重厚な城を模した空間に、一人の悪魔が降り立った。
長い金髪をなびかせた女は石造りのその天井を見上げ、次いで空間の真ん中に置かれた大きな寝台に目を向けた。
寝台の上に横たわるのは大柄な白髪の悪魔。大の字で高らかないびきをかいているその男を見下ろすと、 は剥き出しの腹を平手で打った。
「起きてよ、ヴェルグ。――仕事よ」
紅玉 - Accomplice -
「ってーな! 何しやが――あぁ?」
飛び起きた快楽の悪魔が、憤怒の形相を浮かべた後に目を見開いた。灰と緑のオッドアイに、枕元で見下ろす の姿が映る。
存外子供っぽい表情で呆気に取られているヴェルグに、 は歪んだ笑みを浮かべた。
「アンタ、寝首を掻かれても知らないわよ? どうせならその腹に爪でも叩き込むんだったわ」
「うっせ。そこらの悪魔に不意打ちされて殺られるワケねーだろが。つーか完璧痕ついてんじゃねえか。どうしてくれんだよこの女!」
「あら、紅葉みたいで可愛いじゃない。どうせすぐ消えるんだから、いちいち怒ることもないでしょ」
がなるヴェルグに、 はしれっと返した。いつも通りのやりとりだ。苛立たしげに短髪をかき混ぜたヴェルグは、ふいに冷めた表情に戻ると を見上げた。
「んで? 人のくつろぎタイムに何の用だよ。帰り道間違えたか?」
「いいえ。……お裾分け」
「あ? ……っ」
は寝台に乗り上げると、ヴェルグの顎を掴んで唇を奪った。
さすがのヴェルグも目を丸くする。力の抜けた唇をこじ開けると、 は男の口腔に舌をすり寄せた。舌に残る苦味を、赤の他人に明け渡す。
「…っ! ――ぅえッ! て、てめー…! 何飲ませた!」
「ん? だから、お裾分け。とある魔術師様の快楽が、たっぷり一年分詰まってたでしょ?」
の肩を突き放し、ヴェルグが腕で舌を拭った。 がにやりと笑うと、ヴェルグが心底嫌な表情をする。
「ざっけんなよ。誰が野郎のなんか飲みたがるか! しかもアイツのかよ、おえ〜……。アイツ食うなんて、お前もいちいち物好きだな……」
「これ、アンタも結構好きそうだと思ったんだけどね。……それより、残念ながら食ってないのよ。ガードが固くってねぇ」
金糸をかき上げて、 はぼやいた。
――つい先ほどまでの出来事を思い出すと、頭のどこかが波立つような気持ちがする。
拘束した四肢、逃れられない獲物、屈辱に歪む端整な顔……全てが自分の思うがままで、逆転した立ち場に優越感を感じていたはずなのに、何かが満たされなかった。
ならば一体自分はどうしたかったのか。リークスにどんな反応を期待していたのか。
ぼんやりと中空を睨んだ は、横顔に向けられた探るような視線に気が付かなかった。
「おめーよぉ……なんか怒ってねぇ?」
「……は?」
呆れたような声音に、ふいと視線を向けた。見るとヴェルグがニヤニヤと相好を崩している。
「すっげ苛ついてんだろ。ああ、欲求不満ってヤツか」
「…………」
ヴェルグの言葉に は眉を寄せた。――ああ、そうか。これは苛立っているのか。
普段から強い憤怒の感情に接していると、己の中の些細な怒りなどほとんど見えなくなってしまう。非常に久しぶりに胸に渦巻いた感情に、 はようやく気付くことができた。
だが見当違いのヴェルグの指摘を、わざわざ訂正するのも面倒くさい。 はヴェルグの鼻を摘まむと、同じようににやりと笑った。
「――そう、欲求不満。だから相手しなさいよ。得意でしょ?」
「……そりゃ得意だぜ。専門分野だからな」
ヴェルグが面白そうに片眉を吊り上げた。 の手首を掴み、至近距離から覗き込む。
「だが俺でいいのか? さっきからアイツが呼んでんのが俺にも伝わってきてっけど、後で叱られても俺は知ったこっちゃねぇぞ?」
「ふん、相手なんて誰だっていいのよ。ラゼルには今コノエが付いてるから、多少遅れて行ったって変わらないわ」
(……嘘だわ。本当はこんなみっともない苛立ちを、あの悪魔には感付かれたくないから)
「へぇ。じゃあ、憤怒の淫魔サマがどれだけ楽しませてくれんのか見物だな」
「……馬鹿じゃないの? 楽しませてもらうのは私の方よ。せいぜい頑張ってちょうだい」
(――最後まで落ちなかったあの猫の代わりに)
はヴェルグを覗き込むと、噛み付くような口付けを仕掛けた。
頭の中に赤い髪の悪魔からの要請がちらついている。それを無視して、いやあえて遮断しないまま他の男との情事に耽るのもまた一興だ。
猛々しい口付け――というよりはすでに喰らいつかれていると言うべきか――の後に、引き千切るような勢いで赤のドレスを掴まれた。
鋭い音がして布が裂けていく。猫であった頃と違って実体があるものではないから良いのだが、傍から見ればまるでレイプだ。無残に引き裂かれた布の間から白い肌が零れ落ち、ヴェルグが好色に唇を歪めた。
「……随分従順なんだな。こういうプレイにも慣れっこってか」
「まぁね。合意の上だし……まぁ合意じゃない方が面白くはあるけど」
「へっ。ちったぁ抵抗してくれた方がこっちとしちゃあ面白いのによ」
「そんな白々しい……。――ッ! いった……」
顔を歪めたのは、ヴェルグが両の手首を掴んだからだ。片手で纏められ、シーツの上に引き倒される。力を失った の顎を掴むと、ヴェルグはその頬をベロリと舐め上げた。
「つっ……」
「この傷、やられたのか? 悪魔の眷属がざまあねぇな。治そうと思えば治せるだろうに」
「そんな無駄なことに魔力を使う気はないわね。それより手、放しなさいよ。馬鹿力痛いのよ!」
「うっせ。黙ってろ」
再び手首に力を込めたヴェルグが、残った衣服を容赦なく剥いていく。ほどなくして裸体を晒された は、休む間もなく両足を思い切り広げられた。
「…っ……」
「……へっ。もうグチョグチョじゃねーか。触るまでもなく、準備万端ーってか」
「……相変わらず品のない男ね」
ヴェルグの目下では、既に濡れそぼった秘所が雄を誘っているはずだ。
シミ一つない白肌に、男が手を伸ばす。衣服を全て取り去られても顔色一つ変えなかった だが、その手がいきなり局部に触れるとさすがに顔が歪んだ。
「……っん……」
「散々遊んでる割にはお綺麗じゃねーか。今まで何人雄どもを咥えこんだ?」
「さぁ、ね……忘れちゃったわ。いちいち覚えてなんか……、はっ…いられないもの……」
「けっ、薄情な女だ。お前が相手した猫どもに何匹か会ったが、みーんな魂抜かれたみてーに骨抜きになってたぜ。そんで、俺のとこに『もっと快楽をくれ』って泣きついてくるんだ。さぞかし素晴らしいお身体なんだろうよ……!」
「私の知ったことじゃないわ……」
の肌の上を、荒々しい愛撫が駆け抜ける。
心は平静なままだ。それでも、身体は従順に熱を持ち始めていく。息を乱して紅潮した を満足げに見下ろし、ヴェルグが自身のベルトを解いた。
猛った熱が現れ、そのまま貫かれる――
「――なんて思ったら大間違いよ?」
「は? ……ッ、ぐお…っ!?」
両手を離した隙をつき、 はヴェルグの首に掛けられたままのファーを思い切り引っ張ると、ヴェルグを押し倒した。そのままひらりと体勢を入れ替え、黒いファーを抜き取るとそれを男の後ろ手に縛り付ける。
ヴェルグがあっという間もなく、鮮やかすぎる手付きで は男を拘束した。
「な…、てめー! これからって時に何しやがる!?」
「だって、あんなんじゃつまらないんだもの」
――事実だ。ラゼルとコノエに慣らされた身体は、普通の交わりではもう満足しなくなっていた。
全裸で逞しい腰に乗り上げ、 はヴェルグの胸を押さえ付けた。ヴェルグがもがくが、そうするほどにファーの食い込みが強くなる。身体に合わせて揺れる剛直をつま弾き、 は朗らかに笑った。
「どう? 新鮮でしょう? それじゃ頂きます……っと」
「ちょ、待て……! おい…っ!」
抗議の声などあっさり無視して、 は屹立を掴むと腰を上げた。そして自身の潤みに先端を押し当てると、一気に腰を下ろした。
「――っ……。さすがに、大きいわね……」
「おまッ……、ふざけんじゃねー!」
大柄な悪魔の熱は、いかに慣れた の身体でも持て余すほどに大きかった。腹をいっぱいに満たす圧迫感に眉を寄せ、 は眼下の悪魔をじっくりと観察した。
がなる悪魔の肉体は、どちらかというと細身の部類に入るリークスとは全く対照的だ。雄の猛々しさをそのまま体現したような、恵まれた肉体。それはラゼルやコノエともまた異なっていて、 の目を十分に楽しませた。
「こいつ解きやがれ! なんで俺様がお前の下になんなきゃいけねーんだよ!?」
「往生際の悪い男ね。たまには虐められる方も体感した方がいいわよ? 攻め手一方なんて快楽の悪魔の名が泣くわ。ほら言ってみなさいよ、『早く動いて下さい』って」
「いって! 尻尾振るうんじゃねー! お前、従順だと思ったら狙ってやがっただろ……っ」
ヴェルグはなおも牙を剥き出している。 は髪をかき上げると、妖艶に笑った。
「じゃあ解けば? 魔力を使うまでもないでしょ? アンタの腕力があれば、本当はそれを解くのも私を押し倒すのも何でもないことのはずだわ。それをしないのは興味があるから。違う?」
腹に手をついて、ゆっくりと上下に動き始める。絞り取るように中を締めると、ヴェルグの眉がきつく歪んだ。
「ざっけんな。誰が……!」
「はっ、じゃあ怒る? いいわよ、アンタが怒れば怒るほど、私は気持ちよくて仕方ないもの。……怒りをちょうだい。ねぇ、もっと、怒ってよ……!」
言葉に合わせて、上下に激しく腰を振る。すると面白いようにヴェルグが反応し、 は内心でほくそえんだ。……可愛い男だ。本当は怒ってなどいないだろうに。
「……っ、……お前、中きっつ……。おい、いいから解けよ。乳もどこも触れねぇだろうが」
「ふふ……、なら、目で楽しみなさいよ。感じてる顔だけは見せてあげる。……ア……、快楽なら、アンタには伝わるでしょ…っ」
髪を肩に流し、 はヴェルグの真上に顔が来るよう身体をずらした。
逞しい肩を掴み、腰を動かす。揺れる乳房も、感じる顔も嬌声も、何も隠しはしない。こうした方が男という生き物が悦び、またその視線で自分がもっと感じることを知っているからだ。
ヴェルグは戒められた手をもどかしげに蠢かせながら、耐え切れなくなったように腰を突き上げた。
「……ムカつく女になったもんだぜ……!」
その言葉に、 は嬌声の合間に晴れやかな笑みを零した。
互いを追い詰め、激しく奪い合う捕食のような時間が過ぎたあと。疲弊した悪魔たちは互いに寝台に臥せっていた。
汗ばんだ髪をかき上げて身体を起こすと、オッドアイとちょうど視線が合った。両者とも仏頂面でしばし見つめ合い、やがて意地の悪い笑みを唇に浮かべる。
情事というよりは、悪事を共に働いたあとのような気分だ。
愛しさなど感じない。慈しみなど与えてはやらない。ただ互いの渇きを満たすために抱き抱かれ、その後に感傷を覚えることなどない。そういう関係が、 は心地良いと感じていた。
とヴェルグは相容れぬようでいて、その実非常に性質が近いのかもしれない。ふらりと出向いて出会えば、深く考えずに身体を重ねる。余計な言葉などいらない。そういう付き合いを今まで何度か繰り返してきた。
ラゼルの心の内は深すぎて、 にはまだよく分からない。暴こうとしても知れば知るほどに様々な面が見えてきて、底がないのではないかと思わせる。そんなところが他の雄たちとは一線を画していて離れられない要因の一つにはなっているのだが、時折そこに苛立つこともあった。
その点、ヴェルグの感情はストレートである意味濁ったところがない。だからこうして、たまに触れたくなるのかもしれなかった。
「――お前の目、真っ赤になっちまったな。前は俺と揃いで結構好きだったのによ」
ぼんやりとオッドアイを見つめていた の右目に、ヴェルグの指が触れた。
かつてそこにあったのは、緑の虹彩。そう、確かに目の前の悪魔とよく似た色をしていたかもしれない。我知らず は苦笑を浮かべた。
懐かしむような指先は、感傷か。……自分たちにそんなものは似つかわしくない。
「……赤は似合わないかしら?」
「いーや? 似合いすぎてムカつくくらいだ」
「そうよね。私もそう思うもの」
「けっ。よく言うぜ」
己を否定することなどしない。この悪魔のように傲慢に、欲に正直に、ふてぶてしく。利用できるものは全て踏み台にして生き続ける。
は悪魔の指を弾くと、パチリと指を鳴らした。すると瞬時にドレスが元通りに直り、全裸のヴェルグは不満そうな視線を向けた。その目を無視して、さっさと立ち上がる。
いい気分だ。手っ取り早い手段だが、うだうだ埒もないことで苛立っていたのが遠い過去のことのように思える。
は石造りの扉に向かって歩き始めると、寝台を振り返った。すると大柄な悪魔はこちらの事などもう忘れたかのように、シーツにどっかりと沈み込んで寝息を立て始めていた。
「じゃあね。……お腹ぐらいしまって寝なさいよ。風邪引くわよ」
悪魔は答えなかった。ただ面倒くさそうにひらひらと片手が振られる。それに苦笑して肩を竦めると、 は重厚な扉を押し開けた。
END