4、不器用なつがい





 夜盗との闘いの翌日、ライとは藍閃に向かうため、環那の町を後にした。

 森の中を行くライは、背後の気配を多少は気にしつつもほとんど振り返ることなく足を進めていた。
 数歩遅れたところから距離を保ってがついてくる。だがライもも、町を出てからほとんど会話を交わすことはなかった。

 呼びかければ答えるし、険悪なムードが漂っているわけでもない。それでもふたりの間の空気がぎこちないのは明らかで、ライは前方を見据えたまま白い尾を苛立たしげに振った。


 昨日に「嫉妬か」と問われて不機嫌になったのは――それが半分、図星だったからだ。
 危機感の薄さへの指摘を、逆に茶化されたのには勿論腹が立った。だが一言返したきりで他に言葉が続かなかったのは、の言葉に痛いところを突かれたためだ。

 あの雄たちの、陶酔したような表情。それは確かにの賛牙としての力を称える以外の何ものでもなく、少なくとも多くの雄がに向けるような下心を感じさせるものではなかった。ただ純粋に、奴らは賛牙としてのを見ていた。――それでも。

 気に入らないものは、気に入らない。
 あいつの力を受けるのは俺だけでいい。あいつの歌を聴くのは俺だけでいい。あいつの笑顔が向くのも――

 そこまで考え、ライは小さく舌を打った。なんと狭量なのか。これではかつて自分に嫉妬したアサトを笑うこともできない。

(俺はいつから、こんなに情けなくなった……?)

 と出会う前は当たり前に築けていた他者と自分との間の壁が、との間には作れない。
 の行動に冷静な自分が崩される。の行動が、考えもしなかった『ライ』を引きずり出してくる。


 得がたい賛牙を得たことは……いいや、得がたい『つがい』を得たことは、最高の幸運であり同時に最大の弱点を作ることであるかもしれないと、その時ライは初めて思った。








「いらっしゃいま――、あれ、アンタたちか」

 さらに翌日の午後、二匹は藍閃の街にたどり着いた。とライが常宿の玄関をくぐると、カウンターで出迎えてくれたのは紫の制服姿のコノエだった。

 この前訪ねた時よりも、またさらに大人びた面ざしになったようだ。きっと背も高くなったんだろうな。記帳するライの後ろでそんなことをが考えていると、厨房の扉が開いてバルドが顔を覗かせた。

「おう、お前らか。……なんだ惜しかったな、暗冬は昨日に終わっちまったぞ? 昨日はコノエとまた図書館に行ってみたんだ。結構面白かったよな」

「ああ。アンタたちも暗冬の期間中に泊まりに来るかと思ってたんだけどな」

 なんだかんだでうまくやっているらしい宿屋の二匹が、顔を見合わせる。だがライは少し目を眇めただけで、無言でコノエに手を伸ばした。

「混雑するから来なかったんだろう。それぐらい察しろ。……鍵はこれだな。夕食はいらん」

 それだけ告げて、鍵を受け取ったライは足早に二階へと上っていく。後に残されたバルドとコノエとそしては、その後姿をぽかんと見送った。


「……なんだぁ? あいつ、またご機嫌斜めなのか?」

「なんか感じ悪いな。ま、ライが機嫌良かったらそれはそれで怖いけど」

「あー、ゴメン。ちょっとね……」

 ライの態度には苦笑でフォローを入れた。
 自分に対してならまだいいが、他の猫にまであたることはないだろうに。感情を飾るということを知らないつがいの姿に、は心で溜息をついた。


「暗冬、大変だったでしょ。手伝いに来られなくてごめんね」

「そうでもなかったよ。俺もだいぶ仕事に慣れたし」

「慣れたわりにはまだまだ料理を焦がすけどなぁ? な、コノエ」

「うるさいな。アンタは黙ってろよ」

 あの闘いの頃そのままの二匹のやり取りに、はやや沈んだ気分も忘れてくすくすと笑った。二匹がたくましく暮らしていることを、嬉しいと思う。
 は微笑むと階段に向かって歩き始めた。

「あ、私は夕食いるから。悪いけどコノエ、ライに何か作ってもらってもいい? ……じゃ、私もちょっと休むわね」

「あ、そうだ。昨日からあいつが――」

「え? ――おわぁッ!?」

 数歩進んだは、窓の外を逆さまに落ちてきた影にビクリと尾を逆立てた。『何者!?』と思う間もなく、その正体を悟って嘆息する。


。久しぶりだ」

「アサト……。ほんと、久しぶりね……」

 現れた黒猫の姿に、は今度こそ肩の力が抜けていくのを感じた。







「街で、とあいつの噂を聞いた。ずいぶん活躍してるんだな」

「ええっ、私? 別にそんな大したことはしてないんだけどな……」

 結局は、部屋に行く前に食堂でアサトとお茶を御馳走になっていくことにした。コノエに給仕してもらい、バルドと四匹でテーブルを囲む。すると話題は自然にたちの仕事の話になっていった。


「そんなことないだろ。俺も噂、聞いたぜ。なんだっけな……大層な二つ名がついてたな。ほら、コノエあれだよ」

「え……。俺が言うのか? 嫌だよ」

「二つ名? ……何それ」

 はきょとんと聞き返した。バルドがにやついた顔でコノエを小突く。コノエは非常に迷惑そうに身体をよじり、アサトはと言うとと同じようにきょとんとコノエを見つめていた。
 三匹の(一匹は明らかに面白がっているが)視線に晒され、コノエが居心地悪そうに俯く。

「だから……よく言うだろ。なんとかの誰だれって。それが、アンタ達にもついてるんだよ……」

「へー。で、なに?」

「…ッ。……ライは……『白銀の剣士』」

「……なんか綺羅綺羅しいけど……まあ普通ね」

 あまりにボソボソと言うから、もっと恥ずかしいものかと思った。
 若干拍子抜けしたは、視線で続きを促した。するとコノエは今度こそ赤くなって口をつぐんでしまう。

「アンタは……その……。…………」

「……なに? そんなに勿体ぶるほどのものなの?」
「いや、そうじゃなくて……。その……『金色こんじき の歌姫』って……」

「…………」

「…………」

 コノエが絞り出したその言葉に、とアサトは共に目を見開いた。そして次の瞬間、正反対の反応を返した。すなわちは吹き出し、アサトは感激したように喜色を上げた。


「な…っ、何それ…! 歌姫……歌姫っ!? 私が! に、似合わない……」

「俺が考えたわけじゃないからな! そんなに笑わなくてもいいだろ!? アンタのことなんだから」

「そうだぞ、。全然おかしくない。歌姫……よく、似合っている」

「や、やめてよアサト………」

 感嘆した様子のアサトに、は身をよじって笑った。しまいには涙まで滲んできたが、さすがにコノエに悪いと思って爆笑はこらえる。それでも忍び笑いが止まらないの姿に少々気分を害したのか、コノエがどこか不機嫌な口調で告げた。


「でもそんな風に呼ばれてるってことは、少なくとも藍閃の賞金稼ぎのほとんどはアンタが雌だって知ってるんだろ。……アンタ、気をつけた方がいいんじゃないか?」

 その言葉には笑いを収めてコノエを見やった。すると、コノエの肩をもつようにバルドが横で頷く。

「そうだな。雌を見かけるようになってきたとはいえ、まだまだ街に馴染んでいるとは言いがたいからな。それに賞金稼ぎじゃなくても、アンタを見かけて悪さをしようって考える奴も少なかないだろう」

「……そうかしら? そんなに声掛けられたこともないけど」

「ばぁか。そりゃライが隣で見張ってたら、そうだろうよ。あいつに睨まれてまで手出しする勇気はないだろ。ただ、一匹で歩いてたらなぁ……」

「ああ、気をつけた方がいい。お前は前よりももっと、綺麗になったから」

「……っ、アサト……」

 バルドの言葉をアサトが引き継ぎ、その口調の真剣さには思わず言葉に詰まった。相変わらずストレートだ。アサトはに言い聞かせるように、ゆっくりと口を開いた。

「嘘じゃない。お前はあいつといて綺麗になった。……悔しいが。俺たちといた頃よりも、もっと研ぎ澄まされたような――とにかく、綺麗になった」

「ああ、分かるなそれ。こうやって俺らと話してるとただのねーちゃんだけど、街中で見かける時とか敵に対峙する時とか、なんつーか冷たい感じもするよな。それがまたよく似合ってんだ。凄味っていうか色気が出たっていうか。……ま、雄にはある意味たまらんかもな。なぁコノエ」

「え。……だから、なんで俺に振るんだよ!」
 
 にやりと笑ったバルドの視線を受け、コノエがさっと顔を赤らめる。まあ、とにかくは……皆が心配してくれているということだ。三匹の視線を受け、は神妙に頷いた。

「まぁ、気を付けてみるわね。……ありがと」

「ああ。……まったくライも苦労するな」

 バルドの言葉に、は曖昧に微笑んだ。







 その夕方、はライと裏通りまで情報を聞きに出かけて行った。

 賞金稼ぎとなった以上はもこうした場所にたびたび足を運んでいるが、なぜか今夜はライに同行を渋られた。かつては『仕事を理解するためにできるだけ共に聞け』と言っていたのに、矛盾している。
 だったら後からこっそりつけるとが告げると、ライは渋々同行を許してくれたのだった。

 ふたりの間の空気は、やはりまだどこかぎこちないままだ。どちらが悪いことをした訳でもないし、これはもう時間の問題だろうなとは思った。

 結局ふたりとも意地っ張りだから、なかなか折れることができない。それでも時が経てば自然といつも通りに戻っているものなのだ。
 そういうことは、これまでにもたびたびあった。だからあまり気にしないようにするのが一番だと、は小さく溜息をつきつつぼんやりと思った。



「――ここだ。今日の情報屋はつがいといえど共に話を聞くことを好まん。お前は適当に時間をつぶしていろ」

「あ、そうなの。分かった」

 二匹がたどり着いたのは、何度か来たこともある古い酒場だった。
 木戸を開くと室内に充満したハマキの煙が鼻をつく。それほど苦手ではないが、決して好きでもない。は煙を避けるように店の片隅へと避難した。

 ライは奥に腰かけた陰気な様子の情報屋のところへ、足早に近づいて行った。それをなんとはなしに見つめていたは、背後から聞き覚えのある声をかけられ胡乱に振り返った。


「よーう、『金色の歌姫』サマ。旦那、行っちまったなぁ」

「……ああ、アンタか。……ていうかその呼び名、やめてくれない」

「ひゃははっ! いーじゃねぇの、オヒメサマっぽくて」

 にやにやと笑っている病的なほど痩せた雄猫は、何度かここで見かけた一応顔見知りの猫だった。
 一応同業者…賞金稼ぎらしい。一応、というのはそれ以外にこの猫の情報を一切知らないからだ。別に知る必要もないし、それで構わない。ここはそういう世界なのだ。
 フードを上げてちらりと雄猫の顔を確認したは、すぐに視線をライへと戻した。

「うっわ、いつもながらツレねーなぁー。ちょっとは笑ってくれてもいいのに。スマイルはゼロエンよ?」

「……意味が分からない」

「あー、いいなそのツンツン。ぞくぞくするよ」

 背後の雄猫がわざとらしく溜息をつく。……そう、この猫は言葉も仕草もその全てが胡散臭かった。その胡散臭い猫が、フード越しににそっと耳打ちした。

「なあ、知ってるか? いいこと教えてやるよ。――あんた、狙われてるぜ」

「……?」

 顔を動かさず、は視線だけを雄猫に移した。雄猫はどこか楽しげに笑みながら、に『いいこと』を告げる。

「藍閃の上層部に、あんたの存在がバレつつあるらしい。……雌の賛牙って、今んとこ確認されてるのはあんただけなんだってな。それで、『ご招待』をしちゃどうかって賛牙長だか領主だかがアングラに息巻いてるらしいぜ。実際噂を聞いたのか、ここにあんたの情報を求めて来る奴も増えた」

 何もかもが作り物めいた猫は、ごくたまにこうしてに情報をもたらす。そしてそれは大抵の場合、その態度を裏切って真実を告げているのだ。だからもこの猫を「一応」信用している。

「ご招待って……」

「ま、贅沢なベベ着せて食事させてくれる……ワケはないだろうな。食事はさせてくれるだろうが、メインはその後のお楽しみってトコじゃねえの? こないだここに来てた腕の立たなそうなデブが言ってたぜ」

「…?」

 雄猫が耳を寄せろとジェスチャーで示す。わずかに頭を傾けたに、雄猫は囁いた。

「捕らえて、押さえつけて――啼かせてみたい、ってな」

「……っ」


 鳴かせる、ではなく啼かせる。……あからさまなニュアンスの違いを感じ取り、ははっきりと眉を歪めた。背後の雄猫を静かに睨みつけると、雄猫は両手を上げて首を振った。

「だから俺じゃねぇよ。そー考えてる命知らずの馬鹿がいるから、忠告してやっただけだって」

「まさかアンタが情報流してるわけじゃないでしょうね」

「それこそまさかだ。あのライを敵に回すなんて、俺にはとてもとても……。それに俺はあんた、好きだからよ。あーんな脂ぎったオヤジの所になんて行かせたくねぇっての」

「……どうだか」

 芝居がかった仕草で怯えてみせた雄猫に、は溜息で応えた。懐を探り、硬貨を一つそっと手渡す。頼んではいないが情報を教えてくれた手前、これぐらいの代償は必要だろう。
 「こんなモノより、あんたの笑顔の方が嬉しいのに〜」と雄猫がうそぶく。ただしその手はしっかりと渡された硬貨を握りしめていたが。



「……終わった。行くぞ」

「ああ、うん」

 奥からライが戻ってきた。情報屋との話が終わったらしい。
 壁から背を離し、はライの隣に並ぶ。するとライから睨みをくらったらしい雄猫が、「怖いねぇ」と呟いて奥へと引っ込んでいった。

「何を話していた」

「何も。並んでアンタの後姿、眺めていただけよ。『白銀の剣士』さん?」

「…………」

 別にライに告げるほどのことでもないだろう。は先程の話をそう片付けると、ライをからかった。ライの顔がはっきりと苦み走る。
 何となくは予想していたことだが、ライはこの呼び名を知っていたらしい。そして同様、気に入ってはいないようだ。マントを翻して出口に向かうつがいの姿に、はゆっくりとつき従った。


 ライが情報屋から得た話によると、やはりあの夜盗の一群には結構な額の懸賞金が掛けられていたらしい。藍閃近郊の町や街道でたびたび猫を襲っているとのことだった。元賞金稼ぎのあのボス格の猫を中心として、卑怯なやり口でかなりの荒稼ぎをしているようだ。
 彼らを捕らえれば、向こう一年は何もしなくていいほどの額が手に入る。賞金首としては破格の値だ。

「これ、受けるの?」

「ああ。情報屋経由でギルドに登録もしておいた。明日には藍閃を発つぞ。環那を拠点に根城を調べる」

「そう……」

 『歌の調子が良くないかもしれない』とは言おうか迷った。だがあれからまだ確かめていないし、いきなり出鼻をくじくのもなんとなく気が引ける。
 結局そのままライについて歩いていたは、ふとあることに引っかかり首を傾げた。

「あれ? でも――」

 何かを忘れている気がする。暗冬が終わったこの時期に毎年やってくる、何か……。

「……発情期か。今年はあと数日は先だろう。その日だけ宿にこもっていればいい」

「あ、そうね……」

 の思考を察したのか、ライが淡々と答えた。その何を当たり前のことを、と言わんばかりの口調にの頬は少しだけ赤く染まった。
 ライの中では、発情期をと過ごすのはごく当然のことらしい。少しばかり気まずくなっている状況でも変わらぬその態度に、は心のどこかがほっとしたのを感じていた。




「俺は少し寄るところがある。お前はまっすぐ帰れ」

「え…? 私も付き合うわよ」

「必要ない」

 大通りに戻ると、分かれ道でライがに背を向けた。そっけなく告げて、白猫は来た道をどんどん戻っていってしまう。だったら初めから分かれて帰れば良かったのに、とその後ろ姿をぽかんと見送ったは思った。
 だがおそらくライは、自分を安全なところまで送ってきてくれたのだろう。それに気付き、「なによ」と少しだけ頬を膨らませる。むっすりしてるくせに、変なところで優しい。

 はしばらく考え込んだ後、宿とは逆の方向に歩き始めた。
 



「懐かしいな……」

 たどり着いたのは、藍閃の郊外にある空き地だった。そう、かつてライと歌の訓練をしたあの場所だ。
 久々に足を踏み入れたそこは、過去と同じく猫一匹おらず静まり返っていた。一応は周囲の気配を探りつつ、は胸に手を当てると澄んだ高い声を出した。

 ここに来た理由は言うまでもなく、歌の調子を確かめるためだ。一昨日は調子が悪いばかりか『歌』そのものを歌えなくなり、かなり焦った。今日はどうだろうか……は小さな恐れを抱きつつも、旋律に想いを込めた。

(私は賛牙……。ライの賛牙なのよ……)

 白猫の姿を想い描き、そこに彼がいるかのように歌う。すると弱々しいながらも朱色の光が自分の体を取り巻きはじめ、はうっすらと目を開いた。


(……良かった……)

 光を見た瞬間、は心の底からそう思った。己が発する光がその強さを徐々に増していく。じわりと視界が滲み、は慌てて頭を振った。
 この時まで気づかなかった。思った以上に、一昨日の出来事はの心に重く圧し掛かっていたらしい。

 揺らめく光は、その行く先を探してゆらゆらとたなびいていく。ある方向を目指して伸びる光は、その方角に彼がいることを指し示していた。
 は歌を打ち切ると、拳の中に朱色の光を閉じ込めて瞳を閉じた。

「私は……アンタの賛牙よ……」

 噛みしめるように呟き、はつがいの姿を想って空き地を後にした。






「お帰り。遅かったな、ライは一緒じゃないのか?」

「うん。寄る所があるからって途中で別れたわ」

「そっか」

 宿に帰りついたを出迎えたのは、カウンターで帳簿と睨めっこしていたコノエだった。ライはまだ帰ってきていないらしい。

「……あ、夕食食べるか? ごめん、食堂片付けたから厨房に運んであるんだ」

「ああ、ごめんね。頂くわ。厨房入っていい?」

「もちろん」

 コノエに先導され、厨房に足を踏み入れる。するとそこではバルドが明日の仕込みをしている最中だった。

「お、帰ってきたのか。すまんな、隅っこで悪い」

「ううん。遅くなったこっちが悪いんだもの。気にしないで」

 は厨房の片隅に腰かけると、ふたりが残しておいてくれた夕食にありついた。
 コノエも帳簿づけを諦めたのか、厨房での作業を手伝い始めた。冷えてはいるが美味しい手料理を食べながら、はどこか楽しげに働く二匹の姿を微笑ましい気持ちで眺めていた。


「……あっと、そうだ……。、今日小耳に挟んだんだがな……」

「?」

 ふいに、バルドが手を止めて歯切れ悪く話しかけてきた。が目を向けると、その先の言葉を言おうか言うまいか迷っているような顔をしている。……なんだろう。がじっと見つめると、バルドは幾分か低い声音で告げてきた。

「あんた、ちょっと他の賞金稼ぎとかに目ぇつけられてるらしいぜ。詳しいことは分からんが、用心するに越したことは――」

「ああ、そのこと。今日他の猫からも聞いたわ」

「そうか……。俺が言うまでもなかったかな」

 ひそめた声にが淡々と答えると、バルドは首の後ろをポリポリと掻いた。傍らでは心配そうな目でコノエがを見つめている。

「大丈夫。ライと組んでるのは知ってても、私の顔まで知ってる奴はそうそういないわ。やってきてもそう簡単にはやられないけど、私も気を付けるし」

「そう、か……」

 コノエの不安な表情を払うように、は明るい口調で告げた。若干の憂慮をその顔に残しながらも、コノエはほっと笑ってくれた。
 ……そうだ、いい機会だから聞いてみよう。は顔を上げると、コノエに問いかけた。


「あのさ、コノエ……賛牙の力が使えなくなったことって、ある?」

「え? ……アンタ、歌えなくなったのか…?」

 が問いかけた直後、コノエが再び憂いを顔に浮かべた。それはのことを案じる表情そのもので、は慌てて手を振った。

「あ、ううん。今日は大丈夫だったんだけど、こないだ、ね……。体調は平気だったんだけど、調子が悪くなっちゃって」

 はできるだけ深刻にならないよう言ったのだが、バルドまで作業の手を止めての前へとやってきてしまった。をじっと見つめていたコノエはバルドと顔を見合わせると、「う〜ん」と考え込んだ。


「俺も最近はあまり歌ってないけど……そういうことも、たまにはある。やっぱり体調が良くない時は、歌も上手く歌えない。あとは……結構自分の精神状態にもよるかも」

「精神状態?」

「ああ。すごく怒っている時とか、感情が乱れている時とか……あとは相手に対して、わだかまりがある時とか……。喧嘩してる時なんかは特にそうだな。いくら届けたいって思っても、普段の力が全然出ない」

 そう言ってコノエはじっとバルドを見つめた。バルドがはは…と力なく後頭部を掻く。どうやらケンカの原因は縞猫にあることが多いらしい。

「……そっか……。そうよね……」

 は拳を口に当てて考え込んだ。先日の一件は、まさしくコノエの言うとおりだった。
 怒って、惑って、闘いに集中できていなかった節は確かにあった。あの場は相手が引いてくれたから良かったものの――いや、一歩間違えば自分の歌次第で戦況が変わっていた可能性も十分にあるのだ。それは『良かった』では済ませられない。

(私が冷静だったら……もっとちゃんと歌えたかもしれない)

 あんな調子では、賛牙としてまだまだ未熟と言わざるをえない。溜息をついたは、コノエが再び心配そうな眼差しで見つめていることには気付かなかった。


「なあ、アンタ……あんまりライとうまくいってないのか?」

「え?」

 唐突な質問には顔を上げた。コノエはどこか迷ったような顔で言葉を探している。

「ほら、あいつって結構きついことも平気で言うしさ。……何言われても気にするなよ。俺なんて何度『馬鹿猫馬鹿猫』言われたことか」

「ああ……。ううん、そんなのは今更全然気にしてないわよ。今回のも多分、たまたまお互いの虫の居所が悪かっただけ。長く付き合ってればそういう日もあるわ」

「じゃあライを信用できない、とか……」

 コノエの言葉には目を見開いた。だがすぐに首を振り、指摘をやんわりと否定する。

「そんなことないわ。信頼している猫じゃないと、つがいになんてなれない。歌を歌いたいと思うのも、一緒にいたいと思うのも、あいつだけだもの。喧嘩しても、そばにいるのは変わらないわ」

「…………」

 静かに呟いたに、コノエは沈黙で返した。ふと見ると、その顔が赤く染まっている。首を傾げたの正面で、バルドがからりと笑った。


「すっかりあてられたな、コノエ」

「……うるさい……」

「?」

 バルドがぽんぽんと頭を叩くと、コノエはますます赤くなった。急に様子のおかしくなったコノエを覗き込むと、コノエはから身体を引いて中断していた作業へと戻っていった。

「なんだかんだ言ったって、あのライとこれだけ長い間やってきたんだ。お互いツンケン言い合ってても、熱いったらありゃしないよ。はー、ごちそうさま」

「え? ……誰がいつのろけたのよ」

「今だよ。……そういや夕方も、珍しくライが俺に店の場所、聞いてきたっけなあ」

「店……?」

 バルドの言葉の意味を解して眉をひそめたは、続いた縞猫の言葉をきょとんと聞き返した。するとバルドはしたり顔で笑って頷いた。

「ま、楽しみにしてろって」

「……?」

 全く話が見えない。まあバルドがこういう顔をするときは、おそらく大した話でもないのだろう。はそう結論付けると、食べ終わった器を手に立ち上がった。


「ごちそうさま、美味しかったわ。……あ、そうだ」

 外の洗い場へと足を進めかけ、ふと立ち止まる。はバルドとコノエを振り返って告げた。

「さっきの私が狙われてるとかって話……ライには言わないでね。心配するから」

「そりゃするだろ。……なんだ? 心配したライに、『のこのこ出かけるな』とか言われるのが嫌か? 過保護なつがいを持つと大変だなぁ」

 ライの声を真似てバルドが茶化す。は小さく嘆息して首を振った。

「違う。……あいつはあいつで色々と抱えてるものがあるでしょ。これ以上、心配事を増やすこともないわ。……つがいでも、自分のことはなるべく自分で片付けないと。あいつの妨げにはなりたくないの」

 そう告げたは扉を開け外に出た。後に残されたバルドとコノエがそれを見送る。



「愛されてるねぇ……ライには勿体ないぐらいだ。……ま、ライが知らないとも思えないけどな」

「だな。……ももっと、ライに頼っていいと思うんだけどな」

「それがなかなかできないんだよ、あの娘は。……あいつら、ぎりぎりまでお互いに頑張っちまうんだ。相手を傷付けまいとするばかりにな」

「……そうだな」

 宿屋の猫二匹は顔を見合わせると、不器用なつがいたちを想って苦笑を浮かべた。









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(2008.10.31)