「しかし、開放するって言っても全部は見せてくれないなんて藍閃もケチねぇ」

 夜になって、図書館への道を歩きながら はぼやいた。傍らのコノエが振り向く。一行はバルドに情報を聞き、祭の喧騒の中を進んでいるところだった。


 


   21、森駆ける猫

 



 危惧していた顔合わせは、アサトと話したこともあり比較的平常心で迎えられた。こういう事は、恥ずかしがれば恥ずかしがるほどに気まずさが続くだけだ。平常心、平常心、平常心。 は三度唱えてから自室の扉を開けたのだった。多少顔が紅潮するのはこの際仕方がなかった。
 コノエも最初は気まずげにしていたが、そんな事を気にしている状況でもなかったため落ち着いたようだ。ライは……言うまでも無く平然としていた。




「でも、まだ良かったんじゃないか。開放されない棟も鍵が壊れててなんとか入れるみたいだから」

「不法侵入になるけどね。ま、怪しい書物はそう晒す訳にいかないんだろうけど、二つ杖の文献が読めないのは残念だわ」

  が小さく溜息をつくと、コノエが訝しげに問い掛ける。

「何か、読みたい本でもあったのか?」

「うん。二つ杖の鍛冶技術の本とか、駄目なら絵だけでも見れたらなあって思ってたから。普段開放されている方にあるのかもしれないけど――」

「そうか。……アンタ、仕事熱心だな」

「そうでもないわよ。たまたま藍閃に来たから機会があっただけ。今は君やリークスの事の方が優先。……何か手掛かりがあればいいわね」

 コノエが感心したように言ったのを見て、 は肩を竦めた。すると、コノエが幾分か声を落として続けてきた。


「アンタ、鍛冶師やってたって言うけど――その、火とか全然怖くないのか?」

 問いを受け、 がきょとんとする。コノエが思わず「しまった」という顔を浮かべたのを見て、 は合点すると口を開いた。

「――コノエは、火が苦手?」

  が小さく問うと、コノエの顔が俯いた。野宿中や宿での様子を見てそうではないかと思っていたが、やはり図星だったらしい。あまり聞かれたくはなかったのだろう。その様子を見て は声音を和らげた。

「ゴメン、からかう訳じゃなくて。別におかしい事でもないし。……そうね、確かに火は怖いわよね。私も何度も火傷したし、火に向かうといつも緊張する。――でもね」

「……?」

「それでも、好きなのよ。……剣を鍛える時にね、一瞬だけどパッと火花が散るのよ。……見たことある?」

  が問うと、コノエは小さく首を振った。確かにほとんどの猫は目にする機会も無いだろう。

「小さな花が咲くみたいに、光が生まれるの。それがすごく綺麗で何度も見たくて、結局火に向かっちゃう。鍛冶師を続けている理由の一つでもあるかもね」

「火花か……」

「ええ。火は怖いけど、そういうものを生み出してもくれる。……いつか君にも見せてあげたいわ」

  が呟くと、コノエはやがてゆっくりと頷いた。

「……でも、雌で鍛冶をするのってアンタには悪いけど大変そうに思える。アンタが仕事をしている理由、他にもあるのか」

  を見つめ、コノエが更に問い掛けてくる。コノエの興味深そうな様子に は少々驚きながらも、穏やかに口を開いた。

「まあ、楽ではないわね。でも家業だったし、それに――技術を持てば、雌でもやっていけるかなあって、思ったの」

「……どういう事だ?」

「うん。私たちの育つ頃には雌が少なくなってきてたから、鳥唄でも保護を始めるかって話が出てたのよ。そんな時、これと言って知識や技術のない雌は、雄の言うなりになるしかないのかなって子供心に思ったの。結局雌は力で雄に劣るし、全面的に庇護される対象になってしまう。かと言って外に出ようにも、まともな職にありつくのは難しい……はっきり言うと、身体を売るくらいはしないと生きていけない」

  が淡々と語ると、コノエの顔が気まずそうに伏せられた。 は軽く首を振ると言葉を続けた。

「でも、技術があれば村にいても外に出ても庇護されずにやっていけるんじゃないかって、思ったの。自分の力で生きていけるかなって。――結局、そんなの関係なしに庇護されそうになっちゃったけどね」

  は小さく苦笑して話を締めたが、コノエは俯いたままだった。両隣のアサトとライも今の話を聞いていただろうが、特に何も言わなかった。
 湿っぽくなった空気を散らすように がコノエに話し掛けようとすると、その一拍前にコノエが口を開いた。


「……なんで、追われるんだろうな」

「え?」

「アンタも俺もただ普通に生きていただけなのに、今は村を追われて、おまけにリークスに目を付けられてる。ただ、普通に暮らせればいいだけなのに」

 憤りを吐き出すように告げたコノエに返す言葉が見つからず、 は沈黙した。やがてコノエは強く を見据えると、毅然とした顔で口を開いた。

「俺は絶対、あいつになんて負けない。今は分からない事ばかりだけど、あんな奴に屈したくない。だからアンタも、負けないでほしい。――それでいつか、アンタが胸を張って仕事をしているのを俺は見てみたい。火花を、見せてほしい」

「…………、うん……」

 宣言するように告げたコノエに少々気圧されつつも、 は小さく笑うと頷いた。
 先程の宿で猫や悪魔たちを一喝したのといい、今の発言といい、この猫はやや幼い見た目に反してかなり芯が強いようだ。
 これは、将来頼りがいのある雄になりそうだ。 は場違いにもそんな事をふと思った。







「すごい賛牙がいたのねぇ」

「ああ。歌に気持ちを乗せるのってすごく難しいのに……」

 数刻後、図書館に潜入した はコノエと共に蔵書を調べていた。二つ杖の記述やリビカにまつわる伝説など他にも気になる本は沢山あったが、コノエが隣にいることもあって二匹は熱心に暗殺された賛牙について書かれた本を眺めていた。

 そんな時、ふっとラゼルの灯していた明かりが暗くなった。――どうやら追っ手が来たらしい。
 慌てて裏口から外へと出て図書館正面へと回り込むと、不意にライが の腕を掴んだ。


「おい、お前は俺と来い」

 有無を言わせぬ口調に の眉が寄る。別に嫌だとは言わないが、頭ごなしに命じられるのは腹が立つ。

「……なんでよ」

 ちょっとした反抗を込めて告げると、ライの薄い瞳が剣呑に光った。……そんなに殺気立たなくてもいいのに。

「馬鹿か。闘牙が二匹、賛牙も二匹。だったら二手に分かれるのが当然だろう。お前はまだ実戦経験に乏しい。目を離すと危険だ。……だから共に来い」

「…………」

「お前…ッ」

 図星を指されて が黙り込むと、横からアサトの苛立った声が飛んできた。今にも食って掛かりそうなアサトを制して は小さく首を振ると、ライに向き直った。どうせ、言い争っている暇などないのだ。

「分かったわ。……でも自分の身は自分で守るわ。賛牙としての力はともかく、全部が半人前みたいに言わないでよ」

「……ふん」

  がキッと睨みつけると、ライは鼻で笑って森へと駆け出した。その後に も続く。

「――気を付けて!」

 走りながらコノエとアサトに声を掛けると、二匹も頷いて別方向へと駆け出した。


 ライと の後を猫の気配が追ってくる。単独で茂みから現れた猫に向けてライが剣を抜いた瞬間、 の脇から突如として影が現れた。

「……ッ!?」

 追ってきたのは一匹ではなかったのだ。咄嗟に剣を抜いて斬撃を受けたが、すぐに回り込まれて追い立てられる。即行で殺られる、というほど力の差がある訳ではないが、ライの方を向く余裕も無い。それはもう一匹の猫を相手にしているライも同様らしかった。

 これでは歌うどころではない。 の焦りを見て、猫の目元が歪んだ。――笑われたのだ。
  など相手にしても仕方ないと思ったのか、 に向かっていた猫がライの方を向いた。まさか、加勢に行くつもりなのか。

「どこ見てんのよ! こっちよ!」

 そう叫ぶと は森の奥へと走り出した。さすがのライも二対一では分が悪い。かと言って歌う余裕も無い。ならば今自分に出来るのはせめて一匹でも敵を引き付けて、ライの勝敗が早く決するように邪魔をさせない事だけだ。

「……おい!」

 焦ったようなライの声が聞こえてきたが、 は構わず走り去った。
 狙い通り、猫が一匹付いてくる。力が拮抗していても、競り合えば腕力の弱い のほうがわずかに不利になるだろう。まともにぶつかるよりも、敵を引き付けて援軍――アサトでも悪魔でもいい、誰かに落ち合った方が闘いが早く終わる。そう考えて は木々の間を走り抜けた。



「――わぷッ!」

 しばらく走り続け、 は後方を振り向いて敵の動向を確かめようとした。しかし、突如として何者かに身体を抱きとめられた。……前方不注意だ。というか一体誰だ。敵か…!?


「おおっと。……お、 。やっと見つけた」

「? ……バルド!?」

 慌てて顔を上げた は、その闖入者の顔を見て唖然とした。目を丸くした髭面の猫――バルドだ。何故、こんな所にいる。

「な、んで……!?」

「んあ? ああ、何かあんたら戻ってこないから様子見に来てみたら、妙な気配がしたからよ。闘牙の勘か、昔取った杵柄か」

「は……、え、闘牙……?」

 話の展開についていけず がポカンとすると、バルドは を放して背後へと向き直った。暗い茂みから、追っ手の猫が現れる。

「こいつに追われてんのか。やれやれ、あんたもモテるな」

「何馬鹿なこと言って――ちょっと、アンタ戦うつもりなの? 剣は!」

 猫に対峙し、不敵に笑ったバルドが腰を低くした。しかし、その手にも腰にも剣は見当たらない。
 まさか素手で戦うつもりか。 が慌てて自分の剣を差し出そうとすると、それより早く背後に手をやったバルドが何かを振り上げた。――あれは、まさか。

「剣はいらん。これで十分だ」

 そう言ったバルドの手に握られているのは、まぎれもなく何の変哲もない木の棒――薪だった。
  が呆然とする間にバルドは器用にも薪で剣を打ち返していく。やがて はハッと我に返ると、バルドに向き直った。

 バルドは的確に敵の攻撃を受け流している。その動きは慣れたもので、過去にも幾度となく戦った経験があるのだろうと思わせた。 が下手に手を出すと、その動きを妨げてしまうかもしれない。
 ――だったら。


「薪でどうやって倒すつもりよ!」

 呆れたように一つ叫んで、 はふっと息を吸った。
 腹の底に赤い炎をイメージする。戦いから目を逸らさないままそれを育て、抱えきれなくなった瞬間、 は炎を吐き出すように口を開いた。歌を、バルドに届ける。

「……お? あんた賛牙だったっけか?」

 振り返ったバルドがひゅう、と口笛を吹いた。そんな隙を敵に見せるな。歌い続ける合間に が軽く睨みつけると、バルドはニヤリと笑った。何というか、緊張感のないオヤジだ。

「ま、助かるぜ。――正しい薪の使い方を教えてやるよ!」

 そうして、真紅の光を纏わせたバルドが敵に向かっていく。ご丁寧にも薪の利点について一つ一つ説明しているらしい。

 ――いや、それ正しい使い方じゃないから。 はそう思ったが、その瞬間バルドに向かう光が弱くなった気がしたのでそれ以上は深くは考えないようにした。こんな事で負けてしまったら悔やんでも悔やみきれない。

 やがてバルドが逃走しようとした敵に薪を投げて昏倒させ、闘いの幕は下りた。敵猫のあまりに間抜けな負けっぷりに は心の中で合掌した。



「ありがと、助かった…――? アンタ、怪我したの?」

  が息をついて目をやると、バルドは右手首を左手で押さえつけていた。僅かに顔を歪め、うっすらと汗をかいている。 が慌てて駆け寄ると、バルドは身体を背けて手を隠そうとした。

「何でもない。ちょっと捻っただけだ」

「アンタこないだもそう言ってたじゃない! 毎回それで通じると思うの? ――見せて」

  は素早くバルドの腕を掴むと、手首に巻かれた布を捲ろうとした。バルドが の手を押さえる。 が見上げると、思いがけず怒気を孕んだ視線が振ってきた。

「何でもない。心配するな」

「……そういう事は、何でもないって顔して言ってよ。――心配するな? 無理言わないでよ。心配するに決まってるじゃない!」

 頑として手を見せる事を拒むバルドに、 はこれは何かがあると確信した。睨みつけるようなバルドの視線にも動じず、 は叫んだ。
 近しい者が怪我をしているのを心配して、何が悪い。余計な世話と思われようとも、見て見ぬ振りをする事など出来なかった。

 バルドが一瞬気圧されたのを見て、 はバルドの手を再び取った。そして布に手を掛けようとした瞬間――背後の茂みがガサリと鳴った。



「お前…!」

 森の奥から、銀髪の猫が現れた。ライだ。ライは を見て目を見開いたが、手首を掴まれたバルドを認めると今度ははっきりと顔を歪めた。

「ラ――」

「……何故貴様が、ここにいる」

  の安堵の声を遮って、冷えた声が投げられた。ライの視線を受けたバルドは からさっと手を引くと、眉を下げて笑った。

「何故って、お前らが遅いから追ってきたんだよ。――お、あんたも一緒だったのか」

「? ……コノエ!」

 ライの背後から現れた影に、今度は が目を丸くした。コノエが驚いた顔でバルドを見つめている。

「……アンタも来てたのか」

「良かった、無事だったのね。アサトはどうしたの?」

「それが、途中ではぐれて……大丈夫だとは思うんだけど。 も無事だったんだな。良かった――、ッ!?」

「……ッ、何?」

  とコノエがホッと顔を見合わせると、突然頭上から高い笑い声が聞こえてきた。四匹の目が、一点で止まる。

 

「やっほー、久し振り。元気にしてた?」

 小気味良いほどの笑顔を浮かべて、魔術師のしもべ――フィリが、暗い森の中空に現れた。
 





 

 

 

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