「……ぐっ、ああアッ……!!」

「―― !? あんた、何してんだ……!!」


 一触即発。 は渾身の精神力で剣の軌道を捻じ曲げた。無理に手のひらを反し、垂直に突き立てる。向かう先は自らの太腿だ。
 やや外側に逸れた先端は、衣ごと の太腿を貫いた。



「……う……ああ…っ! ……はぁッ……、ハ……ッ」

 骨を絶つ感触はしなかった。思ったよりも手がぶれたから、時間が経てば何とか回復しそうな刺し傷だ。
 だが今この場で己の足を止めるには十分な傷だった。崩れ落ちた の足元には、途端に真っ赤な血溜りが生まれ始めた。


「なんて事を……ッ! おい、それ以上動くな!」

 バルドが鬼のような形相で叫び、しゃがみ込む。触れようとする手を遮って、 は汗の滲む顔でなんとか口端を引き上げた。

「いいから…! 触らないで……。これで……もう、殺せない」

「……!」


 ――そう。こうして動きを封じれば、いかに術中であろうとそう簡単にはバルドに手出しできないだろう。 は苦痛と共にかすかな安堵を覚えた。
 そんな の視線に、バルドは呑まれたように息を詰めた。



「……自己犠牲とは美しい精神だな。だが術を封じても、お前自身の命が尽きるのが早まっただけだろう。その傷付いた足で、あとどれくらい持ちこたえられるかな……?」

 リークスが抑揚なく呟いた後、嘲笑を に向けた。 はキッとリークスを睨んだ。

「この手で殺めるよりはマシよ! ――バルド、早く…ッ! ここに来た理由を忘れたの!?」


  が鋭く叫ぶとバルドはようやく視線を から引き剥がし、リークスを見据えた。黒い血に濡れた手で剣を握り、汗の滲む顔で不敵に笑う。

「そうだな……。もう少しなら、持ちこたえられそうだ。……コノエ、歌えるか。 も余裕があったら頼む」


 告げられた言葉に はギクリとした。……もう、迫っているのか。
 だが不安を闘志で押し殺し、 は強く頷いた。――その時。

 大広間に白い影が飛び込んできた。





「!? ライ……」

 最初に気付いたのは、入り口に近い場所にしゃがみ込んでいた だった。顔を上げた先で視線が交わり、互いに目を見開く。
  の声にバルドとコノエも振り向くと、ライはバルドに鋭い視線を向けた。

「……どういう事だ」

「どうもこうも俺のせいだが、取りあえず説明は後だ! ……状況、分かるだろ」

 わずかに顔を歪めたバルドが叫ぶ。ライは周囲を一瞥すると、全てを解したように長剣を引き抜いた。


「どこまでも情けない猫だな。……奴を倒したら、次は貴様が標的だ。だから、こんなところで死ぬなよ」

「……分かってる、よ!」


 剣を構えたバルドとライが並ぶ。その光景は とコノエに震えるような衝撃を与えた。
 やっと――絡まった糸が、一本に戻ったのか。


「……フィリ。歌え」

 そして告げられた低い命令によって、最後の闘いが幕を開けた。








 終章 奈落の愛





 
 闘いは熾烈を極めた。
 既に爆死したフィリの亡骸からおびただしい量の黒霧が溢れ、猫たちを威嚇する。だがその中で、突然コノエから清浄な白い光が放たれて は目を見開いた。

 それは歌。まばゆいばかりの光の奔流に、 はふと心が軽くなるのを感じた。
 押し流されるように口を開く。コノエの旋律を支えるように、 は声を絡め始めた。


 薄紅の光に包まれた闘牙たちが駆ける。 が突っ伏しコノエが床に倒れた瞬間、バルドの剣は透明な壁を突き破ってリークスの頭へと振り下ろされた。
  はその光景を見ることなく、意識を闇に失った。











 
「う……」

 チラチラと、穏やかな光が瞼をくすぐる。まぶしさに目を眇めた は次の瞬間ハッと目を覚ました。

「バルド……」

 霞む視界が最初に捉えたのは、しっかりと地に足をつけている雄猫の背だった。
 傷を負ったとか疲労困憊で動けないという事はなさそうだ。無事を確認して は安堵の声を漏らした。

 ……良かった。闘いは、全て終わったのだ……!


 ――抱きつきたい。 は衝動的にそう思った。
 だが太腿は相変わらず己の剣に縫い留められていて、身動きが取れない。出血が治まってきたのがせめてもの救いだろう。激痛を覚悟して はバルドを振り仰いだ。……その時。

「動くな」

 怜悧な声がして、雄の手が剣の柄に掛かった。見上げると銀の髪が視界を覆う。……ライだ。
 その表情は髪に隠れて見えないが、 の剣を抜いてくれるのだろう。
 だが血の気の引き始めた顔でライを見上げた は、その表情を捉えて声を失った。


「……ラ、イ……?」

 
 ライが――笑った。それは安堵とか達成感を感じさせる笑みではない。
 血塗れた愉悦と嗜虐を求める、狂気の笑みだった。


「なん……、――ッ!! ああアアッッ!!」

!!」

 次の瞬間、わずかに開いた の唇から絶叫が迸った。前触れもなくライが剣を引き抜いたのだ。
 コノエが叫ぶのが聞こえる。たまらず傷を押さえてうずくまった は、抑えきれぬ悲鳴を上げて悶絶した。


 激痛をやり過ごし、恐る恐る目を開く。すると、すぐ側に同じように倒れ伏している影がある事に気が付いた。あれはリークスか。
 ひどく小さく見える黒衣の猫の側に、コノエが立っている。だがその目は を通り越して、笑みを浮かべるライと無言を貫くバルドに向けられていた。


「どうしてだよ……ッ。なんで、アンタたち――!」




(――どうして? ……何が? ……アンタ…たち…?)
 
 思考が追いつかずただ苦痛に眉を歪めていた は、そのとき片腕を掴まれて仰け反った。

「うア…ッ!」

 傷口に再び刺激が走り、 の顔に苦悶が浮かぶ。しかし柔らかく抱き起こされて後ろから抱えられると、慣れ親しんだ匂いが身体を包んだ。
  は一瞬安堵した。――だが。



「……ライ。雌は、いたぶるものじゃないぞ。教えただろ? ――こんな風に、慈しむものだって」

「…!? ん…ッ」


 低い声が耳を掠めたと思った瞬間、 の耳孔に濡れた舌が挿し込まれた。
 かすかな水音を上げて内側を舐め回される。衝撃とそれ以上の身の毛がよだつ感覚に は目を見開いた。


「バ……ルド、何やって……。やだ…ッ!」

 抱きつきたいと思った。けれど、こんな事を望んでいた訳ではない。
 太腿の傷は新たな鮮血を溢れさせているし、何よりコノエとライが見ているのに。


「や…めてよ……っ! ――ッ!」

 拘束する腕をかいくぐって はバルドを振り返った。そしてとうとう気が付いてしまった。


「うそ……」


 バルドの腕が、肩が、顔が、黒い霧に覆い尽くされている事に。








「……ふん。色事にかこつけて、先程の言葉を忘れた訳じゃないだろうな」

「まさか。……力がみなぎって、最高の気分だ。お前と殺り合うのが楽しみでしょうがない。だが……急ぐ事もないだろ。まあ見てろって」


 呆然とする をよそに、魔に囚われた雄猫たちが言葉を交わす。
 どんな物語よりも残酷な現実に打ちのめされた の心は、手首を戒める感触によってわずかに浮上した。


「……? ――な……ッ」

 バルドに強く引き付けられたと思った瞬間、手首が後ろ手に一つにされた。
 無理に首を捻って見ると、バルドの剣帯が手首を拘束している。痛みはないが、外れる緩さでもない。 はカッと顔を染めた。

「なに考えてんのよ! バ――んン……ッ!」

 牙を剥き出した口を、突然塞がれる。無理に首を傾けさせられた の口腔にバルドの舌が押し入った。


「ん――ッ! ……ふっ、や……やぁ…ッ! んう…っ……」

 巧みな舌が、口腔を這い回る。
 熱い舌の動きは有無を言わせぬ力を備えてはいたが、あくまで優しかった。こんな状況でなければ昨夜の続きかと錯覚してしまいそうなほどに甘い。

 ……違う。実際に甘いのだ。含まされるバルドの唾液がとてつもなく甘く感じられる。


(なんで…!?)

 息つく間もなく口付けられた は混乱した。心は抗っているのに、身体は陥落を求めている。
 それを必死に否定しようとバルドの舌に牙を立てると、バルドはわずかに唇を離して笑った。


「見ろよ。イイ顔するだろ……?」

「!! や……ッ」


 ぐい、と顎を掴まれて赤くなった顔をライに向けさせられる。 はとっさに目を逸らしたが、ライの視線が痛いほどに突き刺さるのが分かってますます赤面した。

「勝利の美酒を……飲ませてくれよ」

  の喉に手が掛かる。上から襟がくつろげられて はバルドが何をしようとしているのかを悟り、猛然と暴れ始めた。


「や…だぁ! いや…ッ、いやーッ!!」

 いくら抵抗しようと、足を負傷し両手を封じられては大した妨げにもならない。

 バルドの動きは丁寧だ。まるで贈り物の包装を開くように、まるでライに見せ付けるかのように の衣服を剥いていく。ライはそれを無表情のまま、 を助けようともその場を去ろうともせずに見つめていた。


「あ……、や……ッ。――コノエ…ッ。コノエ……助けて……ッ!!」

  は眉を寄せ、最後の望みとばかりにコノエに縋った。
 だが眼差しを向けてもコノエは突っ立ったままだ。苦悶を浮かべていたその顔は、やがてコノエらしからぬ昏い笑みを唇に刻んだ。


「コノエさんよ。……いや、もう魔術師様と呼ぶべきか? 邪魔してくれるなよ」

「……ふん。そのような雌に興味はない」


 その低い声は、誰のものだ。顔を強張らせた の視線の先で、コノエが――違う、コノエを乗っ取ったリークスが指を鳴らした。それを合図に黒い霧が身体を包み始める。

「せいぜいお前たちが殺し合う時になったら、また観賞させてもらうとしよう」


 歌うような声を残して、リークスは闇に消えていった。







「あ……、あ……ッ――」

 リークスが消えた闇を絶望と共に眺めていた は、肌が晒されても数秒間反応する事ができなかった。なだらかな喉から腹までを一気に撫で下ろされ、やっと我に返る。
 だが時すでに遅く、肌のほとんどをライに見せ付ける格好になっていた。


「いやッ……! 見ないで!!」

「……どうして。あんたの可愛い身体、ライにも見せてやれよ」

「いい加減に……ッ、――うっ……あ……ッ」

 腕での抵抗を諦めて噛み付こうとした をかわし、バルドが手を滑らせる。まるで陶器を愛でるように滑らかに蠢く手のひらに は大きく息を乱した。


「綺麗だろ。白くて、柔らかくて、甘い……俺の宝物だ」

「……ふん。最後は承知しかねるが、悪くはないな」


 バルドの声は甘かった。愉しげで、自慢げで……どこまでも昏く堕落していた。

 黒い右手が触れる側から、奇妙な感覚が身体に火を灯していく。傷口の痛みでさえ、今は燃えるような甘い熱を発し始めていた。
 抵抗しながらも次第に動きが弱くなっていく の頭上で、バルドが得意げにライに語った。わずかに苦笑の混じる返答を受け、喉の奥でクククと笑う。


「そうじゃなくて……『最高』、だろ? 意地張るなって。――欲しいか?」


 それは とライ、どちらに向けた質問だったのだろう。
  の顎を取ったバルドは、長い指をその唇に滑り込ませた。牙をくすぐるように撫で、舌に絡めさせる。こんな指まで……甘い。


「あ…ッ、はぁ……。や……やぁ……」

 唾液を零した は、その時ライの喉仏がわずかに上下したのを見てしまった。
 抵抗するようにバルドの指を噛む。だがそれは弱々しく、まるで甘噛みのような仕打ちにしかならなかった。


「嫌……? どうして。……違うだろ、 。俺たちが愛し合って、何が悪い」

 抵抗する に言い聞かせるようにバルドが耳に囁く。 はぼんやりとそれを聞いていたが、ふと意味を悟ると指を吐き捨てて叫んだ。


「愛……? こんなの愛じゃないわ……! 誰かの前で交わるなんてそんなの――、ッ!!」

「愛だよ。……ああ、濡れてるな。身体も熱くなってきた」

「……ッ、いや――ッッ!!」


 言葉を途中で切ったのは、バルドが の両足を抱えて左右に大きく割り広げたからだ。
 顔も、胸も、秘所もすべてがライに晒された。 は恥辱に顔を逸らして叫んだ。

 バルドの指が、潤み始めた亀裂に沿って下ろされる。まだ昨夜の傷も癒えないそこに触れると はビクリと身体を竦めた。それを癒すように、バルドの指が愛撫を加え始める。


「ふ……。あ…ッ、や……。なんで……こんな事…ッ」

 ダイレクトに性器に与えられる刺激は、葛藤を嘲笑うかのように の身体を昂ぶらせていく。
 ライの方を見ないように強く顔を伏せた は、喘ぎを押し殺してバルドを詰った。

「……愛したいんだよ。見せ付けたいんだ。あんたが、俺のモンだって。それで――闇の果てまで、あんたを連れて行きたい。誰よりも側で、離れることなく」

「な――、ああ…ッ!! や…っ痛……ッ!」


 まるで睦言のような言葉の後、バルドは の粘液と自身の血に濡れた指を の傷に潜り込ませた。
 生身の傷口に黒い血が沁みていく。それはまるで麻薬のように の身体を蕩けさせていった。


「ア……、んッ、あ……! なに……!?」

「これでずっと一緒だ。……離さねぇ」








 ――快楽に侵食されていく。魔の力に、未踏の場所へといざなわれる。








「……来いよ、ライ。今日だけ特別だ。欲しかったんだろ……?」


 ぐったりと弛緩して惜しげもなく裸体を晒した は、再びバルドに足を開かれて目を上げた。

 潤む視界の先では、ライが変わらずこちらをじっと見つめていた。だがその目には、狂気に彩られた雄の欲情が見え隠れしている。
 バルドは動かないライの背中を押すように、再び声を掛けた。


「今日は最ッ高に気分がいいからな……。お前にも分けてやるよ。俺の『楽』の力をよ」

「……おこぼれにあずかる、という事か?」

「まさか。そんな安っぽい存在じゃない。……だがお前だけは、特別だからな。今日を逃せば二度と触れさせねぇ。俺を殺さない限りは、な」

「……ふん。ならば後で奪い取るまでだ。だが余興も……たまにはいい」


 ライがゆっくりと近付いてくる。バルドが見せ付けるように の身体を開いた。
 猛った白猫の熱が身体を貫いた時、 は乾いた唇でこの場で呼んではならない者の名を紡いでしまった。


「……    ……!」


 掠れて熱っぽいその声は、同じ過ちを背負った愛しい猫の唇で吸い取られた。









――こんな愛が、あるのだろうか。

こんな愛し方が、あっていいのだろうか。……分からない。


だけど――あってもいいのかもしれない。


バルドが生きてくれると言ってくれたから……ずっと一緒だと約束してくれたから――

彼のすべての行動は、何より確かな愛に変わる。



ならば自分も共に堕ち、共に狂った生を歩みたい。
 
たとえそれが次の瞬間、血の海に斃れる運命であったとしても。







  は快楽に侵されて狂っていく思考の中で、確かな真実を掴んだような気がした。







 

END









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