姐!  ねぇ〜!!」

 それは、あどけない子猫の大きな声で始まった。




 Sunny kitty !





 その日 とコノエは、外で荷造りをしていた。何本か溜まった剣をまとめ、明日藍閃へと行商に発つ予定なのだ。
 何気ない作業でも、真面目にやれば結構な重労働だ。汗を拭い、 は家の影で作業していたコノエに声を掛けた。

「コノエー。少し休憩しない?」

 そう告げた瞬間。家の側の茂みがガサリと揺れて は目を見開いた。


姐、いたー!」

「……ラカ!?」

 飛び出してきたのは、まだ の腰にも満たない背丈の子猫だ。近所に住む雌の子猫。
 その猫は を見つけるといつものようにまっしぐらに駆けてきた。 も慣れたものでスッと両手を広げる。――けど。

「あっ! コノエはんや〜!」

「うわ…! ラカ……!?」

 ラカが飛び込んだのは、 ではなくコノエの腕の中だった。


(あ……あれ……?)

 中途半端に両手を上げたまま、 は固まった。いつものパターンと違う。
 鳥唄から逃げる頃はやっと歩けるぐらいだった赤子猫は、帰ってきたらえらくお喋りな子供になっていた。
 他村出身の母親の影響か、不思議な言葉遣いをするのも相まって愛らしい猫を、 もコノエも可愛がった。その結果ラカもよく懐いてくれているのだが――


「なあなあ。コノエはん、元気やった!?」

「うん……ってラカ、ちょっと苦しいよ。放して……」

 手を下ろし、気を取り直した は背後を振り向いた。ラカがコノエの足に抱きついている。その小さな頭に手をやると、 はしゃがみ込んで聞いた。


「こんにちは、ラカ。……今日はどうしたの?」

「あ、 姐! あんなあんな、今日はウチ、コノエはんに言いたい事があって来たねん!」

 そう言ったラカは、頬を紅潮させて興奮しているようだった。何か新しい花や動物でも見つけたのだろうか。 は微笑ましい気持ちになって肩を竦めた。

「私は聞いちゃ駄目なの?」

「ん〜〜、せやな。かんにん、 姐。あとで 姐にも教えたげるからな」

「分かった」

 クスクス笑ってコノエを見ると、ラカも同じようにコノエを見上げた。雌二匹に見つめられたコノエがわずかにうろたえる。


「ほら、コノエ。内緒話だって」

「コノエはん、ちぃとばかししゃがんで! ウチ、届かないねん」

「あ、ああ」

「ほかん猫に言うたらあかんでー」

 コノエがしゃがみ込む。その耳に顔を寄せたラカは、大声で告げた。……ちっとも内緒になってない様子が微笑ましい。


「……ウチな。今日はコノエはんにツバつけに来たねん」

「!」

 だが『ちう』と音を立てて唇が吸われた音に、 もコノエも目を丸くした。



「へっへ〜。ツーバつーけたー。これでウチはコノエはんのおむこはんやね!」

「な……な、ラカ…!?」

 ニカッと笑ったラカと対照的に、コノエはバッと唇を覆って立ち上がった。
  はというとしばらく呆然とした後、こらえ切れず吹き出してしまった。


「ぶ…っな、何それ……。くっ……ラカ、どこでそんなの教わったの……!?」

 赤くなったコノエと、堂々と胸を張るラカの対比がおかしすぎる。というかそもそもなれるものが逆だ。口を押さえて が告げると、ラカはますます満足そうな顔で笑った。


「だってな、村のネエさんたちが言うてたんやもん。コノエはんってかわいい顔してはるけど、ときどきえらい『くーるびゅーちー』やねんって。でももうツバつけても無理やなって。だからウチは何べんでもツバつけに来よ思て、今日来たねん」

「へえ……」

 村の数少ない雌猫たちがコノエの事を噂しているのは知っていた。 の前ではさすがにラカが言うほどあからさまな話をされた事はないが、村の雄たちにうんざりした猫たちにとっては、コノエは良い目の保養になるのだろう。とは言っても、ツバつけさせる気持ちは毛頭ないが。

 ……さてどうやって言い聞かせよう。 がしゃがみ込み何気なく視線をやると、コノエも再び腰を落としてラカの頭を撫でた。


「ごめん、ラカ。それは無理なんだ。俺はラカのお嫁さんにもお婿さんにもなれないんだよ」

「……なんで!?」

 優しく言ったコノエにラカの顔が歪む。コノエは首を傾けると「うーん」と考え込んだ。

「……そうだな。それは俺が――」

「分かった!  姐やな?  姐がおるからウチのおよめはんになれんのやな?」

 コノエの言葉を遮り、ラカはパッと閃いた表情をすると の背後に回りこんだ。


姐キレイやけど、ウチかておとなんなったらキレイになるし!」

「いや、ラカ俺は――」

「それに体だって!  姐よりボンキュッボーンやで!」

「うひゃあ! ……ちょっと、ラカ!?」

  は鋭い悲鳴を上げた。何を思ったのか、ラカが背後から の胸をガシッと掴んだのだ。

姐より胸も――あれ? あれれ…?  姐、胸おっきなった? 前はこんななかった気が……」

「…っ!」

 疑問の声と共に膨らみを小さく上下に揺すられて、 は真っ赤になった。
 ラカの小さな手を引き剥がそうとすると、それより早く背後の気配が遠くなった。


「わあ…っ、コノエはん!」

「――ラカ。他の猫にそういう事をしたら、駄目なんだ。」

 高く抱き上げたラカを、コノエがめっと睨んだ。静かだが厳しい口調に、ラカの顔が歪む。


「なんで…? なんでコノエはん、ラカじゃダメなん……?」

 今にも泣き出しそうな子猫の頭にコノエは手を乗せた。そして言い聞かせるようにそっと撫でる。

「……俺は、 が好きなんだ。もちろん は綺麗だし、身体も…綺麗だけど、それだけじゃないんだ。俺は見た目だけじゃなくて、 の全部が好きなんだよ」

「……ウチより――?」

「うん。……だけど、ラカにもきっとそんな猫ができるよ。俺なんかよりずっと格好いい猫が待ってくれてる。ツバを付けるのも、おとなになってからでいいんだ。それに――」

「?」

 ちろり、とコノエは立ち上がった に視線を向けた。何かと思った瞬間――


「……! ん――、ンッ。……コノエ!?」 

 ラカを抱いたまま、コノエは に口付けた。


「――俺は、もう のものだから。とっくにツバ、付けられてるんだ」

 そうのたまうと、コノエはそっとラカを地面へ降ろした。





「すごい……。おとなのチュウや……」

「そう。おとなしかしちゃいけないんだ。……だから、村の皆には秘密だぞ?」

「……わかった! コノエはんは 姐をあいしてるんやな。ラブラブやんな。……ウチ、みをひく」

「はは……本当にたくさん言葉を知ってるんだな」


 呆然とする の横で、和やかにラカとコノエが話をしている。母親の呼ぶ声が聞こえて、ラカは身を翻した。

「はなまたな〜。おふたりさん、ごっつごちそうさん!」

 手を振って、子猫は茂みへと消えていった。




 




「……子供って、すごいわね……。ちょっと前まで言葉も話せなかったのに」

「そうだな。……でもラカはやっぱりマセてると思うよ。おとなになったら、多分俺なんて目じゃないだろうな」


 嵐が去った後のような静けさの中、 は赤くなった顔でそっとコノエの横顔を見つめた。
 本当になんと言うか、時折ポロッと爆弾のような仕打ちをするから油断できない。

 すると今度は、コノエが の顔をじっと探るように見つめてきた。


「……何?」

「……いや、別に」

「…………。何よ」

 口篭もったコノエは、それでも何かを気にするように をちらりと見遣る。
 そんな風にされたら逆に気になるに決まっている。 がもう一度問い掛けると、観念したようにコノエはボソリと口を開いた。


「その……嫉妬しないのかと、思って」

「………。え?」

 告げられた言葉のあまりの意外さに、 はポカンと聞き返した。コノエが気まずそうに身を捻る。

「……ラカに?」

「何でもない。忘れてくれ」

 顔を赤くしたコノエが作業に戻る。しゃがみ込んだ背中に、 は小さな笑みが湧いてくるのを止められなかった。


「……ごめん。それはちょっと考えなかった。あと10年経ったら間違いなくしてたけど」

「……そうかよ」

 コノエが背を向けたまま呟く。 はその背後に回り広くなった背中に頬を寄せると、少しだけ寄りかかって告げた。


「でも、たとえ10年後でも……絶対に譲らないんだから」

 そして背後から身体を抱きしめると、やがてコノエも小さな苦笑を漏らした。


 コノエが時折『クールビューチー』になる訳も、 の胸がわずかに大きくなったかもしれないのも、ふたりだけの秘密にしておこう。10年後も、20年後も。




「だけど……いいな。あんな子供、欲しいな」

「ラカみたいな?」

「ああ。……もう少し静かでもいいけど、アンタの子供ならきっと可愛いだろうし……」

「…………。私とコノエの子なら、でしょ?」

「……そうだな」


――発情期はもうすぐだ。新たな暮らしへの予感に、二匹は顔を見合わせると額を軽く重ね合わせた。









 なお、藍閃から帰ってきたふたりを『コノエは に飼われている』という何重にも尾ひれが付いた噂話が出迎えるのは、もう少し先のことである。

 『コノエは のもの』→『 がコノエを所有している』→『むしろ飼い慣らされてる?』と発展した噂の出所は、語るまでもなく。
 確かに言葉を秘密にしろとは言わなかった。だが、これは――


「ラカーッ!!」

 お喋りな子猫の姿を、 が探し求めたのは言うまでもなかった。 











END



(2007.10.15)

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