火楼学園生徒会日誌!

※「ラメント学園」ドラマCD発売前に書いたため、CDとは設定が異なります。




「はいはーい。それでは火楼学園ならびに刹羅学園の、合同文化祭事前会議を始めまーす」


 ここは火楼学園の北校舎最上階にある、生徒会室。その狭い室内には、火楼学園・刹羅学園の生徒会上層部がずらりと揃っていた。
 たった今気の抜けた開会宣言をしたのは、火楼学園生徒会長の である。集まった一同を見渡し、手元の書類を読み上げる。


「じゃ、まずは議題の確認から――」

「その前に、少しいいか」

「はい? ……どうぞ、ライ会長」

  の声を遮って、ちょうど机を挟んで対岸にいた刹羅学園生徒会長・ライが声を上げた。白の長ランを纏った怜悧な姿を目に留め、 は発言を許した。


「その歳で女子高生はいささか無理があると――」

「――何か言いました? ……ライ会長、発言は己の姿を省みてから言ってほしいものですねぇ」

「…………」

 ライの冷静な突っ込みに、 は完璧な笑顔と慇懃無礼な口調で返した。室内の空気が一瞬にして凍り付く。
 ……そう。このふたり、顔を合わせれば何か言い合わずにはいられないのである。両者とも伝統校のトップに君臨し、日夜冷静に生徒たちをまとめ上げているのにも関わらず、だ。

  の笑顔に発言を引っ込めたライは、しかし続く言葉を口にした。


「なぜ二年のお前が会長をやっている。この前までは三年の奴だったはずだが」

「あー、そりゃ仕方ないわよ。うち、先輩の引退が早いから」

 ライの質問に、 も口調をくだけたものに戻すと火楼側の生徒会の面々を眺めて答えた。

「こないだ選挙をやって、なぜか私が、ね……」

 ボソッと呟いた は、隣に座る副会長アサトをちろりと見た。度の強い眼鏡を掛けたアサトは、きょとんと を見返して笑った。…… がこっちを向いたのが嬉しいという顔だ。


 ――何故、 がここに座っているのか。その理由は にもよく分からない。
  には全くその気がなかったのだが、先日の選挙でいつの間にか他者から推薦されて、あれよという間に当選してしまったのだ。

 女子からの立候補(した覚えはさらさらないが)が ひとりだったため、男子票が集まったらしい……という事を知ったのは、会長になった後の事だった。
 そして最初に「 が一番だと思う!」と担ぎ出したのが、誰あろうこの黒猫だったのだ。

 おかげで ののんびりしていた生活は途端に忙しくなった。割の良かったバイトも辞めてしまったくらいだ。その分、新鮮で楽しい事も多かったけれど。



「えーと、今回は来月に迫った合同文化祭での学園全体のイベントを決めるのよね。……コノエ、黒板に書いて?」

「あ、ああ……」

 突然名指しされたコノエが慌てたようにチョークを持つ。
 一年生である彼は、知らぬ間に会長に担ぎ上げられた が是非書記に、と指名した唯一の生徒だった。ついでにアサトの幼馴染でもある。

 その字ははっきり言ってミミズがのたくったようで読めたものではなかったが、いるだけで場が(というより の心が)休まるから、という理由と「コノエ……お願いv 」という の鶴の一声で、コノエは懸命にその大役を務めていた。
 ちなみにアサトは、「 とコノエがやるなら俺も入る」というよく分からない理由で副会長に納まってしまった。


「両校でアンケートを取った結果をまとめたわ」

「ほう……。相変わらず仕事が早いな」

「それはどうも。アサト、お願い」

  がアサトを見て頷く。アサトも強く頷き返すと、立ち上がってレポートを読み始めた。


「両校で合同コンパ、合同体育祭……などの意見もあったが、一番多かったのは制服の交換会と学生を取り替えっこして授業を受ける事、だった」

「……? 何それ?」

 諸々の準備はしていても、この件には全く関わっていなかった は疑問の声を上げた。ライが口を開く。

「互いの生徒の半分を交換し合い、他校に行った生徒に関してはそちらの制服を身に着ける、という事だろう」

「そうだ。……お前、俺が に言おうとした事を先に言うな!」

「ふん、お前が遅いのが悪い。……おおかた目新しい他校生徒と交流して、あわよくばつがいを得る……といったところだろう。下らんな」

 噛み付くアサトを一瞥したライが、つまらなそうに吐き捨てる。 は顎に手を当てると、フムと頷いた。


「ふーん。まあ確かに刹羅は男女ともレベルが高いって言われてるし、あの白ランに憧れてる男子も多いからねえ……」

「え……。そうなのか?」

 コノエが意外といった顔で振り向く。すると、まじまじとライの長ランを上から下まで眺め始めた。

「……なんだ、馬鹿猫」

「はいはい、うちの可愛い書記をいじめないでちょうだい。……言っとくけど、長ランを着てるのは生徒会長のアイツだけよ? みんなが憧れてるのはあれじゃなくて、普通の学ランのほう」

「そ、そうだよな……」

「そうだ。俺は、あんなの着たくない」

「…………」

 さりげなく失礼な会話を交わした火楼役員に、ライは無言で応えた。


「でもその案って、教員的にはOKなんですか? バルド先生」

 その時、 は生徒会室の隅に座って今までダルそうに会議を眺めていた保険医のバルドに問い掛けた。のろのろと顔を上げたバルドが気の抜けた様子で答える。

「あー? 別にいいんじゃねぇの。金もかからねぇし。俺としてはもっとハジけてても構わないくらいだが、お前ら禁欲的だなー」

 そう言って、ふああとアクビをする。いかにもやる気のない様子に、一同は反応を無視して進行を進める事にした。


 本来ならとっくに帰宅しているはずのバルドがこの場所にいるのには、訳がある。生徒会顧問である教務主任のラゼル先生が、今日に限って早退してしまったのだ。
 何でも、飼っている猫の機嫌が悪いからとか何とか。『具合じゃなくて機嫌かよ!』『つかラゼル先生ってペット飼ってたのかよ! しかも猫!?』といったツッコミは、誰も口に出す事はできなかった。

 ちなみに学校に常駐しているのは保険医じゃなくて養護教諭だろう、というツッコミもこの世界ではタブーであろう。


「一応リークス校長とシュイ理事長には許可貰っとけよ? 怒るとすごい怖ぇからな。特に理事長の方が」

 付け足しのように呟かれた言葉に、コノエがビクッと身を竦めた。
 実は、火楼学園の理事長はコノエのお父さんなのだ。周囲にそれは伏せられていて、 も生徒会に入ってから初めて知った事実だった。

「じゃあこの案を通していいかしら? 皆さん」

  が議決に入る。一同を見回して拒否がない事を確認すると、「決定」と は手を叩いた。




「しかし制服交換てことは、アレだな……」 

「……アレ?」

 決議が終わると、バルドは顎に手を当てて をじろじろと見回した。気付けば他の面々も に注目を集めている。居心地の悪い視線に、 はライを見上げた。

「アレって、何……?」

「…………。普通に考えて、会長は他校の方に赴いて連れ出した生徒をまとめるだろう。という事は……お前は、刹羅の制服を着るという事だ。勿論、生徒会仕様のな」

「……!」

 ライの言葉に は絶句した。まさか……自分がアレを着るのか!


 刹羅学園の数少ない女子の制服は、基本的には白のセーラー服である。普段がブレザーの はそれだけでもちょっと恥ずかしいのに、生徒会仕様となれば……全くもって我慢できない。

 今はいない女子生徒会役員の制服は……何だかやたらめったらピラピラフリフリしているのだ。
 生徒会長服が硬派なのに、全く真逆の路線を行っている。祇沙一のオタク街・春葉原の街頭にでも立って『おかえりなさいませ〜』とかチラシを配っていそうな服である。


「……ッ、今のナシ! 却下却下! 取り消し!!」

 ニヤニヤとした周囲の視線に耐え切れなくなり、 は立ち上がると叫んだ。だが机に手をついた を見下ろすように、ライはフフンと余裕の笑みを浮かべた。

「……無理だな。一度決定が下ったものは、誰であろうと取り消せない。……確か、火楼にはそんな校則があったはずだが?」

「くッ……!」

 言葉に詰まった は、助けを求めるようにアサトを見下ろした。だがアサトはキラキラした目で を見上げている。

「大丈夫だ、 はどんな服を着ても可愛い。俺も付いていくから!」

「アサト――。……って、そうじゃなくて……!」

 一瞬頬を染めた は、声を荒げた。うっとりと見上げるアサトから視線を逸らし、最後の砦のコノエに目を向ける。

「コノエぇ……」

「……ッ、あー……」

 泣きそうな の顔にコノエは詰まったが、微妙に視線を泳がせて から目を逸らした。
 ちなみにバルドは最初からニマニマと笑っていたため、協力を求めるだけ無駄だった。…… の味方は、いなくなった。


「い……ッ、嫌だぁぁぁ……ッ!!」

 夕暮れの生徒会室には、 の叫びだけが響き渡った。







 会議が終わったらどこに行く?


 生徒会室に。刹羅の会長に文句をつける。


 自分の教室に。ド近眼に癒しを求める。


 昇降口に。年下の彼氏と一緒に帰る。


 保健室に。先生、少し休ませて。
































【生徒会室に。刹羅の会長に文句をつける。



「ちょっと、アンタねぇ……ッ!」

 ふたり以外いなくなった生徒会室で、 がドカッとパイプ椅子に足を乗せた。ハイソックスを履いた、すらりとした足の付け根が見え隠れする。

「……下着が見えるぞ」

 本当は既に見えているのだが、ライはとりあえず忠告した。 がカッと眦をつり上げる。

「ンな事どうでもいいのよ! それよりアンタ、気付いてたなら決議の前に言いなさいよ!」


  は息も荒く、ライに詰め寄った。
 ……別に、決定案を覆そうとかそういう意図で怒っているのではないだろう。 は規律を乱してまで私情を優先する馬鹿な猫ではない。だからこれは、少しだけ文句を言ってみたかっただけなのだろうとライは推測した。 の恋猫として。


「……それほど、あの服が嫌か。たった一日着るだけだろう」

「……っ。……嫌だけど……それはもう諦めた」

 足を下ろし、 はボソッと呟いた。諦めが良くて結構な事だが、ライは意外な気持ちで を見つめた。 はまだ、どこか浮かない顔をしている。


「何か、他にも不満がありそうだな……?」

「…………」

 問い掛けると、 は無言で歩き出した。窓際に寄り、部活動で賑わう校庭を見下ろす。

「言え」

「……やだ」

 背中を向けた が答える。だがその短いスカートから覗く金の尾は、迷うようにパタパタと揺れていた。ライはもう一度声を掛ける。

「……言え」

 尾が震える。 は迷うように数秒溜めた後、ポツリと口を開いた。


「さっき……後から気付いたんだけど、私が刹羅に行くって事はアンタがうちに来るって事でしょ……? ……知ってる? アンタって、うちの女の子たちにすごく人気があるのよ。そんなアンタがうちの制服を着て、私のいない間にその子たちと過ごすって思うと――少しだけ、ホントに少しだけ……面白くない」

「…………」

 ライは唖然として の後姿を見つめた。なんという……阿呆猫か。そんな心配をしていたとは。
 だが、小さな嫉妬は――悪くない。ライは拗ねた顔をしているだろう の背後に歩み寄り、校庭を見下ろす雌猫に手を伸ばした。


「――うひゃあ! ……ちょっと、どこ触ってるのよ……ッ」

 するり、とライは の剥き出しの太腿の裏を撫でた。 が毛を逆立てる。

「……丈が短すぎる。もう少し気を遣ったらどうだ」

「別に普通よっ……。アンタのとこが長いだけ――ッやだ、こんな所で……っ……」

 身をよじる を押さえ込み、チェックのスカートをたくし上げていく。窓枠に手をついた はライを振り返った。


「誰かに見られたらどうするのよ!」

「別に、見せ付けてやればいい」

「〜〜ッ!」


  とライが付き合っている事は、両校の生徒には秘密になっている。 曰く『恥ずかしいから』だそうだ。
 だがバレてないと思っているのは とあの馬鹿猫共ぐらいのもので、それは公然の秘密になっていた。


「ば……かァ……ッ」

  が溶けていく。夕日に照らされた背中を見つめ、ライは何が何でも当日は刹羅に残ってやろうと心に決めたのだった。 



 END
































【自分の教室に。ド近眼に癒しを求める。】



「ああ、つっかれたー……。アサトも、お疲れ」

「ああ、 もお疲れ様。今日も格好良かった」

「…………ありがと……」


 教室に帰ってきた とアサトは、互いの労をねぎらった。このふたり、実は同じクラスである。ちなみにコノエは微妙に生まれ月が遅いため、一学年下に在籍している。

  の前の席に腰掛けたアサトは、 を振り返って心配そうに問い掛けた。

……本当は、嫌だったのか……? すまない、俺が賛成してしまったから――」

「え? ……ああ、いいよもう。アサトも一緒にいてくれるって言うし」


 机に肘をついた はそこに顎を乗せてアサトを見上げた。覗き込んだアサトの表情がパッと晴れる。
  はカバンから飴を取り出すと、アサトとふたりで分けた。クィム味の飴を舐めながら今日のノートを開く。


「文化祭もいいけど、その前に中間テストをクリアしなくっちゃね」

「ああ。俺は現国と古文が苦手だ。また赤点を取ったらカガリに怒られる……」

「あはは……カガリ先生厳しいからねー、いい先生なんだけど。物理や数学は得意なのにね、アサト」

「……言葉は、難しい。そういえば は数学も物理も化学も苦手だったな」

「…………。あんなモノ社会で普通に生きてく上では何の役にも立たないから、いいのよ」


「テストが終わったら、今度はどこに行こうか?」

「海……はもう終わったな。俺は が行きたい所なら、どこでもいい。 がいればいい」

「もう……いつもそればっかり。……でも取りあえず、今日はコレが終わったらこないだのカフェに行こっか。新しいタルトが出たんだって」


 ペンを走らせながら、取り留めのない会話を続ける。ふと顔を上げた は、アサトが自分を見下ろしている事に気付いた。

「…………」

 夕日に照らされた精悍な顔が、 を柔らかく見つめている。 は手を伸ばすとアサトの分厚い眼鏡を外した。
 こうするとアサトが何も見えなくなる事を知っているが、それでいい。


「……好き」

  は呟くと、机越しにアサトに口付けた。……キスは、クィムの味がした。



 END





























【昇降口に。年下の彼氏と一緒に帰る。】



「ゴメン! お待たせー」

 昇降口で を待っていたコノエは、ふいに掛けられた声に振り返った。
 わずかに息を乱した が、立っている。 が急いで来てくれた事に何となく嬉しさを感じ、コノエは眉を下げて首を振った。


「資料をまとめてたんだろ? もう大丈夫なのか?」

「うん。あとは刹羅の役員に任せてきたから……、――あ……」

「……あ」

  が下駄箱の扉を開けた瞬間……中に入っていた封筒に気付き、ふたりは固まった。

「あ、はは……。もう、コノエがいるのに困るな……」

「またか……。スゴイな」

  はぎこちなく、手紙をカバンに押し込んだ。それをコノエは横目で見遣る。
 こんな出来事は何も今日が初めてではなかった。今までにも何回か、 の元に手紙が届いていたところをコノエは目撃した事がある。


  は男子生徒に人気がある。綺麗で性格も良くて、更に生徒会長を務めるほどの人望と能力があると知れば、一度は付き合ってみたいと思うのも仕方ない事だろう。

 だけど…… は自分と付き合っているのだ。
 これらの手紙が行き着く先は、 の丁寧な断りの詫び状だと分かってはいるのだが……やはり面白くはない。
 コノエは無言で、 の先に立って歩き出した。





 一方 は、コノエの後を追いながら小さく腹を立てていた。

(この時代に手紙って何!? せめてメールにしてよ! ていうかひとの下駄箱を開けないでよ。……じゃなくて――何もコノエが一緒の時に、見つからなくても……)


 好意を寄せられるのが嫌な訳ではない。こんな自分と付き合おうと思ってくれた猫がいる事をありがたいと思うし、断るのにはいつも申し訳なさを感じている。
 だけど―― にはコノエがいるのだ。どんなに想われても、コノエと別れるつもりはない。

(ちゃんと付き合ってるって、言ってるのにな……)

  は断るつどに『コノエと付き合ってる』と、はっきり宣言してきた。だけど誰も――それを信じてくれないのだ。

(似合わないって事なのかな……)

 そう想像し、 はヘコんだ。不安を紛らわすようにコノエに近寄ると、 はその手をそっと握った。







(俺がちゃんと言わないから、駄目なのかもな……)

 その少し前。後ろから付いてくる の足音を聞きながら、コノエは悶々と考え込んでいた。
 コノエは とこれまで何度も一緒に帰ったり、昼食を食べたりしていたが、どうにも恋猫同士と認知されていないようなのだ。

 釣り合わないのは分かっている。だけど外から見て分かってもらえないのなら――どうすればいいのか。
 ただの上下関係と思われるたびに が哀しい顔をしている事を、コノエは知っている。本当は、あんな顔はさせたくない。


「……ッ」

 その時ふいに手を掴まれて、コノエは鍵尻尾を跳ねさせた。手を繋いだ が横に並び、コノエを覗き込む。

「怒ってる……?」

「え……」

 不安げな口調に胸が締め付けられる。コノエは首を振ると、 の手を握り返した。そしてそのまま身体を抱き寄せる。

「……っ、コノエ? ……どうしたの?」

……俺、決めたから」


 明日、まずは身近な猫たちにはっきり言おう。コノエはそう決意すると、 の肩に額を押し当てた。


 END


























【保健室に。先生、少し休ませて。】



「あーもう、ああもう……ッ! なんでOK出しちゃったのよ私ー!」

 保健室に入るなり、 はベッドに飛び乗って足をバタつかせた。荒れる に、一緒に入ってきたバルドがコーヒーを入れて手渡す。

「……でも、もうその案には納得してるんだろ?」

 からかうような声にグッと言葉が詰まる。 はそっぽを向くと「……まあね」と呟いた。カップを手に持ったまま。


「気付いてたなら先に言えばいいのに……」

「あ? ……だって、見たかったからな。俺も見張り役で刹羅に行ってやるよ」

「…………。バカバルド」


 教師を呼び捨てにした にバルドが笑う。……そう。このふたり、実は誰にも内緒で付き合っているのである。

 元々は急死した の父親の友だったという事で、生活や学費の事で面倒を見てくれたのがバルドだった。いわば足長おじさん的な存在である。
 それがいつの間にか……というよりは上手いこと丸め込まれた気がしなくもないのだが、こういう関係になった。だが がバルドを『先生』抜きで呼べるのは、ふたりきりでいる時だけだ。


 砂糖とミルクの入ったコーヒーを啜っているうちに、 の心も幾分か落ち着いてきた。ちょっと八つ当たりをしたかっただけなのだ。
  が飲み終わったのを確認すると、バルドはチャリと何かを上げた。……車の鍵だ。

「もう遅い。……乗ってくだろ?」

「……うん」

 答えた はバルドを見上げた。ヒゲ面の中の琥珀が、やに下がったように細まる。

「……何よ」

「いや……なんだ、誘ってんのかと思ってな」

「はぁ?」

 白いシーツの上で、 は首を傾げた。だが何か不穏な空気を感じ取りベッドから立ち上がる。

「王道すぎるシチュエーションで避けてたが……確かに燃えるな。どうする? やってくか?」

「や――、……ッ! しないわよ! ……バレたら困るしッ」

 カッと叫んだ はボスッとシーツを叩き付けた。


「そうだなぁ、バレたら……まあ俺は免職、あんたは退学か停学だろうな。……なんだ、そんなに俺の進退を気にしてくれるのか。……大丈夫、教師じゃなくてもあんたひとりくらいは何とでも――」

「違う。そんな事になったら生徒会の機能が止まっちゃうでしょ。今が大事な時なのに……」

「……そっちかい」

 バルドはげんなりと肩を落とした。……意味が分からない。
 そんなバルドから鍵を奪い、 は足早に保健室を立ち去る。その後ろからバルドののんびりとした声が聞こえた。


「あーあ。聞く前に襲っちまえば良かった」

「……ッ!」


 足音も荒く廊下を歩みながら――どうせ今日も家に送ると言いつつ、バルドのマンションに連れ込まれるのだろうと は半ば確信していた。


 END












(2007.11.1)

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