Cat in Dangerland  -3-





「ふん…。子猫を守る豹の登場、というところか? ……少しは楽しませてもらおうか」

「どこの誰だかは知らんが……こいつに手出しするとは、命が惜しくないと見える」


 ガキンと音を立てて、長身の雄たちが固く剣を交わした。互いにすぐ飛び退き、また間髪入れずに切り結ぶ。己の前に立ちはだかった白い背中に は叫んだ。


「ライ…! なんでアンタがこんなところに――じゃなくてちょっと、無理しないでよ……! 私も…っ!」

 自分たちがいるべきではない世界でいきなり強敵と闘うなど、いくらライとて無事で済むとは限らない。リビカとしての本能を呼び起こされ、 は瞬時にしてライを援護する体勢をとった。――だが。


「あ! ライ、ここにいた! ひとりで勝手に先に行くなよ!!」

「……! !! 無事だったのか!」

「――なんだぁ? 見つかったのか?」

 背後から賑やかに投げられた、聞き慣れすぎた声たちに は目を丸くして振り返った。


「ちょ……、みんな…!?」

 薄暗い路地へ、コノエとアサトと最後にバルドが駆け込んできた。ライと間合いを計り合っていたシキが舌打ちをする。


「ちっ……。興が削がれた。――所詮猫は猫同士、舐め合っているのが似合いだな。……ふん」

 低く落胆したような呟きを落とし、シキが脇道へと身を翻した。そのまま悠然と歩き去っていく姿を、 とライは険しい表情で見送った。そして振り返り、 は呆然と出来事を眺めていたアキラに駆け寄った。



「アキラ! 大丈夫? お腹は……」

「……だから、平気だ。それよりも――アンタの仲間、なのか」

 困惑を滲ませて、アキラがライやコノエたちを見つめる。すると、ライが無言でこちらへ歩み寄ってきた。敵意とも取れる静かな威圧に、 は思わずアキラの前に立ち塞がった。しかしライはアキラを一瞥しただけで、鋭い視線を へと向けた。

「この――」

「…?」

「……阿呆猫が! 敵わない相手だと分かっていて牙を剥くな! こんな世界で野垂れ死ぬつもりか!」

「!」

 たっぷりと息を溜めて、頭から怒りを浴びせられた。その声は決して激してはいないのに、確かな激昂を に伝えた。
 ビクンと尾が逆立つ。こんな風に怒られることにはいい加減慣れたと思っていたのに、久し振りに聞いたような気がするそれに は反論も忘れて押し黙ってしまった。そんな とライの間にアサトが割って入り、ライを睨み付ける。

「おい! を怒るな!」

「ふん。そういう貴様は、街の様子に気を取られていただけだっただろうが。噛み付くなら、やるべきことを果たしてから口を開け」

「なんだと!? 俺はちゃんと を心配していたし探していた!」

 黒猫がライの胸倉を掴み、食って掛かる。その背中をコノエが引き剥がしにかかり、路地裏は先ほどとはまた異なる緊張感に包まれた。

「アサト! ライも、やめろよ! 怒鳴り合う前に言うことがあるだろ!?」

 珍しく怒りを露わにしたコノエの声に、二匹がぴたりと動きを止める。コノエはキッと二匹を睨んだ後にくるりと後ろに向き直り、 を見つめた。


「……無事で良かった……! アンタがいきなり部屋から消えて、代わりにこっちの世界の猫…小さいやつが現れて、ホントに心配したんだ。俺、アンタが危ないことに巻き込まれていたらどうしようって、そればっかり考えて……」

 真剣な表情のコノエが思い詰めたように早口で言い切り、ホッと大きく息を吐き出す。コノエは の後ろにいたアキラに視線を移すと、小さく頭を下げた。

「……アンタが のこと、護ってくれたんだな。……ありがとう。二つ杖って、やっぱりスゴイな」

「いや、別に……。本当に護ったのはアンタの仲間のあの白い奴だろ。俺は、何もしていない」

 キラキラした目で見つめたコノエから、アキラがきまり悪げに視線を逸らす。そのまましばらく視線を受け続けると、アキラはとうとう根負けしたように口を開いた。


「……とりあえず、中立地帯に戻ろう。……アンタ達、目立ちすぎる」

 その鶴の一言で、あまりにトシマの雑景にそぐわずにいた猫五匹は神妙に頷いたのだった。





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「私の先祖……?」

「ああ。呪術師のところにその『猫』ってやつを連れて行ったら、そうだって。たまたま時空の波長が合ったとか何だとかで、入れ替わったんじゃないかって言ってた」

「はぁ……」


 ホテルに着いた たち一向は、とりあえず目立ちにくい二階の奥へと収まった。そして今、安堵したように座り込んだ にコノエがこの不可解な状況について説明してくれているところだった。



『うわー。なに、五匹に増えちゃったの!? 美人なオネーサンの猫耳は許せるけど、男っていうかオッサンまで猫耳なんだねぇ。ちょっとウケるー』

『はは…。俺らの世界じゃ爺さんもこの耳だぜ? それよりあんた、ホントに雄なのか? コノエも真っ青な美少年っぷりだな』

『そりゃどうもー。オッサンも結構似合ってるよ、その猫耳。特殊な嗜好の奴にはウケるんじゃん?』

『おいおい…、そりゃいくらなんでも失礼だろ、リン。……ああ、俺は源泉だ。おいそこの白い別嬪さん、頼むからすごい顔で物騒なモン持ってないでくれるか。ここは一応争い事はご法度なんだ』

『………』

『あ……俺、ケイスケって言います。あの、その壁じゃ爪とぎできないと思うんだけど……』

『そうなのか…? 俺はアサトだ。お前、ケイスケ……弱そうだな』

『!?』

『あっはは! 黒猫さん、ひっどい!! ケイスケ固まっちゃったじゃん!』



 こちらが深刻な話をしているというのに、他の二つ杖&猫たちは至って呑気なものだった。
 声につられて振り向いてしまったコノエが、 に視線を戻す。また真剣な顔で口を開くが、その尾が迷うように揺れていて は思わず瞬いた。

「あの、だから……アンタを戻すにはどうすればいいかを聞いて……でも月が満ちないと戻ってこられないって言われて、とりあえずその方法を伝えるために俺たちをこっちに飛ばしてもらったんだけど……」

「……コノエ」

「あ、それで、その満ちる日ってのが明日みたいなんだ。だからアンタも明日には……」

 コノエが必死に言葉を紡ぐが、その尾は後方の会話を捉えてウズウズと上下に揺れている。……きっと、彼らの会話に混ざりたいのだ。コノエはこの中の誰よりも二つ杖に感心と尊敬を抱いていたようだから。

「コノエ。……ありがとう。私なんかのために、ここまで来てくれて。私……嬉しいよ」

「…… ……」

「明日は一緒に帰ろうね。……だから、せっかくだからアキラたちと話してきたら? 私、もう少しここで考え事してるから」

 そう言ってにっこりと笑うと、コノエはわずかに頬を染めて立ち上がった。神妙に頷き、二つ杖と仲間たちの元へと駆けていく。その嬉しそうな鉤尻尾を見送り、 は小さく息を吐き出した。


 ――幸せだ。自分を案じて、こうして駆け付けてくれる仲間がいる。全てを捨てる気持ちで村を飛び出したのに、またこんな縁ができるとは、人生もなかなか捨てたものじゃない。
 明日、あの本来の世界に帰ろう。どれほど困難な状況に戻るとしても、やはり自分の生きる場所は猫の中でしかない。

 けれどそれは、この雑多な世界との永遠の決別を意味することでもあった。



「――隣、いいか」

「ふわぁッ!?」

 階段に腰掛けてうつらうつらと自分の思考に浸っていた は、突然頭上から声を掛けられて尾を逆立てた。見上げると、目を見開いた青年の姿。 がコクコクと頷くと、アキラは静かに の隣へと腰を下ろした。


「……アンタはあいつらと、話さないのか。せっかく会えたんだろ」

「あ……うん。なんかボーっとしちゃって……。久し振りだからかな」

 ぼそりと告げられたアキラの問いに、 は曖昧な笑みで答えた。そんな を一瞥し、アキラが階段の奥に目をやって口を開く。

「……良かったな。安心…したんだろ?」

「え?」

「顔が…表情が、少し和らいだ。いつもアンタ、どこか不安に見えたから。……いきなりこんな世界に飛ばされたんだ。アンタじゃなくたって、誰だってそう思う」

「…………」

 こちらを見ないまま掛けられた言葉に、 はぽかんと目を瞬いた。言葉の意味が……徐々に胸へと落ちてくる。無意識に左胸へ拳を当てると、 は咄嗟に俯いた。


「あ……。私……」

 胸がきゅうっと締まる。――そうだ。不安だった。どれだけ異世界のものに興味を惹かれたとしても、心の中では常に本当にあの世界へ帰れるのかという疑問があった。
 さっきライに怒鳴られたときも、今もそうだ。彼らに告げる言葉が出てこないのは……胸がいっぱいになるほど、安堵したからだ。

 それをアキラは見抜いていたのだ。……きっとリンも源泉もケイスケも、 の不安に気付いていた。だからこそあんなに、優しく接してくれた。


「ごめん……。私、こんなに良くしてもらったのに……」

「別に…何かした覚えはない。アンタはアンタの世界が、やっぱり合ってるよ」


 アキラがくしゃりと の耳を撫でる。その手の心地良さに、 は階段の影でアキラにそっと額を押し付けた。
 純粋な好意を示すその動きにアキラが初めて に「女」を感じたことを、 が気付くことはなかった。






 ――が、いい雰囲気になったのも束の間。二人の空気は割って入った騒がしい声に遮られた。


「アーキラッ! もう、またタラシこんでるワケ〜? 俺が だったらコロッといっちゃうよ!?」

ーッ! も、これ呑んでみろ! 辛いのに熱いんだ!」

「ッ…! おい、リン……!」

「う…っ! アサト……!?」


 ガシ、とそれぞれアキラと の背後から抱きついたのは、リンとアサトだった。アサトが の肩越しにアキラを見遣る。文句の一つでも言うかと思われた口は、意外にもアキラへの賛辞を送った。

「アキラは……綺麗だな。 とコノエの次に、綺麗だ! お前にも猫の耳と尻尾が生えたらいい」

「…ッ、はぁ…?」

 キラキラとした褒め言葉にアキラが声を詰まらせる。不自然に落ちた沈黙を裂いたのは、今度はケイスケの声だった。

「ちょっと待ったぁ! 何言ってるんだよ、アサト。アキラが一番綺麗に決まってるだろ? ……でも、猫耳と尻尾は賛成だ!」

「一番は だ!  は綺麗なだけじゃなくて優しいし、いい匂いがする!」

「そんなのアキラだって!」

「………。………ケイスケ……」

 右手を上げて主張したケイスケは、妙に声が上擦っている。ドン引きしたアキラは相変わらず にぎゅうと腕を回しているアサトの手に握られたものを認め、目を見開いた。


「酒…? ――おい、リン! 酒飲ませたのか?」

「へっへ〜。だってさ、仲良くなるにはまず一杯!じゃん? これフタツヅエの常識〜」

 へらへらと笑ったリンが、わずかにアルコール臭のする息をアキラに吹きかける。思わず顔を引いたアキラの前に、源泉がのっそりと立った。

「あ〜、すまんな。せっかくだからちっと奢ってやったんだが……予想外に効いたみたいで。やっぱ生態系が違うからかねぇ……ておい、大丈夫かお嬢さん? 顔青いぞ?」

「……!」

「……おい。いい加減にしろ馬鹿猫が。窒息しかけてる」

「――! ぷは…ッ! ……あ、ありがと……」


 ベリ、とライにアサトの腕から引き剥がされて、しばらく沈黙していた は盛大に喘いだ。……アサトに雁字搦めにされて、呼吸できなかったのだ。
 成り行きでライの腕に収まった の腰に、アサトが再び突進を掛ける。

「ちょ、ちょっとアサト……!」

……会いたかった……!」

「……アサト……」

 そんな名台詞をここで使って良いのだろうか。 は少しばかり困惑したが、まっすぐな好意を送られて嬉しくない訳もない。おずおずとアサトの肩に手を掛けようとした は、ふいに降り注いだライの冷ややかな声にハッと手を止めた。

「馬鹿猫が。まるで母猫を見つけた迷子のようだな。いい加減みっともない顔を晒すのをやめろ」

「……っ」

「なんだと……」

 アサトに向けられた言葉で は正気に返った。こんな衆目の前で雄猫を抱き寄せようとするなんて、安堵しすぎるにも程がある。とりあえずワシャワシャと黒い髪を撫でると、アサトは嬉しそうに微笑んだ。それを見てライが呆れた溜息を吐く。――だが。


「とか何とか言っちゃって。自分だってコイツが消えたって知ったとき、ものすげえ顔してたくせに」

「! なんだと……」

 横からちゃちを入れたのは、言うまでもなくバルドだ。 の背後でスウッと温度が下がる。バルドは挑発するように忍び笑いを漏らすと、ライに視線を向けた。

「呪術師を殴り倒してでもとっとと飛んでいきそうな気迫だったぜ? アサトよりも、お前の方がよっぽどピリピリしてたと思うけどな」

「貴様……二度と祇沙へ戻れなくていいようだな。……構えろ。その時間ぐらいは待ってやる」

「へーへー」

「おい……やめろよ! こんな狭い場所で何やってんだ、アンタ達…!」

  から手を離し、ライがちゃき…と双剣を構える。それを止めるのは案の定コノエだ。アサトにしがみ付かれて動けない の前で、雄猫二匹が不穏に間合いを計り始めた。


「ちょっと、やめなさいよ…! ねぇ、アサトも止めてよ……!」

「興味ない。俺は、 とコノエが無事ならそれでいい」

「〜〜!」

 分かってはいたが、しれっと答えられて はガックリと肩を落とした。けれど――どうせライもバルドも本気でやり合おうとしている訳ではないし、何よりケイスケや源泉やリンが完璧に遣り取りを感心して見遣る体勢になっている。

 ――今まで面倒を見てもらったのだから、こんな事でも多少なりとも楽しんでもらえれば礼になるだろうか。 は腹黒くそう計算すると、二匹を止めるのをやめることにした。


 顔を上げると、同じく二匹を真剣な顔で見つめていたアキラとふいに視線が合った。 がやれやれと肩を竦めると、アキラも柔らかい苦笑をその唇に刻んでくれた。















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(2008.2.15)