「すごい……」

 森の奥、突如として開けた光景に は息を呑んだ。
 そこは、眩いばかりの四色の光に満ちた、静寂の地だった。



       
     
5、四悪魔と雌猫




 藍閃入りした翌日、 はトキノに教わった岩を見に、薬草や食料を取りがてら森に入った。
 午前中は厨房で朝食の手伝いと片付けに追われていたため、出てくるのが遅くなってしまった。もうじき陽の月も沈み始める。暗くなる前に宿へ帰りたかったが、せっかく近くまで来たのだから岩を一目見て帰るつもりだった。

 昨日のフードの猫は朝食には姿を見せなかった。もう出てしまったのだろうか。
 雌でもないのにあれほどに身体を隠すのは何か事情があってのことだろうから、関わらない方が身の為だが、何となく気になる存在だったため、 は若干がっかりした。
 だが宿の手伝いに追われ、猫のことはいつの間にか頭から消えていた。

 それから慌しく出掛け、藍閃から一直線に歩き続けて はようやくかの地に辿り着いたのだった。

 




「これ、どうなってんだろ……」

 光満ちる地の四方には、中央を向いて四つの岩が立っていた。黄昏に染まる空と相まって、光はけぶるように美しい。晴天の日中であればどれほど輝くのだろうか。そんなことを考えて、 は岩の一つに近寄った。

 岩は上部が滑らかな平面になっていて、そこから光を反射しているようだ。さらによく見ると、何やら複雑な文様が掘り込まれている。いや、浮き上がっていると言うべきか。

「誰かが彫った……? この岩、加工できるのかな……」

  が岩に触れても、びくともしない。こんな岩、今まで見たことがない。そもそも四つ向き合っていて光を反射するなんて、おかしな岩だ。 は四つの岩を回ってあちこち眺めた。
 そして、ふと好奇心で光が重なる岩の中心に立ってみた。真ん中ではどんな色が見えるのか――

「え……ッ」

 まばゆい光が視界を焼き尽くしたと思った瞬間、 の足元が揺れた。急速に力が抜け、立っていられない。
 膝を突いた の意識が、闇に引きずられていく。

(なんで、急に――! 地震? それとも眩暈……)

 抗いながらもとうとう地面に倒れこんだ は、そのまま意識を手放した。


 




「ん……」

 次に が目覚めたのは、暗闇の中だった。右も左も分からない、真の闇だ。自分の足が地に着いているかも分からない。
 目が覚めたのか、それとも夢の中なのか。 は訳が分からず困惑した。

「あれー? なんか、思ってたのと違う子が来ちゃったねー」

 すると突然、 の顔の横に緑の炎が現れた。と思ったら軽い調子で炎が声を発した。

「誰ッ?」

 反射的に が飛びのいて炎から遠ざかると、炎はクスクスと笑ったようだった。

「あ”ー? なんだよ、アイツじゃねーのかよ」

 今度は前方に黄色の炎が現れ、また別の太い雄の声がした。

「なんっで関係ない奴が俺らんところに入ってこれるんだよ。意味ねーじゃん」

「結界が弱くなっていたようだな。古いものだ。張りなおすとしよう」

「……関係なき者をこんなところに留めておくのも哀れだ。早く外界に戻してやらねば」

「なに……」

 黄色の炎の言葉を引き継ぐように、赤と青の炎がまた現れて声を発する。 は四方を炎に取り囲まれた。緊張で全身の毛が逆立つ。

「まあまあ。でも入ってこれたってことは、この子も何か力があるってことなんじゃない? それにこの子……」

 緑の炎が相変わらず軽い口調で他の炎をたしなめると、すすす、と の顔に擦り寄った。

「雌猫ちゃんだよ、珍しい。ホラ見てよ、金色の髪で可愛いね」

「は……」

 なんだか良く分からないが、緑の炎は を褒めてくれているようだ。呆気に取られていると、次に黄色の炎がゆらゆらと に近づいてきた。

「ンだよ、雌っつっても猫じゃねーか。んなチンケな猫に興味ねーよ」

「…………」

 なんだか良く分からないが、今度はけなされたようだ。少々ムッとする。

「いや、そんなこともあるまい。これはこれで見所がある。愛らしいじゃないか」

「種族だけで優劣をつけるとは、愚かな……」

 すると今度は、残った赤と青の炎が口々に好き勝手なことを言う。目の前で交わされる炎による自分の品評に、 は緊張を通り越してだんだん呆れてきた。

 そこで、 は一つのことに気が付いた。この炎、これだけ近付いているのに熱くない。
 熱くない炎なんてある訳がない。……ではこれはすべて、夢か。

 妙に納得すると、一気に肩の力が抜けた。と同時に相変わらず品評会を続けている炎たちが鬱陶しくなってきた。
  は議論を眺めている(ように見える)緑の炎を見ると、声を掛けた。


「ねえ。あんた達、誰? 私早く目覚めたいんだけど」

「おや? 雌猫ちゃんは僕たちと一緒にいるのは嫌かな? でもねえ……」

「ッ!?」

 緑の炎は急に声を落として、 の頬を舐め上げた。いや、舌もないのに舐め上げたという表現もおかしいが、まさに濡れた感触がして は総毛だった。

「キミ、すごーく美味しそうな匂いがするんだよねぇ……」

「何を……!」

「あ? マジかよ。どれどれ……」

 今度は黄色の炎が の胸の前でフンフンと匂いを嗅ぐように揺れた。先程とは異なる見定め方に、 の背中を冷たいものが流れる。

「本当だ。でも何か隠されてて美味いかどうかよく分からねぇな」

「そうなんだよ。スゴい力を持ってるのは分かるけど、これじゃ食べようがないよねぇ」

 物騒なことを言い始めた二つの炎に、静観していた二つの炎から声が掛かる。


「おそらく、強い力で能力を封じ込められているのだろう。……解放してみたらどうだ?」

「……やめておけ。我々が力を加えれば、どうなるか分からない」

 唯一、制止を訴える青い炎に が顔を向けると、黄色い炎が馬鹿にしたように笑った。

「へっ、悲哀の悪魔様はいつもお優しいことで。食えるモンなら食っといた方がいいだろ。……おいフラウド、やるぞ」

「えー僕? 面倒くさいなー」

「やれっつったらやるんだよ。お前だって食いたいんだろーが」

「はいはい。……ゴメンね、雌猫ちゃん。痛くしないからね」

「悪魔……?」

 身体を挟むように寄ってきた二つの炎から発せられた言葉を、 は呆然と繰り返した。
 
 逃げなければ。そう思うのに、縫い留められたように視線が動かない。


「そう、僕たちは悪魔なんだよ。僕はフラウド。喜悦を司る悪魔さ。覚えていてね……って、覚えていられたらね!」

「待って! って、……あ……ああア……ッ、やあァァァッ!!!」

 両側の炎が舐めるように燃え上がった次の瞬間、 の身体は炎に包まれた。今まで熱くなかった炎が、今度は を焼き尽くす。
  は身体を抱きしめ、叫んだ。



 ――熱い! 熱い! 焼かれる……!

 

 もう無理だと覚悟した直後、炎は唐突にやんだ。

「熱……く、ない……? えッ!」

 恐る恐る目を開けて身体を見下ろすと、服も身体も焼けていなかった。周囲は相変わらずの闇と、ふわふわと揺れる四色の炎だ。

「はーい、封印は解けたよー。良かったねえ。でも……」

「……うっわ、マズッ! おめー食えたモンじゃねーな」

 黄色の炎が大げさに揺れた。掴まえておいてマズいとは何事か。いやそもそも自分は食料ではないのだが。

「なんかねえ、キミ、光の力が強すぎて僕たちの食料にはなれないみたい。美味しそうだったのに残念だなあ」

「光の……力?」

 さっきから分からない事だらけだ。 が緑の炎に聞き返そうとすると、四つの炎はいつの間にか から離れていた。

「ああ、呼ばれちゃった。じゃ、力を上手く使ってね。バイバーイ」

「待ってフラウド!……って、ちょ、ギャーー!!!」


 緑の炎――フラウドが手でも上げるように軽く挨拶すると、 の足元の地面が急に抜けた。
 膝が折れたのではない。まさに底が抜けたのだ。重力に引かれ身体が落下する。

 叩きつけられる! と目を閉じた瞬間、 は勢い良く目を覚ましていた。






「え……!」

 跳ね起きた の視界に入ったのは、天上の陰の月の光と、静かに佇む四つの岩と草むらだった。

 状況が呑み込めずに、しばし呆然とする。虫の声が耳に入ってきて、風が頬を撫でる。数秒後、ようやく は現状を理解した。

「夢……」

 倒れたのかなんなのか、とにかく自分は意識を失っていたようだ。恐ろしいほどリアルな夢に、 は小さく身震いした。
 なんと生々しかったのか。炎の熱さを思い出して顔を歪めると、 はある異変に気が付いた。

「あ、れ……なんか、身体軽くなってる?」

 身体が、隅々まで力が行き渡るように軽くなっている。
 今までも別段身体が重いと感じたことはなかったが、今までとは明らかに違う感触だ。かといって、見た目が変わったわけでもない。いつも通りの腕と脚と尾が見えるだけだった。

「いい夢、だったのかな……?」

 とてもそうは思えないが、この爽快感は心地よかった。
 一応火傷がないか全身をチェックして、 は息をついた。

「あーあ、野宿決定だよ……」

 何時かは分からないが、この暗さでは下手に歩き回らない方がいいだろう。安全を得たと思った翌日に、また野宿に逆戻りとは。
  は上空の月を眺めてぼやいた。



 それにしても――

「……痛くしないからね、って、思い切り痛かったじゃないのよバカー!」

 夢の中の緑の悪魔を思い出して小さく叫んだ後、 は再び眠りにつくべく毛繕いを始めたのだった。

 






 

 


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