Second
Night
― First
conviction of
Rai
「ふぅ……。やっと落ち着いたわね。寝床で寝るの、何日ぶりかしら……」
「ふん。シーツはボロボロ、窓はガタついてる、自室は破壊され……よくもそれで落ち着けるなどと言えるものだな」
「うっさい、気分の問題よ。屋根があるところで寝れるってだけでも贅沢よ。家をなくした猫だっていっぱいいるんだから。……命があるだけでも今は感謝だわ」
「……まぁな」
あの闘いが終わって、何日が経ったのだろう。疲労困憊で帰ってきて、傷も治りきらぬうちに
たちはバルドの宿の修繕に取り掛かった。 知己の宿を放ってはおけないという理由も勿論あったが、現実問題として怪我を負った状態では身を寄せる場所がそこ以外になかったのだ。
屋根が傾き廊下が抜けた、散々たる宿を修繕してようやくそこで休めるまでになった。 ライに宛がわれていた部屋に
は転がり込み、今夜やっと寝台で眠りにつこうとしていた。……しかし。
(……眠れないわ)
別々に寝台に入って小一時間。夜も更けたのに、
は冴えた目で寝台から虚空をじっと睨みつけていた。身体は疲れきっているのに、この安らげるはずの環境が逆に神経を研ぎ澄まさせてしまっていた。
ライはというと、
の向かいの寝台で瞳を閉じ、静かな寝息を立てている。身じろぎすらせず熟睡しているようだ。……羨ましい。 今まで闘ったり襲われたり修理をしたり、おちおちゆっくりと寝ていられない日々が続いていたのだ。ここで急に眠れと言われても身体がついていかないのは、まあ無理もない話だろう。
(だって最後にゆっくり寝たのって……。――あ)
最後に安らいだのは……そうだ、この部屋だった。正確には今ライが寝ている方の寝台で、自分は死んだように眠ったはずだ。……色々と疲労困憊で。
その後にあまりに様々なことがありすぎて頭の隅に追いやられていた記憶が、
の脳裏にはっきりと甦った。それは羞恥とわずかな高揚をもたらしもしたが、それ以上にまたこの場所に帰ってこられたという感慨を
に抱かせた。
(また……一緒にいられる……。アンタの側で、歌うことができる……)
がしみじみと白い顔を眺めていると、ふいにパチリと薄青の瞳が開いた。
「…………。何をじろじろと見ている」
「……え? あ、ゴメン。私、声に出してた?」
「違う。……それだけ視線を向けられれば、嫌でも気がつく」
横になったまま、ライが小さな溜息をつく。掛け布の間から、互いの視線が静かに交錯した。
「……眠れないのか」
闇に溶けるように、ぼそりとライが呟いた。
が無言で頷くと、ライはもう一度息を吐き出した。
「……来い」
「え……。え、あの……」
パサリと小さな衣擦れを立てて、ライが掛け布を引き上げた。その腕の横に大きな空間を作ってくれている。……入れ、ということだろうか。 慣れない事態に逡巡した
を促すように、ライはもう一度「来い」と言った。その急かすような響きに、
は寝台を降りるとふらふらとライの寝台へと近寄った。
「じゃあ……お邪魔、します……」
なんとなく妙な挨拶をかけて、
はするりと寝台に潜りこんだ。後ろからごく自然にライの腕が絡みついてきて、
は柔らかく抱きしめられた。
「…………」
「…………」
穏やかな沈黙だ。わずかに高揚した心臓が鎮まっていき、
はホウと息をついた。 鼻をかすめるライの香り。それを引き止めるように無意識に顔をずらすと、
の首筋が偶然ライの唇に当たった。……くすぐったい。
「……んっ……」
乾いたそこに、再度唇が押し当てられた。今度はしっかりと意志をもって。 それが発端になったのか、ライは
を後ろ抱きにしたまま静かに口付けを降らせ始めた。首に、肩に、髪に……耳に。
性急さはない。だが毛づくろいというわけでもない。ささやかに与えられる優しい愛撫は、
の中に確かな火を灯し始めてしまった。
――どうしよう。……欲しくなってしまった。
あの日与えられた熱が、すぐ側にある。
がねだれば、きっと応えてくれる距離に。 何にも遠慮することはない。何を恐れることもない。だけど……すぐにそれを言えるほど、
も成熟しているわけではなかった。
が細かく身じろぎするのが伝わったのか、ライは徐々に愛撫の手を強めてきた。前に回された逞しい腕が、
の身体を閉じ込めるように抱きしめる。
唇を噛み締めて漏れ出る吐息をこらえていた
だったが、ライのやや冷たい手が服の裾に入り込む段になって、とうとう我慢できずにそっと後ろを振り向いた。 「……ライ……」
赤くなった顔はきっと暗闇では見えない。そう願って、求める雄の顔を見上げた。 掠れて濡れた声が、頼りなく唇から漏れる。それを合図にライは深く唇を重ねてきた。
「……ん……、っ…、ふ……ん…っ……」
名前を呼んだり呼ばれたりすることが、どうしてこれほど特別に思えるんだろう。 ――きっと、それはこの猫が「特別」だからだ。名前を呼んでその存在を確認したい。呼ばれて確認されたい。今、アンタの腕の中にいるのが私なんだと。
でもきっとそんなことを面と向かって言える日は一生来ないんだろうなと、
は口付けに流されていく頭の片隅でぼんやりと思った。
「……三分、だな」
「え……?」
糸を引いて離れた薄い唇にトロンとした視線を向けていた
は、頭上から降ってきたからかうような声に目を上げた。雄猫が
の服の裾に手を掛け、腕を上げるように促す。 なすがままに上着を脱がされた
に、再びライが薄く笑いかけた。
「こらえられた時間だ。……お前、分かってはいたが流されるのが早いな」
「な…っ」
心外な台詞に
の頬に朱が上った。分かってはいたが――なぜいちいちこんなに意地が悪いのだ。
衝動的に脱がされたばかりの上着に手を伸ばしかけた
は、難なくライに捕らえられて服を放り投げられてしまった。仕方なく腕で裸体をガードした
は、手馴れた様子で手を回してくるライに向かってジトリとした視線を向けた。
「……寝かせてくれるんじゃなかったの」
「寝かせてやるさ、終わった後で。……時間はたっぷりある。もう襲撃される恐れもないしな」
「……っ……」
しゃあしゃあと答えたライに返す言葉が見つからない。ライは手早く掛け布を床に落とすと、
を押し倒した。
「この宿を出てからと思っていたが、今さらどっちでも同じか。待つのもいい加減飽きた。……諦めるんだな」
「な……そんなこと考えてたの……!? ちょっと、アンタほんとにスケベ猫…っ」
「黙れ。多かれ少なかれ雄は誰でもそうだ。……その能天気な頭、いい加減に危機感という言葉を覚えるんだな。おちおち外も歩かせられん」
「一番危険なのはアンタでしょ……!」
「……ほう、それは聞き捨てならない発言だな。……それよりそんなに大きな声を出していいのか? 壁の修理はまだ万全じゃないぞ。奴らに聞かせたいなら何も言わんが」
「……っ! な……、あ…っ、〜〜ッ!」
ぎゃあぎゃあと喚きながら、二度目の夜が始まっていく。
――ああ、大丈夫。この先何があっても、この猫より特別な猫はきっと現れない。 こんなに腹立たしくて、こんなに愛しいと思う猫は、生涯に一匹だけで十分だ。
闇の中に輝く白銀の光を、
は目を閉じて心に封じ込めた。
END
conviction=確信
(2008.4.6)
|