――それは、もしかしたらあったかもしれない、遠い世界との不思議なお話。



 リークスからの襲撃が一息ついて、暗冬を満喫した頃。 は自室で胸元にふと視線を落とした。
 ライから貰ったプレートが、わずかに曇っている。汚れを落とそうと乾いた布を探し、 は片手でプレートを持ち上げた。


 
 そして違う時空の、同じ時間。とある場所で、青年が路地に佇む猫を見つけた。
 にゃあと鳴いた猫は、特に逃げる素振りも見せない。青年は静かに猫に近付くとその体に手を伸ばした。

「……猫か……」

「へぇ……トシマにも猫がいるんだな。茶色……金かな? すごく綺麗な猫だな、アキラ」

「……あぁ」

 そう言って青年が猫を抱き上げたその瞬間――二つの時空は結ばれた。


「……っ!?」

「わ…っ!」

 軽い爆発音がして、青年の手の中の猫が重みを増す。やがて白い煙が晴れると、猫耳のついた女がアキラの腕の中にいた。





Cat in Dangerland  -1-






「…………」

「…………」

 猫―― と、アキラはしばらく無言で見つめ合った。細腰に添えた手もそのままで、突然現れた女を瞬きもせずに見つめる。それくらい衝撃的な出来事だった。


「……ア……アキラ……」

 ケイスケの声にハッと我に返る。アキラは女からさっと手を離すと、いまだ自失しているその顔を見遣った。女は耳をふるりと動かし尾…らしきものを揺らめかせると、アキラを見上げて言った。

「……誰? ていうか、ここドコ?」

 猫耳女が発した間違いなく自分たちにも理解できる言葉に、傍らのケイスケが悲鳴を上げた。





 青年ふたりに引きずられて、 は暗く固い建物の間を駆け抜けさせられた。

 ――ここはどこだ。どうみても藍閃ではないし、このふたりには耳も尾も生えていない。
 つまり――……。深く考えようとして、 は思考を打ち切った。……これは夢だ。二つ杖の世界に来てしまったなど、ありえない。ありえないったらありえない。深みにはまったらヘコむどころでは済まなさそうだ。

  は無理やりポジティブに事態を捉えると、とりあえず状況に流されてみようかと青年たち――アキラとケイスケと言った――の後を追い、暗い建物の中に飛び込んだ。



「――リン! リン! どうしよう!?」

「んー? ……あ、アキラ! ――とケイスケ」

「なんでそんな差が!? ……じゃなくて、猫が人になっちゃったというか猫が猫耳で、女の人が――!」

「は? なに言ってんの」

「……ケイスケ。いいから落ち着け」


 暗い建物の中には、金髪の少年が立っていた。不思議な格好をした可愛らしいその二つ杖は雌にも見えたが、どうやら雄らしい。リンと呼ばれた少年はアキラの後ろに佇んでいた に気付き、大きな目をますます大きく見開いた。

「女の人……? っていうか、何それコスプレ? すげー、見せて見せて!」

「…………」

 パッと花開くように笑った少年が、 のところにすっ飛んでくる。好奇心丸出しの顔で返す返す見られて、 はわずかに戸惑った。

「あの……、ちょっと……」

「おいおいリン。そんなにまじまじ見ちゃ相手さんも困んだろう。――ておい、珍しいな……お嬢さんか」

「……っ……」

 建物の奥から、またまた二つ杖が現れた。今度は年がいっている。……バルドと同じくらいか。
 ハマキのような細長い筒を咥えたその二つ杖は、 の耳に目をやり頭を掻いた。

「なんだぁ? ……最近は、そういうのが流行ってるのか? 若い奴らの趣味は俺にはちょっと分からんねぇ……」

 困惑を含む視線を受けて、むしろ がたじろいでしまう。するとアキラと呼ばれた青灰色の髪の青年が進み出て、溜息をつきながら をそっと庇ってくれた。


「オッサン。……リンも。こいつは、そういうのじゃないみたいだ。――いいからちょっと落ち着いて、話を聞いた方がいいと思う」

 その一言で、 に対する不信(というか好奇)の目は幾分か和らいだのだった。







「――リビカねぇ……。……てことは、あれか。お前さんは俺たちとは違う世界からやってきたってコトか」

「そう……みたい」


 数分後、ソファーに腰掛けた +二つ杖四匹は、お互いの話を終えて一種の沈黙に包まれていた。ここはどうやら「ホテル」という、宿らしきものの跡地らしい。バルドの宿とはえらい違いだった。
 一番年かさの二つ杖……源泉が、顎を撫でながら を感心したように見やる。その眼差しにはすでに好奇はなく、穏やかさが戻っていて は幾分か安堵した。

「それで猫……か。姿かたちは人間とそう変わらんが、違う種族なんだな。遺伝子の進化か……いや突然変異か。軍なんかに嗅ぎ付けられなきゃいいけどな……。連行されるのは間違いない」

「……連行……?」

 不穏な言葉に の顔が強張る。するとリンが駆け寄ってきて、源泉を軽く睨み付けた。

「んもー。オッサンはすーぐ難しい方に持ってくんだから! ここトシマだよ!? 何があったっておかしくないじゃん! ほらほら、ネコ耳おねーさんも、そんな不安そうな顔しないでさぁ」

「……うん……。ありがと……」

 耳を下げてしまった に、リンが明るい笑顔を向ける。 は軽く微笑み返して立ち上がると、黙って腰掛けていたアキラの前に跪いた。


「……?」

 改めて見てみると、随分と綺麗な顔立ちをした青年だ。寡黙な中に不思議な艶が見え隠れする。 はアキラを見上げると、首を傾げて問い掛けた。

「あの……アキラ。あなたがこっちの世界での『猫』を抱き上げたら私が現れたって言ったけど……他に、何か変わったことはなかった?」

「変わったこと……?」

「うん。何か手掛かりがあれば、元の世界に帰れるかなって思ったんだけど……。どうかな?」

「…………」

 じっと見上げる の視線を受けて、アキラは先程の出来事を思い返し始めた。だがしばらくすると の揺れる尾に自然と目が奪われて、思考が疎かになる。パタパタと尾を振っていた は、嘆息して再び耳を下げた。


「ないよね……。私も特にこれといった原因が思いつかないもの……」

「……まだ、諦めるには早いだろ。これから何か手掛かりが見つかるかもしれないし、気を落とすなよ」

「……ん……」

 しょんぼりと呟いた の頭に、アキラは何気なく手をやった。手触りの良い耳を撫でてやると猫が喉を鳴らす。だがハッと我に返るとアキラは素早く手を引いた。――初対面の女に何をしているんだ!


「あ……悪い。つい、猫だと思って――」

「……? 私、猫だけど。アキラの手は気持ちいいわね。安心する」

 うっすらと笑った が耳をそよがせる。本当に、紛れもなく猫そのものだ。アキラは戸惑いを和らげた。……動物は、嫌いではないのだ。


「ア、アキラ……」

 傍らのケイスケが戸惑ったように呟く。だがケイスケも の尾に釘付けとなり、赤くなって目を逸らしてしまった。……一体なんだ。

「あー、もしかしてケイスケ、ネコ耳萌え?」

 ケイスケの動揺を察したリンが、意地悪な笑みを向ける。するとケイスケは物すごい勢いで首を振って否定した。

「ちち違うよ!」

「じゃもしかして、誰かさんに同じモノが付いてたら……とか想像しちゃった?」

「な……っ……」

 リンもすぐには食い下がらない。今度はいっそ天使のような笑みを浮かべると、アキラを横目で見遣って追い討ちをかけた。
 ケイスケが赤と青のまだらになって絶句する。アキラは溜息をつくと、リンを諌めた。


「リン。ふざけるのもほどほどにしろ」

「はーい。ちょっとからかっただけじゃんよ。……それにしても、ほんっとアキラって無意識にタラシだよね。天然なんだからなぁ、もー」

「……? ――おい、リンッ……」

「えっへー。アキラの隣、ゲットー」

 リンがひょいとアキラに抱きつく。きょろきょろと周囲を見回している の胸元を覗き込むと、リンは顔を上げた。

「ねね、そのタグ。おねーさんもイグラに参加してんの? あ、よく見たらハートのジャックじゃん!」

「……え? イグ…ラ?」

 急に話題を振られた は一瞬戸惑い、リンの指差したプレートを持ち上げた。ハッと顔を上げると、リンにもアキラにもケイスケの胸にも、 と同じようなプレートが光っている。
 何かの……参加証のようなものなのだろうか。 はとりあえず首を振った。

「ううん。これは元の世界で他の猫……ヒトに、貰ったもので……」

 先ほど磨いたばかりのそのプレートは、今はなんの異変もなく の怪訝な顔を映し出す。
 本当にどうしてこんなことになったのだろう。再び が首を傾げていると、ふいに懐かしい香りが鼻先を掠めた。……これは――


「……とりあえず、そのタグは隠しておいた方がいい。今ここではイグラっていう殺し合いのゲームが――、……ッ、おい……!」

「……コノエ……!?」

 アキラの呼びかけを遮って、 はホテルからトシマの路上へと飛び出した。







「……コノエ……。いないの……?」

 数分ほど駆けて、 は見知らぬ路地で立ち止まった。先ほどは確かにコノエの香りがしたと思ったのだが、違ったのだろうか。コノエの爽やかな香りは薄れ、代わりに血生臭いとも饐えたとも言えるとにかく微妙な臭いが の鼻をついた。

「ぅえ……」

 猫は嗅覚が鋭い。二つ杖たちはこんな中にいてよく平気なものだ。とりえあえず引き帰そうかと踵を返した は、路地の入り口に大きな影が二つ立っている事に気付き、ハッと足を止めた。
 ……アキラたちではない。赤い服を着た金髪の雄と、緑の服を着た体格のいい雄だ。強い血生臭さは、このふたりから漂ってくる。


「あ〜れ〜〜? ありゃあ、猫かぁ……?」

「マージ〜? マジマジ!? マジで猫ちゃんじゃーん! かーわーいぃ〜〜! ギャハハッ!!」

「…………」


 ―― ヤ バ イ。


  の背中に冷や汗が伝った。何かヤバイ。相当ヤバイ。絶対ヤバイ! 理由はよく分からないが本能的な危険を感じ取り、 は尾を下げて唸り声を上げた。

「ポチかぁ〜? タマだったけか〜。……メスかぁ……」

「シッポ付いてんぜぇ!? ニャーって鳴いてみろよ! なぁ!」

「メス、連れてっても……ビトロは捨てちまうかなぁ……?」

「ギャハハハッ!! たぶんー、『メスだと!? けっ、けっ、汚らわしいッ!!』っつってぇ〜、ゴミみたいにグッチョグチョにして捨てんだぜぇ〜? だったら俺らが遊んでやった方がいいよなぁ!? な!」


 逃げなければと思うのに、全く隙が見つけられない。背中を向けた瞬間にあの鉤爪と金属の棒のようなものでバッサリと殺られそうだ。ジリ、と足を引き剣の柄に手を掛けた を、そのとき強く引くものがあった。


「アンタ、何してるんだ! 逃げるぞ!」

「……! ア、アキラ……!」


 横道から飛び出して の手を引いたのは、アキラだった。追いかけて来てくれたのだろうか。

「猫ちゃん二匹に増えやがったぜぇ!? ジジ、どーする? 追っかけっこする〜?」

「あ〜? 取りあえず、追ってみっかぁー」

 大柄な雄二匹には目もくれず、わずかに息を乱したアキラが素早く踵を返した。そのまま、裏道を惑いもせずに駆け始める。
 二匹の雄がやる気なさそうに、けれど爛々と目を光らせて追ってくる。 はアキラに引かれて走りながら、前を見据えるその顔に向かって問い掛けた。

「ねぇっ! あのふたり、何なの……!?」

「処刑人だ。いいから走れ! 捕まったら逃げられない……!」

「……分かった!」





 縦横無尽に走り続け、いつしか処刑人とやらの足音は聞こえなくなった。随分街の外れまで来てしまったようで、匂いを辿りながら(アキラは奇妙な顔をしていたが) たちはホテルまで帰りついた。
 入り口をくぐったところで、ドッと疲れが出る。リビカ的にはそう大した運動ではないはずだが、極限の緊張を強いられた はヘトヘトになっていた。


「……尾が、逆立ってる」

「え? ああ……すごくビックリしたから……」

 静かなアキラの指摘に振り向くと、確かに金の尾が大変悲しいことになっていた。 がそっと引き寄せて毛を繕うと、アキラが再びボソリと言った。


「本当に猫なんだな」

「だから猫だって。……アキラ……あの……、ありがとう。追いかけてきてくれたのね」

 尾を離して が見上げると、アキラはふいと視線を逸らしてしまった。……もしかしたら、照れているのだろうか。

「別に……。俺が呼び出したのかもしれないのに、何にも知らない奴を放っておくわけにもいかないだろ。礼を言われる事じゃない」

「でも……」

「ここがどういう場所なのか、知っておいた方がいい。飛び出したいならそれからにしろ。……それよりも、基本的なことをまだ聞いてなかった」

「……?」

  たちの帰還に気付いたのか、ケイスケたちが奥からやってくる。アキラは に視線を戻すと、やはりぼそりと問い掛けた。


「……アンタ、名前は」

 異世界の住人のぶっきらぼうだが真摯な問い掛けに、 はアキラを見上げると微笑んだ。


「…… ……」












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(2008.1.6)