16、暗冬

 



 翌日は暗冬初日だった。 はわずかに聞こえる通りの喧騒に目を覚ますと、ふあ、と伸びをした。
 きっとバルドも忙しいだろうから頑張って手伝おう。 がそう思い支度を整えると、扉を開いたところでばったりとコノエに出くわした。

「あ、おはよう。早いわね」

「……おはよう……」

 コノエは から目を逸らして小さく告げた。伏せた顔がほのかに染まっている。朝から妙だなあと が考えを巡らせると、昨日の出来事に思い当たった。――照れているのか。
  はと言えば、自分がライを見た事はともかく、見られた事は既に大して気にしていなかった。コノエを刺激しないように普段通り振る舞うと、二匹は階段を降り始めた。


「昨日はあの後アサトを見かけなかったけど、結局君はどっちと同室になったの? ライとアサトって組み合わせはまさかないわよね」

「……どっちもだ」

「どっちも?」

「ああ。部屋の前で言い合い始めたから、段々イライラしてきて一日ごとに俺が移る事に無理やり決めた。……なんであの二匹、あんなに仲が悪いんだ」

 溜息を吐き出しながら告げたコノエに、 は同情した。二匹に挟まれるコノエの気苦労が見えるようだ。

「君も苦労するわね……。でも、それじゃ気が休まらないでしょ。私の部屋ベッド一つ空いてるし、来る? ……なんてね」

「……!」

 コノエが唖然として を見つめたが、前を向いていた は気付かなかった。コノエの顔が再び染まる。

「アンタ、冗談でもそんな事言うなよ」

「え。……冗談じゃなく本当に来たいの?」

「そうじゃなくて……」

 首を傾げる を見て、コノエは項垂れた。意味を分かって言っているのだろうが、冗談にしては性質が悪いし危険だ。というか、そこまで自分は雄として意識されていないのか。コノエはそう考えると、頭を抱えたくなった。




「――ああ、やっぱりすごいわね」

 階下に下りて、 は呟いた。隣のコノエが固まる気配がする。
 暗冬は悪魔を祓うため、逆に悪魔の仮装をするのが伝統になっている。 も実際に見たのは初めてだが、宿泊客らが思い思いの衣装に身を包んでいるのはなかなか壮観で、かつ奇異でもあった。
 二匹に気付いたバルドが手を上げ声を掛けてくる。

「ああ、起きたのか。だがもうほとんど朝食出し終わっちまったぞ。今日は皆早起きだからな」

「そうなの? ……ゴメン」

「いいさ。それより、あんた達もするか? 仮装。特にあんたはいつも同じフード被ってちゃ気が滅入るだろう」

 バルドが を見て小脇に持った黒い衣装を軽く上げた。 がコノエと顔を見合わせると、コノエは静かに首を振った。 も悩んだが、せっかくなので借りてみる事にした。来年は藍閃にいるかどうか分からないし、祭に参加してみるのもいいだろう。

「私は着てみようかな……。それでいいの?」

「いや、サイズが合わないからな。今出してきてやる」

 そう言って奥から衣装を出してきたバルドが、 に袋を手渡す。随分軽いんだなと思いつつ、 は着替えるべく再び二階へと上がった。





「ちょっと、アンタねえぇッ!!!」

 数分後、 はまっしぐらに食堂へと乗り込んだ。いつの間に起きたのか、ライとアサトも立っている。
 他の客は既にいなくなっていた。ニヤニヤと笑うバルドに先程の衣装を突き返し、 は叫んだ。

「こんなの着れるわけないでしょ!? 大事なところしか隠れてないじゃない!」

「そうか? よく似合うと思ったんだがなあ。……ほれ」

 そう言ったバルドが横にいたコノエとアサトに衣装を投げる。それを開いた二匹は硬直して、次に赤面した。

「なに渡してんのよ! ていうかアンタもちゃっかり見てんじゃないわよ!」

 後の台詞は興味なさそうな顔で、しかしさり気なく衣装を横目に見たライに向けたものだ。涼しい顔して大した猫だ。絶対ムッツリに違いない。 はそう確信した。

「確認したって事は、一度は袖を通したんだな。へーえ、ほー」

「一度だけよ! あんなの着て歩いてたら露出狂よ!」

 不躾に を見るバルドからなんとなく身体を隠し、 が叫ぶ。逆立ったその耳を撫でて、バルドが笑った。

「まあまあ、軽い冗談だ。そんなにカッカするなよ。頭に血が上りやすい猫は早死にするぞ」

「……アンタが早死にしなさいよエロ猫」

「まったくだな」

 冷ややかな口調で告げた に、背後から静かに賛同の声が掛かる。 は振り返り、その声の主を同様に睨み上げた。





 その後、バルドは笑って新しい衣装を手渡してきた。 は逡巡したが、結局はその衣装を着ることにした。
 今度はまともな衣装だった。なんとなく、あの寡黙だった赤い髪の悪魔の衣装に似ている気がする。ずるずるした服は少し動きづらいが、体型を隠すのにはもってこいだろう。まあそれでもフードは必須であったが。

  が静かに朝食を摂ると、コノエとライは別々に出掛けてしまった。 は朝食の皿洗いを済ませ、受付にぽつんと残ったアサトに声を掛けた。

「アサトは出掛けないの? 私は少し祭を見てくるけど、良かったら一緒に行く?」

  が問い掛けると、アサトは目を丸くしてしばらく黙った後に「いいのか」と問うてきた。いいも何も、誘ったのはこちらだ。せっかくなのだから誰かと一緒に行った方が祭も楽しいだろう。頷くと、 とアサトは連れ立って表に出た。

 
 外に出た途端、猫・猫・猫の波に は圧倒された。傍らのアサトを見上げると、 以上に顔が強張っている。

「大丈夫? 混雑が苦手だったら引き返そうか?」

「……いや、平気だ。はぐれないようにしないと」

 そう言ったアサトが、なんと手を差し出してきた。 は驚いてその浅黒い手を見つめる。

「? どうした。握らないと、はぐれてしまう」

「あ、うん……そうね……」

 思わず顔が熱くなったのをフードで隠して、 はその手をそっと握った。アサトが力強く握り返す。

(妙に考えるな……! 他意はない、他意はない! ……多分)

 呪文のように頭で唱える を不思議そうに見て、アサトは猫の波へと歩き出した。
 祭を見るといっても、特に目的がある訳ではない。二匹は露店をなんとなく眺めては路地で休憩を取った。


は鍛冶師なんだな。コノエに聞いた」

 何度目かの休憩で、アサトが白い牙を覗かせて言ってきた。

「コノエに? ああ、コノエもきっとライから聞いたのね」

「そうか。 は凄いな」

「別に凄くないわよ。アサトは私を褒めすぎ。……今は休業してるけど、剣を研ぐくらいは出来るよ。必要があったら言ってね」

  が言うと、アサトが大きく頷いた。二匹の間に穏やかな沈黙が落ちる。

「――その服、似合うな」

 ふいにアサトが話題を変えてきたので、 は少々気恥ずかしい思いで小さく礼を言った。もう以前感じたような後ろめたい気持ちはしなかった。

「でも、アサトにもきっと似合うよ。あ、でもヴェルグみたいな衣装の方がいいかな? いや意外に青い悪魔のも似合うかも。……何にしても、フラウドのはお断りよね」

  が笑って返すとアサトも「そうか?」と首を傾げたが、急に首を通りの方へと捻った。軽く鼻を嗅ぎ、耳が揺れる。

「いい匂いが、した」

「え? ちょっと!」

 アサトが嬉しげに言って、 の手を引いた。そのまま猫の波になだれ込み、早足で歩く。
 しばらくするとある店の前に辿り着いた。鶏肉を焼いて売っている店だ。
 食べたかったのか――そう思ってアサトを窺うと、 は目を剥いた。並べられた肉を掴んだアサトが、代金も払わずに口を付けたのだ。

『ちょっと、何してるのよ!』

  がアサトの服を引き小声で咎めると、アサトはきょとんと首を傾げた。

『お金払わないと! ほら、早く出して!』

「金? 金ってなんだ?」

 アサトの発言に はギョッとした。まさか――金を持っていないのか。 が呆然とすると、店主から苛立った声で「あんた連れなら早く金払ってくれよ!」と罵声が飛んだ。 は慌てて自分の荷物を漁ると、頭を下げて硬貨を渡した。

 周囲から注目されているのに気付き、 はアサトの手を引いて路地へと連れ込んだ。アサトが肉から口を離し、不思議そうに覗き込んでくる。


「ア・ン・タ・ね〜!」

「? 、どうして怒ってるんだ」

「そりゃ怒るわよ。お金もないのに品物に手を付けちゃダメじゃない。食べたかったなら私も少し持っているから――」

「だから、金とはなんだ?」

「…………」

  は再び目を見開いた。――違う、金を持っていないのではない。通貨の存在自体を知らないのだ!
  は息をつくと、今度はゆっくりと通貨の存在と、だから勝手に物を取ってはいけないという事を教え諭した。

 アサトは吉良の出身と言っていたが、それにしても貨幣の存在を知らないとはどれだけ閉鎖された村なのだろうか。そして閉ざされた吉良の中でもおそらく疎外されて育ったのであろうアサトの存在を、 は痛ましく思った。


「すまない。 に迷惑を掛けてしまった……」

 アサトがしゅんと項垂れて言ってくる。鶏肉はもう冷えてしまっていた。それを見て は肩を竦めると、項垂れても高い位置にある黒い頭をポンポンと叩き、笑って言った。

「いいのよ。知らなかったなら、これから知っていけばいいんだし。鶏肉、食べなさいよ」

「でも、これは の金で買った物だ」

 頭に手を当てて目を丸くしたアサトだが、それでも肉に口を付けようとしない。 は考えて、アサトが握ったままの肉に横から齧り付いた。アサトがわずかに身体を引く。

「ん、じゃあ半分こにしよう。これなら私が買ってもおかしくないでしょ。今日は私の奢りで、アサトはいつかお返ししてくれたらそれでいい。――冷えても美味しいわよ」

  が舌を出して唇を舐めると、呆然としていたアサトが頬を染めた。そのまま肉を に渡し、路地の向こうへと走り去る。唖然とした が後を追うと、アサトは手近な木で猛烈に爪とぎをしていた。






 肉を食べ終わり再び二匹がのんびりと歩いていると、アサトが急に駆け出した。
 またか!?  が慌てて追い縋ると、アサトは人気のない路地へと入って行った。いつの間にか近くをライが走っている。

 そして辿り着いた道の先に、コノエの後姿が見えた。――違う、コノエだけじゃない。
 ライとアサトの叫びに、コノエと四匹の悪魔たちは揃ってこちらを振り向いた。









 

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