「なんで、こんな事になったんだろう……」

「まあ、人生山あり谷ありよ……」

 宿に戻る道中、肩を落としたコノエがガックリと呟いたのを見て、 はその肩をポンと叩いた。




    17、忠告





 なぜか復活した悪魔たちは、今度はコノエ達と手を組む事になった。
 というのも、実はコノエは悪魔にとってこの上もない食料であり、リークスに力を奪われた悪魔は虎視眈々と食べる機会を伺っている訳だが、とりあえずは力を取り戻すことを優先する事にしたらしい。

 それで、それまでは互いの監視と牽制のためにコノエに張り付き、ついでだから手を組んでしまおうと勝手に決めたらしかった。

 思わぬ展開にコノエを始めとして猫たちは呆然としたが、悪魔たちは皆その気でバルドの宿に案内しろと言ってきた。そして現在、その道中を歩んでいるところだった。


 コノエが落ち込んでいるのは、何も悪魔たちのことばかりが原因ではない。ライを発端に、道に迷いやすい――つまり、方向音痴である事をからかわれたのだ。

 衝撃を受けるコノエをかばい、 は「言いすぎよ! 猫にしてはちょっと方向感覚に疎くて、危なっかしいだけじゃない」と言ったのだが、コノエは「それ、同じことだから……」と言ったきり項垂れてしまった。
 自分が追い打ちを掛けた事には気付かず、 は言われっ放しのコノエに深く同情した。





 宿に戻るとバルドもさすがに唖然としたが、持ち前の適当さで深く追求せずに悪魔に一部屋提供してくれた。
 賑やかに喋りながら、悪魔たちが階段を上っていく。それを見送ると、コノエはアサトを伴って外出していった。

 待合室には とライだけが残された。剣でも研ぐか、そう思って が動こうとすると、背後から声が掛けられた。

「……おい。お前、革を持っていないか」

「革? ……ああ、磨り減ってきてるのね。ゴメン、今は持ち合わせがないの」

 ライは短剣を掲げると、柄の部分を に向けた。柄に巻かれた革がところどころ擦り切れ始めている。そろそろ換え時だろう。

「そうか。ならば売っている店を知っているか」

「うーん……あ、一つ心当たりがある」

「案内しろ」

「……アンタね。相変わらず横暴だなあ……」

  が首を捻ってある店を思い出すと、すかさずライが口を開いた。変わらぬ傲慢さに は呆れたが、一つ息をつくと立ち上がった。

「――ま、いいでしょ。私も買い足ししたいし、一緒に行くわ」

  がそう告げると、ライは黙って玄関の扉を開けた。
 妙な組み合わせだが、悪くない。 はそう思った。




 夕暮れになった街は、ますます熱狂的に混み合ってきているようだ。はぐれないように早足でライの後を追うと、 はある事に気が付いた。――なんとなく、歩きやすいのだ。
 なぜだろうと思って目前の白い背中を見上げると、その理由がすぐに分かった。ライがその身体で猫の波をかき分けているのだ。

「次はどこを曲がる」

 本来なら自分が先に立って歩くべきなのに、知らないうちにライの背後に庇われていた。その事に苦笑して、 は道順を指し示した。




「ここよ。――トキノ!」

「あれ?  ……と、ライさん!?」

 猫のやや少ない通りを行くと、トキノの店に辿り着いた。顔を上げたトキノの返答に、 は目を丸くした。

「知り合いだったの?」

 背後の白猫を振り向くと、ライはゆっくりと頷いた。トキノが言葉を継ぐ。

「この前コノエと――あ、俺の友達なんだけど、一緒に来てくれたんだ。てことは、コノエも帰ってきてるんですね。まさか とライさんが知り合いだったとはなあ……」

「コノエも知ってるの? ……はあ、世間は狭いわねー」

  が偶然に感心していると、ライが淡々と用件を告げた。トキノが奥に戻り品物を持ってくる。ついでに も道具やら砥石やらを少し買い足した。
 忙しいだろうし、邪魔しては悪い。そう言って二匹が店を去ろうとすると、 の腕をトキノが急に掴んだ。


、ちょっとこっち来て。ライさん、悪いけどそこで待ってて下さい!」

 引きずられて店の奥に入ると、 は目を丸くしてトキノを見つめた。一体何事か。

「ど、どうしたの? 何か聞かれたくない話でも――」

! あの――ライさん、まさかつがいじゃないよね……?」

「は――、な、何言ってるのよ! 違うわよ!」

「じゃあ、もしかしてコノエ?」

「なんでそうなるのよ!」

 トキノの思わぬ発言に は呆然としたが、やがて頬を染めて強く否定した。 の言葉にトキノがホッと息を吐く。

「良かったぁ……」

「?? アンタ、なんか変よ……」

  が首を傾げると、トキノが緩く頭を振ってゴメンと呟いた。どうやら話はそれで終わりらしかった。
  が釈然とせず店を出ると、ライは律儀にもその場で待っていてくれた。


「どうした」

「うーん、何か、弟が何考えてるのか分からなくなったって感じ……? 思春期かしら……」

「…………」

 首を捻る を横目に見て、ライは溜息をついた。






 その後すぐには宿に戻らずに、 はライと祭を見て回っていた。断られるだろうと思いつつも提案してみたら、意外にもライが頷いてくれたのだ。
 今度はじっくりと、掘り出し物がないか露店を見て歩く。すると、装飾品を扱った店先で の足が止まった。

「装飾品か」

『ううん。これ……すごく珍しいわ』

 小声でそう言って が摘み上げたのは、銀色に光る平べったい金属だった。小判状で、片面には何か模様が刻まれている。よく見ると髑髏のようだった。

「こんな模様が好きなのか。趣味が悪いな」

『別に模様はどうでもいいのよ。それより、こんな金属見たことがないわ。硬いのに自在に加工できて、でもすごく軽い……』

  が呟いて熱心にプレートを見つめていると、店主が目ざとく声を掛けてきた。

「お兄さん、目が高いね。それは二つ杖の遺跡から発掘された二つとない代物だ。お安くしとくよー」

「二つ杖……」

 先達の種族が残した技術に は心惹かれたが、首を振るとそっとプレートを元に戻した。傍らのライがこちらを向く。

「欲しくないのか」

『んー、欲しいけど手が出ないし。見れただけでも眼福』

 実際はその貴重さを考えれば決して法外な値段ではなかったが、それでも今の にその出費は手痛い。 が店先を立ち去ろうとすると、ライがプレートを店主に突き出した。

「親父、これを貰う」

『ちょ…ッ』

「はいよ! じゃあオマケで鎖も付けてやるよ」

 店主の手前、声高に制止することも出来ず はライの腕を引いたが、ライは硬貨を出すとそのプレートを受け取ってしまった。そのまま猫の波をかき分け、路地へと入っていく。





「ほら。……欲しかったんだろう」

「……困る」

 立ち止まり、ライが にプレートを差し出す。 は首を振りその手を拒んだ。ライの眉根が寄る。

「こんな高価な物、買ってもらう理由がない。悪いけど返してきて――、ッ!?」

 不自然に言葉を切ったのは、ライの手が首に伸びてきたからだ。思わず が首を竦めると、シャランという音と共に肩にわずかな重みが掛かった。見ると、 の胸でプレートが揺れている。

「ちょっと……!」

「……誰がやると言った。これは、前金だ」

「前金……? なんのよ」

「研ぎ代だ。後で部屋に剣を持っていく。明日までに研げ」

 有無を言わせぬ迫力に押されて頷きそうになったがこらえ、 はライを見上げた。


「だからって、こんな高価じゃ――」

「いいから研げ」

「……ッ、……ハイ……」

 覗き込むように薄い色の隻眼で睨まれ、 は小さく頷くほかなかった。

 
 宿への帰り道で、無言に耐えかねた は胸元のプレートをそっと持ち上げた。
 街の光を受けて、プレートは鈍くカガミのように反射している。そこに映った自分の赤い顔を見て、 は溜息をつくと大きく尾を振った。





  +++++   +++++






 夕食は、なぜか悪魔たちも一緒だった。バルドの作る物など食べたくもないからそこにいる必要もないのだが、図書館開放の情報が聞けたのは収穫だった。またコノエの事もあり、ライは横目でその様子を眺めていた。


「なによ、アンタ果実水しか飲んでないじゃない」

 すると、料理を運んできた が目ざとくライに声を掛けてきた。腰に手を当て、見下ろすその胸には先程ライが買ったプレートが揺れている。

「あいつの作った物など食えるか」

「アンタね……食べ物に罪はないでしょうが。……はぁ、じゃあバルドが作った物じゃなきゃ食べるのね?」

 ライが怪訝に思い顔を上げると、呆れたような緑の目がライを見ていた。

「なんだったら食べるのよ。ん?」

「……何か、冷たい物を」

「はいはい、じゃあサラダでも持ってくるわね。言ったからにはきっちり食べなさいよ」

「……不味かったら食わんぞ」

  が手を振り、厨房へと戻っていく。お節介な雌だ、そう思って見ていると傍らから困惑した視線を感じた。アサトとコノエだ。
 ついでにバルドの面白がるような視線も感じたが、ライは全てを無視する事にした。





 食後、剣を預けるためライが の部屋の扉をノックすると、程なくして扉が開いた。室内に目をやり、ライは目を見張った。

「……ッ」

 寝台の傍らに、アサトが腰掛けていたのだ。気付いたアサトも牙を剥いたが、立ち上がると に顔を向けた。

「……そろそろ、帰る」

「あ、うん。なるべく早く仕上げるから」

 部屋を出ようとしたアサトとライの肩が小さくぶつかる。それに眉をひそめると、アサトから低い唸り声が漏れた。

に何かしたら……殺す」

 それだけ告げて、アサトは去った。――何か? 何をすると言うのだ。
 ライは憮然としたが、とりあえず室内へ入った。


「ゴメン、そこに腰掛けてて。少しだけすぐに見ておきたいの」

 そう言って が指したのは、おそらく使われていない方の寝台だった。先程アサトが座っていた場所だ。困惑して腰を下ろすと、 は傍らの剣を抱え上げた。――アサトの剣だ。

「頼まれたのか」

「うん。でもアンタの方が優先よ。ちょっと待ってて……」

 鞘から剣を抜くと、ランプに向かって は剣を掲げた。
 その顔が真剣なものに変わる。戦闘の時とも日常でコノエ達に向けるものとも違う、ライの知らない職人の顔だった。ライは興味を持ってその様子を眺めた。

 細い指が、まるで愛撫でもするかのように無骨な剣を辿る。返す返す遠くから見ては、今度は口付けをするほど間近から覗き込む。
 アンバランスなその様が逆に調和しているように見えてライは口元を緩めたが、次第になぜか苛立ってきた。―― が扱っているのは、アサトの剣なのだ。

 不可解な気持ちを散らすように尾で寝台をはたくと、 がパチンと剣を鞘に戻した。


「お待たせ。それで、両方なの?」

「……とりあえず短剣だけでいい」

 ライがハッとして短剣を差し出すと、 は興味深そうに残された長剣を眺めてきた。

「そっちも見せてもらっていい? 興味があって」

  の言葉にライは長剣も差し出した。軽く頭を下げて が受け取る。

「お前の剣も、見せろ」

「うん? いいよ、そこに置いてあるでしょ」

  がさっそく短剣を抜くのを見て、ライも の剣に手を掛けた。ライの長剣よりは軽いが、意外な重みに驚く。鞘を取ると、直刃の鍛え上げられた刀身が露わになった。

「これは、お前が鍛えたのか」

「ううん、それは父さんが作ったの。元々は母親が使っていたみたいだけど。……うん、これなら明日の朝で大丈夫。柄も直しておくわ」
 
  はそう告げて短剣を収めると、次に長剣を抜いた。その身を見て目が輝く。

「ああ、やっぱりこれ凄いわね。ここの窪んでいる意匠なんて見たことがない。これでどうやって強度を保たせるのかしら……」

「お前の剣は直刃だな」

「うん、鳥唄あたりのは吉良の剣に近いかもね。……これ材質はなんなんだろ……」

 そう呟いて剣を見る は、生き生きとしていた。本当に剣と鍛冶が好きなのだろう。ならばなぜ、その職から遠ざかったのか。ライはふと聞いてみたくなった。


「……お前、なぜ村を出た」

「ん? ……だいたい想像付くでしょ、若い雌の行き着く先なんて。無理やり相手を決められそうになって、逃げてきた」

「…………」

「はい、これありがと。これもいつか研ぎた――なに?」

 長剣を差し出した の手を、ライが掴んだ。雌にしてはしっかりしているが、それでも雄とは比べ物にならないほど細い。きょとんと聞いてきた の危機感のない様子に、ライは無性に苛立った。


「――もしここで今、俺がお前を押し倒そうとしたらどうする」

「はあ? ……なに馬鹿なこと言ってんのよ」

「馬鹿はお前だ。雄から逃げてきたと言ったな。その割に雄に対して、危機感がなさ過ぎる」

「……あるわよ。いつも警戒してるしバレないようにしてるじゃない。やられたらやり返してきたし」

「それは明らかに襲ってくる雄に対してだろう。一度心を許した雄なら襲われないとでも思っているのか?」

「なに言って――」

「自覚を持てと言ったはずだ。あの馬鹿猫どもがどういう目でお前を見ているか、分かっているのか」

「ちょっと……放しなさいよ。いい加減怒るわよ」


 畳み掛けるようにライが吐き捨てると、 の目にも怒りが閃いた。本当に馬鹿な雌だ。そういう態度が雄を煽るのだとなぜ気付かないのか。ライは更に言葉を重ねた。

「ならば怒ればいい。それとも、そういう趣向で気を引いているつもりか?」

「……ッ、アンタね!」

 耐えかねたと言うように、 が反対側の手を振り上げる。その手を難なく捕らえ、ライは立ち上がると捻り上げた。 の顔に苦痛が浮かんだが、構わずその身体を引きずると扉に押し付けた。

「いた…ッ! なにすんのよ!」

 勢いよく扉に手を付いて、ライが を囲うとその目に初めて怯えが浮かんだ。……そうだ、それでいい。


「お前は力で雄には敵わない。それを自覚して行動しろ。不用意に近付いて手痛く裏切られるのが好みか? ならば、そうしてやろう」

「な――」

 そのまま顔を近付けると、 の身体が強張った。吐息が触れるほどの距離になり、 はギュッと目を瞑ると顔を背けた。
 ライは鼻で笑うと顔を離し、腕による戒めを解いた。


「……冗談だ。だが油断をすると、こうなる。――忠告だ」

 それだけ告げると、長剣を拾い上げてライは部屋を出た。なぜだか無性に苛立っていた。





「……一体、なんなの――」

 ライが去った部屋で呆然と呟くと、 は壁に背を預けてそのまま崩れ落ちた。
 その胸で、銀のプレートが静かに揺れた。












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