4.奇妙な猫二匹



 

 早速夜の店番を頼むというバルドの言葉に頷いて、とりあえずは藍閃見物がてら、消耗品などを買い足しに行こうと は宿を抜け出した。

 久しぶりに歩く藍閃はやはり雑多ではあるが、祭りの前であるからかほのかな熱気が感じられる。
 表通りを見る限りでは失躯も出ていないようだ。鳥唄や通ってきた村々の現状と対比すると、ホッとする反面羨ましい気持ちになった。

 何軒か店先を物色して、ふと はある店の軒先に目が引き付けられた。店先で退屈そうにしている若い猫。随分大きくなっているが、愛嬌のあるその顔には昔の面影がある。
  は猫の波を掻き分け、若い猫に近寄った。


「トキノ!」

「え?」

 猫がハッとして顔を上げる。明るい瞳や率直に感情が顔に出るところも、昔と変わらない。
 楽しい気持ちになって は周りを注意深く見渡すと、そっとフードを引き上げた。

「覚えてる? …… よ」
 
「…… ッ、とと、え、ええ!?」

 トキノは目を丸くして声を上げかけたが、 に指で制されてあわあわと口を動かした。目を見開いたまま、 を凝視する。そして「本当だ……」とよく訳の分からない返事を返してきた。

「な、なんで急に藍閃に? いやそれよりもすごい久しぶりだね……じゃなくて、いやあのココで話すのもなんだからとりあえず中に入って!」

「落ち着きなさいよ。いいの? 店番してるんじゃなくて?」

「うん、暇だから閉めようかなって思ってたところだから。ささ、どうぞ」

 わたわたと周りを片付けると、トキノは を自宅に入れてくれた。外からの視線が遮られ、 はコートを脱ぐ。
 飲み物を手に戻ってきたトキノが妙にそわそわとしてカップを渡してくれた。

「ありがと。……どうかした? 私、なにか変?」

「いや、その……やっぱり、外は雌には歩きづらい?」

「んー、そうね。厄介に巻き込まれるのも面倒だし」

「そっか。今は雄でも裏通りは危ないくらいだから。……その、 綺麗になったから、気を付けないと……」

 ほんのり顔を染めてトキノが呟く。 は呆気に取られ、次いで吹き出した。

「あはは! ありがと。でも私なんて全然だよー。トキノの方がずっと格好よくなったって!」

  が笑い飛ばすと、「俺と比べられても……」とトキノが微妙な表情で口ごもった。

 トキノは昔からの知り合いだ。 が父親について藍閃に行商に来た際に出会い、以来藍閃に来るたびに立ち寄るようにしていた。少し年下の少年は、 にとっては弟のような存在だった。しかし、数年前に最後に会ったのを最後に、交流は途切れてしまっていた。
 数年前は より低かった身長が、今は を追い越してしまった。その成長に驚きつつ、優しい心根は変わらないトキノとの久々の再会を は心から楽しんだ。

 それから話題は自然と の突然の来訪の話となり、 は再び現状をかいつまんで説明することになった。

 




「――そっか、しばらく藍閃にいるんだね。うん、俺も父さんのツテとか使って、少し働き先のこと聞いてみるよ」

 ひとしきり話を終えた後、それまで神妙に聞いていたトキノが頷きながらそんな提案をしてきた。その顔は真剣そのもので、親身に の身を案じてくれていることが伝わり、 は胸が暖かくなった。
 なんと良い子に育ったのだろう。
 トキノが聞いたら怒り出しそうな言葉を胸に浮べ、 はしみじみと感動した。

「ありがとう。でも無理はしないでね。私もしばらくはゆっくりするつもりだし、たまには剣づくりの勉強でも――、あっ、そうだ……」

「なに?」

「ねえトキノ。面白い文献のある場所とか、面白い石や岩がある場所、知らない? せっかくだから少し新しいことを勉強しようかと思って」

「んー……。本だったら図書館が一番揃ってるんじゃないかな? 俺は知らないけど、たぶん鍛冶とか鉱物の本もあると思う。面白い石は――」

 思案するようにトキノが首を傾げる。珍しい鉱物なんてそうそう転がってはいないだろうか。

「あ! そういえばお客さんから森に不思議な岩があるって聞いたことがあるよ。なんかね、四つの岩が向き合っていて、その場所は七色に輝くとか……あれ? 白く光るんだっけか? まあ、なんか光るらしいんだよ」

「へえ。なんかよく分からないけど面白そうね」

 トキノが教えてくれた岩は、森でも奥の方にあるようだ。薬草集めがてら出掛けてみようかと は思った。



 その後も他愛無い話を続け、気付けば夕暮れの時間になっていた。
 帰り際に、トキノがクィムを数個くれた。いいのかと問うといいからと優しく押し付けられる。有り難く は頂くことにした。

「トキノ」

「ん?」

「……ありがとう」

 トキノを呼び止め、 は鼻先をトキノの肩に擦りつけた。ついでに喉を鳴らす。久し振りの行為だった。
  が顔を上げると、トキノは固まっていた。その顔は今にも沸騰しそうに真っ赤になっていた。



   +++++




  が慌ててバルドの宿に帰ると、既に陽の月は暮れかかっていた。
 遅くなってしまった。バルドは怒るだろうか。

 だが宿に戻った を待っていたのはあの縞猫ではなく、頭から黒いフードをすっぽり被って項垂れたように座っている、おそらく小型種の雄猫だった。

 フードを被った猫と、同じくフードどころか身体のラインまで覆った
 二匹はカウンターを挟んで相対した。

「…………」

「…………」

((変な猫……))

 互いに同じことを感じているとは露にも思わず、しばし沈黙が続いた。それを破ったのは だった。
 なぜなら、雄猫がおそらく無意識であろうが小さく唸り声を上げ始めたからだ。

 なんなのだ、この猫。全く持って接客態度がなっていない。

 自分が遅れたのは棚に上げ、 は少々ムッとした。とりあえず、雄を装って声を掛けてみる。

「バルドは?」

「バルド? ……ああ、ここの主人猫。さっき俺に留守番頼むって言って出て行った」

 顔を上げた猫は思ったよりもしっかりと返答した。声も顔も若い。おそらく より年下だろう。

「頼むって……アンタ、従業員じゃないのか」

「違う。今日来たばっかりの客だ。……アンタは従業員なのか」

「んー、まあ臨時だけどそんなところだ。……ったくあのオヤジ、お客に何やらせてんだか」

 おそらく強引にバルドに頼まれ、断り切れなかったのだろう。 は雄猫に同情した。
 カウンターに回り、席を交代する。立ち去ろうとした猫に、 はクィムの実を差し出した。

「あげる。お礼とお詫びだ」

 そう告げると、猫は戸惑ったように を見た。
 だが は見逃さなかった。クィムを出した瞬間、雄猫の目がキラリと光ったところを。
 ……この猫、きっとクィム好きに違いない。

 ぼそぼそと礼を告げた猫が をまだ見つめている。立ち去らないならこの際、一つだけ言っておこう。

「アンタ、室内でその格好は怪しいと思うぞ。逆に目を引く」

 そう告げると、雄猫は明らかにムッとしたようだった。頭上から棘々した声が振ってくる。

「アンタだって相当怪しい。アンタに今の言葉、そっくり返してやるよ」

 そう返されて、 は目を見開いた。そして改めて自分の格好と周りからどう見られているかを考える。

 頭から胴体まですっぽりとコートを羽織り、言葉少なに歩く猫。

 ――怪しい。確かに怪しい。他の猫に言えた義理ではなかった。
 頭上で雄猫の勝ち誇ったような気配がする。 は息をつくと、降参というように手を上げた。

「確かにアンタの言うとおりだ。でも――」

 言葉を切り、 はフードを軽く持ち上げた。そして声音を元に戻す。

「こういう訳で、隠さなきゃやってけないのよ。……ま、怪しいのはお互いどっこいね」

  は苦笑したが、雄猫はまったく反応しなかった。ぽかんと口を開けたまま、固まっていたからだ。
 その代わり、ピンと立ち上がった尻尾の毛が逆立っていた。コートから除いた尾は黒い。

「雌……」

 呆然と呟く雄猫に は少々呆れる。そんなに衝撃だっただろうか。それとも男装が迫真に迫っていたということだろうか。それだったらちょっと嬉しいかもしれない。
 この分なら、まず悪事を働こうとは思わないだろう。もっともそう見えたからこそ秘密を明かしたのだけれど。

 いまだ固まっている猫の肩を叩くと、雄猫はみるみる赤くなった。
 トキノといい、今日は妙に猫に赤くなられる日だ。

「はい、もう行っていいよ。店番ありがとうね」

 フードを被りなおして が告げると、慌てたように雄猫も歩き始めた。立ち去るその背中に告げる。

「いつか君も色を教えてくれると嬉しいなー」

 ヒラヒラと手を振って軽い調子で言うと、雄猫は何か言いたげに口を開いたが、結局そのまま行ってしまった。クィムを握り締めたまま。

「あーらら……」

 怒ったのだろうか。気にしていたのなら悪いことをしてしまった。
 それでも、明日にはもう宿を出てしまうかもしれないような見知らぬ猫と、他愛無い会話を交わすのは楽しかった。
 


 昨日までの殺伐とした日々がとりあえず終わり、今日は嬉しい出会いが続いたことを噛み締めて、 は目を閉じた。
 藍閃は既に、陰の月が高く昇っていた。



 





 

 

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