その猫に会って、生まれて初めて目が惹き付けられた。



 初 恋 猫







 俺と はいわゆる幼馴染だ。普通そう言われるようにずっと一緒に育った訳じゃないけど、お互いを子供の頃から知っている。だから、幼馴染だ。


  に初めて会ったのは、俺も もまだ十にもならない頃だった。
 友達と遊んで帰ってきたら、父さんに客が来ていた。それはいつもの事だったから俺は邪魔しないように奥に引っ込もうとしたけど、その日の客はいつもとちょっと様子が違っていた。

 金の髪の雄猫の隣に、小さな金の髪の仔猫。後ろから見たその姿は、姿勢こそちゃんとしていたけどテーブルの下で足が退屈そうに揺れていた。
 父さんたちは商談に夢中だったけど、その猫だけが俺が帰ってきたことに気付いた。金の頭が振り向く。大きな緑の目が俺を見ると、きょとんと瞬いた。
 
(きれいなねこ。オスかな、メスかな。どっちでもいいけどともだちになりたいな)

 そのとき俺はそんな事を思った気がする。今思えばあれは一目惚れってヤツだった。




 その後の はなかなか積極的だった。おじさんに何か話したかと思うと、俺の側に駆け寄ってきた。俺より大きな手が俺の手を掴む。 はその手をぶんぶんと振って、「あたし 。きみ、メス? かわいいね!」と自分の方が可愛いだろう笑顔で言ったのだった。

 雌と間違えられた事に対する衝撃は忘れてしまったけど、名前から が雌なんだと分かっても俺は大して気に留めなかった気がする。実際のところ雄とか雌の違いなんてよく分かっていなかったし、仔猫なんて(ましてや単純な雄の仔猫なんて)そんなモンだよな。



 そんな訳で俺と は友達になった。俺より年上の猫は、明るくて、物知りで、時々少し強引だった。藍閃に立ち寄るたびに とおじさんは俺の家に寄った。あの常宿が出来るまでは俺の家に泊まっていく事もあった。

 来るたび は少しずつ成長していた。もちろん俺も少しずつ成長していた。けれどその身長が追いつく事はなかった。悔しがる俺の頭をポンポンと叩き、 は明るく笑った。


 たまにやって来る年上の猫は、憧れだった。長い旅をして、いつしか鍛冶を学び始め、俺より早く大人になっていく猫。
 憧れなんて感情はその時はもちろん分からなかったけど、俺もいつか父さんの仕事を手伝うのだと を見て思うようになった。



 けれど、 とその父親の藍閃への行商はいつしかぴたりとなくなった。
 最初は今回は少し遅いな、くらいに思っていた。そのうち俺も覚え始めた仕事に追われて思い出さなくなっていった。きっと行商の場所を変えたんだろうとふと思ったのを最後に、俺は の事を考えるのをやめた。


 ――なのに。



「――トキノ!」

 暗冬前の仕入れも終わって退屈に店番していた俺に、突然掛けられた声。
 雌の声だとはすぐに分かった。俺は商売猫だから、そんな事では驚かない。
 この前香水を届けに行った娼館の猫だろうか。この街で雌といったらそこの猫しかいない。俺が顔を上げると、その猫はフードを捲り上げた。

「覚えてる? …… よ」

 はにかんだように笑った猫が、懐かしい名を紡ぐ。こぼれた金の髪に、俺は既視感を感じて目を見張った。



 数年ぶりに会った幼馴染は――雌になっていた。
 少年のようだった身体は柔らかく形を変え、自分とは明らかに違うものになっていた。

 細い首、細い腕、俺より小さな背。それは俺の知らない猫であって――でも向けられる視線は、昔からよく知っているものと何一つ変わっていなかった。

 綺麗になったと思った。そして動揺した。
  は雌なんだと、今更になって思い知らされた気がした。




  はしばらく藍閃に滞在する事になった。おじさんの事を語った目元には暗い影が漂っていたけど、それでも希望は捨てていないようだった。目を伏せて思案するその姿も、今まで知っていた とはどこか違う。
 
 手助けを申し出た俺に、 は目を輝かせて笑った。そして差し出したクィムを受け取った は、俺に鼻先を擦り付けた。
 昔と変わらぬ行為を受けたその瞬間、思った。 にとっての俺は変わってないんだ、と。

 ――ホント、昔から思ってたけど……結構鈍感だよな。年頃の雄猫の気持ちを分かって下さい。






「トキノ!」

「あれ?  ……と、ライさん!?」

 次に会った は、雄猫と一緒だった。ライさんだ。この前コノエと一緒に来た。
  とライさんは連れ立って買い物に来たようだった。二匹の親しげな様子に俺の中の何かがチクリと痛む。

 二匹は――お似合いだった。背の高いライさんを が真っ直ぐに見上げる。
 互いに小言を言っているようだったけど、ライさんの薄い色の瞳が商品を見定める の背を追っているのに俺は気付いた。

「……あいつは、昔からああなのか」

「え? ああ。そうなんですよ。仕事のことになると夢中になるみたいで」

「全くだな。背後がガラ空きだ。警戒も何もあったもんじゃない」

 そう言ってライさんは溜息をついた。でもその口調は意外に柔らかい。

 ――ほら、やっぱり。 は鈍感だよ。俺が焦っても、その理由には全然気付かないんだからな。






って……いつも、ああなのか……?」

 数日後、訪れた親友の言葉に俺は目を丸くした。コノエはテーブルでクィムを齧りながら俺に視線を向けてくる。その質問は、ついこの間にも受けた。一体 はあの猫たちの中でどんな振る舞いをしているのか、俺はちょっと不安になった。

「ああって?」

「いや、その……警戒心がないっていうか、妙に危なっかしいっていうか……」

「あ、あ〜〜」

 ――分かる、分かるよコノエ! ホントそうだよな。俺だけが思ってた訳じゃないよな!
 俺はそう叫びたいのを堪えて、曖昧に言葉を濁した。問いただしたい気持ちは重々あったけど、口を開けば俺の不可解な気持ちもバレてしまいそうで苦笑をした。

 今まで雌のことなんて一回も口にしなかった親友が、初めて興味をもった相手。
 それが自分の幼馴染であることが俺は少々誇らしく、同時に少し胸が痛かった。










「――トキノ!」

 そして は、また俺を呼ぶんだ。昔と変わらない明るい瞳で。年々彩りを変える鮮やかな笑顔で。



 ――金の雌は、特別な猫。昔から知っている幼馴染の猫。

 好きだ。だけど、俺の事を見てくれなくてもいい。
 俺の名を呼んで駆け寄ってくる姿に、あの時の が重なる。その光景は俺だけの宝物だ。


 今はあの恋猫にその笑顔を向けるのだとしても――


 あなたは俺の、初恋猫。

 ただ一匹の、初恋猫。





 



(2007.3.15)

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