ライを毒見代わりに使うのはさすがに気が引けて、
は仕方なくライと同時にその酒を飲む事に決めた。味わって飲もうと思っていたのに何でこんな事に……(以下略)というぼやきは、とりあえず置いておく事にする。
「じゃあ飲むわよ。せーの……」
寂しげに見上げるアサトの視線の先で、ふたりは杯を飲み干した。
「にが……ッ!! ――て、……え……?」
ぐいと液体を飲み込んだ瞬間、
は舌に残ったあまりの苦味にきつく目を閉じた。エグくはないが、ひたすらに苦い。涙すら浮かべてそろそろと瞼を開いた
は、次の瞬間目が点になった。
ここは――どこだ。
見た事もない建物の間に、
は立ち尽くしていた。
「え……? え……っ!?」
知らぬ間に酔っ払って外に出てきてしまったのだろうか。……そう、確かにここは外だ。だが
の知っている藍閃の街とは、ひいては祇沙のどこの街とも全く似通っていない。 無機質だけど猫だけはやたらたくさんいる街中に、
は放り出された。
「……なんだ、ここは」
「――ライ! 良かったアンタも来てい、た……。あーっ!?」
「なんだ。いきなり叫ぶな!」
すぐ背後で上がった聞き覚えのある声に
はホッとして振り向いた。だがそこにいた白猫の姿を認めた途端、
は目を剥いて叫んだ。強引に白銀の頭を引き寄せる。
「ラララ、ライッ! みみみ…っ」
「何の呪文だ。いいから落ち着け」
「耳っ! 耳がない! ああっ、尾も! ――なんで!? アンタも失躯に……!」
白銀の髪をまさぐり、
はそこにあったはずの丸い耳を探した。だが、ない。ライの耳と尾がなくなってしまっている……! 蒼白になった
の胸に無理やり顔を押し付けられた形になったライは、いま少しその感触に浸っていたい誘惑を押し切って顔を上げた。
「落ち着け。……お前のもなくなっている。というか、ここにいる猫たち全員耳と尾がない」
「え……?」
はパッと自分の頭に手をやった。――ない。その代わりに顔の側面に、肌の質感と同じだがやや固い奇妙なものが生えていた。 そして尾も。振る感触はあるのだが、それが空を切る事はなかった。あるべきものが存在していないのだ。
「!?」
ライはと見ると、やはり悪魔のような耳が(尖ってはいないが)横に生えていた。 そして恐る恐る振り向くと――忙しそうに歩いている猫たちの誰もが、猫のような耳と尾を持ってはいなかった。誰も騒いだりしていないし、健康そうだ。つまり――
「も、もしかして……」
「……疑うべくもないな。全く――」
「二つ杖の世界に来ちゃった……んだ……」
数分の呆然自失の後、
は足元に落ちていた空瓶と巾着袋に気付いてそれらを拾い上げた。 中身が入っていた時は見えなかったが、何か内側に文字が刻まれている。
「『酒が体内から抜ければ、おのずとこちらへ戻ってこられるじゃろう。それまでの間、好きに楽しめ。少しじゃが貨幣も入れておいた』……だって」
「あの馬鹿呪術師が……」
ライが乱雑に前髪をかき上げる。その時
は周囲から向けられる奇異の眼差しにふと気付き、眉を潜めた。 猫たち……ではなく二つ杖たちは、おおむね黒や茶色といった髪色をしている。自分たちの髪色が珍しいのだろうか。いやそれよりも……
「服が……違うわね。目立つのかな」
「だろうな。ちっ……剣は運ばれなかったのか。――仕方ない。まずは手持ちで服を調達するぞ。これじゃ目立って仕方ない」
「……お金、足りるかしら……」
巾着袋を覗き込んだ
が哀しく眉を下げる。ライはそんな雌猫を引っ張って、とりあえず衣料を売っていそうな店を探すため雑踏に踏み出したのだった。
「ど、どうかな……?」
三十分後、店の前で待ち合わせた二匹はお互いの購入した衣装を見て目を見張った。 なんとか(安い部類ではあるのだろうが)二匹分の衣料を買うお金はあった。
が初めての店で訳も分からず右往左往していると、どこからか店員が寄ってきて服を見立ててくれた。とりあえず言葉が通じたのでそれは良かったのだが……。
「……短いな」
「う……」
膝が丸出しになった丈のスカートを、
はそっと両手で押さえた。改めて言われると確かにいつも着ない部類の服なので、かなり恥ずかしい。
(だって……!)
『あーそのブーツならロングなんて駄目ですよ。お姉さんガイコクジン? ニホンゴ上手いですねぇ。……あ、これこれ! スタイルいいから絶対これがいいですって! これ「めちゃモテ」コーデの人気商品なんですよー』
『え、え……? あの……、「めちゃ」……?』
『カレシさんも大喜びですってー』
『はぁ……』
そう押し切られて訳も分からないまま購入してしまったそれは可愛かったが、いざライに見せて
は穴に入りたくなった。
(それよりも……)
はちら、とライを見上げた。さすがにライのブーツはこちらでは履けなかったようだ。荷物になっている。 その代わりに『じゃけっと』なる黒い上着と白いシャツ、『じーんず』なるパンツに革靴と、全身ビシッと決まっている。
はまじまじと白猫を見つめてしまった。
(やば……いい加減に慣れたと思ってたけど――)
正直言って、相当格好いい。元々の造作が完璧なだけあって、眩暈がしそうだ。見ると街中の二つ杖たちもこちらをチラチラと眺めては感嘆の声を上げている。
『あの人、超ヤバくね? モデルさん?』
ライに向けられる視線が熱い。
はますます身を竦め、居たたまれなくなった。
(あああ……。隣で歩きたくないよー)
ビシバシと刺さる嫉妬と羨望の視線に身を引いた
は、その時ライに引き寄せられた。
「離れて歩くな。……こんな場所で迷ってみろ。戻れなくなるぞ」
「あ、ああゴメン……」
を引き寄せたライは、その頭上から
の方を見ている雄どもに牽制の眼差しを放った。 涎を垂らさんばかりだった顔が凍り付く。その後も視線をくれながら、ライは
の腕を引いて歩き続けた。
(だいたい何だ、その服は。押し切られたからと言ってあからさまに雄受けするような物を選んでどうする! ただでさえお前は危機感に乏しいのに――)
――とは素直と言えないのがライである。それでも不安げな
の眼差しは雄どもの興味を惹くに十分だったし、確かに離れれば互いにどこへ行ってしまうか分からない。 そう己に理由付けをして、ライは
の手を引き続けたのだった。
なんだかんだと街中を見て回り、気付けばすっかり辺りが暗くなっていた。『宿を探さなければ』、そう言ったのが一時間ほど前だから、もう結構な時間歩いている事になる。
野宿でもいいと言った
に従い、木が何本か生えている『コウエン』なる場所に行ってはみたが、年かさの雄たちがうろついていたため引き返した。とても泊まらせられる環境ではない。 ライが苛々と建物の密集する路地を歩いていると、前を歩いていた
が「あ!」と声を上げた。
「……なんだ」
「ここ、多分宿だわ。『ゴシュクハク』って書いてあるもの。その後の『ゴキュウケイ』ってのがよく分からないけど……」
もともと興味があって勉強したらしく、
は二つ杖の文字をいくらか読む事ができた。ライには分からないが、見上げた先にそう書いてあるのだろう。 周囲にそぐわぬ華やいだつくりの建物は、宿であるらしい。さいわい代金も足りそうだ。 取りあえず寝る場所が見つかった事にホッとしながら、ふたりは妙に静まり返ったその宿に足を踏み入れた。
「あ、この部屋みたい」
やたらと薄暗い待合室で鍵を受け取り、ふたりは目指す部屋の前に辿り着いた。さすがに一匹ずつ部屋を取るだけの金はなかったため、相部屋になるのはまあ仕方ない。
は若干ウキウキとしながら、重い扉を押し開けた。
「……あ、あれ……?」
「…………」
部屋は――狭くはなかった。清潔だし、灯りも温かく照らされている。ただ一つ問題なのは、寝台が一つしかないという事だ。しかもやたらと馬鹿でかい。
「私、ふたりって言った……よね?」
「そうだな。――という事は、ここにはこの手の部屋しかないという事だろう」
「…………」
部屋の入り口で固まった
をよそに、ライはさっさと室内に入り辺りを見回している。入れと目で促されて、
は静かに扉を閉じた。
(え……えー…!? つまり、ここで寝るしかないってコト……? 一緒の寝台で!?)
だらだらと汗が流れる。突如として挙動不審になった
に構わず、ライはさっさと椅子に腰掛けて『じゃけっと』を脱いだ。小さな衣擦れが、むしろいやらしく部屋に響く。
(やらしい? ――って、むしろ私が何考えてんのよ!)
ハッと我に返った
はあるはずもない尾を心の中で激しく振った。そんな
にライが白い目を向ける。
「何をしている。立って寝るつもりか」
「え……! いやまさか――」
「ふん。何を想像しているかは知らんが、そういうつもりはない。……もっとも期待されているなら、応えてやらん事もないが?」
「……! 馬っ鹿じゃないの!」
にやり、と笑われて
はずかずかと奥に踏み込んだ。……ああ、この煽られやすい性格を本当に何とかしたい。そう思っても、この雄が相手ではいつも上手くいかない。 座り心地の良い寝台に腰を下ろし、ブーツを脱ぎ捨てる。はあ、と溜息を漏らすと
は改めて室内を見回した。
(寝台を除けば……いい部屋だな。なんか水浴び場っぽい所が透明なのが気になるけど――)
枕元には綺麗な籠が置かれ、何かの袋やら瓶やらが詰まっている。摘み上げてみても用途が分からない。とりあえず「ローション」と書かれたボトルを手にした
は、うっかり肘で枕元にあった突起を押してしまった。 ふっと部屋が暗くなり、代わりに額縁のような置物が発光し始める。
「わっ、ゴメ……」
「全く、どこをいじって――」
『あっ、アッ、いい…ッ! イクゥ……!! ああん、あンッ!』
「…………」
「…………」
何かが――映った。肌色のそれは、雌の裸だ。所々ボカされてはいるが、裸の雌が雄に揺さぶられて……啼いている。
「……!? な、あ、う………、ええっ!?」
一瞬頭が真っ白になった
は、パクパクと口を開けて後ずさった。慌てて文字盤らしきものに飛びつき、先程押したはずの突起を探す。だが見当違いのものばかりを押してしまい、睦みあう雌雄の映像と悩ましい喘ぎ声は一向に消えてはくれなかった。
「何をしている。――これだ」
「……!」
ふわりと
の頬を掠めて、腕が伸びてきた。落ち着いた様子で突起を押し、室内が再び静寂に包まれる。
はライの顔を見ないまま、そのまま枕元にうずくまってしまった。
(あああありえない……! なに今の、なに今の――! てゆーか、何もこんな時にこんなもの流れなくっても……!!)
恥ずかしすぎて顔を上げられない。今すぐ消えてしまいたい気分だ。こんなものを見て、さらに一晩ここでライと過ごせとは――
「……どうした。おかしな気分にでもなったか」
「なっ、ならないわよ……!」
しばらくすると涼しい声が耳に飛んできた。思わず顔を上げてしまった
は、にやにやとこちらを眺めるライの視線を受けてうっと固まった。……絶対に何か企んでいる。 目を逸らした
に笑いかけ、おもむろにライが寝台の上に乗ってきた。ふたり分の重みを受けた寝台がぎしりと鳴り、
は冷や汗をかいて後ずさった。
「どうだかな。興奮した、という顔をしているようだが?」
「してないしてない! ってちょっと、なに迫ってきてるの……!?」
「さあな」
ライは余裕の笑みを崩さない。壁際に追い込まれた
は、とうとうその腕の中にすっぽりと包み込まれてしまった。
「なにサカってんのよー! むしろ興奮してんのはアンタでしょ!」
「興奮? 馬鹿を言うな。あんな甲高い声の雌など願い下げだ。興が失せる」
「とか言いながらこの手は何よ! ちょ…アッ……。――あーもう、ケダモノー!」
せっかく着た二つ杖の服が、無残に剥かれていく。その上先ほど部屋の明かりを暗くしてしまったがために、どう考えても『そういう』状況へとふたりは突入しつつあった。
「獣で構わん。それよりお前、いい加減ボトルを離せ。肘までべた付いてるぞ」
「うわ、ホントだ……。ぬるぬるして気持ち悪い……。なんか甘ったるい匂いするし」
「……なるほどな」
「え……。なっ、アンタ、それどこにかけて――って、舐めるなー!」
ジタバタと動いても、ライの手がやむことはない。どうせ
だって本気で抗ってやしないのだ。 二度とない事だろうから、いいか。――そんな風に流されてしまった自分を、
は翌日恨む事になる。この晩ライは、枕元に置かれた用途の分からない物品を、残さず
に試したのだ。
そして目が覚めて朝っぱらの食堂に舞い戻ってきた
は、隣に座っていた、いまだ眠りの淵にある白猫の耳を思い切り引っ張ったのだった。
「……ムッツリ!」
END
(2007.11.4)
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