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 「Lamentoな7題」より





 1 lullaby  子守歌


 ――その猫は、歌を歌う。

 金の髪を背に垂らし、紫の衣を纏った猫は赤子を抱き上げた。
 柔らかそうな産毛がその腕からこぼれ、それを愛おしそうに梳いてやる。そして母となった猫は小さく口ずさむ。

 聞いたことのない歌。聞いたことがあるはずもない歌。
 俺の親は、そんな歌を歌うような猫ではなかったはずなのに。なぜだがその旋律は懐かしさという感傷にも似た記憶を呼び覚ました。


 この猫が母になることなど想像もつかなかった。何かと物事に首を突っ込みたがり、時に自分からしてみれば無駄としか思えないような失敗を繰り返し、時に冷ややかな視点で世界を見ていた猫。
 自分の状況だけで手一杯だったはずの猫は、いつしかあの親父猫の尻を叩き、そしてもう一匹新たな命を抱えるまでに成長していた。

 よりにもよってあいつが相手か。…そう思わなかったかと言われれば、否定はできまい。
 お前、雄の趣味が悪いんじゃないのか。そう言おうと思ったことも(いや、実際何度か言ったか)一度や二度ではない。

 それでもその締まりのない呑気な顔を、この先も続けていけるというのなら。
 お前はきっと、正しい選択をしたのだろう。


 ――おい、駄目猫。もう一度あんな無様な姿を見せてみろ。
 そのときこそ、命はないと思っておけ。


「……ねぇ、こっち睨むのやめてくれない? 子供が明らかに怯えてるんだけど」

「…………」


 ――元からこういう顔だ。放っておけ。











 2 abovo  初めから


 だからさ、ずるいんだよアンタは。
 最初に出会ったときから俺のこと翻弄するばっかりで。

 『コノエ君』なんて、まるきり子ども扱いだったろ。初めてまともに接した雌に、(しかもそんなに年も離れてない猫に)子ども扱いされた俺の気持ち、アンタはきっと知らないんだろうな。
 でも、今になって思うんだ。もう少しその呼び方でも良かったかな、なんて。


 でも付き合ってみてだんだん分かってきた。アンタ、実は俺よりも結構子供っぽいところがある。
 たとえば辛いものや酸っぱいものが苦手だったり、自分からは仕掛けないけど売られた喧嘩はかなりの割合で買ってしまうとか(しかもだいたい勝つ)、買い物をしていて値引きがうまくいかないと、ちょっとだけむくれるとか……。

 毛づくろいをするのはいつも左腕からとか、目覚めてしばらくは言動がはっきりしないとか、水を掬った後、しょっちゅう手を滑らせて器を落っことすとか。
 アンタのこと、完璧じゃないところまでだんだん分かってきたんだ、これでも。


 でもさ、やっぱりずるいよな。そういうことが分かるたびに俺、アンタのこと可愛いなって思って、また好きになるから。
 絶対素直には言えないけど、きっとアンタが俺を想ってくれるよりもたくさん、俺の方がアンタのこと好きなんだと思う。
 それってちょっと悔しいけど、俺は多分、アンタには勝てないと思う。

 『君』と呼ぶ涼しげな声。『コノエ』と呼ぶ穏やかな声。いくつかの夜は、甘く掠れた響きになる。

 好きで、好きで、困ってしまう。こんな気持ちを今までに抱いたことがないから。
 俺が他に雌を知らないから、アンタに惹かれるのか? ……それは違う、と断言できる。だけどそんなことを考えてる時点で、頭の中はきっとアンタに埋め尽くされてる。


 どうしてくれるんだ。アンタと出会ったあの時から、俺は本当に馬鹿猫一直線だ。

 初めから気になって仕方がなかったなんて――今さら絶対、アンタには言えるか!











 3 monotone  単調音


 ――だいたいお前はいつも考えなしだ。俺がいいと言うまで飛び出すなと何度言ったら分かるのか。
 今日は勝ったからいいだと? ほーう、前回もその言葉は聞いた気がするがな。

 同じ言い訳を何度も使うな。結局はその頭に入ってないんだろう。今度という今度やったら、お前だけ森の中に置き去りにするぞ。
 ……おい、どこを見ている。ひとの話を聞いているのか。おい。


「――おい!」

「んあ? ……何よ」

 頬杖をついて舟をこぎ始めていた私は、耳を摘まみ上げられ剣呑な視線を向けた。
 見下ろすは同じく剣呑な顔をした私のつがい。私よりも余程白い肌に映える薄氷のような色の瞳が、私をじっと見つめていた。
 ……相変わらず見目麗しいことだ。慣れたつもりでも、何度だって見とれることができる。

「お前……いい度胸だな。俺の話を聞いていたか? 説教の最中に何を考えてた」

「アンタの顔に見とれてた」

「……今思いついた言い訳をするな」

 私がしれっと答えると、つがいは一瞬目を見開いたあと再び険悪な眼差しになって私の耳を引っ張った。
 ……痛い。別に嘘は言ってないのに、頭ごなしに否定するとは何事だ。いつもそう思ってるのは事実なのに。


「だって、アンタの声単調で眠くなるんだもの。いつも同じこと言ってるし……」

「同じことを言わせているのは誰だ!」

「誰かしら。……そう、そうやって怒鳴られれば起きるわよ。アンタ、いいトーンの声してるんだもん。疲れてるときに聞くと心地よい波のようにこう……ね。ふぁ……」

「だからそこで寝るな! 話はまだ終わってない」

「無理……今日は歌いすぎた……。もう寝る……」

「――おい!」

 眠たいのに無理やり起こされる状況に耐え切れず、再び私は目を閉じた。呼びかける声がしばらく続いていたが、もう切れ切れで聞こえない。

 そんなときガクリと身体が揺れる感覚がして、少しだけ意識が浮上する。
 ……まずい、これは地面にぶつかる。けれど寝る体勢に入った緩慢な身体は反応が鈍い。私はぼんやりと衝撃を覚悟した。


「……っ」

 衝撃は――柔らかな腕の感触。強打する予定だった頭が受け止められ、つがいの肩のちょうどいい位置へと置き直される。

 ほら、優しい。そう言うとアンタは怒るけど。

「……阿呆猫」

 ああ…そのトーン、すごく好きだわ。
 低く喉元で呟いたつがいに頬をすり寄せると、私はあるかなしかの笑みを浮かべた。











 4 earful  説教


「今度は何を見てるの? あ、そういえばアンタ、こないだ私が言った方角見るのサボったでしょ。あの後本当に困ったんだから」

「…………」

「北天の方も探ってみたけど、あっちは駄目ね。今度はもっと深いところを――」

「…………」

「ちょっと。聞いてるの? ひとが話してる時は興味なくても相槌ぐらいは打ちなさいよ。声かけられるのが嫌なら後にするし。無反応が一番困るんだけど」

「……うるさい」


 暗い暗い宇宙の中で、闇と同じ色を纏った元魔術師がぼそりと呟いた。その言葉に私は怒りよりも何よりも、呆れた気持ちを抱いて目を眇めた。

「アンタね…久しぶりに喋った言葉がそれってどうなのよ。……はぁ、まあいいわ。気配しなかったから死んでるんじゃないかと思ったけど、とりあえず生きてて良かった」

「…………」

 溜息混じりに告げると、黒い耳の猫…リークスは不快そうに眉をしかめた。もっともいつもデフォルトでそんな顔をしているため、その変化は非常にささいなものだったが。

 時間の感覚が曖昧なので定かではないが、リークスは数日前に見た時と同じ場所、同じ姿勢で熱心に透明な球を覗き込んでいた。
 世話をしようなんて気はさらさらないのだが、放っておくといつまでもその場に座り込み、そのまま干乾びていってしまいそうなので私は何日かに一度は必ず黒猫の元を訪れるようにしていた。


「こないだから何をそんなに熱心に見て――、あら?」

「! 何を勝手に見ている……!」

 私から早々に目を逸らし、リークスは再び球の中へと目を向けた。その視線を追って背後から覗き見ると、黒猫は渋面で唸った。
 ……そんなに怒らなくても良いものを。何か見られてはまずいものでも見ていたのか。

「それ……花?」

「……見て分からんか」

 だがリークスが見ていたのは、私の予想を遥かに超えた健全なもの――色とりどりに咲き乱れる花畑の映像だった。
 黒猫のイメージとあまりにかけ離れた美しい……というよりは可愛らしいその光景に、私は小言も揶揄も忘れてただポカンと問いかけた。

「なんで花なんて見てるの? 好きなの?」

「好き……? 好きも嫌いもあるか。ただ研究対象として見ているだけだ。好きか嫌いかでお前は視覚対象を判別するのか? 全く浅はかな思考回路だな」

「…………」

 私の言葉にリークスは嘲笑を浮かべ、さも馬鹿にするかのように言った。好きか嫌いか聞いただけでここまで言えるとは、相当にひねくれている。
 だが『研究対象として見ている』と今しがた告げたリークスは、爛々と光る目で球を見やった。珍しく熱っぽい口調で語り始める。

「見ろ、この一輪とて同じ色のない花たちを。下界の時間で言うところの十年前に私が遺伝子操作したのだ。自然の進化ならば百年は優にかかるところを、たった十年で成し遂げたのだぞ? 偉大な成果とは思わんか」

「はぁ……、まぁそうね」

 私の気の抜けた返答にリークスは視線を球に残したまま、満足げに頷いた。……なんだ、研究と言いつつ結局花も好きそうではないか。

 私の依頼は平気で無視するくせに、こういうことには情熱を注いでいたらしい。
 それに釈然としない気持ちがない訳ではなかったが、満足そうに下界を見つめるリークスを見ているとどうでも良くなってしまった。説教は、またの機会にしておこう。


 リークスを残して無言で立ち去ろうとした私は、ふいに頭に何かをぶつけられて振り返った。足元を見ると、黒い花の髪飾りが落ちている。

「……落ちていたゴミだ」

「……は?」

 それは正確には花ではなく、この空間の闇が結晶化したものだった。
 花のような形をしたそれが時折足元に落ちていることは、私も知っている。だが勝手に留め金が付くなんて話は、ついぞ聞いたことがない。

「…………」

 しゃがみ込み、鈍く光るそれを拾い上げる。リークスは相変わらず視線を球に向けたままだった。それはもう不自然なほどに。
 私は黒い花を頭に飾ると、こらえきれぬ苦笑を漏らした。


「そう。落ちていたのね。……じゃあ私が拾っても問題ないわよね」

「……勝手にするがいい」

 黒猫の言葉に微笑むと、私は踵を返した。あと三回は説教を控えてもいいかな、などと考えながら。






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