それは、暗冬で賑わう夜の食堂での出来事。

 祭で開放された宿の食堂は、普段とは比べ物にならないほどの猫たちで賑わった。 も料理作りや配膳に昼過ぎから奔走し、夜も更けた今ようやく仕事から解放されて厨房でノビていた。


 
 Love Drinker  -マタタビの乱-   前編



「うあ〜、つっかれたー……」

「おう、お疲れさん。よく働いてくれたな。俺たちも寝る前に少しやるか」

 そう言って同じように若干疲労した顔のバルドが、少しだけ残しておいたご馳走を見遣って に声を掛ける。その左手には、見慣れぬ瓶が握られていた。

「何それ。果実水……じゃないわよね」

「違うな。これはまあ……アレだ」

 何かを企むようにバルドがにやりと笑う。その顔を見て、 はその液体の正体を悟った。

「マタタビ酒ね……。全く、どこに隠し持ってたんだか」

「まあ固いこと言うなよ。そんなに濃いもんじゃないし、少し位いいだろ」

 本来なら禁止されているはずのマタタビ酒を前に、バルドは悪びれもせず を誘ってくる。 は腕を組んで呆れたような視線を投げていたが、溜息をつくと苦笑を浮かべた。

「……ま、いいでしょ。汚れたから着替えてくるわ。先に始めてて」








 

  を待つ間に料理と酒を食堂に運んだバルドは、早速コノエに酒を勧めてその正体を見咎められた。ママタビ酒を見遣るコノエが、困惑したように眉を寄せる。

「これ、 に飲ませるのか? なんか度数が強そうだけど……」

「おうよ。つってもたかだか50%だけどな。果実水と混ぜるし、明日には抜けるだろ」

「50%!? ……十分強いだろ、それ。本当に平気なのか?」

 しゃあしゃあと答えたバルドに、コノエが目を剥く。それを引き継ぐように、静観していたライからわずかに怒りを孕んだ呆れ声が掛けられた。

「そんな怪しいものであいつを酔わせる気か。……貴様、何を企んでいる」

「何も企んでねえって…。だーいじょうぶだろ、子供じゃないんだし。……なんだ、あんたも飲むか?」

 バルドは手を振ってコノエの頭をポンポンと叩くと、今度はアサトに視線を移した。興味を引かれたように、瓶をまじまじと覗き込んできたからだ。

は酒を飲むのか? ……見た事がない」

「ん? ああ、まあ少しはイケるんじゃないか? 俺も見た事はないけどな」

「そうか。…… は酔ったら、どうなるんだろう」

 無表情で頷いたアサトが次に呟いた言葉に、その場にいた雄猫一同の瞳孔がキンと細くなった。
 …… が酔ったら。雌猫のまだ見ぬ姿を想像し、食堂は異様な緊迫感に包まれた。








「おいおい、飲みすぎだぞあんた。足元ふらついてるじゃねぇか」

「ん〜? 大丈夫よー……」

 立ち上がった雌猫のあまりに危うげな様子に、バルドが慌てて駆け寄る。 はふわりと笑うと、手を振って歩き出そうとした。しかし、数歩も行かないうちにその足元が再びふらつく。

「……っとと、ありゃ?」

「うわ! ……あっぶねえ……」

 咄嗟に抱き止めたバルドの腕の中で、 がきょとんと首を傾げる。その危機感のない様子に、バルドは苦笑を漏らした。

「どこが大丈夫なんだよ。……ったく。ほら、部屋まで送ってやるから取り合えず歩け」

「大丈夫だってば〜」

 ごねる を引きずって、バルドは階段を上った。 の部屋に入りその寝台に身体を横たえさせると、 は瞼を閉じたままモゾモゾと動き始めた。

「……んん……あ〜、何か熱くなってきた……」

「……っおい! あんた、なに脱いでるんだ」

 バルドの見ている前で、 がうるさがるようにその衣服をのろのろと脱ぎ捨て始めた。淡いランプの下で、白い肌が露わになっていく。

「だって熱いんだもん……。脱いだっていいでしょ……?」

「そうは言ってもだな……。普通ダメだろ」

 いつの間にか瞳を開けた が、バルドを見つめている。その潤んだ瞳が誘うように伏せられ、バルドは思わず生唾を呑み込んだ。

「何よ……。じゃあ怒るんなら……アンタが脱がせて――」

 とどめのように呟かれた言葉で、バルドの理性は砕かれた。バルドはその襟元を肌蹴させると、腰紐を解き――








「――みたいな感じでどうだ? 定番だが、萌えるだろ」

 そう妄想を締めたバルドが、得意げに三匹の雄猫を見渡す。その言葉にいち早く反応したのは、額に青筋を立てたライだった。

「……ベタだな。と言うか、貴様が相手だと言うこと自体がまずありえん。最後の台詞もありえん」

 呪うように低く呟いたライを見遣り、バルドが肩を竦める。

「お前、相変わらず応用力がないな。そんなに嫌なら今のをお前で置き換えてみりゃあいい」

「置き換え……?」


 『ライ……熱いの……。アンタが脱がせて――』


「――ッ!? ……何をふざけた事を……っ」

 一瞬桃色の妄想が頭を駆け抜け、ライは頭を強く振った。……ありえない。

 次の瞬間ライは殺気を放ったが、その白い尾が迷うように揺れたのを認めてバルドはほくそ笑んだ。……どうやらお気に召したらしい。
 満足して残りの二匹を見ると、予想通りにコノエとアサトは赤くなっていた。可愛いものだ。

は…… はそんな事、しない……!」

「アサト、妄想だから。怒るだけ無駄だって! ……アンタも、余計なこと言うなよ」

 コノエがアサトをなだめるが、そう言うコノエの顔も真っ赤だ。想像力豊かで羨ましいことだ。バルドがその顔をにやにやと眺めると、コノエがキッと睨み上げてきた。

「……ていうか、アンタの理性って砕けるの早いな。意外と耐久性、ないんだ」

 赤くなったのを誤魔化すように、コノエが小生意気な口調で告げてくる。どうやら、精一杯の皮肉らしい。バルドは口元を歪めると、わざとらしく腕を組んだ。

「脚色だよ、そんな早い訳あるか。これでもお子様向きに言ってやったんだ。……本当のところを言ったら、20禁どころじゃ済まないからな」

「20禁……。……アンタ、最悪だな」

 顔をしかめたコノエが、たっぷりとした沈黙の後に低く呟いた。だがコノエはしばらくして顔を上げると、ふっとその視線を逸らした。何となく、哀愁が漂っているように見えなくもない。

「……でも俺は……本当はこうなんじゃないかと思う」

「んあ?」






「コーノエ! やだ、何飲んでんのよ。果実水? そんなの子供が飲むもんよ」

 腰掛けたコノエの背に、陽気な声が振ってきた。子供扱いされたことにムッとしてコノエが振り向くと、 がどっかりと隣に腰掛けるところだった。

「いいだろ別に。……っうわ! アンタなに押し付けてんだよ!」

「いいからいいからぁ。ほーら飲め飲め、マタタビ酒だぞーう」

 にこにこと笑う が、器に入った液体を無理やり勧めてくる。笑ってはいるが……ぶっちゃけその笑顔は脅迫に近い。コノエは思わず身を引くと、 の手を取って器をテーブルに置かせた。

「いらないって…! アンタ、なんでそんなにテンション高くなってるんだよ! いつもと違うだろ!?」

「違わないって! なによう、私の酒が飲めないっての!?」

 そう言った は、今度はコノエを腕に抱き込んだ。脇の下に挟まれ、コノエの頬が の胸に押し付けられる。……完璧に酔っ払いだ。しかも、物凄く酒癖が悪い。

「違うって! ……俺は、酔うのが嫌なだけだ。アンタがそんなんじゃ、誰かがしっかりしてなきゃダメだろう」

「なにおう? ……ハッ、ケツの青いこと言ってんじゃないわよ」

「ケ――。……アンタ、雌なんだからそんなこと堂々と言うなよ」
 
 雌にあるまじき単語を聞いてしまった気がする。鼻で笑った を咎めるように睨むと、 はコノエを解放して代わりにその背中をバシバシと叩いた。……手加減なしだ。相当に痛い。

「アッハハハ! 冗談よーう。……で、君は何シケた面してんのよ。 ん? ホレホレ、おねーさんに話してみなさいって!」

「……ッ! だから、子供扱いするなって!」






「――みたいな感じじゃないかと俺は思う。……経験上」

「いや、確かにありえそうだが……さすがに が不憫だろう。色気がなさ過ぎる」

 コノエが深刻な表情で告げると、残りの三匹はごくりと唾を飲み込んだ。
 ……本当にありえそうで嫌だ。雄として一応のロマンは抱いていたい。

「つーか、そこまで年下って事にコンプレックス持たんでもいいだろう。 は気にしちゃいないさ。……お、それともそれが強みか? 何気においしい体勢を妄想してるしなぁ」

「……っ、それは……!」

 再びからかいの色を浮かべたバルドに、コノエが口篭もる。

「ま、どっちにしろ酔わせてみない事には始まらないだろ。……あんた達は、どうする?」

 ん? と見渡したバルドに三匹の視線が向けられる。コノエは呆れた顔で、アサトは妙に真剣な顔で、そしてライは薄く殺気を纏わせて口を開いた。

「やっぱり酔わせる気なんだな……。俺は、そんなになるまでは飲まない」

「…… が飲むなら、俺も飲む。 が酔うなら俺も酔ってみせる」

「何だそれは。――俺は知るか。下らん」

「つまり、みんな飲むって事だな。よし、今夜は飲み比べだ!」



 四者四様の反応を浮かべた猫の背後で、食堂の扉が開かれた。戦いの幕は切って下ろされた。

「お待たせ〜。……なんで皆そんな殺気立ってんのよ……?」

 開幕を告げたのは、 の困惑した声だった。






 

 

 



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