「……なんで私の荷物がここにあるの?」

「そりゃあれだろ。今日からここに住めっていう女神リビカからのお告げだろう」

 そう真面目くさって答えたヒゲ面の縞猫に、 は多大なる溜息を向けた。




 Second Night

        
 
― Third lover
of Bardo





 事の発端は、こうだ。リークスの魔術により暴徒と化した猫たちによって、バルドの宿も少なくはない被害を受けた。
 手を負傷しているバルドを手伝い、 も宿の復興に尽力してきた。そしてようやく明日、宿を再開できるというところまでこぎ着けたのだ。

 明日からはまたあの賑わいが戻ってくることだろう。だがバルドの手はまだ完治してはおらず、料理や洗濯をするのにも一苦労だ。そこで は、バルドに言われることもなく自然と宿の手伝いをする気満々でいた。

 明日からに備えて今日は早めに寝よう。そう思った は、真新しいシーツを張った二階の客室に入ったのだが――



「……もうこれでどの部屋も使えるって、アンタ言ってなかった? 私はどこの部屋を使ってもいいって解釈したんだけど」

「客は、な。あんたはもうこれから従業員なんだから、客室を使ったら駄目だろ」

 客室に置いておいたはずの少ない私物が、いつの間にかバルドの私室へと移動されていた。
 宿じゅうを探し回り、一番ないだろうと思っていた場所でそれを発見した は、寝台にもたれて本など読んでいる雄猫にジト目を向けた。


「……この狭い部屋で、私はどこに寝ろと?」

「ん? ここでいいだろ。こないだだって一緒に寝たじゃねぇか」

「……っ」

 ポンポンと寝台の上を叩かれ、 は言葉を失った。意識して考えないようにしていたが――バルドとその寝台が並ぶと、嫌でもあの夜の恥ずかしい光景が思い出される。
 顔を染めてしまった に、バルドが意地の悪い笑みを向けた。

「そんな赤くなって。やーらしーな、なに考えた? 今」

「な…ッ、やらしいのはアンタでしょ!?」

  はかっとなって怒鳴った。簡単に挑発される自分に情けないものを感じたが、反応しなければこの妙な回想が頭から消えてくれなさそうだった。


  は扉を背にしたまま、部屋の入り口で立ち竦んだ。
 ……どうしよう。確かにバルドの言うとおり、客室はあくまで客のためのものだ。だがだからといって、まるで夫婦のようにいきなり主人の部屋に住み込むのは、それはそれで厚かましいような気もする。

 無言で逡巡した に、バルドはふいにがらりと表情を変えると真剣な表情で言った。


「あんたが嫌じゃなければ、ここにいろよ。今夜だけじゃない、ずっとだ。あんたの部屋のように使ってもらっていいし、必要な物があれば揃える。あんたはもう、ここの猫なんだから」

「…………」

「あー、違うな。本当は俺が、あんたにいてほしいだけだ」


 照れたように頭を掻いたバルドに、 は絶句した。ストレートすぎる言葉に返す答えがなかったのだ。
 『嬉しい』とか『私も』とか気の利いたことが言えればいいのだが、いかんせんそんな言葉を向けられることに慣れていない。

 自失が去った後に、 は真っ赤な顔で「じゃあ、いる……」とかろうじて呟いた。もっともパタパタと尻尾が揺れていたので、言葉以上の感情がバルドにも筒抜けだっただろうが。




 ごそごそと自分の荷物をあさり、明日の準備が整った。ふと今から寝るべき寝台を振り返ると、バルドは先ほどと同様に書物のページをめくっている。寝台とバルド、その取り合わせはやっぱり不埒な想像を催させる。

 バルドの涼しげな顔を見ると、自分だけがそんなやましい想いを抱いているのが非常にいたたまれなくなってくる。それでも は、一応釘を刺しておくことにした。


「そっち行っていい?」

「おう、来い来い。……じゃ、俺も寝るかな」

「……言っとくけど、明日早いんだから変なコトしないでよ」

「変なコトって……。ああ、うん、しねぇよ。安心しろって」

 目を丸くしたバルドは、ついで苦笑を浮かべた。意識しているのがバレバレで恥ずかしくなったが、とりあえず今日は安眠を貪れそうだ。 は再びバルドに背を向けると、私物を部屋の隅に押しやった。――そのとき。


「……!」

「やーっと捕まえた。闘いが終わってから警戒しすぎだ、あんた」

「ちょ…ちょっとバルド……!」

 背後から忍び寄ったバルドが、 の腰に腕を回した。突然の拘束に驚くが、時すでに遅し。がっちりと腹の前で手を組まれ、 はずるずると後ろ向きに寝台まで引きずられた。

 バルドが寝台に腰掛けるのにつられて、 もガクンとバルドの胸にもたれ掛かった。間髪いれずに太い両手が身体の表面を這い回りはじめ、 は慌ててその手を止めた。


「変なコトしないって言ったじゃない! …あ、ちょっと……アンタ、手も完治してないのに…!」

  の手をやんわりとかいくぐり、バルドは両手を の胸の上へと乗せた。大きな手の平で膨らみを包まれる感触に血が上り、 は二の句が告げなくなる。
 (手のひらに収まるサイズの私って……)などと悲観的な考えが頭をよぎったが、今考えるべきはそこじゃないだろう。

「んー? これ、別に変なコトじゃないしなあ……。愛を確かめる行為だろ。手の治りは……こんな感じだ」

「……っ」

 平然と恥ずかしいことを言ってのけたバルドは、両手で の胸を揉み込んだ。左に比べると、少し右の力が弱い。でも特に動きが鈍いわけではなくて――じゃなくて!


「し……信じらんない。こんなだまし討ちみたいな――あっ。ちょっと…待ってよ、やっ……」

「別に騙しちゃしないけどよ。あー……悪い。俺、結構若いわ。しばらく触んなかった分、歯止め利かねぇかも」

「アンタはいつも、利いてないでしょ…っ。んッ! ……あーもう、なんなのこのオヤジ。色ボケ! 節操なし! あ……エロ、猫…ッ」

「ひっで。初めての恋猫に溺れる雄の心境が分からんかねぇ。まだまだガキだな、あんた」

 雨のような口付けを繰り返しながら身体をまさぐられ、 は息を乱した。だがバルドの一言にふと反応し、 はじっと雄猫を見返した。


「……なんだ? ガキ扱いはやっぱ気に食わんか?」

「――初めて? ……またそうやって、すぐに分かる嘘をつく」

「え? あ、はは……。いや嘘では……」

「嘘でしょ。別に隠そうとしなくてもいいのに。そんなの気にしてたら身体がいくつあったって足りやしないわよ。ましてアンタの恋猫なんて何匹いたことか」

「いや……そこは少し気にしてほしいんだけどよ。ちょっとは嫉妬したりとかよ……」


 しょんぼりと言ったバルドが力なく を抱きしめる。背後から抱きつかれ、 は肩口に落ちたバルドの髪によしよしと手を添えた。
 自分の倍ほど生きている雄猫が、ゴロゴロと喉を鳴らす。ゆっくりと愛撫を再開させたバルドは、 の肩の上で静かに口を開いた。


「……本当は三匹目、だ。こんなに見境なくなったのはあんたが初めてだが……」

 この話題は終わったものと思っていた は、目を瞬いた。どこか決まり悪げな雄猫の言葉に、再び彼を見返す。

「三匹って……そんなわけが――」

「ちゃんと付き合ったのは、だ。いい加減な付き合いの数は、さすがにあんたには言えん。つーか、正直覚えてない」

「…………」

 別にバルドの過去を問いただすつもりはない。先日聞いたライとの確執や、悪魔に縋るほど追い込まれたことを思えば、快楽に逃げたくなるときもあっただろう。
 だがそれでも、少なくとも二匹の猫とは心からの交流があったことを知り、 は少しだけ安堵した。


「一匹目はえらく気の強い闘牙でな。村を飛び出して雌だてらに賞金稼ぎをやっていたが、魔物を追ったきり帰ってくることはなかった。……二匹目は、見てくれは今ひとつだったが気のいい雌で……でも失躯で早々に死んだよ」

「……っ」

 しかし安堵もつかの間、淡々と語られた『過去』に は息を詰めた。バルドは何でもないことのように を撫でると、ゆっくりと寝台へ押し倒した。

「……いい奴ほど、俺よりも早く死んでいった。この手で幸せにしてやりたいと思っても……やっぱり汚れた手じゃ駄目だったみたいだ。過去を清算せずにそんなことを願えた義理じゃなかったが……」

「…………」



 ――『そんなことはない』と言いたかった。苦しみ、足掻き、それでも光を見出そうと伸ばしてきた手が汚いなど、あるわけがなかった。

 だがどう伝えたらいいのか は言葉に迷い、結局己の顔の横につかれた包帯を巻いた手に、そっと口を付けた。苦しみ抜いた手を癒すように、指先から手首まで口付けを降らせていく。
 バルドはしばらくなすがままになっていたが、くしゃりと の金髪を撫でると囁くように言った。


「だから今回の闘いが終わって、あんたが生きててくれて――本当に嬉しかったんだ。年甲斐もなくこんなになっちまうくらいに、な」


 そして回された温かな腕に、 はもう抵抗することなく身を委ねた。










「――って……、本当に年甲斐ないわよ、アンタ!」

 翌日、宿再開店の日。
 昨夜までは宿を開ける前にもう一度はき掃除をしておこうと思っていた は、日も高くなってからようやくバルドの部屋で目を覚ました。


「いっ…たあ……。信っじられない、早く起きるって言ったのに!」

 腰を押さえ、 は枕やら本やらを清々しい顔で様子を見にやってきたバルドへ投げつけた。普段使いもしないような筋肉を使い、伸ばされ、動きがぎこちない事この上ない。
 
 こっちがこれだけ苦労しているのに、バルドはいやに楽しげだ。見ると服まで新調していて、紫の衣に包まれた雄猫は子供のように笑った。


「悪い。――ああ、それあんたの制服な。多分サイズは合ってると思うから。俺の腕で測っただけだけど」

「いつ測ったのよ! ていうか全然悪いと思ってないでしょ。あーもう今日は寝てる!」

「まぁそう言うなって。ゆっくりでいいから、着替えて出てこいよ」


 そう言って雄猫は縞の尾を揺らめかせ、部屋を出ていった。
 後に残された は、渋々立ち上がってその制服とやらを広げる。そして、絶句した。




 どう見てもペアなんとやらにしか見えないそれを が着たかどうかは、皆様ご存知の通りである。
 







 END




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(2008.8.3)