目を開けると、 は真っ白な世界の中にいた。
 右も左もおぼつかない。皆はどこに行ってしまったのだろうか。 が首を回すと、目前で楽しげな声が響いた。

「きんいろのめす、みぃつけたぁ」

(……ッ!)

 先程走り去ったばかりのキルがそこに立っていた。……なぜ。そう焦った は動こうとしたが、身体の自由が全く利かない。そうこうするうちに、今度は背後から再び別の声が聞こえてきた。

「ねこごろしのねこ、みぃつけたぁ」

(え……なんで――!)

 声は、なんとウルのものだった。恐る恐る振り向くと、そこには の剣を背後から刺したままのウルが青白い顔で立っていた。

「ウル、ころされちゃったなあ……ひどいねこ」

「もうキルのためにうたえないね……つみなねこ」

(違う! 好きで殺したんじゃない――! あの時はそうするしかなかった……!)

  が叫ぶと、ウルの背に刺さった剣をキルが引き抜いた。ウルの血に濡れた剣が、 の胸を狙う。 は恐怖に引き攣った。剣が、振り下ろされる。


「ささげよう。さいあいの、サンガに――」

(……ッ、いや……やめて――!!)






        12、背中







「いやぁッ!」

 次に が目を開けると、視界はまた白で埋め尽くされていた。まさか、まだあの場面の続きなのか―― が身体を硬くすると、傍らから聞き慣れた声が響いた。

「アンタ、目が覚めたのか……。良かった……」

「うなされていた。……大丈夫か」

  がゆるゆると目を向けると、そこには心配そうに覗き込むコノエと、隣にアサトの姿があった。

「……コノエ、と……アサト――?」

  が呟くと、二匹は頷いた。――つまり、今までのは夢か。ようやく見知った顔を見下ろして、 はホッと息をついた。心なしか、身体もやけに温かく感じる。

(え? 見下ろす……?)

 いつもとは随分視線の高さが異なる。……そういえば、一匹足りない。この視界を埋め尽くす白色の持ち主は、まさか――


「なッ……! ちょ、えええええ!? お、下ろして!」

  はなんと、ライに負ぶわれていた。身体が温かいと思ったら、これか。状況を飲み込めずパニックを起こすと は身体をバタつかせた。

「……耳元で喚くな。それから暴れるな阿呆猫!」

 至近距離からライの声が飛ぶ。誰かに背負ってもらうなんて、子供の頃以来だ。 は徐々に状況を把握してきたが、恥ずかしさに顔が赤く染まった。

「で、でも……ゴメン、重いでしょ!? 私歩けるから、下ろし――痛ッ!」

 暴れるのをやめてライの肩を掴んだ だったが、ふいに襲った痛みに顔を顰めた。ライが、 の太腿の傷を撫でたのだ。

「お前、何をしてる……!」

 途端にアサトの声が向けられるが、ライは を背負いなおすと低く口を開いた。

「こんな足をして、どこへ歩いていくつもりだ。……大人しく背負われていろ」

「足……? あ、そういえば――」

  はようやく自身の怪我のことに思い当たり、首を捻ると傷に目をやった。そこには厚く布が巻かれていた。クンと鼻を嗅ぐと、コノエの持っていた薬草の臭いがする。

「君が、手当てしてくれたの……?」

  がコノエに目を向けると、コノエは済まなさそうな顔をして小さく頷いた。

「それくらいしか、出来なかったけど――あの、本当にゴメン」

「え? ううん、ありがとう。血も止まってるみたいだし、もう大丈夫よ」

  が答えると、コノエは首を振った。

「そうじゃなくて――アンタを巻き込んだ。俺がやられるはずだったのに、アンタが襲われて……。あの猫を殺させて、今度はアンタも追われる羽目になった。――俺のせいだ」

「コノエ、それは違う。俺が油断したから に危険な真似をさせてしまったんだ。悪いのは、俺だ」

「…………」

 コノエとアサトが口々に自らを責める。全ての原因を負おうとする二匹に、 は困惑した。というか、何故コノエがそれを知っているのか。
 だがその情報元に はすぐに思い当たった。何故コノエに告げたのか。そんな思いを込めて軽くアサトを睨み付けると、アサトは目を丸くして首を傾げた。――ダメだ。全く意思疎通が取れていない。
  は溜息をつくと、コノエに目を向けてその顔を見据えた。


「どうして、君のせいなの」

「え……なんでって、俺に関わったからアンタにまで危害が加わることになっただろ……」

  が静かに口を開くと、コノエは当惑したように答えた。

「そう。……確かに、私は君たちと関わらなければここには来なかったし、あの双子に襲われることもなかったでしょうね」

「……ッ」

  の言葉に、コノエとアサトの顔が強張る。構わず、 は言葉を重ねた。

「でも、私が君たちに関わったのも君のせいなの? 私が自分の意思で関わったとは思ってもらえないの? それに、あの双子は私を見て『嫌な臭いがする。だから殺す』って言ったのよ。私自身に対して何か感じるところがある様子だったわ。これも君のせい?」

「…………」

「……何でもかんでも自分のせい、って思うのは傲慢なんじゃないかしら。自分のせいにすれば、私に落ち度は無かったことになるものね。私は楽な気持ちでいられるわよね。……でも、それは私が自分で選択して行動したって事を否定することになるわ。私の意志を無視してる」

「…………」

  の厳しい言葉に二匹は黙り込んだ。コノエに至っては辛そうに視線を伏せてしまった。 は眼差しと口調を和らげると、言葉を継いだ。

「……ゴメン、言い過ぎたわね。怒ってるわけじゃないのよ。……ただね、私、そんなに従順じゃないの。本当に嫌だったら絶対について来なかったもの。君たちに関わったのも私が望んだことだし、森に入って、結果としてあの猫を殺してしまったのも、私の意志だわ。私が選んだの。だから、君のせいなんかじゃないのよ」

……」

 アサトが戸惑ったように見つめてくる。その視線を受けて は小さく笑った。

「ほら、そんな顔しないの。コノエも顔を上げて。私の意思を尊重してくれるなら、自分ばかりを責めないで。……お願いよ」

  が告げると、ようやくコノエは顔を上げた。まだ辛そうな顔に半笑いのような表情を浮かべ、コノエは口を開いた。

「……アンタ、やっぱりすごいな……」

「そんなことないわよ。――何よ」

 訝しむ声を掛けたのは、それまで黙って遣り取りを聞いていたライが、低く笑ったからだ。それはとても小さなものだったが、身体が密着している にはダイレクトに伝わってきた。目前の白銀の頭を睨む。

「どうせ偉そうなことを、とか思ってんでしょ。笑いたきゃ笑いなさいよ」

「いや、感心してな。……子供の教育係にでもなった方がいいんじゃないか」

「どういう意味よ。アンタねー……」

 あまりの言葉に が呆れると、「誰が子供だ!」とアサトとコノエが同時に叫んだ。それを聞いて は目を丸くすると、小さく吹き出した。




「……そういえば、アンタも賛牙だったんだな」

 重い緊張が解けたところで、コノエが を見上げて口を開いた。その言葉に は首を傾げた。

「賛牙? ……誰が?」

「――お前以外に誰がいる、阿呆猫が」

  が間抜けに返すと、すかさずライから呆れた声が飛んだ。アサトがライを睨む。

を馬鹿にするな。…… 、覚えてないのか? 俺があの猫とやり合ったとき、歌ってくれた」

「覚えてるわよ。……え、あれ…そういう事だったの!?」

「そうだ。 が歌ったら赤い光が溢れて……凄い力が湧いてきた。今まで感じたことのない力だ。 がいてくれたから、俺は勝てた。 は凄い」

「あ、あ……そう」

 熱心に見上げてくるアサトに、 は妙に気恥ずかしくなった。考え込む振りをして、アサトから目を逸らす。

「賛牙……私、賛牙だったんだ……」

「……気付いてなかったのか」

 呆然と呟いた に、ライが問い掛けてきた。

「うん。私、闘牙なんだとばっかり思ってたし」

「……なんの根拠があってだ」

「うーん、なんとなく? 性格、とか……」

「……阿呆猫が」

 ライはたっぷりと沈黙した後、溜息と共に吐き出した。もういい加減怒るのにも飽きて は小さく口を開いた。

「うっさいなあ……。ねえ、それよりもそろそろ下ろして欲しいんだけど」

「駄目だ」

「なんでよ!」 

 二匹の遣り取りを聞きつけて、アサトがライを睨んだ。

「おい、嫌がっているだろう。そろそろ を下ろせ。次は俺が背負う」

「いや、そうじゃなくて……」

  がアサトにすかさず突っ込んだが、ライには を下ろす気はさらさらないようだった。

「もう平気だから……下ろしてよー」

「駄目だ」

「あのねぇ……。――そう、分かった。下ろさないならこうよ」

 呆れた がとうとう反撃に出た。目前の白銀の髪を一房掴み、軽く引っ張ったのだ。ライの頭が後方に仰け反る。

「! お前、阿呆猫……ッ」

 語尾に怒りを滲ませたライだったが、しばらくすると低く笑う気配がした。――まずい、怒らせただろうか。
  が手を止めて恐る恐る様子を伺うと、今度は の身体が突如として不安定に揺れた。ライが身体を傾けたのだ。

「ちょッ……うわ、何すんのよ! やめっ……アンタ、大人げないわよ!」

「お前こそ大人げないと言ったのを忘れたのか。黙って背負われていろ」

 振り落とされそうなほど振り回されて、 は叫ぶとライの背中にしがみ付いた。はなはだ不本意ではあったが。
 腹いせに自由になる尾でライの脚を叩くと、 の背中にも何かポフと触れるものがあった。見ると、ライの白い尾が の背後で揺れている。まさかライがそんな事をするとは思いもせず は目を丸くした。







 その日は結局、 の足の具合もあり森で一夜を明かしてから明朝に岩に向かうことになった。
 一眠りすると、火を焚いたそばで は立ち上がり身体の調子を確かめた。キルにやられた傷は血こそ流れたが、そう深くはなかった。これなら森を行くのにも特に不自由しないだろう。

 火のそばで眠るアサトと、火から離れたところで眠るコノエを見て は静かに背を向けた。コノエは、もしかしたら火が苦手なのかもしれない。ふとそんなことを は思った。

 闇色の森を歩み、見張りに立つ白い背中を見つけた。無駄の無い均整のとれたシルエット。あの背に負われていたのか。そう思うとなんとなく頬が熱くなった。


「――異常はない?」

  が声を掛けると、ライはゆっくりと振り返った。その目が の太腿へ向けられる。

「休んでいろと言ったはずだが」

「ちゃんと眠ったから大丈夫よ。色々あった割にはよく眠れたし、意外と図太いのかもね。足も、もう平気」

「……どうだかな」

「信用無いなあ。――ねえ、結局リークスには逃げられたの?」

  が肩をすくめて隣に並ぶと、ライは渋面を作った。

「ああ。あのまま消えたらしい。――おい、お前……」

「ん? なに」

「歌ったのは、今日が初めてだったのか」

「だから、そうだって言ったじゃない。賛牙だなんて思いもしなかったんだから」

  がライを見上げると、ライは真顔で驚くべき要求をしてきた。

「……歌え」

「え! 今? ……なんでよ」

「今後の戦闘の参考になる。いつ何があるか分からんだろう」

「そりゃそうだけど、でも……」

 今日倒れたのは、歌が原因で消耗したせいでもあるのだ。ここでまた消耗するのは避けたい。そう が戸惑うと、ライは静かに口を開いた。

「……誰が全力で歌えと言った。その性質が分かる程度の強さでいい」

 そう言われてしまうと、今日負ぶって歩いてもらった手前、無下に断ることも出来なかった。 は一つ息をつくと、上目遣いにライを見遣った。

「……言っとくけど、上手くないからね……」


 ライが口元で笑うのを憮然と見て、 は意識を集中し始めた。
 多少は消耗するかもしれないが、これも良い機会かもしれない。きっと肩の傷が癒えればまたあのキルが襲ってくるだろうから、戦闘は避けられないだろう。そのためにも、自らの歌を自在に操れるくらいにはなっておかねばなるまい。

  が瞳を閉じると、ゆらゆらと朱色の光が漂い始めた。ライが目を見張る。昼間のものよりは薄く、また穏やかな光がライのもとへと伸びていく。小さく口を開いて歌声を発すると、ライに光が降り注いだ。


「――もういいぞ。……分かった」

 数秒後、ライの声により は歌を打ち切った。朱色が闇に溶けて消える。 は小さく息をついた。それほど消耗はしていなかった。

「……どう?」

  がライを伺うと、ライがこちらに目を向けた。

「――炎、だな。お前の歌が届くと、身体と剣が熱くなるのが分かった。剣に熱を持たせる能力でもありそうだ」

「あ、それアサトも言ってた。刀身がね、こう赤く染まるの」

「ほう……お前、何か炎に縁でもあるのか?」

「縁も何も……私、鍛冶師だもの。今は休業中で研ぎ師になってるけど」

  が告げると、ライが軽く目を見張った。そういえば、この三匹にはまだ話していなかった。

「鍛冶師か。……まあ、お前の場合は気性が激しいという点でも縁がありそうだがな」

「いちいちうるさいなぁ……。ま、研いで欲しかったら声掛けてよ。お安くしとくわよ」

「そのうちにな」

 興味の薄そうなライの言葉を軽く流して、 はライに問い掛けた。

「コノエの歌は、どんなのなの? アンタは聞いたこと、あるんでしょう」

 比べるつもりなどさらさらないが、自分が賛牙と知った今、急に他の賛牙に対して興味が湧いてきた。 は好奇心を表に出してライを見上げた。

「……あいつの歌は、白だ。性質はよく分からないが――お前のものよりも光は強いと思う。声は出さずに、思念で歌を送る」

「ふぅん……歌わないでも力が出せるなんてすごいわね。私もいつか聞いてみたいな」

「ふん、まだまだ未熟だがな。――ところでお前」

 ライは偉そうに笑っていたが、笑みを消すと真顔で に向き直った。 もライの瞳を見上げる。


「なぜ、怪我を負うまで助けを呼ばなかった」

「なぜって……いきなり襲われたし。それに助けなんて呼ぼうものなら、即斬られそうなくらい強そうだったもの」

 突然の質問に は何を今更と思いつつ答えた。だがライは更に言葉を重ねてきた。

「ではなぜお前が賛牙を殺したんだ? あいつではなかったのか」

「アサトは闘牙を仕留めようとしていたのよ。近くにいた私の方が斬るのが早かった。それだけよ」

「…………」

「皆、そんなに気にしないでいいのに。――じゃあ私、戻るわね」

  が淡々と答えると、ライは押し黙った。それに構わず は踵を返した。




「俺が共にいれば……そんな怪我などさせなかった」

  が去った後のライの小さな呟きは、空気に紛れて の耳には届かなかった。
 森を歩む が見上げた木々の向こうで、空は白々と明け始めていた。

 






 

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