その領域は、今日も皮膚を突き破って侵食するほどの憤怒の力に満ちていた。
いつもは玉座が設えてあるだけの空間は、今は豪奢な寝室の形を取っている。 華美ではないが品の良い重厚な空間はここの主の趣味なのか、それとも珠玉の眷属の趣味なのか。それは誰にも分からない。
寝台の上で、二つの影が揺らめいている。紅の髪を持つ男のもとへそのとき一人の女が寄り添った。 見事な金髪を腰まで垂らし、豪奢な真紅の衣装を纏っている。赤く色付いた唇の上にあるのは紅玉のような紅の瞳。――艶かしい魅力を持つ、美しい悪魔だった。
女は背後から男の首に手を回し、その頭に生える角に舌を這わせた。男にしなだれ掛かり、懐を見下ろす。男の足元ではもう一人の悪魔がその熱を咥えしゃぶっていた。 女は――
は甘い声で囁いた。
「ねぇ………コノエ、そろそろ返してちょうだい」
終章 永劫の炎
「――己が出した炎で焼け死ぬつもりか?」
赤い視界の中、突然響いた豊かな声にも
は動じる事がなかった。 涙も乾ききった瞳でゆっくりと振り返ると、紅蓮を背景に憤怒の悪魔が立っていた。堂々たるその様子に皮肉な笑みが漏れる。
「あは……それも、いいかもね……。私のことも、殺してくれるかな……」
自嘲するように笑い、視線をコノエに戻す。身体は冷たくなりつつあったが、赤い炎に照らされたその顔はまるで生きているかのようだった。 コノエをもう一度抱きしめ、
はラゼルをちらりと見遣った。
「……アンタも早く逃げたら? 悪魔が焼死なんて格好悪いわよ」
「炎を操る者に向かって言う台詞ではないな。その気になれば、今すぐ消す事もできる」
「そう……。……どうでもいいけど」
――どうでもいい。
は空っぽになった心で、最期の時を待っていた。
コノエを殺したのは自分だ。だけどそれに気付いた時、後悔や絶望の感情よりも先に
は憤怒を選び取った。
殺してやりたい。リークスも、コノエを殺した自分も、自分をまだ生かしているこの世界も……全てなくなってしまえばいい。 コノエを固く抱きしめる。これから共にいる事を許されないと言うならば、せめて死ぬ時までは誰よりも近くにいたい。
早くふたりにして欲しい――そう非難を込めて見上げた
に、ラゼルが告げた。
「その猫……まだ完全には死んでいないな。助けてやれない事もないが、どうする……?」
「……ッ、本当に……?」
はラゼルの言葉に初めて反応した。目を見開き、探るように悪魔を見上げる。
「ああ。傷はわずかに心臓を逸れているようだ。もっとも、あと数分もすれば完全に死に至るが」
「……助けて……。コノエを……助けて! お願い……っ」
話を遮って
は叫んだ。縋るようにラゼルを見つめる。 すると憤怒の悪魔はゆったりと笑みを形作った。その時の
には、それは例えようもなく魅力的な表情に見えた。
「ただし、これは契約だ。相応の代価は払ってもらう。条件は――」
ラゼルが告げる。
は一瞬たりと迷う事なく、ラゼルの言葉に頷いた。 さもおかしいものを見たと言うようにラゼルが笑う。告げられた言葉に皮肉な笑みを浮かべ、
は答えた。
「……正気か?」
「正気? ……嫌になるくらい正気だわ。狂えたのなら……どれだけ楽かしらね」
燃え盛る炎に金糸が揺らめく。炎の影を映して、
の瞳はラゼルを捉えた。 そしてコノエを抱えたまま手を伸ばすと、雌猫は悪魔の手を取った。
+++++ +++++
「……残念だな。コノエはもう限界のようだぞ」
「またぁ……? 自分ばっかり独占するの、やめてよ。今日はコノエとしたかったのに……」
ラゼルにしなだれ掛かった
は、不満げに唇を尖らせた。
今ラゼルの熱をしゃぶっている悪魔……コノエは、先程までラゼルに貫かれていたせいか消耗しているようだ。
ラゼルが散々コノエを抱くせいで、最近
はコノエと交われていない。もっとも、その分ラゼルに抱かれているのだが。
はコノエが熱から唇を離すまでの手持ち無沙汰な時間を、ラゼルの角をしゃぶる事で埋めた。 性感どころか感覚すら通っていないのは分かっているのだが、コノエを見て感じてしまった熱を同じ行為で発散してみたかったのだ。
固い表面を舐め、ラゼルの耳に聞こえるように啜り上げる。ラゼルの手が太腿を這うのを感じながら、
はひどく冷静な思考を働かせていた。
ラゼルがコノエを救う条件として提示したのは、たった一つだけ。 それはコノエと共に、
も悪魔へと転化すること。
種族が変わる事など、そのときの
にとってはどうでもいい事だった。 コノエとこれからも共にいられるのなら形など何でも構わない。 正気と言いながら、とうに狂っていた自分の思考を
は自覚していた。
そして
はラゼルに忠誠を誓った。……彼の、眷属として。
長衣をまくり上げ、
は挑発するように足を開いた。既に濡れそぼった潤みに向かい、コノエによって昂ぶらされたラゼルの熱がゆっくりと迫る。
ラゼルはコノエが上に乗る事を好んだが、
に対しては様々な態度を求めた。 時には女王のように待ち、また時には娼婦のように腰を振って雄を翻弄してみろと教え込んだ。だから
はあらゆる手練手管で雄を感じさせる事ができる。
「……うっ、ン……。はぁ……」
中途半端に押し倒され、熱を呑み込んでいく。だが
の視線は、隣にいる疲労した様子のコノエに向けられていた。
「……出してやったらどうだ? 舐めながら、感じていたようだからな」
「……っん、ん……言われ、なくても……するに決まってるでしょ……」
揺さぶられながら、コノエの熱に手を伸ばす。
はコノエの腰を引き寄せるとその上気した顔を見上げた。
「――悪い、
。……コイツ、しつっこいから……」
「……いいよ。その代わり……後でしようね」
互いに微笑んで、熱を頬張る。甘い汁を舐め取りながら
は無上の幸福に酔った。
この身体は、あれから幾多の雄たちを受け入れてきた。 それはかつて共に闘った悪魔であったり、欲望を露わにした愚かな猫であったりしたけれど、
を本当に心の底から満たす事ができるのはコノエとラゼルのふたりだけだった。
はふたりを何度となく求めた。それぞれと単独で交わるのは勿論だが、コノエとラゼルが交わっているのを見せ付けられて自慰を強要された事もあった。 それでも
は幸せだった。永遠に切れない絆を見つけたのだから。
コノエは変わった、と
は思う。転化を経て、かつて持っていた特徴が全てとは言わないが半分くらい入れ替わってしまったように思う。 それが悪魔になるという事なのかもしれないが、新たな魅力に
は再び恋をした。
それに対し、
は変わらぬ思考を持ち続けている。歪んだ現状や破滅に向かう祇沙を冷静に観察する目も、捨てる事はできなかった。猫であった頃の心のまま、悪魔として身を堕とす。 変わらないという事こそが、望んで転化したという歪みに対する罰なのかもしれない。
だけどそれも――どうでもいい。
長衣の深いスリットから覗くのは、太腿に刻まれた憤怒の紋章。 この痣を抱きしめて生きていく。コノエとラゼルと……永劫の闇を。
「……ッ、あ……っア……ッ!!」
憤怒を媚薬に変え、紅の寝台で悪魔は果てた。その唇は、幸福な笑みにしなっていた。
愛してる。……愛してる。それだけを、強く想う。
後はただ――堕ちていくだけ。
END
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