答を返した。今この時点で、その言葉の真意が分かるものはいない。 しばらくすると困惑した一同の中から、アサトがふいに唸り声を上げた。
「……アサト?」
「俺は……俺はこんな
、嫌だ…! こんなの、
じゃない……」
尾を膨らませ、アサトは嫌悪感ではなく哀しげな表情を浮かべて
を見た。コノエがどうとも言えずに沈黙すると、今度はライが大変珍しくアサトの肩を持った。
「ふん。馬鹿猫と同じなのは癪だが……俺も同意見だな。これならまだ阿呆猫の方がマシだ」
そんなにはっきりと批判していいのだろうか。コノエがおろおろと
を見やると、批判された当の
は全く意に介さない様子でフラウドと戯れていた。
「アンタも、だいぶ久し振りね。代替わりしたの……随分前よね」
「そうかもね。……ああ、思い出した。あの時は楽しかったねぇ。ラゼルに見つかりそうになりながらのプレイ……。あの後、おしおきされたんだって?」
「ふふ……あれはあれで最高に楽しかったわ……。もう一度ぐらい、しても良かったのよ?」
気だるげに振り返った
が、フラウドの顎を弄ぶ。あからさまに卑猥なその仕草にコノエがドギマギしていると、バルドが相変わらず感心した様子で続けた。
「いや……しかしなぁ、これはこれで眼福だぞ。あの足見ろよ。滅多なことじゃ拝めないぞ?」
「……っ」
バルドの視線を受けて、コノエも見まいとしていた
の下半身に目が向いてしまう。スリットから覗く足は艶かしく、雄の興味を嫌でも引き出す。
「それにあの見えそうでみえない胸元! クーッ、雄心をそそるぜ…!」
「……っ!」
もはや隠そうともしない嬌声を上げたバルドにつられ、コノエの視線も釘付けになる。するとさすがに声が聞こえたらしい
が、こちらにむけて嫣然と微笑んだ。
「……見たい?」
悪戯を思いついた少女のように、あどけない口調で問い掛ける。コノエの横のバルドは、全く躊躇なく頷いた。
「そりゃあ見たいさ。雄のロマンだ」
「ふふっ…そう。じゃあ……いいわよ」
「!?」
そうして惜しげもなく晒された女神の谷間に、コノエとバルドは勿論ライとアサトまでもが釘付けになった。
「あっははは! 君、ほんっと面白いね。数ある未来の中でも、僕は君が一番好きだなぁ!」
衣を戻した
に向かい、フラウドが遠慮なく爆笑している。
はどこか得意げに微笑むと、フラウドの頬を両手で包み込んだ。
「好きだなんて……思ってもいないことを聞かされるのはもう沢山よ。どうせならののしって、嘲って……グチャグチャにしてよ。その方が感じるもの……。アンタなら簡単でしょう?」
「あはは。僕は嫌がってるのを虐めるのが好きだから、ちょっとご期待には添えないかもねぇ」
「ふふ……。じゃあ、ご褒美を頂戴」
深く笑んだ悪魔の唇が、緑の悪魔の唇にねっとりと重ねられた。雄たちが再度衝撃を受ける。 そのまま一秒、二秒、三秒……五秒が過ぎる頃に、ようやく猫たちは我に返った。その瞬間、ボフンと既に聞き慣れた音が食堂に響いた。
「…………。……? ……あ……、わ……おわアアッッ!??」
元に戻った
が目を丸くして卒倒したのは、言うまでもなかった。
「信じらんない! 役立たず! バカ! バカ! バカバカ馬鹿猫ーッ!!」
その後、一部始終を見ていながら何も手助けしてくれなかった雄たちに
が激昂したことも、言うまでもない。 そして
はその日以降、フラウドが差し出したものを死んでも受け取ろうとはしなくなった。
『理性が吹っ飛ぶほどキスが上手かった』……なんて一瞬でも思ってしまった自分を、
はその後激しく後悔するのだった。
END
イラストを下さった「Darling Darling」の紫之崎セツ様にお礼として差し上げたものです。
(2008.4.5)
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