真夏の深夜。 は住みかから少し離れたところにある小川のほとりで、ひとり足を水に浸していた。

「……あっつい……」

 唸るように呟くと、雌猫は大きな溜息をついた。




 熱帯夜.           






 そもそもの発端は、初めて経験する吉良の夏の気候にあった。

 アサトと共に吉良に住み始めて、一度目の夏。
 どうせ祇沙は常春だからと はタカを括っていたのだが、吉良は何せ幽谷の谷などが付近にあるためか、湿気が多かった。気温こそ鳥唄と変わらないが、経験した事のない蒸し暑さに は怯んだ。

 吉良の猫たちは平然としているし、一度経験してしまえばそのうち身体も慣れていくだろう。そう思っていたのだが、今夜ばかりは耐えられなかった。



『……う……うう……ん、暑い……』

 穏やかに眠っていた が目を覚ましたのは、身体を羽交い絞めにする逞しい腕のせいだった。その正体は薄々分かっていたが、そろりと振り向くと案の定アサトの寝顔が待っていた。


(……なんであそこからここまで来てんのよ……。……うわ、ガッチリ……)

  が最近寝不足である事を慮って、今夜アサトはわざわざ少し離れた場所に寝床を取ってくれていたのだ。少しでも が涼しいように、と。
 それを申し訳なくもありがたく思った だったが、結局はいつも通り隣に――というかどう見ても密着する姿勢に戻ってしまっていた。

 背後から抱き込まれた腕はガッチリと力強く、背中から腕からアサトの高めの体温が伝わってくる。
 再びじっとりと汗ばんだ はアサトを起こそうともがいたが、寝つきの良いアサトは全く起きてはくれなかった。

(も……無理……っ)

 もがいたせいで更に汗を流す羽目になった は、アサトが寝返りを打つタイミングを見計らってその腕から抜け出したのだった。







 それから川に涼を求めに来て小一時間。ようやく落ち着いた は、月光を反射する水面を眺めてパシャリと足を動かした。

 アサトに触れられるのが嫌なのではない。その温もりを愛しいと思うし、自分だってその熱を望んでいる。
 だけど、今年の夏ばかりは少し何とかして欲しいと思った。しかしそれをアサトに言える訳もない。言ったら、耳を伏せた落ち込みアサトが三日間は消えてくれないだろうから。


(でもアサトだって寝てたんだし……うーん……)

 むしろ自分が床に寝るか。それとも屋根にでも上がるか。 は首を傾けたが、途端に弱々しい溜息を漏らした。

(それは……やだな……。アサトと距離ができるのは……)


 目が覚めて、そこにアサトがいないのは寂しい気がする。誰かの姿を追うのなど、以前ならば考えられなかった事だ。
 本当は自分だって、アサトに触れたいのだ。あの胸に顔を埋め、褐色の肌に舌を――

 ……と、そこまで考えて はハッと我に返った。何だ今の想像は!


(な、な、何考えてんのよ私……! 想像じゃなくて妄想でしょそれ……!)

 乱れた妄想を追い払うように、バシャバシャと水面を蹴る。

(落ち着け! ……あんまり暑いから頭まで溶けてんのよ。きっとそうだわ)

 そう必死に言い聞かせた を、そのとき突然呼ぶ声があった。


……! 危ない……!」

「!? ――おわぁッ!!!」

   
 派手な水音を立てて、 は小川へと突き落とされた。








「……ケホッ、げほごほ……っ……! ――ア…っ、アーサート〜〜。アンタねぇ…ッ!!」

 不意を突かれて水中に沈んだ は、盛大に水を飲み込んでしまった。
 勢いよく身体を起こし、咳き込みながら背後を振り返る。するとそこには、手を突き出した姿勢のまま呆然とするアサトの姿があった。


「あ……すまない。止めようと思ったら力加減を間違った」

「思いっきり押してたわよ! ていうかこの小川のどこに危険な要素があるのよ!」

「すまない。その……目が覚めたら がいなくて……、探してたら、川に呑み込まれそうに見えたから――」

「…………」


 アサトがしゅんと耳を下げる。引っ込められた手が、行き場がないように握ったり開いたりを繰り返した。
  は一瞬呆気に取られたが、申し訳なさそうに眉を下げるアサトを見て小さな苦笑を漏らした。
 つくづく自分がアサトに弱い事は自覚しているが、つまりは――心配してくれたのだ。


「……ごめん。怒鳴って悪かったわ。心配してくれてありがと」

……」

 すっと手を伸ばし、アサトの痣の浮かぶ左腕に触れる。表情を緩めかけたアサトは、 の小さく笑んだ唇に釘付けになった。――その次の瞬間。


「――じゃ、アサトも……!」

「……!?」

 左腕を強く引かれ、アサトは もろとも小川の中へと倒れ込んだ。







「……私だけ濡れるのは、不公平でしょ? アサトもお揃いね」

「…………」

 膝ほどの深さの小川に座り込み、 はぐっしょりと濡れた髪をかき上げて笑った。
 アサトははじめ何が起こったのか分からなかったが、やがて目を瞬かせると小さな笑みを浮かべた。 のちょっとした悪戯心が、可愛いと思ったのだ。


「……気持ちいいな」

「でしょ? あんまり暑かったから、涼んでいたのよ。…黙って出てきて悪かったわね。よく寝てたから」

「……そうか」

  が最近寝苦しい思いをしている事には気付いていた。それで床を別にしたのだが、 が寝たのを確認して結局側へと近付いてしまった。……離れているのが、寂しかったから。


「……吉良の夏は、 にはつらいか……?」

「ん? ……まあ最初は仕方ないわよ。どうしたって身体が馴染むのには時間が掛かるし。だけど、いつかはそれが自然になっていくわ。……ここで生きるって、決めたから」

  が小首を傾げ、ふっと笑う。それにアサトは胸が高鳴るのを感じたが、 は勢い良くザバリと立ち上がった。


「そろそろ帰ろっか。身体も涼しくなったし」

 すっと右手を差し出される。アサトは反射的にその手を取って立ち上がったが、 の格好に気付いて頬をサッと染めた。

「―― 。……その……」

「ん?」


 ――簡素な夜着が、濡れて身体に張り付いている。
 わずかに透けたそれはくっきりとした身体のラインを月光の元に浮かび上がらせ、ありていに言うと……非常に目のやり場に困る。


「……髪、ぐしゃぐしゃよ」

「……っ」

  がそっとアサトの髪を撫で付ける。そういう の方こそ濡れた金髪から水が滴って――


(……くそ…っ!)


「――! ……っふ、ん……っ。アサト……!?」

 アサトは の腰を掴むと、濡れた唇に己のそれを押し付けた。







「……っちょ…っと……、アサ……、っん……」

 いきなり引き寄せられた は、アサトの熱い口付けを驚きと共に受け止めていた。
 濡れた髪をまさぐられ、より深く重くアサトの舌が侵入してくる。巧みではないが一心に這い回るその熱に、 はだんだん頭がぼうっとしてきた。

  が寝不足なのを察して、最近アサトは に触れてこなかった。久し振りの感覚に、あっという間に熱が引きずり出される。

(……熱い……)

 熱いのはアサトの舌なのか自分の身体なのか。糸を引いて離れた雄猫の唇をトロンとした目で見つめ、 は問い掛けた。


「……ど…したの……?」

 その声は、自分でも驚くほど掠れて濡れていた。あからさまに欲情を滲ませた響きに、アサトの喉が上下する。

「……すまない。急に、 が……欲しくなった」

「…………」

 同じく掠れた低い声に、身体の芯がぞくりと震える。潤み始めたアサトの瞳を見ていられなくてそっと視線をずらすと、 は鳴り始めた動悸を鎮めるように大きく濡れた息を漏らした。



 ――何かが、変だ。

 アサトに見つめられると、自分でも分からないくらい容易く身体に火が灯る。
 求める視線に、声に、唇に……あっという間に陥落してしまう。発情期でもないくせに。

 求められれば、返したくなる。いやそれ以上に、自分も求めたい。
 熱が欲しいのかと言われると否定はできないが、もっと全てが欲しい。

 身体で、言葉で、眼差しで……何度でも確かめたくなる。
 アサトが自分のものだと。自分がアサトのものだと。

 アサトが――欲しい。



 ここが外だとか、そんな事はどうでもいい。どうせ村の外れの住みかの、さらに外れの小川だ。今となってはその環境さえありがたい。


「…………、私も――」

  は顔を上げると、アサトを引き寄せてその唇を奪った。
 
 







「……っあ、……んア……ッ、……サト……そこ……っ」


 抱きしめられて、唇を吸われた。身体をまさぐられ、同じように褐色の肌を探った。
 そして今、 は小川のほとりの木に顔を伏せ、アサトに向かって腰を突き出していた。

 背後に回ったアサトが の尾を上げる。臀部を押し開き、ソコが空気に晒されると次に濡れた感触が押し入ってきた。


「……ふあ……ッ」

 焦らす事も何もせず、アサトは一直線に の亀裂へと舌を這わせた。ざらついた舌がヒダをくすぐり、 の中へと入る。
 あらぬ場所で、あらぬものを受け止めている。ざらざらした表面が敏感な粘膜に押し当てられ、水音と共に の快感を高めていく。


「……っん……あ……! ……っ、あ…あ……っ」

 臀部をきつく掴んだアサトの手が熱い。息が吹きかかる芽は、早く触って欲しくて膨らみきっている。
 まくり上げられた衣服は腰にたまり、重く垂れ下がっていた。……いっそ脱いでしまいたい。
 そんな中で膝から下を流れる小川の生ぬるい冷たさだけが、場違いな感覚を に与えていた。


(……っ……気持ち…いい――)

 なぜこんな恥ずかしい体勢になったのか、そんな事はもう考えたくない。
 ただ気持ち良くて気持ち良くて――アサトが一心に与えてくれる快楽を、零さないよう追うので精一杯だった。

 
「……も……ダメ……ッ。……あ……っ!」

  はガリッと木の樹皮を引っ掻くと、膝を折って水面へと崩れ落ちた。







 バシャリと水音を上げて、 が水中に座り込む。アサトはその正面に回り込むと の垂れた金髪をかき上げ、その顔を覗き込んだ。

「……っ、やだ……っ。見ないで……」

 パッと が顔を隠す。その直前の焦点の合わない陶酔した顔が消えてしまったのは勿体無いが、恥ずかしがる も可愛いと思った。
 うつ伏せた滑らかな背中を見下ろすのも欲が煽られるが――やはり自分は、 の顔が見える体勢の方が好きだ。


「……なぜだ? すごく綺麗なのに」

「〜〜! そんな…事ないよ……。恥ずかしい……ッ」

 ますます が口篭もる。きっとその顔は真っ赤に染まっているのだろうと考えて、月の光しかないこの状況をアサトは少し残念に思った。……見たかったのに。


 水中で腰を引き寄せると、意図を察して が腰を上げた。確かめるように手を差し込むと、そこは水とは違うぬかるんだ感触がした。
  がアサトの下衣をくつろげる。現れた屹立をそっと支えると、膝をついた がゆっくりと腰を落としてきた。


「……っ、あ……」

「…… ……っ」

 微かな声を上げて、 が落ちてくる。水に包まれていた熱に圧力がかかり、温かな に埋まっていく。
 アサトの太腿に臀部が当たると、 はホッとしたように息をついた。


「なんか……変な感じ……。少し、水入ったかも……」

 確かにいつもとは少し感覚が違っていた。先端に冷たいような感触を覚えたが、それは の体温に馴染み徐々に温度を上げつつある。
 ぐっしょりと濡れた服を纏わせて、 がアサトの首に手を伸ばしてくる。それを肩から腰まで落とすと、月の光に の裸体が浮かび上がった。


「…ちょ……コラ……!」

 流石に外気に素肌を晒すのには抵抗があるのだろうか。 が軽く睨みつけてきたが、もう遅い。
 揺れる膨らみは魅力的だったが、 が服を上げようとするのを遮るようにアサトはその背を引き寄せると軽く腰を突き上げた。

「……ッ……」

 きゅ、と の中が締まる。そのまま何度か腰を揺らすと、 は腕を伸ばしてアサトの背中に縋り付いた。


「……あ……んっ……、……あ…あ……っ」

 密着した身体をさらに近付けるように、 の背中を抱く。少し強めに揺さぶると、 の唇から甘く掠れた声が漏れた。



 ――気持ちいい。もっともっと、気持ち良くなりたい。してやりたい。

 そう思うのと同時に、貪り付きたくなる本能的な衝動が首をもたげる。
 肉を埋め、牙を食い込ませ、血肉を啜るような――




「……っ」

 思わず唸り声を上げかけたアサトを、その時 の指がそっと制した。腰の上から肩口まで、古い傷痕を の指がなぞっていく。


「アサト……ッ、アサト……。……あ……は……ッ」

 無意識……なのかもしれない。けれど の指は声は、アサトを現実の世界へと引き戻した。
 目前で揺れる、艶めかしい姿態。それを抱いているのは猫の自分なのだ。……魔物ではない。


「……っく……う……、 ……!」

 アサトは を更に引き付けると、その滑らかな背中に手を這わせた。濡れた尾から順に上がっていくと、盛り上がった傷痕に触れる。アサトが付けた傷だ。

「……あ……、あッ……んぅ……っ」

 そこを慈しむように指を滑らせると、 の声が若干色を変えた。微かな喘ぎの中に、切ないような響きが混じる。


 ここが弱いのだと――気付いたのは、最近の事だ。自分の傷を撫でられて感じた感覚を にも返してみたら、案の定だった。
 薄い皮膚は過敏にアサトの熱を受け止める。傷が新しい分、その感覚はアサトよりも鋭敏かもしれなかった。

 それからアサトは を抱くたびにこの傷に触れてきた。それは己の罪を確かめるためであり、 に悦びを与えるためでもあり、また が生きている事を確認するためでもあった。



「……いい……、……っモチ…いい……。アサト……アサト……っ」 

  の声が余裕を失ってくる。背中に爪が食い込み、その昂ぶりをアサトに伝えた。


「…… ……ッ!」

 水音が激しく上がる。 が喉を仰のけた瞬間、アサトは の中で熱を解き放った。









「……はぁ……、はー……」


 数分後、アサトの上体にもたれて息を整えていた は、のろのろと身体を起こした。
 先程までの自分の痴態が浮かんできて頬が染まる。まるで……ケダモノだ。

 濡れた上着を引き上げるとほんの少しだけアサトが残念そうな顔をしたが、いつまでも晒している訳にはいかない。
 腰はアサトと繋がったままだ。まだ腰を上げる気力がないというのもあるが、もう少しだけこのままでいたい気もする。


「……あまり水に浸かっているのは良くない。そろそろ戻るか?」

「うん……」

 覗き込んできたアサトに、 は曖昧に頷いた。
 (むしろさっきより熱くなっちゃったんだけど……)という呟きは押し殺し、立ち上がろうとする。しかしバランスを崩した の腕を、アサトが咄嗟に掴んだ。


「……今度は眠れそうか?」

 そう見上げてきた雄猫をしばし見下ろすと、 はちゅ、と唇を重ねた。
 いまだ火照ったままの頬が憎らしい。この熱をどうしてくれようか。


「…………。無理かも」


 ――きっと今夜も、寝不足確定だ。
 あまり溺れすぎると次の日にえらい目にあうのが目に見えてはいるのだが……もう止められない。


  は呟くと、また熱くなってきた雄猫の身体をギュッと抱きしめた。










       END






2007.9.30

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