Love Drinker  -マタタビの乱-    中編




 直前までの水面下の探り合いは置いておいて、ささやかな夜食会は穏やかに進行した。取り置きのご馳走をつまみ、杯を傾ける。足りなくなった酒瓶を厨房から運び、そして飲む。



 カッパカッパカッパカッパ……



「……なあ、明らかに最初考えていた酒量と違ってきてないか……?」

「ああ? まー細かい事は気にすんなって。ほら、コノエも飲め。これは秘蔵の70%だぞ」

「もう、いらないって……」

 周囲の雰囲気に流されて杯を重ねてしまったコノエは、口休めに隣でちびちびやっていたバルドに問い掛けた。バルドは顔色も変えず平然としていたが、その眼差しはうっすらと赤らみ始めている。……相当飲んできたような気がするが。

「アンタ大丈夫かよ。 は……」

 コノエが不安になって窓際に腰掛けた を振り返ると、 は淡々と器に口をつけているところだった。時折ライと談笑し、突っかかっていくアサトを諌めている。穏やかな飲み方だ。

 バルドとは違い、酔っている気配もまるでない。セーブして飲んでいる事にコノエはホッとしながらも、あの空間に自分も加われない事を少し悔しく思った。
 ……ここでバルドに首根っこを掴まれていなければ、今すぐにでもあっちに加わるのに。



 カッパカッパカッパカッパ……



「おい、お前飲みすぎじゃないのか」

「え? ……全然。こっちもおいしいわね。藍閃の味は洗練されているなあ……」

に文句を付けるな!  、こっちの酒もうまいぞ」 

 穏やかそうに見えた三匹は、実はあまり穏やかな雰囲気にはいなかった。
  が手酌で飲もうとすると、見咎めたアサトかライが酒を注いでくれる。お礼に が酒を注ぐと対抗意識を燃やした残りの一匹も器を空けるため、三匹の酒量はどんどんヒートアップしてきてしまった。

「そんなペースで飲んでいると倒れるぞ。馬鹿かお前は」

に馬鹿って言うな! そんなに嫌ならお前だけ帰ればいい」

「奴隷は黙っていろ。手元が覚束なくなってきているぞ」

 実際のところ、 はまだまだ全く酔っていなかった。危ないのはライとアサトだ。 はともかく、残りの雄二匹は絶対に相手より先に手を休める事はしなかった。
 段々と二匹の手元と会話が怪しくなってくるのを、 は微笑みながら見つめていた。……酒を片手に。



 カッパカッパカッパカッパ……



「おい……いい加減飲みすぎだ」

「えー? 大丈夫だって。……あら? アサト、大丈夫?」

 更に杯を重ねた の横で、アサトがとうとうバタリと倒れ伏した。 が突っ伏したその顔に耳を近付けると、穏やかな寝息と共に掠れた声が聞こえてきた。

「う…ん……、コノエは……綺麗だ…… も……綺麗だ……」

「…………大丈夫そうね」

「寝言か。……コレくらいで潰れるとは情けないな」

 肩を竦めた の声を受け、ライが呆れた視線をアサトに注ぐ。だがアサトのうわ言には、まだ続きがあった。

「それに…… は抱き付くと柔らかくて気持ちがいい……。いい匂いもする……」

 ムニャムニャと呟いたアサトの声に、ライの纏う空気が一瞬にして冷たくなった。今までの手元の危うさもどこへやら、俊敏に立ち上がるとライはすらりと長剣を抜いた。

「…………このまま永遠に眠りたいらしいな」

「バババ馬鹿! なに抜いてんのよ!」

 慌てて立ち上がった は、その長身を押さえ付けた。そして静かに酔っ払ってよく分からない理由で怒っているライをなだめるために、さらに杯を重ねさせたのだった。



 カッパカッパカッパカッパ……



「なあ……俺思ったんだけど、 ってザル? むしろライの方がフラフラしてきたんだけど……」

 いい加減頭がクラクラしてきたコノエは、相変わらず首根っこを押さえ付けているバルドを睨んで問い掛けた。
 顔を上げたバルドの視線の先で、 は顔色を変えずに更に杯を重ねている。ちなみにライは突っ伏し寸前だ。もう落ちているかもしれない。

「あ〜、俺も思い出したわ。そう言えばあいつの親父さんもめちゃめちゃ強かった。でもな……」

 バルドが呟いた瞬間、突然 が硬直したように器を持った手を止めた。そしてその直後、 はばったりとテーブルに突っ伏した。手から酒が零れ落ちる。

! ……ほら、やっぱり危なかった!」

 急性のなんたらだろうか。コノエは短く叫んで立ち上がると、 に駆け寄った。そんなコノエに、バルドののんびりとした声が掛けられる。

「大丈夫だって。それより、近付いたら危ないぞ」

「何言ってるんだアンタ!  、大丈夫か……? うわ…っ!」

「……ふふ、ふふふふふ……。コノエ、やっとこっちに来たわね……」

「え……?」

  を覗き込んだコノエは、不意に聞こえてきた不気味な笑い声に身を強張らせた。
 低く歌うように呟かれた直後、 に強く引き寄せられる。細い腕に力いっぱい抱き締められて、背中に の身体が密着した。

「うわ…… !」

(ま、まさか……俺の予想、大当たり……!?)

「一瞬落ちた後に回復するんだが、今度はやたらとくっつきたがるんだ。親父さんに抱き付かれるのは勘弁で逃げてたから、すっかり忘れてたわ」

「それを早く言えよ!」

 のんびりと告げたバルドに、コノエが怒鳴る。 はますます抱く力を強めてくる。その身体の凹凸すらもリアルに感じられるようになり、コノエは赤面した。

……離せよ……っ!」

「コノエコノエコノエ〜。嫌よぅ、だってさっきからあのオヤジとばっかり喋ってて私のトコに来てくれなかったじゃない!」

 バルドに首根っこを掴まれていたのが見えていなかったのだろうか。拗ねるように言った にコノエはふと反発したくなった。……あんなにあの二匹と楽しそうにしていたのに。

「それは……アンタがライたちと話してたからだろ……!」

「え〜!? 私はコノエとも話したかったよ。コノエにいて欲しかったのに……」

「……!」

 懇願するように呟いた の声が、甘い。コノエは思わず息を詰めたが、肩口に の頭を押し付けられて今度は尾を逆立てた。

「んー! お肌ツルツル! 髪サラサラ! 羨ましいぃ〜」

「ちょ、アンタ、ドコ触って……!」

  はぐりぐりと額をこすり付けてくる。……親愛の行動だろうか。それにしては色々と激しすぎる。しかしそれよりも、前に回された手が不穏な動きを始めたのにコノエは総毛立った。

「んっふふふ……や〜ん、華奢〜! ついでに敏感〜」

「……あッ! ……やめろよ……!」

 あらぬ所をまさぐられ、思わず声が零れた。手を押さえようにも、 の細い腕はひらりひらりと踊るようにコノエの肌をくすぐっては離れ、掴み所がない。
 思わぬ器用さに翻弄されるコノエに、その時天の助けが舞い降りた。



「――おい、何をやっている。そいつを放せ」

「……ライ!」

  の手がピタリと止まる。振ってきた低い声に、コノエは嬉しくて涙目になった。
 ……正直、ヤバかった。

「何よ……邪魔するの……?」

「早く放せと言っている。この酔っ払いセクハラ阿呆猫が」

(――肩書き長ッ! ていうかヒドイ!)

 コノエが光速でツッコミを入れたのにも構わず、復活したライに見下ろされた は、それでもコノエを解放しなかった。
 不機嫌に呟いてからしばらく黙って睨み合っていたかと思うと、 はまたもやコノエを抱きすくめた。背後で低い笑い声がする。

「ふふふ……分かったわ…。アンタ、羨ましいんでしょう。……コノエにこうして触れる私が!」

「そっちかよ!?」

 高らかに宣言した に、コノエが思わず再度ツッコミを入れる。この場合、ライが羨むのならコノエであって ではない。コノエがそっと振り仰ぐと、白猫は無言で立ち尽くしていた。

「……阿呆猫が……!」

「ふふん、でもコノエは渡さないわ。アンタみたいな意地悪猫にはね。……コノエだって、私の方がいいわよね……?」

 挑戦的にライに言い放った は、その次にコノエの耳に唇を寄せてふっと囁いた。その甘い響きに、思わずコノエがくらりとなる。

 何だか壮大な勘違いをしているが、というか酔っ払い同士のくだらない遣り取りにすぎないのだが、 がこれほどにコノエを求めた事があっただろうか。いやない。
 感激したコノエが思わず状況も忘れて頷こうとすると、ふいにその拘束と背中にあった重量が消えてなくなった。



「俺だって、こんな白くて硬い奴より の方がいい……!」

 次にコノエが見たのは、今度はアサトに背中から抱き付かれた の姿だった。むしろしがみ付かれた、と言ってもいい。
 いつの間に起きたのか。コノエがぽかんと見ていると、擦り寄るアサトの頭を が抱え込んだ。そして、その喉をゆっくりと撫でていく。

「そう……いい子ね……。アサトは、私の方がいいのね……」

 次第に喉を鳴らし始めたアサトを見て、コノエは を驚愕の眼差しで見つめた。

(飼い慣らしてる――!!)

「でも、硬いのは私も好きだわ……。アンタみたいに黒いのも……好きよ――」

(しかも、なんか卑猥なカンジに聞こえる――!!)



「……おい。いい加減にしろ」

 まったりと濃密な空気を作り始めた二匹の間を裂いたのは、またもやライの低い声だった。
  の手を引き、アサトから離れさせる。アサトは反発するような表情を一瞬見せたが、すぐにまた床へと崩れて眠り込んでしまった。

「明らかに飲み過ぎだ。外で頭を冷やしてこい。……行くぞ」

 ライに引かれてふらふらと歩き出した は、だが次の瞬間その手を捻り上げた。関節技である。不意打ちを決められて怯んだライを、 が食堂の壁に押し付ける。


「――っおい! 何のつもりだ!」

「さぁ〜て、何のつもりでしょう? ……せっっっかく私が可愛い子達と交流を育んでたのに、なんでアンタは邪魔すんのよ!」

  はライの手首を掴んだまま、顔を寄せた。……今度は目が完全に据わっている。

「どこが交流だ。一方的に絡んでいただけだろうが」

「あ〜ん? ……あ、分かった。アンタも構って欲しかったんだ」

「……馬鹿か」

 ライを押し付けた が、何かを思い付いたように顔を上げて笑った。その蕩けるような笑顔に、思わずライが息を呑む。

「ヤキモチねヤキモチ。構って欲しいならぁ……――アンタももう少し可愛くなりなさい」

「ぐ…っ、おい!」

 ライの髪を指に絡めて猫撫で声を出した は、次の瞬間その髪を引っ張った。ドスの利いた声音で低く呟く。


「可愛くするには〜……、うふ、ふふふ……こうだわ……」

  は両手に握った白い髪を据わった目で見つめていたが、やがて何を思ったのか懐から紐を取り出し、その髪を二つに結わえ始めた。……ツインテールである。

「……おい……何をしている……!」

「黙って。……うー、手が届かない……」

 高い位置で髪を結ぼうとする は、必然的にライの身体に密着した。柔らかな身体が押し当てられる様子に背後からコノエの息を呑む気配が飛んできたが、 には全く届いていなかった。



「できた! これでアンタもかわい、く……」

 律儀にも を払い除けなかったライのおかげで、ツインテール・ライは無事完成した。その出来栄えを満足げに見上げた は次の瞬間、口元をいびつに強張らせた。

「ぶ……ぶはッ! アハハハハ! な、なんでアンタそんなになってんの!? おっかしー!」

  は口元を覆うと、涙目で今度は笑い出した。腹を抱え、床まで叩いている。突如として豹変した の態度に、ライの額に青筋が浮いていった。

「…………。……おい、お前……」







「――なあ、 って酒飲むと……」

  から解放されたコノエは、事態をにやにやと見守っていたバルドに再び近付いた。
 ……にやにや? 違う、バルドも心なしか顔が強張っている。

「ああ……すごい攻め体質だな……。しかも絡み酒で笑い上戸か……。濃いな」

「酒癖……本当に悪かったんだな……」

 ある意味予想を上回る感じだ。コノエはうすら寒いものを覚えて、我が身をかき抱いた。
 ……さて、どうやってこの恐ろしい事態を収拾しよう。

「仕方ねえな。――おい 、その位でやめてやれ。確かに可愛いがなぁ、コイツ固まってるぞ」

「……貴様……」

 頭を掻いたバルドが、ヒーヒーと床にうずくまる に向かっていった。コノエも後に続く。
 その肩を抱き起こすと、笑いの収まった の胡乱な瞳がバルドを見上げた。ライが無言で髪紐をむしり取る。


「あれ? バルド? ……アンタも可愛くなぁい……」

「はいはい。……分かったからもう休め。な?」

 ぼんやりと据わった眼差しで、 が唇を尖らせる。だがその語尾は掠れてきていた。バルドが の肩を叩いて立ち上がらせようとすると、 はごねるように緩く頭を振った。

「やだー。……アンタを可愛くするには…まず髭を剃っ、て……」

「剃るなよ。……あんた、もう眠いんだろ」

「うん……。あ、でもやっぱ剃るのはダメ……。私、ヒゲ……好きだし……」

 途切れ途切れに呟くと、 はとうとうその瞳を閉じた。カクンと首が下がる。一息に寝入ったその様子に、覗き込んだ三匹から安堵の声が漏れた。

 「そうだったのか……」というツッコミの声は、 には届かなかった。


















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