11、双子猫と炎



「アンタ達――何者」

 低く唸り構えを取った が、双子猫に問い掛けた。二匹は顔を見合わせると、互いに首を傾げた。

「だれだろうなあ、ウル」

「だれだろうねえ、キル」

 答えが返ってくるとは思っていなかったが、二匹はいっそ楽しげにも見える笑みを浮かべ口を開いた。


「間違えたって……アンタ達も、コノエを追っているの?」

「そうだよ。のろわれたくろいねこ、おってきたんだ」

「でもまちがえちゃったね。なんでかなあ?」

  の低い問い掛けに、二匹は次々に言い合った。口調こそ無邪気ともいえるが、こちらに向ける殺気は先程から変わっていない。
 この二匹、相当強い。助けを呼ぶ隙すらもてず、 はじりじりと追い詰められた。

「おまえ、あのねことにたにおいするなあ」

「でもぜんぜんぎゃくのいやなにおいもするねえ」

「なんでかな」

「なんでだろうねえ」

「…………」

 二匹はまた意味の分からないことを口にした。以前、悪魔やフィリにも言われた言葉だ。ここまで来たらもう偶然とは思えなかった。 が口を開こうとすると、二匹は声音を低くして暗く笑った。


「リークスさまにいいつけちゃおうか」

「それもいいね。でも、こいつきにいらないからころしちゃおうよ、キル」

「そうしよう。ころしちゃおう!」

「……!」

 来る!  は剣をかざすと、飛び掛ってきたキルの剣を弾いた。動きが早い。立て続けに振るわれた斬撃を何とかやり過ごすと、 は後方に飛び退き間合いを取った。

「アンタ達も、リークスの手下なの!?」

「そうだよ。おまえ、めすなのになかなかやるな! でも、これならどうかな?」

 キルが笑うと、ウルはおもむろに腕に巻き付けてあった布を解き、表れた肌に自らの爪を立てた。 が目を剥いて注意深く見守っていると、重苦しい歌と共に澱んだ緑の光がウルから発せられ、キルを包み込み始めた。

(賛牙……。まさかこの双子、つがい……!)

 つがいには会ったことがないが、賛牙の歌により闘牙の能力が著しく向上するという。ただでさえ精一杯なのに、賛牙の支援があれば に敵うはずがない。絶望的な状況に は唇を噛んだ。
 だが逃げる隙など与えてはくれないだろう。 は全身の神経を研ぎ澄ませた。


「いくよ、ウル!」

「やれよ、キル!」

 叫びと共に、速度を増したキルが再び飛び掛ってくる。 が構えるより早く、その剣が振るわれた。

「……ッ! ――くッ…!」

 灼熱の痛みが の身体を焼いた。咄嗟に身体を捻って致命傷は避けたが、足をやられた。 は膝を付くと、斬られた太腿に手を当てた。手のひらに温かい血が触れる。
 そう深く斬られた訳ではないが、足を鈍らせるのには十分だろう。あとは一撃を振るうだけ――


(私……こんなところで終わるのか――)

  が絶望に身を沈めようとした、その瞬間。背後の茂みがガサリと音を立てた。






「アサト……!?」

 現れた黒い影に は息を呑んだ。アサトも目を丸くしたが、 の傷に気が付くと顔色を変えた。

!? ――ッ! その傷、やられたのか」

「……大丈夫、大したことないわ」

 目を剥いたアサトに、 は無理やり小さく笑って言った。アサトが来て、明らかに安堵している自分がいた。そのわずかな余裕が、諦めかけた の心を再び奮い立たせてくれた。


「おまえ、みないかおだな、くろいねこ。あたらしいなかまか?」

 するとそれまで笑い顔で に最後の一撃を喰らわせようとしていたキルが、手を止めてアサトを見た。 

「……あいつら、敵か」

 瞳孔を引き絞ったアサトが、キルとウルに目を向ける。 は立ち上がると、頷いた。

「リークスの手下で、コノエを追ってきたみたい」

「……コノエを苦しめて、 に傷を負わせた……。お前ら、許さない!」

 アサトから濃厚な強い殺気が立ち昇る。牙を剥いたアサトが、剣を抜いた。そのまま踏み込んでくるキルの剣を受けて、力強くはじく。
 アサトは強いが、それでもつがい相手には分が悪い。自分も支援しなくては――そう思った が動こうとすると、強い言葉で制された。


は手を出すな!」

「……ッ!」

 アサトの言葉に の身体が止まる。……そう、確かに負傷した が不用意に闘いに飛び込めば、アサトのペースを乱してしまう。 が立ち尽くすと、ウルが再び爪を振るって歌を紡ぎ始めた。

「くろいねこ、やるなあ! でもおれたちには、かてない!」

 光に包まれたキルの速度が、尋常ではないものに変わる。互角に遣り合っていたアサトだが、次第にその勢いに押され始めた。

「アサト!」

  が叫ぶ。ウルとキルの勢いは途切れない。自分も何か支援をしたい――!

(アサトの力に、なりたい――!)





「……ッ!」

  が強く願った瞬間、目の前が突然赤く染まった。次いで、ふわりとした浮遊感。身体を見ると、全身から鮮やかな朱色の光が立ち上っていた。

(なに……これ……)


「おまえ……サンガだったのか……!」

 光を受けて、キルが顔を歪める。 が呆然としていると、アサトが振り返った。その瞳が驚きに染まる。
 
……やっぱり――」

  の身体から流れる朱色の光が、アサトにも降り注ぐ。その光を纏わせて、剣を握り直したアサトは口元を綻ばせた。

、歌ってくれ。 が歌ってくれたら、俺は負けない」

「え!? あ――」

 アサトの声を受けて が我に返ると、身体の奥底から熱い衝動が湧いてきた。それに押し開かれるように は口を開いた。
 戸惑いや思考が入り込む余地もなかった。まるでそうするのが当然であるように、 の喉が力強く澄んだ歌声を発し始めた。

「おおおッ!」

 低く叫んだアサトを取り巻く朱色が、光を放つ。灼熱を帯びた刀身が光り、キルに振り下ろされた。戦況は一瞬にして逆転していた。

 ウルも腕を血に染めて必死に歌を紡いでいるが、徐々に押され始めたキルが苦しげに息をついた。そこへアサトは容赦なく踏み込んだ。 斬撃の手応えとアサトの殺気がダイレクトに に伝わってくる。その殺気に当てられないよう注意しながら、 もより一層の支援を送った。


「! ぐああ…ッ!」

「…! キル!」

 幾度にも渡る応酬の末、ついにキルが肩を押さえて膝をついた。――勝敗は決した。
 ……あれではもう剣を振るえまい。ウルが歌を止めて、青白い顔で叫んだ。

 その直後、アサトが顔色も変えずに剣を返し、キルに突き立てようとした。駄目だと叫ぼうとした の目にウルが動くのが見えた。赤く濡れた爪をかざし、アサトに向かっていく。

「おまえ……よくもキルを!」

「……! ダメ!」

 頭で思うよりも、身体が先に動いていた。次の瞬間、 は剣を掴むと無防備に背を向けたウルの背に、真っ直ぐに剣を突き立てた。


「ガ…ッ! あ――」

「ウル!」

!」

 短く呻いてウルが崩れ落ちる。その弾みでウルの背から剣が抜けた。血しぶきが の顔に飛ぶ。
 穏やかな炎のようだった光が徐々に失せ、 の心も急速に冷えていった。

 呆然と佇んだ の足元に、キルが駆け寄ってくる。それよりも早く の元に駆け寄ったアサトが、 を守るように立ち塞がった。だがキルは には目もくれず、倒れたウルを抱き起こした。


「ウル……ウル…ッ!」

 抱き起こされたウルは、既に事切れていた。その亡骸を抱き締めて、キルが悲痛な叫びを上げた。肉親の死を悼むその光景が、 に突き刺さる。

「あ……」

 衝撃に立ち竦む の隣で、アサトが動く。その剣は、ウルに覆い被さるキルの首に向かっていた。
 どんな状況であれ敵は殺す。そう告げるような純粋な殺気をはらんだ瞳に は我に返ると、その手を止めた。

「駄目! 駄目よ……もうこれ以上は……」

  の行動にアサトが物言いたげな視線を向けたが、 は首を振った。
 もう十分、もうたくさん奪った。これ以上この猫を傷付けてはいけない。これ以上、自分が罪を重ねることに は耐えられそうも無かった。

 アサトと が一瞬目を離したその隙に、キルがウルを抱えて木々の中へと飛び立った。


「おまえ……きんのめす! おまえだけは、ぜったいにゆるさない!」

 森の中から、憎悪に満ちた視線と言葉が に突きつけられた。

「どこまでもおってやる……まっていろ!」

「……待て!」


 その叫びを最後に、キルの姿は掻き消えた。アサトが叫んで追おうとするのを、 は手を掴んで止めた。

「いいから! もう、いいから……追わないで……」

  がそう呟くとアサトは困惑したようだったが、徐々に殺気を鎮めると心配そうな視線を向けてきた。

「いいのか。……追われる事に、なってしまった」

「……いいのよ。それだけの事をしたんだもの」

 ウルの肉を貫いた重みを思い出して、 は暗く告げた。罪は背負わねばなるまい。例え望んで手に掛けたのではないにしても。
 重い沈黙が二匹の間に落ちたが、ふいにアサトが顔を上げて口を開いた。


「…… 、血が」

「ん? あ……」

  が拭うよりも早く、 の頬にアサトの指が触れた。その指にはまだ鮮やかな血がべっとりと付いていた。
 一体、今自分はどんな顔をしているのか。それを想像して は苦く笑った。

「アンタの顔にも、付いてるわよ……」

  もアサトの頬に手を伸ばすと、少量付いている血を拭った。汚いとは思わなかった。

「……平気か」

  の手をそっと掴んで、アサトが覗き込んでくる。 は小さく震えたが、その青色の瞳を見つめ返し、無理やり笑みを作ると口を開いた。

「……平気よ」

 




 やがて、血を拭う二匹のもとに二つの足音が聞こえてきた。林の中から白い影と黒いフードの影が現れる。ライとコノエだ。
 無事で良かった――そう安堵した次の瞬間、 はその場に崩れ落ちた。

 








 

 

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