「……ッ!!」

 切っ先は、 の顔の寸前で止まった。元より斬り付けるつもりはない。それでも喉を引きつらせた は、声なき叫びを大仰に上げた。

「……あ……、あ…っ……」

 檻の中で が後ずさる。後方の柵にぶつかっても、なお剣先から逃れるように は顔を背けた。その唇はわずかに震え、顔色をなくしている。

 腕力も魔力も、今の にとっては大した恐怖にはならない。全てを受け流す が、唯一恐れるもの。――それは、鋭い切っ先の剣だった。コノエを突き刺した感触を、いまだに恐れているらしい。

 あの闘い以来、あれほど傾倒していた鍛冶や刀剣から は過敏なほど距離を置くようになった。自分が使うのはおろか、同じ部屋の中にあることすら我慢できないらしい。そんなものを突きつけられて、 が平静でいられるわけはなかった。


「いや……。嫌よ……」

 蒼白になった女が顔を背ける。その金色の軌跡を追うようにピタリと刃を押し付けると、なめらかな頬に一筋の線が走った。ついで、ゆっくりと赤い液体が滑り落ちる。

「…つッ…」

 赤く染めた指先を頬に伝わせ、 が声なくラゼルを見上げた。唇が震えるが、言葉は出てこない。その目に純粋な恐怖が浮かんでいるのを見て取り、ラゼルは満足げに一つ頷いた。


「……お前の主人は誰だ?」

「……ラ…ラゼル……」

「そうだな。……では、謝罪の言葉を聞かせてもらおうか。主人に背いた罰は、早めに受けたほうが良かろう?」

 サーベルをわずかに引いて、幼子に言い聞かせるように囁く。すると はわずかに眉をひそめ、ふいと顔を背けた。


「…………」

 沈黙は、拒否か。何がなんでも謝りたくない、という気分らしい。だが時折迷いを見せるように硬質の尾がぱたりと動く。

 その仕草に、無理やり押さえつけて屈服させてみたいという雄の衝動がふいに湧き上がった。実行はしないが、今の を見ればそれも仕方のないことだろう。
 もしも計算して誘っているのだとしたら――大した雌だ。この自分さえも突き動かそうとするのだから。

 だが今の が持っているのは、子供っぽい反抗心や意地といったところだろう。お互い事態が進まないと分かっていながら、引くことをしない。その無駄な駆け引きが小気味良いと思っているのは、おそらく自分だけだろうが。

「……仕方ないな」

「! ……やっ……!」

 溜息と共にラゼルは呟くと、サーベルを横に振り上げた。 が身を竦め、固く目をつぶる。鋭く空を切った刃は、しかし の首へと埋まることはなかった。




「……っ……」

 しばらくして目を開いた は、恐る恐るというように顔を上げた。どうなったのか分からないという顔でラゼルを見て、ついで遠ざかっていくサーベルの剣先を見つめる。サーベルを手元に収めたラゼルはそれを消し去ると、再び指を鳴らして を囲む檻を消滅させた。

「…………」

 晴れて解放されたというのに、 はうずくまったまま立ち上がろうともしない。また何かされるのではないかと疑念を浮かべたまま座る女に、ラゼルは手を伸ばした。 がびくりと首を竦める。

 ラゼルは血を流す頬に触れると、赤い雫を指ですくい取った。それを見せ付けるように舐め、いまだ怯える女に向かって微笑む。


「…愚か者。殺すわけがないだろう。……まったく、それほど恐れるなら早々に謝ればいいものを」

「……だ…って……、アンタが……っ」

「ほう、俺が悪いのか…? なるほど、俺の眷属はもっと虐げてほしいようだ。気が回らなくてすまんな」

「ちが…っ、そうじゃなくて……!」

 一度消したサーベルを再び出現させると、 が後ずさった。その手を難なく捕らえ、ラゼルは腕の中に抱き込んだ。
 サーベルの柄を の背中に押し当てる。トン、トン、と軽く背を叩くと、腕の中の はヒュウと息を吸った。


「……謝罪は? 柄を剣先に変えられたいのならば、このままでも構わんが」

「…………」

 規則的に叩かれる感触に静かな恐怖を煽られたのか、 はカタカタと震えるとようやく小さく漏らした。

「……ごめ……なさ……」

「聞こえんな」

「ごめんなさい。私が全部悪かったです! 分かったからもうそれ、しまってよ!」

 何かが吹っ切れたように は叫んだ。胸板を叩かれて促されると、ラゼルは女の望みどおりサーベルをかき消した。そして空いた手で、乱れてしまった金の髪を撫でた。


「……よろしい」

「な……何が、よろしい、よっ…。こんなの脅迫じゃない! わた、私が剣苦手だって、知ってるくせに…ッ!」

 ようやく恐怖から解放された は、震えながら叫んだ。
 子供のようなその言動は、とても淫魔とまで呼ばれる悪魔には見えない。うっすら涙まで浮かべた眷属を腕にして、ラゼルは長い金髪をすき続けた。


「謝らなくても良かったのだぞ? そうすれば、もっと楽しめただろうに」

「じょ、冗談じゃない…っ。痛いのは慣れたけど、剣だけは嫌よ…! 楽しめるわけが――、んっ」

 喚く を黙らせるように、ラゼルはいまだ血を流しているその頬に舌を這わせた。癒すつもりなどさらさらない。傷を広げるように執拗に舐めると、 が顔を歪めるのが分かった。

 だがしばらくすると痛みに興奮したのか、唇から甘い吐息が漏れた。
 とろりと濡れ始めた赤い目を覗き込むと、 が咄嗟に目を逸らす。ラゼルは の顔を捉えたまま、音もなく のスカートへと手を伸ばした。






「……ちょ……、なに…ッ」

 予測外の行動に は身をよじった。ラゼルは有無を言わさず手をねじ込むと、迷わず最奥の下着へと触れてきた。
 既に用を足さなくなっている布越しに、染み出す粘液の感触を捉えたのだろう。口端を上げたラゼルに、 は顔を赤くして再度男の視線から顔を背けた。

「……随分早いようだが。剣は嫌だと言いながら、虐げられて興奮していたのか」

「……っ」

「ほら、反論はどうした? いつものお前らしくもないな」

 揶揄するような響きにますます顔が赤くなるのが分かる。
 認めたくないことだが――ラゼルの言うとおり、呼吸を奪われてあの檻に捕らえられた時から、身体は快楽を感じ始めていた。

 いつもは心を読ませない悪魔が向けた、冷たい炎のような怒り。それだけでもゾクゾクする刺激を与えられるのに、加えて殺されるのかと思うほどの恐怖が、 に相反する興奮をもたらした。
 極度の緊張や興奮を、快楽として捉えるものがこの世界には稀に存在する。そして悲しいかな、 はラゼルの調教によってその稀な一群へと身体を変えられていた。

 この悪魔もそんなことは承知なのだろう。それでも に、認めさせようとする。
  は唇を引き結ぶと、嘲笑を浮かべる主人を強く睨んだ。

「なんでも言わせたがる男は、鬱陶しがられるわよ」

「……ご忠告、いたみいる」


 ラゼルは笑みを深くすると、下着を剥ぎ取ってじかに秘部へと触れてきた。久しぶりに男の指が与えてくれる快楽を貪ろうと、 の腰が正直に蠢いた。だがもう片方の手で太腿を押さえつけられ、 は動きを封じられた。

「……痛っ! ……っ、や、い…った……」

 柔らかな皮膚へと、ラゼルの鋭い爪が食い込んでいる。ぎりぎりと圧迫される感覚に は眉を寄せた。
 痛みは加速的に強まり、唇から呻き声が漏れる。だがもう一方の手は、先ほどと変わらず の秘所に快楽を与え続けていた。


「……いっ、あ……! いた……ン、あ、ああ…ッ」

 痛みと快感と、異なる刺激に翻弄され――快感が勝った。苦痛から逃れるよう快楽に感覚を傾けると、痛みすらも刺激になっていく。そのうちに性器を嬲る手の方も激しさを増し、濡れた入り口が赤く膨れた芽が、悪戯に摘み上げられた。
 下半身だけを肌蹴られ、男の手二本だけであっけなく上り詰めさせられていく。

 縋るものが欲しくてラゼルの腕を掴んだ。その瞬間腿に食い込む爪が一段と深さを増し、 は身体を震わせた。



「…………」

 一瞬気をやった後に目を開けると、ラゼルは既に腕を引いていた。その指には大量の透明な粘液と、少量の赤い血がまとわり付いていた。
 最中には全く気付かなかった。局部が裂けたのか、太腿が切れたのか恐る恐るスカートをめくって確認すると、切れたのはどうやら太腿の方らしかった。

 『怒』の紋章のある白い足に爪痕がつき、幾筋か血が伝っている。小さく痙攣したそこに、じわりと痺れが重なった。治癒魔術でもかけなければ、頬ともども治るには結構かかりそうだ――そんなことを思った は、指を拭っていたラゼルに濡れた視線を向けた。

「どうした」

「…………。ほしい……」

 涼しい顔をしたラゼルに比べ、 はまだ身体の中がほてっていた。一度達せられようと、快楽に慣れた身体がこの程度で満足できるわけがない。珍しく素直に欲望を口にした に、ラゼルは満足げな笑みを向けた。

「やれんな。仕置きが終わったとは一言も言っていないが?」

「……っ。意地悪しないでよ……」

「急に殊勝になったな。甘えるならコノエ相手にでもしろ」


 ひどく冷静に言ったラゼルは、だがその場から去ろうとはしなかった。ただ無言で を面白そうに見つめる。ラゼルの視線にさらされ、 は身体の中の熱がじりじりと煽られていくのを感じた。

 これではまるで視姦だ。立ち上がろうにも、腿に力が入らずすぐには無理だった。
 否応なしにその場に留められた は、次第にもじもじと腿を擦り合わせて疼きに耐えた。ツ…と垂れていく血の一筋が、くすぐったく の快楽を刺激する。


「……ねぇ、もう……やだ……。来てよ、ラゼル。入れてよ……っ」

 そして間もなく、 は二度目の陥落を宣言した。こんなみっともなく縋るさまをリークスやヴェルグが見たらどう思うだろうか。柄でもないと笑うだろうか。
 けれどこの悪魔相手にプライドも何もあったものではない。切羽詰った己の状態に、 は媚を含んだ眼差しでラゼルを見上げた、ラゼルは鷹揚に笑うと、 の前に静かに腰を下ろした。


「欲しいなら、自分で取りに来たらどうだ? お前はいつもそうだろう。その状況に誘い込む手段はじっくりと教えたはずだが」

「アンタがやった太腿が痛いのよ! 見なさいよこれ、絶対痕が残るわ。こんな状態で動けるわけないでしょ!?」

 いつまでも動こうとしないラゼルに、 はとうとうキレた。自由になる方の足でピンヒールを振り上げると、その足首も難なく捕らえられた。もがいた を押さえ込むように、ラゼルが足の間に押し入ってくる。


「……仕方ない。こんな子供っぽいお前を見られるのは珍しいからな。それに免じて許してやろう」

「なん…で私が、ここまでされなきゃいけないのよ…ッ! ――ぁうッ、ちょっと、傷えぐらないでよ…!」

「黒紋もいいが、赤も映えるな。もう一つ彫りこんでみるか? 痛いのも好きだろう」


  のスカートをたくし上げ、ラゼルがまだ生々しい傷口に爪をめり込ませる。その手を掴んだ は、限界を訴えるように己の支配者に爪を立てた。



「……嫌な男…! アンタなんか最低よ!」 



 彼女の支配者は、この上なく愛おしそうに頬の傷を舌でえぐった。









血の色を映す紅玉は、彼女が全てを捧げた証。

身も心も髪の一筋までも、彼に支配される幸福の約定。


さあ始めよう。無限の世界での、一瞬の享楽を。

闇よりも暗い赤が、この世界を満たすまで―――









  END


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(2008.8.2)