13、光満ちる地
短い休息の後、一行は四つ岩に向けて歩みを進めた。 その場所に辿り着くまではそう時間は掛からなかった。突如として開けた草原の中に、前回と変わらず岩が静かに立っている。
「不思議な場所だな……」
アサトの呟きに、
も頷いて応える。前回訪れた時と唯一違っているのは、光の量だ。
が来たのは夕暮れだったが、今は陽の月もまだ高い位置にある。光を受けて、岩は一層幻想的な光景を作り出していた。
「どうすればいいんだ……?」
心なしか気分の悪そうな表情をしたコノエが、ポツリと呟く。
はその様子が気になったが、静かに岩の中央を指し示して答えた。
「確証はないけど……そこの中央に立ってみたらどうかな。私もそこに立った時、急に目の前が暗くなって倒れたの。もしかしたら何かあるのかもしれない」
コノエは不安げな表情を浮かべながらも、
へと頷いてから静かに歩みを進めた。だがその場所に立ってみても、
の時とは違って何も異変が起こらない。
「……違うの? ――あ……ッ」
「……ッ、ぐ……」
が呟いてコノエの元へと歩き出そうとしたその時、突然コノエが膝を折った。胸を押さえ、苦しげに呼吸している。
「……コノエ? どうした」
「待って」
不安げに言って飛び出そうとしたアサトを
が制する。コノエを見ると、とうとう仰向けに昏倒してしまっていた。うなされてはいるが、とりあえず呼吸などに異常はなさそうだ。
はアサトとライを見ると、静かに首を振った。
「起こしちゃいけない……気がする。リークスはここに『開くべき扉』があるって言ってたでしょ。多分、今コノエはその扉に向かってるんじゃないかしら。不安だけど待ってみる以外にはきっと、何も出来ない」
がそう告げると、二匹はやがて小さく頷いた。三匹の間に沈黙が落ちる。
は岩のそばまで歩み寄ると、腰を下ろしてコノエを見つめた。隣にアサトが並ぶ。コノエのうなされている顔が痛々しい。すぐにでも起こしてやりたかったが、それは許されない。
早く扉を開けて、無事に帰ってきて。 片腕をぐっと握り締めると、
はコノエの目覚めをひたすらに待った。
やがて、どれ程の時間が経っただろうか。コノエの瞼がかすかに動き、目覚める兆候が見られた。 ハッとして身を起こした
の目に、信じられない光景が飛び込んできた。コノエの耳と尾が、黒から薄茶色へと色が変わっていったのだ。
「なんで――」
それはまるで季節によって毛が生え変わるようにも、一瞬にして毛を染めたようにも見えた。 呆然とする
とアサトのもとへ、茂みを揺らしてライがやって来た。そしてコノエは目を開き、上体を起こした。
コノエはしばらく状況が分からないようで呆然としていたが、そこへライが歩み寄った。
「……どういうことだ」
ライが顔を険しくしてコノエの腕を取ると、そこにあったはずの痣は全て消えてなくなっていた。
「呪い……解けたの……?」
も目を見開いてコノエの元へ歩み寄ろうとした直後、コノエの上空に黒い炎が突然現れた。
「ほう。無事に悪魔たちの闇を潜り抜けたか」
燃え盛る炎を纏わせて、招かれざる魔術師が再び死神のごとく降臨した。
「――リークス!」
その漆黒の姿に再び胸が締め付けられるような痛みを感じながら、
はリークスを睨み上げた。リークスの仮面が
を向く。
「ほう……歌を発動させたようだな」
何故リークスがそれを知っているのか。小さく動揺した
が眉をひそめると、リークスは黒い手袋に包まれた腕をすっと掲げた。
「何故、お前が賛牙として覚醒したか――知りたくはないか? 今見せてやろう」
「何を……!」
身構える四匹には構わず、リークスは四つの岩に向けて手を差し出した。するとそれぞれの岩の前に四色の炎が立ち上り、やがて炎は異形の者たちへと姿を変えた。
「――な……、悪魔……!?」
彼らの頭には耳の代わりに角が生えていた。さらに尻尾は硬質で光沢を持っている。 猫と同じような姿かたちを有しているが、明らかにこの祇沙では異質の存在の出現に
は目を見開いた。他の三匹も警戒を緩めず悪魔たちを見つめている。 すると、奇妙な仮面で顔の大半を隠した、悪魔たちの中でも最も異質に見える緑の悪魔が
の方を向いた。
「そうだよ、雌猫ちゃん。まさかまた会えるとはね。――僕を覚えているかい?」
「アンタ……まさかフラウド!」
が叫ぶと、他の三匹がぎょっとして
を振り返った。そう、この人を小馬鹿にするようなふざけた喋りの悪魔――間違いない、あの夢の中の緑の炎と同一だ。
「そうそう。覚えていてくれて嬉しいなあ。――ねえ君、僕が解放した力、使ってくれたみたいだね」
「あ"? 馬ッ鹿お前、もともと解放したのは俺の力がメインだったろーが。勝手に自分の手柄にすんなよ」
くねくねと
に擦り寄って来ようとしたフラウドの頭を、今度は大柄な白髪の悪魔が押さえつけた。左右で色の違う瞳がじっと
を見据える。この悪魔の声も聞いたことがある。
「アンタは……黄色の炎でしょう。解放したって、どういうことよ!」
「炎じゃねえ、ヴェルグだ。……へぇ、生で見ると生意気そうで結構イイ面してんじゃねえか」 覗き込むヴェルグの大柄な体格に圧倒されそうになったが、
はぐっと顔を上げた。
「……質問に答えなさいよ」
「おー怖。まだ分からねぇのかよ。お前が元々持ってた賛牙の力、俺たちが解放してやったんだよ」
「元々持ってた……?」
「そうだよ。君の力、誰かに強い力で封印されていたんだよ。まあ解けるのも時間の問題だったとは思うけどね。押さえ付けられていた力が少しずつ溢れ出して、ものすごくいい香りがしてたんだけどな……」
「……だから、急に賛牙の力が現れた――」
うっとりと言ったフラウドから本能的に身を引きつつ、
は呆然と四匹の悪魔を見た。そこへ、傍聴していた魔術師の声が割り込む。
「さて、そろそろ終わりにしてもらおうか。私にも時間がないんでね。――結局、誰の手にも堕ちなかったか」
リークスが嘲笑うと、四匹は怒る様子もなく静かに肯定した。しかしリークスが力を奪うと宣言した瞬間、悪魔たちに初めて動揺が浮かんだ。魔術師と悪魔の遣り取りを、猫四匹は固唾を呑んで見守る。
やがて悪魔たちは反撃に出たが、その超常的な力すらもリークスは片手でせき止めた。悪魔たちは悔しげに罵りながら、リークスの手の中へと消えていった。
悪魔は――悪魔すらも、利用されたのか。 敵のあまりにも強大な力に、
たちは圧倒された。リークスが静かにコノエを向く。歯を食い縛りながらも自分を襲う理由を問うコノエには答えず、リークスは全く関連の見えないことを口にした。
「ひとつだけ、忠告しよう。お前と深く関わる者はいずれ、同じ運命を辿ることになる」
コノエに向かってそれだけ告げると、呆然とした次に食って掛かったコノエを尻目に、リークスは再び黒い球体となって消え去った。
追おうにも消えてしまってはどうしようもない。釈然とせずに困惑と疑念を露わにするコノエをアサトと
がなだめて、その日はその場所から離れて野宿することになった。
休み場所を決めるなり、コノエは崩れ落ちるように眠り込んでしまった。とにかく色々な事があったし、緊張の糸が切れたというところか。 コノエの耳と尾は既に隠されていない。初めて見たその真実の色は、先端が柔らかい草のような薄い茶色に色付いていた。その色に
はふと目を留めた。
(どこかで見た事がある……。しかも、懐かしい――)
そう思い、
は首を傾げた。コノエには悪いが珍しい色ではないし、見た事があるのは確かかもしれない。だが
の親しい猫にはなかった色だ。懐かしいと思うのは何故なのか。
考え込んだ
の耳に、コノエのくぐもった呻き声が聞こえてきた。そっと覗き込むとその眠り顔は苦しげだった。思わず起こそうかと思ったが躊躇して、
はコノエの乱れて張り付いた髪をそっと直し、震える耳を柔らかく撫でるのにとどめた。せめて、夢の中でくらいは安らげたらいい。
「少し、顔つきが和らいだ。
はすごいな」
「ただ撫でただけよ。せっかく眠れてるのに起こすのも悪いし――」
傍らのアサトを振り返り、その声に
はそっと人差し指を立てた。それを見てアサトが小さく頷く。
「――まるで、姉と弟だな」
すると、それまでコノエの様子を静観していたライが静かに口を開いた。その顔を見つめ返し、
は静かにコノエの頭から手を離した。
「コノエが聞いたら怒るわよ……。ま、母と子みたいって言われなかっただけマシかしら。……でもアンタだって心配してるくせに」
「何?」
「心配でたまらないから、そばを離れないんでしょう? コノエにも伝えてあげたらいいのに」
「そうだ。お前はコノエを振り回すばっかりで、コノエも疲れている。ちゃんとコノエの事を考えろ」
「違う。そいつが賛牙だから共にいるだけだ。希少価値がある」
「! コノエを物みたいに言うな!」
声を張り上げたアサトを静かに制して、
は今にも口論を始めそうな二匹の間に立った。自分の指摘を素早く否定したライを見上げ、
は言葉を重ねた。そこまで頑なに否定しなくても良いものを。
「本当にそうかしら。賛牙なら他にだっているわ。それでもコノエを離さないのは気に掛けているからでもあるんじゃないの?」
ライは否定するが、ライがコノエを気に掛けているのは明らかだ。そうでもなければ厄介事に巻き込まれている者など、例え賛牙であっても構いはしないだろう。 必要としている事をコノエにも伝えてあげればいいのに。そう思って
が少々意地悪い気分で問うと、ライは予想した通りに渋面を作って黙り込んだ。
「……だったら、お前が共に来るか」
「え……」
「お前、何を言っている。コノエを放り出すのか」
予想外のライの返答に、
はぽかんと口を開けた。アサトが低く唸ってライを睨みつける。一体何を言っているのか。
「何……言ってるの」
「他にも賛牙はいると言ったな。お前も貴重な賛牙だろう。ならばお前が来ればいい」
「…………」
確かに言った。しかしそういう意味を持って言った訳ではない。
はライを見上げて口を開いた。
「嫌よ。行かない」
の返答に、ライの瞳孔がスッと冷たいものになる。 ――違う、アンタを拒絶するんじゃない。そう瞳に思いを込めて
は言葉を重ねた。
「貴重とか、価値があるとか……そういう言い方で扱われるなら一緒に行きたくない。もしそうじゃなく共に来いと言うのなら――その時は改めて考えるわ」
「必要とされねば動かない、か。随分と気位の高い賛牙だ」
「そうよ、私は高いのよ。……それにアンタだって、本気で言ってないくせに」
「何?」
ふん、と口端を吊り上げたライを見てから、
はちらりとコノエに目を遣った。ライが訝しげに問う。
「今コノエを手放すつもりなんてないんでしょ。だって、いつでも放り出そうと思えば放り出せたものね。――アンタだって、賛牙の力どうこうは抜きにしても、コノエの呪いを解きたいと思っている。……違う?」
「…………」
途端に黙り込んだライを見て、
はホッと息をついた。 沈黙は肯定だ。分かったような事を言ってしまったが、本当にライが賛牙としてのコノエにしか興味がなかったらどうしようかと思った。そうではないのだと、確認できて良かった。
はアサトと顔を見合わせると、小さく頷いた。ライは深々と溜息をつくと乱暴に髪をかき上げた。
この不器用な白猫には言わないでおこう。 さっき、共に来るかと問われて――反発感と共に、かすかな高揚を感じたことなど。
その後、結局自身も疲労に押されるようにコノエの傍で眠り込んでしまった
を見てアサトはしゃがみ込むとその金の髪をそっと梳いた。月の光を受けて鈍く輝くその色を慈しむように目に映すと、アサトは瞼を閉じた。
物怖じしない不思議な猫。自然と自分たちを導く、光をもった猫。
大切なものに触れるようにもう一度その髪を撫でて、アサトは二匹を護るように座り込んだ。 姉弟のような二匹の猫は、陽の月が昇るまで昏々と眠り続けた。
|