Cat in Dangerland  -4-





 ――翌日。 たち一行が祇沙へと帰る日。
 トシマ組四人+リビカ組五匹は、すっかり暗くなった路地をそろそろと歩いていた。



『――「月満ちる時に、人と獣の交わる円に立て」? ……何それ』

『さぁ、俺も詳しいことは分からなくて……。呪術師は行けば分かるって言ってたけど……』


 コノエが伝達してくれた『元の世界へと帰る方法』とやらは、これまたひどく曖昧なものだった。
 思わず漏らしてしまった溜息に、コノエが申し訳なさそうな表情をする。もちろん言うまでもなくコノエが悪いわけではないが、しゅんと萎れてしまった鉤尻尾に は慌てふためいた。

(あああ……そんな顔しないで! ああっ、耳まで垂れて…! ――くっ、かわい……じゃなくて、ちょっと呪術師! 意味わかんないんだけど!)

 不謹慎な欲に溺れかけた は、こんなわけの分からないメッセージを伝えてきた呪術師を問い詰めたい衝動に駆られた。しかしこの世界にいない者を責めても仕方がない。
 取りあえずはアキラたちの力を借りて、一行はトシマの街中を歩き回ることにしたのだが――



「円の真中…ねぇ。もしかしたらあっちの広場が真ん丸い形だったかもしれんな。ちょっと行って見てくる」

 周囲を一通り見て回った頃、暗い路地で源泉がふらりと踵を返した。どこか思い当たる場所があったらしい。するとリンがその後を追い、 たちから離れた。

「あ、俺もそっち行こうかな。確かその先の建物も丸い窓がついてた気がすんだよねー。せっかくだから、猫さんたちも誰か一緒に来たら? 鼻が利くかもしれないっしょ」

「……俺が行く」

 そう言って足を踏み出したのはライだ。なぜだかやたらと嬉しげに絡んでくるリンを無言であしらい、静かに銀髪が遠ざかっていく。すると今度はバルドが『俺は反対側を探してみる』と、道を逆戻りしていった。


「――じゃあ俺は、屋根の上から丸いものを探してみる。様子を見て、戻ってくるから」

「あ、うん。気をつけてね、アサト」

「ああ。 とコノエをよろしくな、アキラ」

「……ああ」

 よろしく頼む対象に、ケイスケはカウントされなかったらしい。若干ヘコんだケイスケの前で二人+三匹を見送った は、自分も怠けてはいられないと勢いよく振り返った。――が。


「――わぷッ!?」

「…………。猫は……何の色に染まる……?」

「……へ?」

 突如として現れた、茶色いカーディガンを羽織った男に の進路は阻まれた。




「ア、アンタ……」

 不思議な透明感をもった得体の知れない男の姿に、アキラの目が見開かれる。……どうやら、顔見知りらしい。薄い紫の目をした男はぼんやりとアキラを見遣り、ついで に茫洋とした視線を向けた。

「あ……」

「…………。人が、獣と交わる場所は、どこにある……?」

「え……」

 空気に溶けそうな声で、男が再び問い掛けた。ぼんやりとそれを聞いていた は、しばらくしてから我に返った。この二つ杖、自分に向かって問い掛けているらしい。
 すると答えの出ない にヒントを与えるように、男が再度口を開いた。

「……人が獣に変わる場所……。丸い舞台の上で、人と獣が交じり合う……」

「……!」

 男の言葉は――先程コノエが言った呪術師の発言と合致する。ハッと振り返った にコノエとアキラが頷く。答えを考え始めた二匹+二人の中で、まずケイスケがおずおずと手を上げた。


「あの……交じり合うっていうのは、その、アレな意味なんですか……? じゅ、じゅうか……」

「……アレ……? 人が、獣に変わる……それだけだ」

「……あ、あ……そうですよね……。俺、何言ってんだろ……!」

 なぜか真っ赤になって発言したケイスケは、男の言葉でさらに赤くなって後ずさった。
 アレとは何だろう。 はケイスケに聞いてみたい気分になったが、あまりにケイスケが恥ずかしそうなのでやめておくことにした。


「獣に変わる人間……。もしかして、闘ってる状態のことを言ってるのか?」

 しばらくして、無言で考え込んでいたアキラが閃いたように顔を上げた。すると男は否定も肯定もせずにアキラをじっと見返した。

「闘う丸い舞台……。――あ! それってコロシアムじゃないかな? ほら、あのヴィスキオの城にあるっていう……」

「ああ……そうか」

 アキラの言葉に今度はケイスケが大きな声を上げた。男がごく小さく頷く。
 ――コロシアム。その場所が、どうやらこの質問の正解らしかった。


「あの……ありがとうございます! どなたか知りませんが、俺たちそれがどこだか全然分からなくて困ってて……って、あれ? なんであなたが知って――」

 興奮したように礼を述べるケイスケをちらりと見て、男が とコノエの元に歩み寄る。音もなく動いた男は、二匹の頭の上にスッと手を翳した。男の持つ独特な雰囲気に呑まれて思わず固まってしまった二匹は、殴られるのかと耳を伏せた。――だが。


「……っ。――え……?」

 男の手が――耳を撫でた。というか、頭ごと掻き乱した。
 予想外の事態に二匹は固まったが、男はお構い無しにそのままワシャワシャと とコノエの頭を触り続ける。傍らでアキラたちが絶句した。

「………あ、あの……」

「…………(ワシャワシャ)」

「…………」


 呆然と突っ立った とコノエは、男のなすがままに耳を触られ続けた。
 しばらくして満足したように手を離した男に、アキラが掠れた声で問い掛けた。

「……猫、好きなのか……?」

「…………」

 問い掛けに答える声はなかった。だがその代わりとばかりに男の腹から「ぐ〜きゅるるるるー」という怪音が聞こえてきて、その場の空気は再び凍りついた。

「……腹、減ってるのか? 良かったらこれ、食べるか……?」

 ようやく立ち直ったらしいコノエが、おずおずと懐から乾燥クィムを取り出す。それをぼんやりと受け取った男はしばらくクィムを眺めると、パクリと口に咥えて踵を返した。

「……おい、アンタ……!」

 アキラが呼びかけても、もう振り向かない。もしゃもしゃとクィムを齧りながら、不思議な男はトシマの暗闇へと消えていった。



「……ふ、二つ杖って……やっぱり不思議ね……」

  の呟きに、アキラとケイスケは曖昧に頷いたのだった。





   +++++   +++++





「……で、ここがその『人と獣の交わる円』がある場所か。俺としてはもう少し二つ杖の食文化について学びたいところだったが、まぁ月も昇っちまったし仕方ねぇな」


 ――半刻後、再び合流した一向は「ヴィスキオの城」前に潜んでいた。のんびりと声を上げたバルドを制するように、源泉が辺りを窺う。
 時刻はすでに深夜だ。城も眠りについたかのように、静まり返っている。相変わらず悪趣味な仮面をつけた眠そうな警備員がたまに立ち上がったりする以外には、物音もしなかった。


「――どうする、オッサン。忍び込んだ方がいいのか?」

「いや、これだけの大人数じゃ逆効果だろう。別に奇襲をかけるわけでもないし、堂々と正面から行きゃあいいんじゃないか。俺なら顔パスだしな」

「顔パスの意味、違うだろ……」


 かくして作戦会議というにはあまりにおざなりな会話を経て、一向は堂々と正面から城に踏み入ることになった。
 源泉曰く顔パスで(という割には拳銃を構え、リンが警備員を蹴り倒し、アキラが手刀を叩き込むという荒っぽいやり方ではあったが)扉を突破すると、部下から知らせがいったのか寝巻き姿の城の主が階段の上に現れた。


「な、なんだね君たちは!? ―――はっ、お前! 源泉ではないか…!」

「お休み中すまねーな、アルビトロ。……髪、カーラー巻きっぱなしだぜ?」


 甲高い声を上げた仮面の男の登場に、 は面食らった。――二つ杖、奥が深すぎる。
 その趣味が悪いとしか言いようのない仮面も、妙に可愛らしいハート柄の寝巻きとナイトキャップも、全てがリビカの常識を超えている。

 アルビトロというらしい金髪男の狂気じみた悲鳴を受けて、源泉は豪胆に笑った。

「ちょっと城の中、邪魔させてもらうぞ。……なに、別に何か壊そうってワケじゃない。すぐに出ていく」

「お前、まさか私の寝込みを襲いにきたのか…!? いかに私が美しく魅力溢れると言っても、お前のようなむさ苦しい中年男に狙われるとは……け、け、汚らわしいッ!! いくら鷹揚な私とて、断る!」

「馬ー鹿。こっちだって願い下げだっつの。そんな下らねぇ用事じゃねぇ。……だいたいお前、俺と同い年だろうが。同じ中年だってこと、いい加減自覚しろよ」

「……!! だ、黙れ…ッ! ―――おや? そちらは……」

 ヒステリックに叫んだアルビトロが、今初めて気付いたかのように源泉の背後にいるコノエに目をやった。妙にねっとりした熱い視線は続いてライとアサトを見遣り、うっとりと緩んだ。しかしバルドを軽くスルーして に目を留めたアルビトロは、驚愕したように口を大きく開いた。


「――お、女ではないか……! この城に女が入るとは、汚らわしい!! いやだが待ちたまえ、女だが猫耳……! 誰が改造したかは知らぬが、猫耳はオプションとしては最上級…! 汚らわしいが、素晴らしくもあるッ!!」

「「…………」」

 なんだか急に自分の世界に入って叫び出したアルビトロに、一向は声を失った。というか、呆れ果てて出てくる言葉がなかった。そうする間にもアルビトロは階段の中央で身体をよじらせながら、猫耳と性別とどっちを取るかで葛藤している。

 ――先日『処刑人』が言っていたのは、この男のことだ。間違いない。
 女…雌であることを否定されたことよりも、アルビトロの芝居がかった仕草に は釘付けになった。するとその横を、一瞬にして二匹の猫が走り抜けた。


は汚らわしくなんかない!! お前、今すぐ訂正しろ!」

「……その気が狂ったような仮面ごと、両目を潰してやろうか」

「ヒィッ!?」

 それぞれ剣を抜いた白と黒の雄猫が、アルビトロに切っ先を突きつける。首の前で交差した二本の剣に、アルビトロは顔を青くした。


「おーおー、いつにも増してモテモテだな、お嬢さん。あいつらの共闘が見れるとは思わなかったよ」

「バルド……アンタってほんと呑気ね。もー、どうすんのよこの警備員たち。アイツがうるさいから湧いてきちゃったじゃない!」

「お前、そこは雌として一応喜んどくところだろ……。でも、そういう状況でもなさそうだな…、っと」

 アルビトロに剣を向けたのが引き金になったのか、わらわらとどこからか警備員たちが駆けつけてきた。さすがのバルドも笑みが険しくなる。源泉やリンにならって が剣を抜いたそのとき、階上から聞き覚えのあるだるそうな声が降ってきた。


「ビトロー! うるっせぇよー。寝れないじゃんかよ〜〜〜」

「……だーれーだぁ〜? こんな夜中によぉ……」

「――あー! 猫ちゃんじゃん! しかもイッチ、ニィ……何匹か知らねーけどたっくさん増えてるー!」

「へぇ……。鳴かしがい、あんなぁ……?」


 ――処刑人。本能から恐怖を感じさせる獣二人の登場に、源泉が舌打ちした。


「まずいな……処刑人か。――おい! あんたら、さっさとコロシアムへ行け! ここは俺たちがなんとか止める!」

「え…!? でもモトミ、人数が……!」

「別に襲撃に来たわけじゃないからな! ちょっと城見学させてもらうだけだ、殺されはしないだろ。早く行かないと月が沈む!」

「そうそう。ちょーっと遊びに来ただけだからさぁ! 早く行っちゃって。ね!」

「……リン……!」


 猫たちの背後を護るように、源泉とリンがそれぞれ武器を構える。声を失い立ち止まった の襟を、アルビトロを解放したライが強く引いた。

「立ち止まるな。行くぞ!」

「あ……、うん! ――ごめんねモトミ、リン!」

「いいって。無事に戻れることを祈ってるよ。――アキラ、ケイスケ、案内頼むぞ!」

「またね、 ! 俺、猫耳好きになっちゃったかもしんない! 新しい自分に気付いたってカンジー」

 源泉とリンがニッと笑う。幸いなことに、猫たちが背を向けたのを見て処刑人たちも興味を失ってくれたようだ。ただの警備員だけだったら、あの二人も十分逃げ切ることができるだろう。


「……ありがとう!」

 ライに引かれてしんがりを走りながら、 は背後の二人へと叫んだ。










「――ここが……コロシアム……」

 廊下を走り抜け、大きな扉を開くと、そこは円形に開かれただだっ広い空間になっていた。
 すり鉢状の客席がぐるりと全周を囲み、最深部に円形のリングがある。静まり返ったリングを一行が見下ろしたそのとき、ドームの丸い窓から月光がまっすぐに差し込んだ。


「月満ちる時、人と獣が交わる円……。このことだったんだな……」

 コノエが静かに呟く。月光に照らされたリングの上にはいつしか白い煙が立ち上がり、すでに懐かしい景色が……藍閃の光景が、その奥に揺らいで見えた。


「あれが、 達の世界か……。確かにこことはずいぶん違うけど、トシマと同じような建物があるみたいだ。……すごいな……」

 一段一段客席を下り、とうとうリングの前へと辿り着いた。ケイスケが上げた感嘆の声に は帰るべき世界を感慨深く見やり、ついでアキラとケイスケを振り返った。


「あの……本当に、色々ありがとう。あなた達みたいな優しい二つ杖…ニンゲンに巡り会えて、本当に良かった。ここは危ない場所だけど、あなた達といられたから楽しかったわ」

「俺も短い間だったけど、楽しかったよ。……また会えたら、いいな」

「……うん。ケイスケも、頑張って」

 固い握手を交わし、ケイスケの手を離す。 はアキラの前に立つと、端整な顔を見上げた。


「…………」

「…………」

 言葉が、出てこなかった。ただ一心に見つめる に、アキラが静かな視線を返す。やがてアキラはわずかにまなじりを緩めると、微笑を刻んだ。

「……元気で」

「……うん。アキラも、元気でね」


 そっと握手を交わし、静かに踵を返す。一歩、二歩……リングへと足を進めた は、ふいにぴたりと立ち止まった。


「……アキラ……」

「? ――っ、 ……」

 アキラは息を止めた。なぜならば――振り向いた の瞳が、わずかに濡れていたからだ。
  が駆け寄ってくる。再度アキラの前に立った は、潤んだ瞳もそのままに大輪の花のような笑みを浮かべた。

「アキラ、ありがとう。アキラがいてくれなかったら私、この世界できっと死んでた。無事に帰れるのはアキラのおかげだわ。本当に、本当にありがとう……!」

「……っ」


 ――ふわりと、唇に淡い感触が落ちた。
 アキラがそれを理解する前に温もりは離れ、雌猫は静かにアキラから遠ざかった。



「……ぅわ……」

…!?」

「ア、アキラ……!」

「……っ」

「ほーお、役得だな」


 今度こそリングへと真っ直ぐに向かった に向けて(一部アキラに向けて)、様々な衝撃を孕む視線が飛び交った。その中を堂々と突っ切り、 が煙の前でくるりとこちらを振り向いた。


「……さようなら。――ありがとう!」


 鮮やかな笑みを残して、雌猫は白煙の中へと消えていった。







   +++++   +++++







 ――それから、さらに数日。

 中立地帯で休んでいたアキラとケイスケの元に、リンがやってきた。先日 と撮った写真が現像できたので、一緒に眺めようというらしい。だがそこに写っていたのは――


「……こいつ、だな」

 ――リンと一緒に写っているのも、ブスッとしたアキラの傍らに座っているのも、あのしっかりしているようでいてどこか危なげだった雌猫ではなかった。そこに写っているのは……金の毛並みの小さな猫。

「ニャー」

 膝の上に丸まったその猫は、嬉しげにアキラに額を擦り付けた。








END





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(2008.2.24)