Fragment
  -White-




 

1、災難


 驚いた。アンタでも、そんな顔をするんだな。

  が帰ってこない。陽の月は沈んでしまったけどそれは別にいつもの事だったので、俺は大して気にもしなかった。
 だけどアンタは、寝台をバシバシと白い尾で叩いて見るからに機嫌が悪そうだ。

 なんでそんなに怒るんだよ。たった一日の事じゃないか。
 あ、そういえば昨日トキノの所に行くって言ってたのを思い出した。……でも、今さら言ったらどうなるか分かったモンじゃない。

「……何だ」

「何でもない。それより、あまり尾を振るなよ。気が散る」

「ふん。じゃれつきたくでもなったか」

「違う。埃も立つだろ」

『ただいま〜。あれ、誰もいないの?』

 階下で声が聞こえる。アンタはパッと立ち上がった。その時の顔を……何と言ったらいいのだろう。全然笑ってなんかいないのに、アンタ、妙に嬉しそうに見えた。


「今日はもう部屋には戻らん。さっさと寝ろ」

 バタリと扉が閉まる。大股で歩いていった後姿を見て、俺は思った。―― 、ゴメンと。
 これからの雌猫の災難を思って、俺は溜息をついた。






















2、贈り物


「ああ、 。これやるよ」

「……? ありがと。何これ、服?」

「ま、そんなモンだ」

 バルドが買い物から帰ってきた。厨房で出迎えた私に、アイツは何か袋を押し付けた。
 バルドがお土産に何かを買ってくるのは珍しくないけど……服は初めてだ。
 私は喜色を隠さずに、いそいそと包みを開いた。


「……何コレ」

「見りゃ分かんだろ。……下着だ」

 袋の中に入っていたのは――薄い一対の布だった。黒地に繊細なレースが付いている。大人っぽい色だったが、フリルがあしらわれてどこか可愛らしい印象でもあった。……だが。

「っそんなコトは分かってるのよ! 何で、こんな物……っ」

 私はカッと頬が熱くなった。薄布を握り締め、バルドを見上げる。ニヤついていると思ったバルドは、意外にも静かな顔をして言った。

「あんた、ちゃんとしたヤツ持ってないだろ。適当なモン身に巻きつけてたら身体を痛めるぞ。金なんかどうでもいいから、少し気を使った方がいい」

「……っ」

 それは事実だった。今まで適当にしてきたが、藍閃に来て数少ない雌がちゃんとそれに気を遣っている事を知り――田舎者の自分が少し恥ずかしくなったのだ。
 だけどちゃんとした下着はそれなりに値が張るので、買う事ができなかった。バルドはそれに気付いていたのだろう。

「取りあえずはこれだけな。後は自分で徐々に揃えりゃいい」

「…………」

 ――恥ずかしい。だけど、バルドは自分のためにこんな物を買ってきてくれたのだ。……どこで買ったかは、あえて聞かない事にしよう。
 私はそっと布をたたむと、バルドを見ないまま呟いた。

「…………ありがと」

「どういたしまして。……ま、一番の理由は俺が見たかったから、だけどな」

「!? ――バカッ!」



 私はバルドを殴りながら――今夜だけは特別に、妥協して、本当に仕方なく! ……これを着てやってもいいかなと、心の隅で思った。




















3、雪原の獣


 小雪のちらつく丘を、黙々と二匹で歩く。珍しく後方を歩く雄猫を振り返り、 は目を細めた。


「ねぇ。……ユキヒョウって知ってる?」

「ヒョウ……?」

 突然の問い掛けに、雄猫は訝しげに眉をひそめた。その反応に満足し、静かに雄猫の歩みを待つ。


「前にね、藍閃の図書館で読んだのよ。……二つ杖が生きていた頃に生存していた動物なんですって。残念ながら絵は付いてなかったんだけど」

「また二つ杖か……」

 はぁ、と白猫が呆れたような溜息をつく。
 そんなにあからさまな反応をしなくてもいいじゃないか。二つ杖の時代に関する事は、リビカにとって永遠の憧れなのだから。


「いいでしょ別に。……それでね、その『ユキヒョウ』ってのが、猫みたいな耳と尾を持つ大きな獣だったんだって。真っ白な毛に覆われた……」

 そこまで言って、 は間近に立った雄猫を見上げた。
 白い雪原に立つ、真白い――獣。


「……まるで、アンタみたいだと思って。……見てみたいと思った。きっと綺麗なんだろうな……」

 フッと笑って見上げると、次に突然視界が埋め尽くされた。……白猫が、フードをいきなり引きずり下ろしたのだ。


「無駄口を叩いている暇があるなら、さっさと足を動かすんだな。……今日も野宿になって、また熱を出しても知らんぞ」

「……はーい」


 再び歩き出した白猫の背を追って、 は足を踏み出した。自分のコートの上にさり気なく重ねられた、彼のコートを握って。


 本当は、その獣を見られなくてもいい。
 彼より綺麗な獣など――きっと、世界のどこにもいないから。





















4、Better half


 灯す蝋燭。金の指輪。白い衣装。
 シンプルで少し古風なそれは、複雑に結い上げられた金の髪とよく調和して。
 それを手伝ったのが俺ではなかった事を残念がる気持ちは、階段を降りてきた妻の姿によって吹っ飛んだ。

 ――やばい。不覚にも顔が赤くなるのが分かる。……すげぇ綺麗だ。


 ほとんど諦めていたはずの未来に、こんな幸福が待っているとは思いもしなかった。
 俺、あがいてみて良かったな……。そんな事を照れ隠しの苦笑に紛らわせて思う。

 『あんまり見ないでよ』なんて言うなよ。見ずにいられる訳がないだろ。
 嫌がっても見てやる。つーか、むしろ宴をやめて部屋に篭っちまいたい気すらする。
 皆に見せたい。その反面、誰にも見せたくないと思う。


「なに百面相してんのよ……。ほら、さっさと行くわよ」

 そう言って雌猫は俺の腕を取った。……おい、ちょっと待て。それは俺の役だから。

「そうじゃなくて……こうだ」

 乱雑に掴んだ指を外して俺の腕に細い腕を絡めさせると、密着した身体にあんたは唖然とした。

「ね、ねえ……近すぎない?」

「これが普通だよ。……俺としてはお姫様抱っこで入っても一向に構わないけどな?」

「……絶っっ対いや」


 雌猫が憮然として俺を見上げる。だがその顔はすぐにこらえきれなくなったように、苦笑に崩れた。
 ……ああ、そうだな。そういう顔の方があんたらしいよ。

 苦笑して、腰を叩いて、呆れながら背を押してくれ。尻に敷かれる覚悟はできている。


 俺はもう一度ヤニ下がった笑みを浮かべると、妻の手を引いて食堂の扉を押し開けた。   


















5、Face



 ――阿呆猫、阿呆猫、阿呆猫。

 そう言って馬鹿にすると、お前は尾を逆立てて反応する。
 本気で馬鹿にしている時もあるが、もちろん大抵はからかい混じりの戯言だ。お前もそれを分かっていながら、いちいち律儀に反応を返す。
 その顔が見ものでまた口を出してしまう事に、きっとお前も気付いているだろうに。


 ――本気で怒らせてみたい。そう言ったら、お前は鼻で笑うだろうか。それとも本当に眦を吊り上げるだろうか。

 あの闘いのさなか、お前は本気の怒りを何度となく俺に向けた。突き刺すような視線に苛立ちと居心地の悪さを感じながらも、俺はどこかお前のその表情に優越感を抱いていた。
 誰にも向けない表情を、俺にだけ向けるお前。その瞬間お前は俺しか見ていなかった。俺はお前しか見ていなかった。あの濃密な瞬間は肌を刺すようでいて、どこか心地良くもあった。

 そんな事を今のお前に言えば、呆れた眼差しを向けるのだろうか。それとも驚くか。……意外と笑うかもしれない。お前なら。


 今まで猫の表情など、気にした事がなかった。凄むか媚びるか負けを示すか、目に見える表情などそれぐらいのものだった。
 それが今はどうだ。お前の表情一つを目で追い、次はどんな顔をするのかと楽しみにすら感じている。
 
 これが俺か。馬鹿な。……馬鹿は俺か。そうだな。

 大抵の事では動じなくなったお前の、新しい顔が見たい。怒り顔でも、呆れ顔でも。
 ただ泣かれるのは御免だ。お前の泣き顔にだけは俺は勝てない。……だが勝てないと分かっていても泣かせてみたいと思う気持ちも、正直なところ否定はできない。


「――おい、

「なに?」

 ――さあ、お前はどんな顔を俺に見せる?
 俺は内心で笑うと、お前にとって予想外であろう言葉を口にした。


「――――」

「!!」


 ああ、本当に――お前の表情は見飽きる事がない。

















6、変わりゆくもの




 宿の表通りを、わが子と街の子猫たちが走り回っている。軒に腰掛けて子供たちを眺めていた は、隣に雄猫が立ったのを認めて軽く目を瞬いた。

「随分と騒がしいことだな」

「……あら、珍しいわね。今日はコノエと一緒じゃないんだ」

「たまには子守りから解放されなくてはかなわん」

 久方ぶりに会った白猫は、相変わらず不遜な態度でつがいの猫をこき下ろす。いつまで経っても変わらない態度に は肩を揺らした。そんな を一瞥し、ライがぼそりと口を開く。

「奴はどこにいる?」

「んー? 子供たちと遊んであげてる。……あ、出てきた」

 
『アサトみーっけ! アサト、おとななのにかくれるのヘター。カナタだってまだみつかってないよ!』

 ガサリと前方の茂みが揺れ、小さな街の子猫に手を引かれて黒猫が出てきた。アサトは少々しょんぼりとしている。

『俺はカナタに、負けたのか……?』

『そうだよー! ……もう、これじゃつまんないよ! ボクがかくれるコツ教えてあげるから!』

『そ、そうか……。頼む』


「…………」

「…………」

 再び子猫に手を引っ張られてアサトが消える。こちらに気付かず行ってしまった跡を眺め、ライは溜息と共に吐き出した。

「どちらが遊んでやってるのか分からんぞ。……全く、子猫と区別がつかんな」

「あ、ははは……」

  は的を得た白猫の発言に乾いた苦笑を浮かべた。するとライがちらりと視線を向ける。

「……傷は」

「ん? ――ああ、大丈夫」

 雄猫の視線が自分の肩辺りに向けられているのに気付き、 はきょとんとした後に小さな笑みを浮かべた。
 ――まさかライに正面きって身体の心配をされるようになるとは。変わらないと思っても、着実に変化していることもあるものだ。

「だが痕が残ったと聞いた。それで鍛冶などはつらいんじゃないか」

「これくらい、カナタのお産の時に比べたら笑っちゃうくらい何てことないわよ。もう、あの痛みったら言葉にできないわよ? あれ経験したらどんな怪我も大したことない気がするわ。アンタも一度経験してみれば? 価値観変わるわよ」

「馬鹿を言うな。できるわけがないだろう。……だがそれを二度も経験しようとは、お前こそ酔狂なことだな。被虐趣味でもあるのか」

「あるわけないでしょ……」

 ライの視線が の腹部に下がる。再び膨らんできたそこを撫で、 はじとりとライを見上げた。

「言っとくけど、そんな言葉カナタに教えないでよね。アンタと会わせてから『馬鹿猫』が口癖になって困ってるんだから」

「ふん。……まあ、せいぜいこれ以降は我慢をきかせるように奴を躾けるんだな。発情期のたびにそれでは、身体がいくつあっても持たんぞ」

「……ほっといてちょうだい。……でも、まあ――」

 本当に変わりゆくものもあるものだ。皮肉の裏に潜んだ言葉を察し、 はライを見上げると微笑んだ。


「……ありがと。あと今度もあのお産婆さん、できたらよろしく!」









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