なりゆきで がトシマに滞在するようになってから、一日が過ぎた。
 リンや源泉からだいたいの事情を聞き(アキラも話してくれたが、言葉少なで正直よく分からなかった)、 はそれなりにトシマでの生活に順応していた。

 とりあえず、祇沙に戻ろうにもどうすればいいのかさっぱり分からない。そんなときは長いものに巻かれるのが上手くやり過ごすコツだとそれまでの経験で知っていたため、 は二つ杖&トシマライフをおっかなびっくり満喫することにした。




Cat in Dangerland  -2-





〜feat,リン〜


「ねぇねぇ ! 写真撮ろうよ写真!」

「シャシン? ……何それ」

 外をふらつく訳にもいかずホテル内をうろついていた は、外から帰ってきたらしいリンに呼び止められた。
 リンは最初こそ の耳やら尾やらを物珍しげに見ていたが、もうすっかり慣れてしまったらしい。……というか、飽きたらしい。どうやら興味があちこちに逸れるタイプのようだ。

(……若いなー)

  はほのぼのと思った。コノエとはまた違ったタイプだが、コロコロと切り替わる表情は見ていて飽きる事がない。そこまで考えて、 は異常な状況に置かれても案外冷静にそんな事を思ってしまう自分に少し寂しいものを感じた。
 なんというか……枯れている。自分も若いはずなのにこんな事でいいのか。いやそれもこれもリークスやらリークスやらリークスがおかしな事に巻き込んで、おかしな状況に慣れさせてしまったらいけないんだ、と責任転嫁したそのとき。

「…っ!」

 カシャ、と音がして の前で突然光が弾けた。


「な……に?」

「ん? フラッシュ。なんか色っぽい顔で悩んでたからさー、待ちきれなくて撮っちゃったよ」

「……?」

 いつの間にか側に寄っていたリンが、手元の銀色をした箱を裏に返す。確か「カメラ」だ。
 小さな枠に光が灯る。そこに現れたのは……

「……私? ――カガミ? 何これ、絵みたい!」

「あ、やっぱりそっちの世界にはない? すごいっしょー。人間の知恵でしょー?」

 枠の中に映し出されたのは、紛れもなく自分の姿だ。興味を引かれて はカメラを覗き込んだ。だがよく見てみると、カメラの中の自分は――

「あっちゃー。……半目だね。せっかくの美人が台無し」

「…………」

 どこが「色っぽい」だ。中途半端に瞼を下ろした自分は眠たげで、しかも微妙に薄笑いを浮かべているため不気味な事この上ない。……私、こんな顔を晒していたのか。
 カガミや剣に映して見た自分の顔はここまで酷くはなかった。 はげんなりと手を突き出した。


「……貸して」

「え? ……あ、ハイ」

 反射的にリンが差し出したカメラを受け取り、 はその小さな箱をまじまじと見つめた。適当に突起を押すと変な音がして、リンが悲鳴を上げる。

「ちょっと! 何してんのさ!!」

「消す!」

「はぁ!? ……ちょ、勝手に消さないでよ。こういうのがいい思い出に――って 、消し方なんか分からないじゃん! 返してよ!」

「これ、消えるんでしょう!? こんな顔が残るなんて絶対イヤ!」

「ええ〜!? そんなこと言われたら絶対消させないもんね! ロック掛けてやる!」

 飛びかかってきたリンから身をかわし、 はカメラを頭上に抱え上げた。こうすると身長の高い の方に分がありそうなものだが、厚底靴のリンはぴょんぴょんと飛び跳ねて からカメラを奪い返した。

「あっ!」

「甘いよ、ゲットー! ……ってアレ? なんだよ、本当に消しちゃったの!?」

「え? 今ので消えてたの!? ……やったー」

 目を丸くして悔しがるリンに は意地悪な笑みを浮かべた。それを見たリンが「もっかい撮る!」と言ってカメラを構える。それを苦笑で がかわしていると、ホテルの奥からのっそりとした影が現れた。


「――ふあぁ…。お前ら何してんだぁ? じゃれついて……。しかし、ほんっとそうしてると姉弟みたいだな。髪の色も似てるし」

 あくび混じりの源泉の声に、まさしく子猫のごとくじゃれついていた とリンははたと顔を見合わせると、そそくさと離れたのだった。






〜feat,源泉〜


「――で、じゃれあってたってワケか。……お前さんもまだまだ若いねえ……」

「……ほっといてよ……」

 リンが出かけてしまったため再び手持ち無沙汰になった は、源泉と連れ立ってトシマの比較的安全らしい道を歩いていた。「ちょっといいモン見せてやる」という源泉の言葉につられたためだ。
 横を歩く源泉は一見隙だらけのように見えて、その実常に周囲に注意を払っている。危険であるはずの街を悠然と歩く姿を、 は少々意外な思いで見上げた。


「モトミって……不思議ね」

「んあ?」

「『イグラ』ってのに参加してるわけじゃないんでしょう? なのにこんな危険な場所で、結構普通に生活してる。……情報屋って、どこの世界にもいるものなのね」

「そうさなぁ……。……ま、生き抜くのに必要なのは、力だけでもないっつー事なんじゃねぇの」

「ふーん。……わっ!」

 源泉の言葉をなんとはなしに聞いていた は、地面の石につまずいて体勢を崩した。長身の源泉を見上げていたから、足元がおろそかになっていた。
 すぐに立て直すが、この街は祇沙の森以上にゴチャゴチャしていて歩きにくい。振り返った源泉は、 の無傷を確認して歩みを再開した。

「気をつけろよ。この街じゃ死体が転がってる事だって日常なんだからよ」

「…………」

 さらりと怖いことを言わないでほしい。改めて元の世界に帰りたいと思った は、ふと視線を感じて顔を上げた。


「? ……なに?」

「いや……、なんだ。その格好はどうにかならんのかと思ってな」

「あー……。やっぱり変?」

 源泉は を頭のてっぺんから見下ろしていた。苦笑を浮かべようとして失敗したような、微妙な表情をしている。

 雌だとバレない方がいい、おかしなもの(耳らしい)も見えない方がいい。という忠告を受けて、 は今おなじみのコートを羽織り(なぜかコートも一緒にこの世界へ飛ばされていた)、フードですっぽりと頭を覆っていた。
 これならば、とりあえず耳は見えない。しかしこの格好は二つ杖たちにとっては奇異に映るようなのだ。

「変ではないが……だいぶ目立つな。まぁ他にどうしようもないんだが……。ここじゃまともな服だって売ってないしな」

 穏やかな苦笑を浮かべ、源泉がフードの耳を摘まみ上げる。「まぁこれはこれで可愛いからいいか」などと小さく呟くと、源泉は足を止めた。……目的地に着いたらしい。



「……さ、どうぞ。お嬢さん」

 そう言って源泉が開いたのは、木でできた建物の扉だった。木造など、この世界に来て初めて見た気がする。既に懐かしさすら感じる趣の建物に、 は静かに足を踏み入れた。


「……わぁ……」

 屋内は広かった。天井が高く、椅子が何列も並んでいる。しかし内部の様子以上に を感嘆させたのは――

「綺麗…! 正面に日が落ちるのね……」

 静かな空間の正面にある、ひび割れたガラスのはめられた窓。その窓に、ちょうど黄昏の光が差し込んでいた。手前にある十字のオブジェを通って真後ろへと伸びる光が、室内を橙色に染め上げている。

「ちょうど今日が、この角度で夕日が沈む日だったんだ。トシマで綺麗なモンつったら結構貴重だからな。……運が良かったな」

 いつの間に火をつけたのか、タバコを咥えた源泉がにっと笑う。狙い通りの反応が得られて一安心、というところだろうか。 は再び正面へと視線を戻した。


「ねえ、モトミ……」

  はしばらく『教会』というこの場所の荘厳な景色に見入っていたが、おおかた日が沈みきると腰掛けてタバコをふかしていた源泉を見下ろした。

「……うん? なんだ、もういいか? んじゃおいちゃんと一緒にホテルに帰るか。…ってこの台詞、なんかエロいな」

「…………。モトミって……結構ロマンチスト?」

「……っ。何だよそりゃ」

 ずり、と源泉が椅子の上で滑った。 は源泉の後ろに腰掛けると、その顔を覗き込んだ。

「だって情報屋って言ったら怪しかったり暗かったりで不気味なのが相場だと思うんだけど……わざわざこんな景色見せてくれるんだもの。随分可愛いところがあるなーって」

「ひっで……。お前さんなぁ……。ったく、新入りの緊張をほぐしてやろうっていう大人の気遣いだろうが。分からないモンかねぇ」

「ふふ……」


 ガリガリと頭を掻いた源泉が嘆息する。……言われなくても、ちゃんと分かっている。けれど真正面から告げるのは、まんまと源泉の思い通りになったようで少し悔しい気がするから。
 背後で は忍び笑いを漏らすと、前に座る男の耳元で「ありがと」と囁いた。

 源泉はさらに椅子からずり下がり、「耳はやめろ」と少し赤くなって告げた。






〜feat,アキラとケイスケ〜


「アキラってさ…… は平気なんだな」

「……?」

  が源泉と帰り道を歩いている頃、アキラはケイスケとホテルに戻り、一休みしていた。
 もじもじとケイスケが告げた言葉の意味が分からない。アキラがあからさまに怪訝な顔をすると、ケイスケは慌てたように言葉を重ねた。

「いや、その、アキラが女の子に触るのってすごく珍しいっていうか、ほら耳撫でたりとかよくしてるだろ。 も気持ち良さそうだし。だから随分仲良くなったなーというか、驚いたっていうか、やっぱり女の子の方がいいのかなっていうか……」

「……?」 

 早口で始まった言葉は次第に勢いをなくし、最後はほとんど消えそうになっていた。呟いたケイスケが、アキラをちらりと見上げる。……やはり、意味が分からない。けれど何かしらの返答を期待されているらしい。


は……猫だろ? 撫でたりしても、別におかしくない」

「……っ……」

 とりあえず心に浮かんだことを言ってみたら、ケイスケは目を丸くして絶句した。
 アキラからしてみれば、 の性別が女(雌?)だということは大して重要な事でもなかった。一緒にいて嫌じゃなければ男だろうと動物だろうと構わない。むしろ動物の方が静かでいいと思うこともある。そんな自分の前に、 という猫が現れただけのことだ。

 アキラにとっての は、女である以前に猫だ。尾はあるし爪とぎもするし、人間とはやはり違う。だから女に触っている気はさらさらない――そうアキラが淡々と告げると、ケイスケは「はは……」となんとも言えない表情を浮かべた。


「……何か、おかしいか」

「い……いや? た、確かにそうだよな。そうなんだけど、そうなんだけど……っ」

「……?」

 ケイスケはぶんぶんと頷きながら、ブツブツと何かを呟いている。……一体なんだ。不気味だ。
 (アキラって、アキラって〜〜〜!)と声にならない葛藤をケイスケが上げているのにも気付かず、アキラが無情にも席を立とうとしたそのとき。ホテルのドアが開いて、フードを被った が静かに入ってきた。


「あ、ふたりとも帰ってたんだ」

「ああ。……オッサンが一緒だったんじゃないのか?」

「入り口まで送ってくれて、どっか行っちゃった。ふー、やっぱり中立地帯は落ち着くわね」

 こちらまで歩いてきた は死角となっているソファーに座り、大きく息を吐いた。
 しばらくそうして寛いでいたかと思うと、 はおもむろに服の袖をまくりあげた。白い腕を口に寄せ、舌を這わせる。アキラの傍らでケイスケが息を呑んだのが分かった。


「…………。な…… 、何してるんだ……?」

 突然始まった奇妙な行為に、ケイスケが動転した声を上げた。 はきょとんと顔を上げると瞬いた。

「何って……毛づくろい」

 しれっと言った が再び行為に集中し始める。アキラはアキラで(本当に猫だな……)などと的外れなことを考えていた。そんな中でケイスケだけが、 を凝視したまま凍りついていた。

「……っ……。ゴメン、俺、ちょっと用事が……!」

 ピチャピチャと漏れるかすかな音と見え隠れする舌に釘付けになっていたケイスケが、赤い顔でそそくさと立ち上がる。そのまま前かがみでホテルの奥へと走り去るのを、 とアキラは「?」模様で見送った。


「……ケイスケ、どうしたの?」

「さぁ。そのうち帰ってくるだろ」

「そう? ………あっ」

 毛づくろいを終えた が、ハッと背後を振り返る。素早く立ち上がった は、緊張した面持ちで口を開いた。

「また……仲間の匂いがしたわ。私、ちょっと見てくる!」

「おい。ちょっと……待てって! ひとりで出歩くな!」

 叫んだ が玄関へと駆け出す。アキラも慌てて立ち上がると、 と共に街へ飛び出した。






〜feat,×××…?〜

 
「どっちだ?」

「こっち!」

 もういい加減慣れてきた雑多な街を駆けながら、 はかすかに感じ取った猫――こんどはライのような気がした――の香りを必死に追った。

 こちらに来ているのか、それとも空間が通じたりしているのかは分からない。けれど何らかの手掛かりにはなる気がする。それを逃すものかと駆け続けた は、数分後にとある路地の途中で立ち止まった。……ここか。


「ライ……?」

 路地の奥に――誰かがいる。長身のその影は見慣れた猫のもの……ではない!
 黒いコートを翻した赤い目の男の姿に、背後のアキラが息を呑んだ。

「……シキ……!」



「……雑魚が。今日は二人……死ににきたのか」

 艶めいた声が響き、 の前にひっそりと、しかし圧倒的な存在感をもって黒い男が立ちはだかった。
 赤い目をした倣岸な態度の男は、 をちらりと見ると「……猫か」と呟いた。それ以上のツッコミがなかったことに、 は逆に焦燥を感じた。

 ――ヤバイ。昨日も感じた生命の危機に、剣の柄に手を掛ける。すると同じように長い剣に手を掛けたシキがチャキ、と刃を抜いた。その瞬間、うっかり状況も忘れて はその剣に見入ってしまった。

(……あ、珍しい剣。ちょっと見せてもらいたいかも――)

「…っ! アンタ、何してんだ!」

「!!」


 シキが容赦なく斬り込んできた。しかし、その刃が の身を切り裂くことはなかった。反応の遅れた を庇うように、アキラがその前に立ち塞がったのだ。

「……アキラ!」

「くっ…! いいから、下がってろ……!」

 刃をナイフの側面で受け止めたアキラは、ぎりぎりとシキと押し合っている。だがシキはふいに刀を引くと、虚を突かれたアキラの腹をリーチの長い足で蹴り飛ばした。

「ぐあ…ッ!」

「アキラ!!」

 アキラが後方へ吹き飛ぶ。 は慌てて駆け寄り、アキラの前にしゃがみ込んだ。

「ごめん! 私、余所見してて……!」

「……っ……大丈夫だ。アンタに怪我がなければ、とりあえずいい……」

 腹を押さえたアキラが立ち上がる。再びナイフを構え、シキを睨み付けた。その顔はまだ苦痛に歪んでいて、 は心底申し訳なくなった。
 アキラばかり闘わせるわけにはいかない。 がアキラの前に進み出て剣を構えると、それまで黙っていたシキが薄く笑みを浮かべた。


「ほう……。猫が人に楯突くというのか」

「…………」

「おい……。やめろ、アンタに敵う相手じゃない!」

 アキラの声が届くが、一度構えたものを降ろすことはできない。そんな事をしたら、一瞬にして は斬り捨てられるだろう。
 これでもそれなりに場数は踏んでいる。勝てなくても、隙を見つけて逃げることはできるかもしれない。 
 呼吸を整えた は間合いをはかった。シキの肩が動く。斬撃を受け流すために尾が先行して動こうとした、そのとき。


「……っ!」

 目の前に白い残像が駆け抜けて、 は既視感に目を見開いた。


「――ライ!?」

 鋭い音を立ててシキと斬り結んだ猫の名前を、 は驚愕と共に叫んだ。














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(2008.1.20)