「コノエ。私……鳥唄に帰って鍛冶がしたい。でも、ずっと一緒にいたい」
「――それ、俺が言おうと思ってたのに。……俺が断るわけないだろ? 一緒にいたいのは……俺だって同じだ」
Second
Night
― Eternal night for
Konoe
不安と共にコノエに問い、それを払拭されたのは何日前のことだろうか。
は今、藍閃から鳥唄までコノエを伴って帰ってきたところだった。
村に入ったのはついさっきだ。騒ぎにならないよう夜陰に紛れ、無事誰に遭遇することもなく我が家の前まで辿りついた。 記憶にあるとおりの玄関の様子に、
は鼓動が早まるのを感じた。扉に手を掛ける前に斜め後ろを振り向き、コノエに目配せする。
「ここ……私の家」
「ああ。……火楼の俺の家よりずっと立派だ」
「そうかな……」
声をひそめてかすかに笑ったコノエにつられ、
も緊張に強張った口元を少し和らげた。持っていた鍵を差し込み、ゆっくりと扉を押し開ける。 月光に照らされた室内がぼんやりと夜目に映った。密閉された懐かしい匂いの空気がわずかに漏れ出し、
の鼻に届いた。
「…………」
一歩、無言で家の中へと入る。後にコノエが続き、扉が閉められた。虫の音も途絶え、静寂が訪れた闇の中で
は懐かしい光景を目に映した。
奥にある作業台の上には、採ったきりで食べなかった干からびた木の実が乗っている。床に目を移すと砥石が無造作に置いてあった。それから父親の服。父が亡くなったきりたたむことができずに、そういえば窓辺に吊るしたままだった。
「…………」
「……
」
じわりと視界の輪郭が滲んだ。
は玄関に立ち尽くしたまま、その場から動くことができずにいた。 動かない
に後ろのコノエが気遣わしげな視線を向けてくるのが伝わってくる。その視線を受けても、
は話すことも歩くこともできなかった。
(動かな、きゃ……。コノエが心配してる……)
喉の奥から熱く苦しいものがせり上がってくる。……駄目だ、こらえなければ。そう思うのにそれは
の意思を裏切って目から溢れ出した。
顔を拭うこともしゃくり上げることも、後ろのつがいの姿を思うとできない。 心配をかけたくない。その一心で呻きをこらえ無意識のうちに俯いた
の肩に、そのときそっと置かれるものがあった。
「アンタ、馬鹿だ……。こんなときくらい遠慮しないで泣けよ。俺の前で、我慢なんかするなよ……」
「……っ」
を支えたのは、決して大きくはない少年の手だ。温かいそれを肩に乗せられ、
の中の強固な強張りがほどけていく。そのまま背後から包み込まれるように抱かれると、後はもう堰を切るだけだった。
「……ッ、わ…たし……もう、家には帰ってこられないって、思って……」
「うん。……俺も、家を出たときはそう思った」
「ごめ……コノエの村、虚ろであんなことになったのに……」
「……ああ。でも、火楼のことと鳥唄は関係ないだろ。アンタの村も家も、無事で良かったよ。……俺がこれから住んでいいんだろ? これでここまで駄目だったら……また森で迷うことになってた」
「…………」
耳元に響くコノエの優しい声に、
は無言で頷いた。 ……どうしよう、困る。こんな風に大人びた声で優しくされたら、弱い部分を全て預けたくなってしまう。
は漏れそうになる嗚咽をこらえた。それでも静かな涙は止まらず、自分を抱きとめる胸にそっと頬を擦り付ける。意外な行動にコノエは戸惑ったようだが、その腕はすぐに
の体重をしっかりと受け止めてくれた。
「あ、はは……ホントごめん……」
「いいって。なんでそんなに気にするんだよ」
それから一時間後。軽く室内を清掃した二匹は、床に敷かれた絨毯の上でささやかな食事にありついていた。 コノエはびったんびったんと音を立てて尾を振る
の姿を、苦笑と共に見つめた。
涙を流し終えた
は、今度は今までの出来事が恥ずかしくなってしまったらしく、そそくさと室内に入っていった。そのまま手早く掃除をはじめ、とりあえず寝泊りできるまでに室内を整えた。それで食事を始めたのだが――
(別に泣いたっていいのに。変なところで意地っ張りだよな……)
今まで短いながらも
と共に過ごしてきて、この猫が泣いたところを見たのは今日を入れても片手にも満たない。むしろ自分の方が多いんじゃないかと思うくらいだ。 共感の作用である程度の感情の波は分かってしまうけれど、本当に涙を流すことは滅多にないようだ。それだけ
は我慢強い猫だった。
だけど、今日のように泣くところを見るのは――実はそんなに嫌ではなかった。
勿論
の泣き顔が好きだというわけではない。笑顔の方がずっと綺麗だと思うし、
が笑顔でいるとコノエも嬉しい。 だけど今日みたいに涙や弱いところを
がさらけ出す時、コノエの中には不可解な喜びが少しだけ湧き上がるのだ。
(なんていうか……甘えられてる、ような気がするんだよな……)
気がする、ではなくて多分本当にそうなんだろう。いつからか、
はコノエに他の猫には見せない一面を見せてくれるようになっていた。頼られている、と言ってもいいかもしれない。
実際は
が自分に頼らなければいけないことなどほとんどないのだが(コノエにはあっても)、ふとしたときに『少しは頼られてるかも?』と思う瞬間がある。 それはコノエの雄としての矜持をひどく満たすものだった。
(なんか……いいな。依存じゃなく支え合うのって、つがいっぽくて……)
ぼんやりと夢想に耽ったコノエは、
が怪訝な顔でこちらを見つめていることには気付かなかった。
「コ、コノエ……? 大丈夫?」
「――うわッ! な、なんだよアンタ気配も立てずに…!」
「あ、大丈夫ね。ゴメン、赤くなってボーッとしてたから、具合でも悪いのかと思って」
の声にはっと現実へと引き戻されたコノエは、その顔が超至近距離に迫っていることに気付いて鍵尻尾を逆立てた。
「うん、熱もなし……と」
「……ッ!」
コノエを覗き込んだ
は、予告も何もなくコノエの耳をいきなり摘まんだ。熱を測るその行為にコノエの心臓が再び跳ねる。 先程までの動揺はどこに行ったのかと言うほどに平然としている
は、ふっと笑いかけるとコノエから離れた。吐息が頬に触れ、コノエはますます赤くなった。
「……あ!」
「な、……なんだ?」
元の位置に収まった
が、突然ポンと手を叩いた。コノエが目を丸くして見ると、
はさっさと部屋の隅に行って何かをごそごそと探り始めた。 こちらに向けられた臀部と金の尾をなんとなく見つめながら、コノエは溜息をついた。
(あービックリした。たまに予測つかないコトするからな……。ふたりでいる時は気を付けないと……)
「ん……?」
そこで、今更のようにコノエは気付いた。……ふたり。ふたりっきり。
と……。 ――今日から、ふたりきりでここで暮らすのか……!
(うわ……)
当たり前の事実をようやく実感を伴って受け止め、コノエは思わず口元を手で覆った。 これから、自分はここで
と昼も夜も共にしていくのだ。それこそ朝から晩まで一緒に生活して。それがつがいになったということであり、また共に生きるということだった。
そう実感すると、揺れる金の尾が急になまめかしく思えてきてコノエはばっと目を逸らした。
はと言うとまるでそんなことは気にしていない様子で、経験の差を感じたコノエは微妙な気分になった。 しばらくすると、
が甕(かめ)のような物をこちらに引きずってきた。
「お待たせー」
「……それ、何だ?」
「んっふっふ……」
やましい想像が頭を駆け巡ったのを誤魔化すように、コノエは甕を置いた
に問いかけた。雌猫はラベルらしき紙が貼ってある方をこちらに向け、どこか得意げに笑う。
「すっかり忘れてたわ。……じゃーん! 三年物のクィム酒!」
「な……クィム酒? そんなのあるのか……!?」
「そうなの。この近辺でしか取れない種類のやつなんだけどねー。確か父さんが漬け込んでたなって、今思い出した」
そう言った
はいそいそと楽しげに蓋を削り始めた。クィムが好物であるコノエも初めて見るその酒に興味をそそられたが、
の一言でふと考え込む。
「……それ、大事なものなんじゃないのか。俺たちが飲んでいいのか?」
「もちろん。これ今頃がちょうど飲み頃なのよ。でももう父さんはいないし……それに、お祝いだから」
「お祝い?」
は柄杓を持ってきて上澄みを掬うと、少しだけそれを口に含んだ。味を確かめるように目を閉じ、今度は適量を持ってきた杯に注ぐ。 また
の口に運ばれるかと思われたそれは、コノエの予想に反して壁際へと運ばれた。杯の置かれた上方へ目を移すと、そこには立派な一振りの剣が壁に掛けてあった。
「父さん。……母さん。今、帰りました。……母さん、守ってくれてありがとう」
部屋の隅に座った
が穏やかに剣を見上げ、頭を垂れる。コノエも近寄って
に並ぶと、同じように頭を下げた。
が少しだけ目を見開く。
「コノエ……。――私のつがいです。母さん……母さんの甥っ子だよ。すごく頼りになる、大切なひとです」
「……っ」
コノエは思わず
を盗み見た。
は変わらず静かに祈りを捧げていた。コノエもそれに習い、元の姿勢へと戻る。 見たことのない伯母と伯父に向かい、コノエは感謝と少しばかりの懺悔を捧げた。娘さんに色々な感情を抱いてしまってすみません、と。
「さて……飲もうか!」
顔を上げた
の明るい笑顔に、コノエも笑顔で頷いた。
「――だからアイツにさ、言ってやったんだよ。馬鹿猫はアンタだろー!って」
「そしたら?」
「ほっぺた引っ張られて無言で怒られた。後でバルドに湿布貰ったけど」
「大人げない……」
――深夜。酒も回り饒舌になったコノエは、聞き上手な
を相手にあの旅の最中にあった出来事をとりとめなく語っていた。
少しだけにしておこうと思ったのだが、
が勧めるのでつい杯を重ねてしまった。
も
で同じぐらい飲んでいたが、
の方が酒には強いため(強いどころの話ではないが)、コノエの方が先に出来上がってしまった。
気分が悪いということはない。ただこの場所に至れたという感慨と、
と共にいられるという喜びでコノエは上機嫌になっていた。
最初は向かい合って飲んでいたふたりだが、いつしか隣に寄り添って互いに酌を交し合っていた。幸せだなあ……そんなことを柄にもなく思い、コノエはまた相好を崩す。
「……?
?」
そのとき、静かに相槌を打っていた
がちらりとコノエを見やった。何だろうと思っていると、ぽす、と胸に軽い衝撃が走る。
が肩口にもたれ掛かってきたのだ。コノエは杯を持ったまま固まった。
(……え。……え……?)
金の髪がコノエの胸に流れ、静かに額が擦り付けられる。しばらくして、その動きが親愛を示す行為であることにコノエは思い至った。 コノエが息を詰めていると、
がゆっくりと顔を上げた。そのまま唇が喉元に寄せられ、コノエはいよいよ赤くなった。
「おい……
……?」
「ふふっ……」
コノエの動揺した声に
は小さく笑ったようだった。ざり、と独特の感触と共に首筋が舐められる。舌を押し付けられて、毛づくろいを始めたのだと分かったのは既に顔が真っ赤になってからだった。
「
……どうしたんだよ、急に……っ」
「いいから……」
は歌うように呟くと、今度は髪に口付けた。コノエの頭を抱える形で鼻を押し付け、頬を押し当てる。
の胸の中に収まったコノエは、これはもしかしてバルドの言っていた『スエゼン』というものではないかと心の中で汗を流していた。
(さ……誘われてるのか? これって…!?)
『誘っているのか』――なぜか頭の中で、白猫の声が聞こえたような気がした。どうしてここでライが出てくるんだ。確かにあいつならさらりとそういう事も聞けてしまいそうだけど。
……分からない。からかわれているのか、そういう雰囲気にいつの間にかなっていたのか。自分では全く検討がつかない。 恋愛初心者以外の何ものでもないコノエは、ただ身体を固くして
の次の手を待つより他になかった。
「……っ、おい、
……!」
ついに耳まで到達した
の舌は、その表面をやはり丁寧に毛づくろっていった。
間近に迫った喉からかすかに機嫌の良さそうな音が響く。もしかしたら――大変珍しいことに、酔っているのかもしれない。
の動きはじゃれ付く子猫のようで(実際子猫に会ったことはないけれど)、性的ないやらしさは全く感じられなかった。しかし……。
「……ッ、あっ」
そのうちカプ、と耳を甘噛みされてコノエは飛び上がった。毛づくろいの口が滑ったのかもしれないが、コノエの耳に
の歯の感触がダイレクトに伝わる。それが面白いのか、
は何度もその行為を繰り返した。
甘えられているのか、甘やかしてくれているのか、どちらとも取れるスキンシップだ。 甘えられているなら嬉しいと先程も思った。思ったけれど……!
「……ッ、……ッ! 〜〜ッ!!」
鍵尻尾がブワリと逆立つ。コノエは唸り声を上げると、
の肩を掴み絨毯へと押し倒していた。
「――痛っ!」
「…!」
鋭く短い叫び声でコノエは我に返った。組み敷いた身体の下で、
がわずかに顔をしかめている。固い床に思わず雌猫を押し倒してしまったことにコノエは狼狽したが、肩から手を離さないまま問いかけた。
「悪い。大丈夫か?」
「う、うん。大丈夫だけど……」
こちらを見上げる
の目には驚愕が宿っていた。こんな体勢になるとは予測してなかった、とその顔には書いてある。
には全くその気はなかったのだと改めて分かったが、もう止めることはできなかった。
「コノエ……?」
今さらのように己がしでかした仕打ちを理解したのか、
が探るように見上げてくる。コノエは歯を噛みしめると、固く瞑った目をゆっくりと開いた。
「ライが、よく考えて発言しろとか行動しろってアンタに言ってたけど、ようやく分かった……」
「え?」
「アンタな……、アンタなぁ……!」
溜まりかねたようにそこまで言って、コノエは口をつぐんだ。目を丸くして
が続く言葉を待っているが、思わず物凄いことを口走りそうになって深呼吸する。
――ようやく分かった。この猫の危うさが。 前々から思っていたが、普段は他の猫に対して気を張っているのに、一度懐に入った猫に対しては驚くほど気を許してしまうのだ、
は。
つがいとなったコノエに対しては何の問題もない態度ではあるし、それは嬉しいことだが、雄の生態を考えずに甘えてくるのははっきり言って危険以外の何ものでもない。……主に
の身体に対して。 コノエとて、健全な雄以外の何ものでもない。突然境界線を踏み越えられたら、色々と差し障りがあるのは仕方のないことだった。だけどそれを言う勇気はない。
「私が……何?」
考え込むコノエに焦れたのか、押し倒されたままの
が問いかけてくる。言葉に詰まったコノエは勢いで叫んだ。
「……ッ、アンタが……! アンタが可愛いのが全部悪い!!」
「……はぁっ!?」 「…!!」
――しまった。言葉を探していたら極論をブチまけてしまった。
コノエと
は揃って絶句した。
の顔が首から順に真っ赤に染まっていく。顔の熱さで、間違いなく自分も同じ色になっているのだろうとコノエは嫌でも理解した。
自分でも意図せず、身体から力が抜けて
の肩口にコノエは不時着した。 身体が重なっても
は逃げようとしない。ドクドクと響く互いの鼓動を感じながら、コノエは白旗を揚げた。
「だから……アンタ、本当に危ない……。雄はオオカミなんだぞ。オオカミは怖いんだぞ。俺だって少しはオオカミなんだぞ…! じゃなくて……」
何を口走っているのかだんだん分からなくなってきた。コノエは腕を回して
の身体を抱きしめると、溜息と共に呟いた。
「ゴメン。……どうしよう、俺……今すごくアンタを抱きたい」
(……え…っと……)
コノエの身体の下で、
は目を丸くして天井を見つめていた。
酒にほろ酔いし、気分が良かったのは本当だ。そのままじゃれ付くような気持ちでコノエに毛づくろいを仕掛け、彼が動揺するのにちょっとした楽しさすら感じていた。けれど、その行為のどこかでどうやらコノエに火をつけてしまったらしい。
切羽詰ったように言ったコノエは、それでも
の身体の上でじっと自分の答えを待っていた。許可がない限りきっと動こうとはしないのだろう。コノエの律儀さに
は妙なところで感心してしまった。
……なんだろう。胸の奥が、妙にくすぐったい気分になった。自分がこの猫に一度ならず求められている、という事実が心を温かく満たしていく。 そんなことを考えて無言になった
を訝しんだのか、コノエがそろそろと顔を上げて問うた。
「……ゴメン。やっぱり……駄目、だよな。着いたばかりで疲れてるだろうし……」
コノエは逆立っていた鍵尻尾を萎れさせると、
の上から身体をずらした。気まずそうに起き上がる彼の腕を
は咄嗟に引くと、首を振った。 コノエの視線が
へと向けられる。その眼差しの熱さに気恥ずかしいものを感じながらも、
は告げた。
「ううん……。その――私も…したい、な……」
「……っ」
言った後で急に恥ずかしくなり、顔を背ける。横顔に注がれたコノエの視線がより熱を帯びたものに変わる。
がそっと視線を向けると、コノエは眉を下げて「ありがとう」と呟いた。……何もお礼を言われるようなことではないのに。
「あの、でも、ここじゃなんだから……私の部屋、行こう?」
固い床の感触に
が惑って提案すると、コノエは神妙に頷き
の後に続いた。
自室に入ると、
は器を手に荷物からみちしるべの葉を探した。だが――ない。どうやらさっき居間で使ったのが最後だったらしい。 コノエに目で問うと「持っていない」と返された。逡巡する
に、ぼそりと声が掛けられる。
「…………ランプで、いい」
「……え? だってコノエ、火が……」
「これからアンタと鍛冶していくんだから、いつまでも気にしてられないだろ。それにもう……理由が分かったから。多分、いつかはきっと……怖くなくなると思う」
「……うん」
コノエの静かな瞳に、
は小さく鼓動が跳ね上がったのを感じた。 ……こうして彼は成長し、いまだその身を包んでいる様々な試練を乗り越えていくんだろう。その一端を垣間見て、切ないような喜びが胸を満たす。
「……でも、ちょっと時間かかるから今日は明かり、なくてもいいよね……?」
窓から陰の月を見上げ、
は照れを隠しながらコノエに問いかけた。コノエがやはり苦笑いで頷く。 ふたりは手を取り合うと、並んで寝台へ腰掛けた。
コノエの唇がゆっくりと下がってくる。
は瞳を閉じると、少しかさついたその温かな感触を幸福な気持ちで受け止めた。
「……ッ
……」
吐息交じりでコノエが囁く。
はその草色の髪に指を差し込むとコノエの頭を引き寄せた。 コノエの手が
の身体の脇をまさぐる。上着がたくし上げられて素肌に触れられると、
の尾に淡い痺れが走った。
「……コノエ……。……っ、ん……」
何度も重ねるうちに潤んできた唇が愛おしい。けれど初めての夜と同じように深くは踏み込んでこないコノエに焦れて、
は舌先でその表面をなぞると無理やり舌をねじ込んだ。
「…ッ! ……ちょ……ま…ッ」
突然入り込んだ熱にコノエの舌が奥へと引っ込む。それを絡め取って口内をまさぐると、コノエがくぐもった呻き声を漏らした。 コノエの手もいつの間にか動きを止めてしまっている。
はその隙にコノエの上着に手を差し込み、滑らかな背中をなぞり上げた。
「は…ッ、あ……
…ッ。待てって……!」
制止の声を呑み込むように、
はさらに深く舌を絡める。上顎を舌先でこすると、コノエの鍵尻尾がビクンと逆立った。
「――ッ!!」
口の疲れてきた
は、息継ぎを兼ねていったん雄猫の唇から離れた。その瞬間コノエががばりと起き上がり、大きく息を継いだ。手を口元に当て、真っ赤な顔で
を見下ろしている。
には自覚はなかったが――
は、異様にキスが上手かった。翻弄されたコノエが耐えかねたような唸り声を漏らす。
「……コノエ?」
不穏な雰囲気になったつがいに
は怪訝な声を向けた。はっと唸り声を引っ込めたコノエが大きく溜息をつく。 コノエは
の肩をもう一度掴むと、こちらを覗き込んで口を開いた。
「頼みがある。……アンタ、今日は手を出さないでくれないか。俺が……全部するから」
「え……?」
真剣に告げられた言葉に
はきょとんと瞬いた。コノエは少し焦った顔で「だから…!」と続ける。
「俺、発情期のときもこの前も、アンタにしてもらうばっかりで……悪いなって、思ってたんだ。だから今日は、俺にさせてくれないか」
「…………」
発情期はともかく、前回の決戦前夜の時は果たしてそうだっただろうか。
は心中で首を傾げたが、コノエの妙な迫力に圧されて口には出せなかった。 コノエが全部するとは、どういうことだろう……。
は顔が熱くなるのを感じたが、結局は好奇心に競り負けた。じっとこちらを見つめるコノエの視線に射抜かれ、小さくコクリと頷く。
「あの……変なこと、しないでね…?」
それでもどこか不安な…いや、心許ない心地がして
は問いかけた。今度はコノエがきょとんと瞬く。
「変なことって……どんなことだよ」
「えっ? ……いや、その、だから………」
思ってもみない切り返しをされ、
はうろたえた。ふと頭にいくつかの行為が思い浮かんだが、とてもじゃないがコノエには言えない。 結局顔を赤くして黙り込んだ
に「変だな、アンタ」とコノエが苦笑して口付けたことで、それはうやむやになってしまった。
「……っ……」
寝台に横たわった
は、わずかに緊張してコノエの動きを見守っていた。 何もしてはいけないというのは、実は何よりも恥ずかしく緊張することなのかもしれない。そんなことを考えた
は、コノエの指が再び腹に触れた瞬間大きく肩を波立たせた。
「んぅ……」
唇が重ねられ、今度は躊躇なくコノエの舌が踏み込んでくる。先程
がそうしたように舌で口内をくすぐられると、耳の先まで細かく産毛が粟立った。
コノエの手がもどかしげに、しかし存外器用な手つきで
の衣服を剥いでいく。 上半身に続いて下半身の衣服が抜き取られ、下着姿になった
はコノエの視線から逃れるように思わず身体をくねらせた。それを難なく引き戻され、下穿きと胸に巻いたさらしを抜き取られる。
「やっ……。ま、待って……」
「駄目だって。……さっき俺が言ったときは、やめてくれなかったくせに」
「ええっ? だってあれは、本気で嫌がってなかっ――」
「じゃあ、アンタも嫌じゃないよ。たぶん」
月光しか光源がないとはいえ、
はさすがに腕でそこを隠そうとした。しかしコノエに両腕を取られ、寝台に縫い止められてしまう。 少しだけ意地の悪い口調で言ったコノエが
の身体を凝視する。皮膚の上にチリリとした視線を感じ、
は羞恥に目を瞑った。
「だ……から、そんなにじっくり見るもんじゃないでしょ…ッ。こないだたくさん見せたし、変わりばえないわよ!」
「前は、全然余裕がなかった。………ほんと…アンタ、綺麗だ」
うっとりと囁かれて
は頬を染めた。コノエの拘束は既に緩んでいたため、とりあえずは一番みっともないことになっているだろう顔を隠す。
「ア、アサトみたいなこと言わないでよ…っ。やだ、コノエ、もう余裕なの……?」
「全然。情けないけど……いっぱいいっぱいだよ、アンタの前じゃいつも」
どこか荒く息をついたコノエに惹かれ、
はそろそろと手をずらしてコノエを見上げた。すると、
の真上でコノエが荒っぽく衣服を脱ぎ落とした。
現れた薄い上半身は先日とさほど変わりなく、少年らしさを残している。細い腰の下の雄が少しだけ勃ち上がっていた。そのことに
は赤面する。 しかし
の目はすぐに、その胸に小さく刻まれた――剣が貫通した傷痕に釘付けになった。それは紛れもなく、
がコノエに与えた傷だった。
の視線を受けて、コノエが我が身に視線を落とす。その目が追うものを理解すると、コノエは傷をトン、と拳で叩いた。
「大丈夫だって。傷も、その中も、全部が今の俺にはなくちゃならないものだから。
が心配することは、何もないんだ」
「……うん……」
頼もしく笑ったつがいの姿に眼差しを和らげると、
は再び瞳を閉じた。
「う、ん……、あ……」
身体の上で蠢く手に熱を煽られ、
は徐々に息を乱し始めた。 乳房を揉みしだかれると言うよりは押しつぶされて、やはり痛みが走ってしまう。
の表情からそれを察したのだろう、コノエが手を緩やかにするとその先端が鳥肌と共に硬く尖った。
「
……」
「んっ……。くすぐったい……」
立ち上がった頂にコノエが吸い付いてくる。柔らかな髪の毛が脇腹に当たり
は小さく笑みを零したが、コノエの舌が強くそこを嬲るとそんな余裕はなくなり息を詰めた。
「あ……! や…っん、コノエ……ッ」
「すごい……硬くなった……」
荒い吐息まじりでコノエが零す。
は目下で揺れるコノエの髪を掴もうと腕を上げたが、結局元通り敷布へと戻した。 手を出せないというのはつらい。発散できない熱が、その分身体に篭もっていく気がするのだ。せめてもときつく敷布を掴むと、
は背筋をしならせた。
大きく息を乱したコノエは、それから貪るように
の胴体へと舌を這わせていった。胸から腹までを往復し、その間にもぎこちなくではあるが両手が下肢をせり上がる。 その手が膝にかけられてコノエが足の間に滑り込んだとき、
ははっと我に返った。
「コ……コノエ…ッ」
「なんだよ……。やだって言われても、もう止める気ないから、俺」
「そ……じゃなくてっ」
早口で告げたコノエの息は荒い。
の膝を掴んだその手も熱くなっていて、この少年も余裕をなくしていることに
は気付いた。
けれどまだ羞恥を忘れて快楽に溺れられるほどには、
も理性を手放していなかった。膝が開かれたということは――自分からは見えない秘所が、コノエの目に晒されているということだ。
「ごめん、そうじゃなくて……止まらない」
「! や…ッ!」
すると
に追い討ちをかけるように、コノエが膝を強く押して
の腰を寝台からわずかに浮かせた。亀裂がはっきりと晒され、
は約束も忘れてとっさにそこを手で覆い隠した。
「いやっ! やだッ! こんなの恥ずかしいよ……!!」
「
……手、どけてくれよ。……発情期の時だって前だって、見ただろ」
「こんな恥ずかしい姿勢じゃなかったわよ! や……、ん、ア!」
無理のある体勢に
の手はすぐに外され、代わりにコノエの唇が内腿のごく際どい所を吸った。時折水音を立てながら舌が腿の付け根を這い回る。やがてそれが既に潤みきっているそこへと伸ばされ、
はきつく喉を仰のけた。
「あっ…! ア……!
や……アアッ…!」
まだ指でも触れられていなかった場所にいきなり熱いぬめりが落ちて、
は首を振ってもだえた。
の乱れた様子にこらえるような息を漏らしたコノエが顔を上げる。
「しょっぱい……。アンタ、ぐちゃぐちゃだ……」
「……ッ!」
陶酔した声音には、
を言葉で嬲ろうとする意図は全く見えなかった。それでも直接的な表現に
は大きく反応した。びくりと震えた太腿に挟み込まれ、コノエが苦しげに顔を歪める。
「
くるし……ッ」
「え……。あっ、ゴメン……!」
コノエの呻き声で現実に引き戻された
は、慌てて内腿に入ってしまっていた力を抜いた。だがその後にかける言葉が見つからず、コノエを無言で見つめてしまう。
「…………」
「……ッ……、――」
は知らなかった。自分が今、どれほど淫らな表情でコノエを見つめているのかを。 コノエが吐息だけで
と呼んだ気がした。その息が次第に荒くなり、獰猛とまで思えるようになったそのとき。
「……ッ、
…!!」
荒々しく組み敷かれ、
はコノエに貫かれた。
「――ッ!! ……いッ……ああッ!!」
「……!」
の上げた高い悲鳴で、コノエははっと我に返った。 自分が押さえつけているのは――雌猫の細い肩。強引に膝を割り、己の欲望を突き立てている。
獣のように喘鳴する自分をどこか遠くに感じる。それが自分の息づかいだと気付いたとき、コノエは血の気が下がる思いをした。
「あ――。ご……ごめん! 大丈夫か…!?」
欲望が理性を凌駕する瞬間があることを、コノエは初めて知った。
を追い詰めているような気持ちでいたが、実際に追い詰められていたのは自分の方だったのだ。
はきつく目を閉じ顔を背けていたが、コノエの動きが止まると恐々と目を開いた。
「だい…じょうぶ……。いきなりだったから、ビックリしただけ……」
「い…痛くないのか?」
「ん……入れた時だけ、ちょっとね。もう全然平気よ」
そう言った
が薄く笑う。それでもコノエは動けなかった。
だって、雄を受け入れるのはまだ二回目なのに――そんな気遣いもできないようでは、
を欲望の対象として見ていた猫たちと何も変わりないではないか。コノエは唇を噛んだ。
「…………」
俯いてしまったコノエに視線を注いでいた
は、ふと両手を上げてコノエの頬を包み込んだ。思いがけない行動にコノエが目を見開く。
「大丈夫……。あの、それよりも……この状態、お互いにキツくない?」
笑いながらもどこか苦しそうに眉を寄せた
の足が、コノエの腰に絡みつく。軽く引き寄せられるとコノエの雄がさらに
へと埋まり、根元まで包み込まれてコノエは息を詰めた。手を出すなと言ったことなど、頭からとうに飛んでしまっていた。
はそっぽを向いてコノエの答えを待っている。照れ隠しをするその姿がひどく可愛らしく思えて、コノエは頷いた。
「うん……」
ゆっくりと、慎重に腰を揺さぶり始める。
の様子を伺いながらと思うのに、温かなぬめりにぴたりと包まれると腰から尾まで震えるほどの心地よさを感じ、ついタガが外れそうになる。
「……いいよ……。コノエの、好きなように動いて……」
軽く息を乱した
がそんなことを言うから、コノエはとうとう止まらなくなってしまった。 つらそうに震える
の足を少し楽な位置に戻すと、自分もしっかりと腕をついて大きく腰を揺する。快感は、瞬く間に二匹の間を駆け上がっていった。
「んッ……、あ……あ……ッ。……コノエ……っ……」
「……は……、…ッ、
……、
…ッ!」
耳元で上げられる甘い声を落ち着いて聞く余裕もない。ただ自分の名前だけが耳に響いて、感じる愛おしさを返すようにコノエも
の名を呼んだ。
の腕がコノエの首に縋りつく。引き寄せられて口付けるが、舌を絡める余裕はどちらにもなかった。
――あたたかい。……温かい、雌の体内。 中だけでなく、肌も視線も、この場の空気さえも……温かい。包み込まれて安堵する。
(俺の……俺だけの、つがい……)
目下で揺さぶられる雌猫を見ていると、また視界が歪んだ。 ……まずい。この前も入れたまま泣いてしまったのに。そう焦って顔を背けると、強く
に引き寄せられた。
偶然かもしれないが、
の肩口に埋まると互いの顔は見えなくなった。それに安堵したのか一筋だけ雫が流れる。コノエは
に分からぬよう頬を拭うと、再び律動を開始した。
が優しく笑ったことに、コノエは気が付かなかった。
「……はぁ…っ、は……、……はぁ…………」
「……っ……、は…………」
欲望を全て開放したコノエの身体を、
は力なく受け止めた。小柄ながらやはり雌とは違う重みが、
の胴体へずしりとかかる。しばらくそのままで呼吸を整えると、熱をずるりと抜いたコノエが
の横へと転がった。 疲労困憊でうつ伏せた若いつがいに向けて、
は少し拗ねたような口調で告げる。
「コノエ、意地悪だ……」
「……えっ? な、なんでだよ……」
「だって、やめてって言ったのにやめてくれなかった」
「……っ」
じとー、と見るとコノエは目に見えてうろたえた。半身を起こし、うろたえたなりに何か言い訳をしようと意味なく手を動かす。 先程までの切羽詰まった雄の眼差しが消え、年相応の顔に戻ったコノエに
は思わず吹き出した。
「……う・そ」
そう一音ずつ句切って告げると、コノエはぼっと赤くなった。
「ア…アンタなぁ……っ! だからそういうのが……ッ」
「?」
突然激昂したコノエに
が目を瞬かせると、コノエは長々と溜息をついた後に予想外の行動に出た。……
を、すっぽりと抱きしめたのだ。
「コ、コノエ……っ」
「…………」
はっきり言って、こういうのには慣れてない。途端に狼狽した
に対し、「どうだ」と言わんばかりにコノエが鼻を鳴らした。その得意げな様子に
は恥ずかしさも忘れてまた笑い出してしまう。
「……笑うなよ」
「……笑ってないわよ」
「嘘だ、絶対笑った」
「だから笑ってな……くっ、…くくっ……」
「どこがだよ……」
呆れた口調のコノエが腕の力を強める。ますます引き寄せられた
は、押し付けられた胸板の下の鼓動の早さにまた笑みがこみ上げてくるのを感じた。
明日、長の家に行って帰還を報告しよう。誰かに嫌な顔をされても気にするものか。 それから仲のいい猫たちに挨拶に行って、放って置きっぱなしの窯を整備して――
やることは沢山あるし、話したいことも沢山あった。だけど、それは明日からでいい。
だって、自分たちにはこれから長い長い時間が待っているのだから――。
はつがいの肩に額を擦りつけると、静かに瞳を閉じた。
END
(2008.9.28)
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