橿原宮へと帰った私を出迎えたのは、風早や布都彦ら共に戦ってきた面々だった。
 その中にサザキの姿がない。聞くと、数日前から宇陀付近の小競り合いに駆り出されて、それも収集が着いたため明日にでも戻ってくるだろうということだった。

 心の整理をするにはちょうどいい。すると自室に引き上げようとした私に、風早が控えめに声をかけてきた。


「あの、姫―――すみません。俺の不注意で、サザキに行き先をばらしてしまいました」

「え? ……ああ……。ううん、いいの。戻ったらちゃんと言おうと思っていたところだから」

 大きな背を縮こまらせた風早に、私は笑いかけた。幾分か表情を緩めた風早はもう一度「すみません」と告げて、私の短くなった髪をじっと見つめた。


「……髪……どうして切ったんですか? ああ、これは自分でやったでしょう。毛先があまり揃ってない」

「うん……なんとなく、気分を変えたくて。後で采女(うねめ)に揃えてもらうよ。でも短いと頭が軽くなるみたいで、結構すっきりした」

「そうですか」

 毛束をつまんで持ち上げると、風早の顔が和む。それにつられて笑った私は、風早の視線を受けて顔を上げた。

「……千尋……。何か、ありましたか? 高千穂へ行く前と顔が違って見える」

「え、そう? 日焼けしたからかな」

「そういうことではなく……何かふっ切れたような―――」


 見下ろす風早と視線を合わせ、私は困ったような笑みを浮かべた。
 何がどう、とは口にできない。生まれた決意を人に話したら、その瞬間に迷いが生まれてしまいそうだったから。

 私はくるりと踵を返すと、自室に向かって駆け出した。

「なんでもないよ。……おやすみ! 風早」

 風早を残し、私は自室に駆け込んだ。深呼吸をして心を落ち着けると、明日を思って私は早々に床についた。

 

 

   ◇ ◇ ◇ ◇ ◇     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「―――姫さん、お帰り。聞いたぞ、本当は高千穂に行ってた、…って、―――おわぁ!? 髪どうした!」

「あ、お帰りサザキ。お勤めご苦労様」


 そして翌日の夕方。帰還したサザキを呼び寄せた私は、久しぶりに見る彼の仰天した表情に思わず笑みをこぼした。

「それに服も……なんだ姫さん、これからなんかあるのか?」

「………」

 瞬きした彼の目に映るのはいつもの女王の装束ではなく、あの戦いの最中に来ていた動きやすいスカートだった。
 切りそろえた髪と相まって、過去の光景が重なるのだろう。サザキは困惑しながら、こちらに近づいてきた。それを避けるように奥の窓辺に寄った私は、サザキをまっすぐに見つめて口を開いた。


「―――サザキ」

「なんだ?」

「……この度の戦い、大変な働きぶりだったそうですね。先ほど狗奴の将に話を聞きました。『もう十分に中つ国の将たりうる』と言っていましたよ」

「あ、ああ……。どうしたんだよ姫さん、そんな他人行儀な……」

 サザキの困惑が強まる。私は女王らしい毅然とした表情を作ると、言葉を重ねた。

「サザキ、一つ確認しておきたいことがあります。……あなたは私の臣ですか? 私に忠誠を誓い、私のために生きると誓えますか?」

「……もちろんだ。あんたと出会ったときから、オレはあんたの力となるために生きてきた。これからもそうだと、誓う」


 私の態度に戸惑いを見せたサザキは、問いかけにはよどみなく答えた。
 その清々しいまでの潔さに胸が締め付けられる。だがここで心を崩すわけにはいかない。私は歯を噛みしめると、唇が震えないよう厳しい表情のまま告げた。


「では中つ国が将、サザキに命じます。―――即刻荷をまとめて浪速に向かい、港で日向一族の船と合流しなさい。そしてそのまま、戻ることなく海路で生きなさい。……これが中つ国女王としての、最初で最後の命令です」

 


 これが、決意だった。
 天鳥船で誓ったこと。これまでに何度も考えては打ち消してきた……最上の選択。

 檻のようなこの宮から―――サザキを解放する。


 いくらあの頃の姿に戻ってみたって、過ぎた時が帰ってくるわけではない。サザキの翼は切り落とされたし、私の背には中つ国の命運が託された。
 だけどこれからも、このままでいなければいけないという約定だって実はありはしないのだ。

 これまで私はサザキを陸に、私に縛り付けてきた。時に王権をもって、時に情をもって。
 本当は飛び立っていける彼を留めおいたのは、彼の情に縋りたかったからだ。心も体も手に入れて、大切にしてほしかった。「葦原千尋」として愛してほしかった。……彼の誇りを傷付けても。

(でも……もう、いいんだ。もう十分だよ、サザキ)

 やっぱり私は、地に縛られない自由なあなたが好きだから。
 あなたに―――ここから飛び立っていってほしい。

 


 サザキは目を丸くしたまま、しばらく動かなかった。口を開き、そして噛みしめる。その顔が歪んでいくのを、私は食い入るように見つめていた。


「なんだ、それ……姫さん、悪い冗談かよ」

「………」

「どういう意味だ。オレはもう、ここにいちゃいけないってことか」

 怒りと笑いが混じったような、複雑な表情。窓辺に立った私は声色が揺らがないよう注意して、少しだけ視線を和らげた。

「これは勅令よ、サザキ。背くことは許さない。たった今、私に忠誠を誓ったものね」

「……っ。……日向の船って……なんのことだ」

「………。カリガネに、阿蘇で会ったの。戦の恩賞で船を手に入れたから、すぐに出航するって。浪速で……みんな待っているわ。船長が、乗り込んでくるのを」

「…!」

 サザキが顔を上げた。驚愕と、そして少しだけ覗いた喜色。だがそれをすぐに治めると、サザキは迷いを示すように顔を背けた。


「こんなみっともない身体で、あいつらに合わせる顔なんざねぇよ。それにカリガネに、奴らのことは託してきたんだ。あんたを置いて今さら戻ったところで―――」

「……『日向の民は、何ものにも縛られぬ自由な魂を持つ』」

「…っ」

「翼があるから日向の民なんじゃなくて、その魂があるからそう呼ばれるって。―――カリガネの受け売りだけど、すごく……いい言葉だと思わない?」

「………」

 サザキの顔が苦しげに歪む。私は窓枠に寄りかかると、後ろに回した手を固く握り締めた。


「サザキ。……翼がなくても、人は海に出て海賊にだってなれるよ。サザキは運動神経もいいし、何より帰還を待ち望んでいる頼れる仲間がいる。……きっと今しか機会はないよ。あなたはもう、この場所に縛られる必要はない」

「……千尋……」

 掠れたサザキの声に、つられて泣き出しそうになる。駆け寄ってその胸に飛び込みたい。
 だけど、それはできない。今の機会を捨て去れば、きっともう私の決意は揺らいでしまう。

「ごめんね……私が臆病だったから。もっと早くこうすれば良かった。今さら言っても遅いけど…あの時、何が何でもあなたを止めておけば良かった。……でも、今までありがとう。一緒にいてくれて、本当に嬉しかった」

「千尋!」

「来ないで!」

 私が歪んだ笑みを向けた直後、サザキは足を踏み出した。それを鋭く制し、私はあらかじめ隠し持っていた懐剣を素早く抜いた。首筋にそれを当て、固まってしまったサザキを睨む。

「な……やめろ千尋! なに考えてる!」

「行って! こっちに来たら、この喉をかき切るわ! ……サザキが剣を取り上げるよりも、私の手の方が早いよ。分かるでしょう? 私は本気だよ」

「……姫さん……」

 サザキの瞳に驚愕と悲しみが広がっていく。私は歪む唇を叱咤して、なんとか笑みを形作った。


「……行って。最後に見せる顔が怒鳴り顔なのは、私も嫌だから。笑って送り出させて」
 
「……姫さん……」

「お願い。もう、我侭言わないから……これだけは、叶えて……」

「………。……分かった……」


 押し殺したような声と共に、サザキがゆっくりと私に背を向ける。それにならって、私もサザキに背を向けると窓枠を握り締めた。
 サザキの気配が遠のいていく。背中越しに感じる距離がとうとう最大になったとき、部屋の入り口から低い声が私に届いた。


「……あんたといられて、楽しかったよ」

「……うん。私も…楽しかった。幸せだったよ」

「そうか。それを聞けて良かった。―――じゃあな、中つ国の女王陛下」

「ええ。……さようなら」


 

 ギィ、と重い音を立てて扉が開かれる。そしてゆっくりと、それは閉じられた。
 わずかな風の移動を、私は背を向けたまま聞いていた。

 カラン、と手から懐剣がこぼれ落ちる。窓枠を掴んだ私は、そのまま額を預けるように項垂れた。……立っていられないと思った。



「……う……、っ…く……」

「―――そうやって、オレの見えないところで泣いてたんだな。やっぱり」

「…!!」

 


「な……なんで……」

 低い声に振り返ると、怒りを浮かべたサザキが扉の前に立っていた。……出て行かなかったのだ。

 咄嗟にしゃがみ込み、落とした懐剣を拾おうとする。だが手元が狂ったその隙に、懐剣は部屋の奥へと蹴り飛ばされた。そして私は強い力で引っ張られ、乱暴にサザキに抱きすくめられた。


「サザキ……!? 出て行けって言った…!! 命令よ!?」

「ああ、出て行ったぜ? あんたの臣下としてのオレがな。そんで戻ってきた、海賊としてのオレが。だから命令なんざ聞けねぇ」

「……な……」

 ―――何その屁理屈! そう怒鳴りたかったが、強く抱き込まれたままサザキが足を踏み出したため、私の言葉は封じられた。
 私はなんとかサザキを振り払おうと、逞しい腕の中でもがいた。

「……は…なしてッ! こうするのが、一番いいんだよ!」

「黙れよ。聞かねえって言っただろ」

「……っ」

 今まで向けられたこともないような低い声で制されて、思わず身が竦んだ。その隙にもサザキは私を引きずって、壁際に置かれてる小卓の前へと連れてきた。


「千尋。あんた、本当にオレと離れた方がいいと思ってるのか」

「な……そうだよ! だから行ってって言ったんじゃない! 放して…! 人を―――」

「嘘だな。じゃあどうして、こんなものを後生大事に持ってる」

「…!」


 サザキが勢いよく開けた、小卓の一番上の引き出し。その中にはあの祭りの時に貰った青い石の手纏と…… 一本の風切り羽が、大切に保管してあった。

「これ、オレの羽だよな。どこで手に入れた? 切り取られた後か」

「………」

 サザキの生命力そのもののようだった力強い羽を目前に掲げられ、私は顔を背けた。

 ―――あの事件の後、看病の合間を縫って私は切り取られた翼を見に行った。
 暗い廟内に放置された、血まみれの翼。もうピクリとも動かないそれを当時のサザキに重ね、私は血に染まりながら翼を抱きしめた。誰もいない廟で、声を上げて泣いたのだ。そして一本だけ羽を抜き取った。

 

「……だって……、も……こうするしか…ッ」

 ふわふわと揺れる羽が、かつての光景を思い出させる。とうとう私はサザキの腕の中でぼろりと涙を零した。


「……姫さん。オレはな、本当に翼を失っても平気だったんだ。そりゃしんどいことも頭に来ることもあった。国にいい奴はいるがこの宮の中はオレの敵ばっかりで。……それでもあんたが元気で笑ってくれるならな、オレはどんなことでも耐えるつもりでいた」

「……っ……」
 
「だがこの環境があんたを思いつめさせて、オレたちの間を引き裂くって言うんなら、王宮なんざクソくらえだ。……女王なんて立場、正直どうでもいい。命令なんか聞けない。あんたが隣にいなければ、海賊に戻ったって意味なんかねぇんだよ……!」


 抱きしめる腕の強さが、耳を揺らす激しい告白が、私の身体を揺さぶっていく。
 背骨が折れるほどに抱きしめられた私は、流されたい誘惑に駆られながらもかろうじて残る理性で告げた。


「でも……国が……。私は王よ、みんなを守る責任がある。サザキがいなくても、私は生きていけるよ……!」

 悲鳴のように叫び、サザキの胸を突っぱねる。最後の機会をふいにするわけにはいかなかった、だがサザキはそれを許さず、私の手を掴むと顔を覗き込んだ。


「……そうだな。王としてなら生きていくことができるだろう。あんたの周りには有能な奴が多い。……だが千尋としてはどうなんだ? 一人の人間としてのあんたは、オレが必要とは思わないのか」

「……っ」

「オレはあんたが欲しい。みんなを守る中つ国の女王じゃなくて、オレだけに甘えてくれる葦原千尋っていう女が……欲しいんだ。―――オレと来いよ、千尋。あんたをここから解放してやる」


 掴んだ手首を放し、サザキが私に手を差し出した。……取れ、ということか。
 必要か、そうでないかなんて―――考えるまでもない。私が欲しいのだって、たった一つのもので……。

 私はもう責任やら使命感やらに潔く敗北して、サザキに手を伸ばした。―――しかし。


「―――なーんて、実はあんたの答えなんか待ってらんねぇんだけどな。さ、行くぞ姫さん。文句は聞かん!」

「え? ……きゃあっ!」

 真摯な表情の後に現れた、どこか底意地の悪い笑み。サザキらしいその表情に目を奪われた私は、あっさりと彼に腕を掴まれた。そのまま強く引かれ、抱きとめられる。
 サザキは手早く手纏と一本の羽を掴むと私に押し付けた。わけが分からずそれらを受け取ってしまった私の手を引いて、サザキは歩き出した。―――窓へと。


「じゃ、攫うからな。あんたは海賊復帰第一号のお宝。大事に大事に守っていくから、黙って一生ついてきてもらう」

「………」

 窓に飛び乗ったサザキが早口で告げる。私はそれをぽかんと聞いていた。
 差し出された手の背後には、どこまでも高く青い空。私は言葉の意味をようやく捉えると―――力強く手を握り返した。

「……うん!」


 私を抱えたサザキが窓枠から飛ぶ。肩越しに見たその背に誇り高き翼がはためくのを、私は確かに感じ取った。

 

 

   ◇ ◇ ◇ ◇ ◇     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

『―――陛下がどこにもおられないぞ! あの日向の男もいない!』

『兵を動員して門を封鎖しろ! まだ遠くには行っていないはずだ!』


 窓から逃げてしばらくして、宮中が騒がしくなった。もう見つかってしまったらしい。
 臣下たちの仕事熱心さに私の胸は痛んだ。けれど、決めた以上は騒ぎが大きくなる前になんとか脱出を果たしたい。

「―――どうする? たぶん他の門もすぐに封鎖されちゃうわ。後は畝傍山(うねびやま)の方に逃げるか……」

「うーん。強行突破もできなかないが、できれば避けたいな……」


 翼を持たない私たちは、見張りの兵がいない場所を辿って宮からの脱出を試みていた。だが西門へと続く道に入った途端にどこからか兵が集まってきてしまい、今は茂みに伏せて様子を伺うことしかできない。

「しょーがねえ、チャクラムを出すか……」

『―――こっちにいるらしいぞ!』

「「!!」」


 サザキが懐に手をやった瞬間、後方から兵の声が聞こえてきて私たちは身を竦めた。私を安心させるようにサザキが手を握ってくれる。だが近づいてくる足音に、私は気が気ではなかった。

(もう駄目なの!? せっかく心を決めたのに……!)


『―――葛城将軍! 陛下たちは東門の方へと向かったようです!』

『そうか。ならば兵に伝えろ。全員早急に東門の警備に向かえ!』


(え……。布都彦と、忍人さん……?)

 兵たちの後方から響き渡った声に私は目を瞬いた。すると私たちまであと数メートルの所まで近付きつつあった兵たちが一斉に身を返し、反対方向へと駆けていく。
 その気配が消えてなくなった頃、私たちは周囲を確認してゆっくりと立ち上がった。


「……どういうこと?」

「―――千尋の考えなんて、みんなお見通しだったってことじゃない?」

「…! 那岐……」

 音もなく物陰から現れた姿に、私は息を呑んだ。だがすぐに力を抜き、そしてまた警戒する。……考えたくはないが、那岐だって私たちを止めにきたのかもしれないのだ。

「警戒しないでよ、止める気なんてないからさ。行きたいなら行けば? 後はなんとかなるさ、きっと」

「那岐……」

 私たちを見つめる那岐の目は、穏やかだ。すると背後でガサガサと音がして、今度は風早が現れた。

「……ふぅ、忍人たちはうまくやってくれたみたいですね。……ああ、間に合って良かった」

「風早…!」

 頭に葉っぱを付けた風早が、にこりと笑う。これまでずっと一緒だった二人を目の前にして、私は胸が詰まって足を動かせなくなった。


「……あ……」

「今のうち、早く行ったほうがいい。……千尋、俺たちのことは気にしなくていいから、あなたはあなたの幸せをどうか掴んでください」

「……風、早……」

 眦を細めた風早が今度はサザキに向き直る。真剣な顔つきになった風早は、同じく姿勢を正したサザキに向かって語りかけた。

「サザキ。忍人から伝言だよ。……『本日をもって葛城配下から除名とするが、これで退役となるわけではない。新たな任務は、生涯に渡り姫を守り抜くこと。捕まったら、今度こそ丸焼きだ』……だって。何か伝えることはあるかい?」

 言葉の最後で、風早がいたずらっぽく少し笑う。サザキはしばらく無言で何か考えていたが、再び視線を正すと神妙な面持ちで告げた。

「『そのご温情に感謝いたします。新たなる使命、命を賭して全うします』……と。悪いな、面倒かけて」

「いや。俺は姫が幸せになれるなら、なんでもしますから。……ああ、今は時間がないけど、いつか宮を抜け出して『お前などに娘はやれん!』って一発入れに行くからね。順番逆になるけど、あれ夢だったんだよ。……覚悟しててくれよ?」

「……ああ」


 穏やかに笑った風早と、苦笑いをしたサザキ。風早は温かい眼差しのまま、私を見て道の向こうを指し示した。

「さあ、そろそろ行って下さい。門の向こうに騎馬を用意しておきましたから」

「あ……うん……」

 背中を押す言葉に、逆に離れがたくなり那岐を振り返る。

「ほら、さっさと行きなよ。こんなとこで捕まってたらどうしようもないだろ」

「……うん……」

 ちらちらと二人を振り返りながら、サザキに促されて歩み始める。二人から数歩離れたとき、私は耐え切れずに振り返った。


「―――風早、那岐…! ごめんね。皆にも、いい王様じゃなくて本当にごめん……!」

 並んだ二人の目が見開かれる。だがすぐに首を振って、風早と那岐は微笑んだ。

「いいえ。あなたは十分にいい王様でしたよ。ここまで、よく頑張りました。……後は俺たちに任せて、あなたは幸せになって下さい。だから…ごめんなんて言わないで下さい」

「………」

 那岐が『しょうがないな』と言いたげに肩を竦める。私は溢れてきた涙をぐっと腕で拭うと、精一杯の笑みを浮かべた。


「……ありがとう。那岐、風早……」

「……ええ、ありがとう千尋。―――元気で」


 その言葉を最後に、私たちは西門へ向けて走り出した。

 

 

 

 そして門を出たところで待っていたのは、馬ではなくて白い麒麟だった。この世界に戻るときに出会って以来だ。

 サザキはもちろん『これ聖獣だろ? 姫さん神まで従えてるのかよ!』と驚いていたし、私もどうしてこの獣がここにいるのか分からなかったけれど、長距離を駆けるのにこれ以上ありがたい存在はなかった。
 かくして私たちは麒麟に飛び乗ると、浪速に向かって一直線に飛んでいった。

 

 浪速の港の手前で麒麟から降り、私たちは麒麟に別れを告げた。頬擦りして撫でると麒麟は気持ちよさそうに小さく鳴き、そしてまた空へと舞い上がっていった。

 港へ向かうと、見覚えのある大きな船が停泊しているのが見える。―――カリガネたちだ。
 思わず走り出そうとした私はサザキに引き止められた。真剣な顔をしたサザキが、私と視線を合わせる。


「……?」

「……姫さん。オレはな、翼を無くして一つだけ後悔したことがある」

「……なに?」

 唐突な言葉に、一瞬呆気に取られた。けれどこれはきっとサザキが言いたかったことで、そして私が聞かなければいけないことだ。私は静かに相槌を打った。

「あんたにした『橿原宮を見せてやる』って約束を、守れなかったことだ。……悪い、ずっと気になってはいたんだが…どうしようもなかった」

「……ううん。さっき、二人で一緒に空から見たじゃない。サザキは約束守ってくれたよ。……嬉しかった」


 神妙なサザキに、私は微笑みを向けた。
 ―――先ほど、麒麟の上から私たちは橿原宮を見下ろした。
 雲間に見える小さな都は、色々なことがあった場所だった。王になって、サザキが翼を失って、それでも共にいて……そして二人で飛び立ってきた。
 感慨深くなり鼻をすすった私を、サザキは後ろから優しく抱きしめてくれたのだった。


「……そっか。でも、これからはもっと大きなモンをあんたに見せてやれる。この国を、この世界を海から見よう。―――改めて言う。千尋、オレと一緒に来てくれ。あんたがいれば、オレはどこまでも飛べる。これからはあんたがオレの翼だ」

「サザキ―――。……うん!」


 私を覗き込むのは、どこまでも深く温かい色の瞳だ。私はサザキに抱きつくと、笑顔で答えた。

 次第に船の方がザワザワと騒がしくなってきた。私たちが着いたのに気付いたんだろうか―――そう思ったとき、私はサザキにひょいと抱き上げられた。


「サザキ!?」

「まーまー。花嫁ってコトで、これくらいしてもいいだろ」

「花嫁!? 私たちいつ結婚したの!? …ていうか、自分で歩くよ! 恥ずかしい……」

「いいじゃねーの。……姫さん、しっかり掴まってろよー。飛ばすぜ?」

「え……。ヒッ……きゃああぁぁっ!?」


 私を抱き上げたまま、サザキが船に向かって走り出す。甲板にいた日向の仲間たちもさすがに気付き、口笛やら怒鳴り声やらが飛んできた。


『―――ぅおッ!? ほんとに大将帰ってきやがった! しかも二の姫も一緒だぜ!?』

『マジで翼なくしたんすか大将ー! でもこれで夜は色んなカッコ試しまくりじゃないすか!』

『…………品がないな。まあ奴が戻ってきたからには仕方ないか……』

 

「好き勝手言ってやがるぜ。おい姫さん、あいつらは仲間だがあんま近付きすぎんなよ? オレも嫉妬するかもしれないぞ」

 怒号飛び交う中をサザキは駆け抜ける。そして船から陸に橋が渡されるのよりも早く、彼の足は大地を蹴った。



「野郎ども、船を出せェ! 史上最高のお宝と、出航だ!」

 



 赤い髪の海賊と金の髪の姫は、力強く大海原へと漕ぎ出した。
 

 



 

 

――― 天鳥船内書庫 既定伝承(アカシャ)の一つより ―――


 自由なる魂 強き誇りを翼に変えしもの
 その誇りよりも熱き抑えきれぬ想いに身を焦がし
 想うが故に、誇りを捨て地に堕つる

 されど、会いし天地は交わることなく
 再び天に帰りて、共なる夢想を果たす

 天地交わりて、蒼に溶ける―――










 END


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後編で一時行き詰ってしまったんですが、なんとか完結できました。ホッ。
千尋とサザキのお話を書きたかったので、「禍日神どうなった?」的な話は華麗にスルー。
きっと那岐やアシュヴィンがなんとかしてくれたのさ…。うう、スミマセン…。

この話は、あのBAD ENDを見て「二人とも生きててしかも一緒にいるなら、どうにか幸せになれんものか」と思ったのをきっかけに書き始めたものです。だって切ないじゃないですか。羽を失ったら即バッドって…。
もちろん私はサザキの翼、大好きです。でも翼があってもなくてもサザキはサザキだよなーと思うんです。うんでも羽は重要だ。色々使える…(妄想中)…。

風早や那岐が書いてるうちに愛しくなってきてしまいました。しかし風早の、千尋以外の人に対する口調が分からぬ…。

遙かSSはあんまり増えないと思いますが、好き勝手書けて楽しかったです。
ドマイナーかつ重苦しく拙い話でしたが、読んで頂けてとても嬉しいです!



(2008.7.30)