22、祭の終焉


 


「黙れ! リークスはどこにいる!」

 コノエの叫びを、フィリはくすくすと笑い流した。
 この悪魔はいつもそうだ。コノエ達や自分を煽っては、苛立ちを募らせる。フィリの物言いに も眉根を寄せていると、フィリがちらりとこちらを見遣った。


「あれ、お前まだいたの。――そいつに情でも湧いた? それともこっちの白猫か、しましまの猫か……。まさか全員だったら、面白いね」

「……黙りなさいよ」

 唇を吊り上げたフィリの言葉に、 の背中をスッと冷たいものが落ちた。
 フィリは矛先を転じて、今度は と話をするつもりらしい。憎たらしいが、何か情報が得られるかもしれない。 はフィリを睨み上げると続く言葉を待った。

「おお怖。……お前さ、自分の正体……分かった?」

「……正体?」

 肩を竦めたフィリが昏く笑って に問い掛けた。質問の意図が分からず が怪訝な顔をすると、フィリは小馬鹿にしたように鼻で笑った。

「なんだ、まだ分からないのか。リークス様がお前に目を付けられている理由だよ。ま、大した事でもないんだけどね」

「それは……私に封印が掛けられた事と関係があるの?」

 フィリの言葉に興味を引かれて が思わず問い掛けると、フィリは呆れたように溜息をついた。

「それを言ったらつまんないだろ? あーあ、じゃあ優しい俺がヒントを与えてやるよ。――お前はね、ある奴に似てるんだよ。昔リークス様に逆らった、馬鹿な雌に。だから気に掛けて貰ってるのさ」

「……は? 訳分かんないんだけど。逆らったって――なにアイツ、もしかして私似の雌にフラれでもしたの?」

  が全く見当違いの事を口にすると、フィリは一瞬目を丸くしたが次に顔を真っ赤に染めた。

「そんな訳ないだろ! リークス様に限ってそんな事ある訳がないじゃないか! お前、自意識過剰も甚だしいよ!」

「え、だって『雄が雌に逆らわれた』って言ったらそう受け取っても仕方ないわよ。ねぇ?」

 急に怒鳴りだしたフィリを唖然として見て、 は首を回すと周りの猫に同意を求めた。コノエは目を丸くして固まり、ライは呆れたように を見て「阿呆猫」と呟いた。ただ一匹、バルドだけが曖昧に同意をしてくれた。

「リークス様がフラれるわけないだろう! 訂正しろよ!」

「あーハイハイ、悪かったわよ。で、ただ似てるってだけで私は殺されそうになってるわけ?」

 真っ赤になっているフィリをそれ以上刺激するのも面倒で、 は適当に謝罪すると再びフィリを見据えた。フィリの顔が悔しげに歪む。

「……ッ。――そうさ、その力も顔も似ているから、リークス様は興味を持たれてお前なんかを気に掛けている。感激しろよな」

「誰がするもんですか。――で、リークスはどこにいるのよ。……ッ!?」

 気を取り直したらしいフィリを睨み上げると、 は低く問いを発した。自分の事はまあ置いておいても、コノエに関しての執拗な仕打ちを置いてはおけない。
 とにかく、敵の所在を掴まなければ――そう思った が問い掛けた直後、周囲を突然白い光が覆った。






「リークス様に言いつけてやる!」

 子供っぽい叫びを残して、フィリは消えた。後に残されたのは たち四匹と、突然現れた色とりどりの長布を纏った猫――歌うたいの猫だけだった。

 コノエが信用できると言った猫を、 は呆然と見ていた。
 先程の圧倒的な光による威圧といい、今爪弾いている心揺さぶられるような旋律といい、確かに目を惹かれる猫だ。だがそれ以外にも、何か の心を揺さぶり惹きつける要因がこの猫にはあるようだった。

 そう、この感情は――懐かしい。

 それは、コノエの本来の耳の色を見た時に抱いた感情に近かった。知らないはずなのに、知っている。出会った事などないはずなのに、懐かしい。不可思議な感情に は戸惑ったが、やがて一行が歌うたいにつられて移動するようになったため、慌てて後を追った。


「――コノエ!  !」

 やがて、木立の影からアサトが顔を覗かせた。背後には悪魔たちも待っている。
 無事の再会に沸く一行からふと目を逸らし、 が歌うたいに目を向けると、歌うたいは を見て軽く頷いた。そして次の瞬間――まるで最初からいなかったかのように、彼は森へと掻き消えた。

「え……」

  の呆然とした呟きにコノエが目を向けた。コノエが問う声にも、 は訳が分からずただ首を振るしかなかった。
 歌うたいは、確かに を見た。その何気ない行為に特別な意味があるように思えて、 はしばらくその場所から目を逸らすことが出来なかった。








 その日の深夜、 は再び屋根の上に上り、夜風に吹かれていた。
 疲労に負けて一度眠ったのだが、何か胸騒ぎがして目覚めてしまったのだ。待ってみても眠りが訪れそうになかったので、祭最終日の様子でも眺めようかと外に出たのだった。

 深夜になった街はさすがに猫の数もまばらになっていたが、最後の輝きのような熱気が辺りをかすかに覆っている。ぽつぽつとした光を受けて、 は手の中の腕輪を見つめた。――先程バルドに貰ったものだ。




「やっぱり手、見せてよ」

 アサトや悪魔たちと合流した後、宿に向かう道すがらで はバルドに傷を見せるようしつこく食い下がった。バルドはもうなんとも無い顔でひらひらと手を振り、取り合わなかった。

「なんとも無いっていうなら、なおさら…――ッ、なに?」

 呆れたように肩を竦めたバルドが、宿とは異なる方向に道を外れていく。それを追おうとした に向かって、バルドが急に何かを放り投げた。慌てて受け止めた にバルドが笑う。

「やるよ。祭の間、よく働いてくれたからな。……それで誤魔化されてくれ」

「は、あ? あ、ちょっと――」

  が声を掛ける間もなく、バルドの背が闇に消えていく。いい加減追う事も出来ずにその場に残された は、釈然としない気持ちで手の中の物体に目を向けたのだった。



 バルドが投げたのは、金属製の腕輪だった。金の繊細な透かしの間に、透明な石が嵌め込まれている。よく見ると石は緑色をしていた。 の髪と瞳の色だ。

 なんというか、いかにも若い雌が好みそうな装飾品だった。 も多分に漏れずその腕輪を非常に気に入ったが、これをどんな顔をしてあのオヤジが買ったのかと思うと、少々笑えるような恥ずかしいような複雑な気持ちになった。


「雌の好みをよくご存知ですこと……。――?」

 腕輪一つでほだされてしまった自分を少々情けなく思いつつ、 が腕輪を透かし見ていると宿の上空に見知った影が突然現れた。緑の悪魔――フラウドだ。

 フラウドは に気付くと、片手を上げてニッコリと笑んだ。だがそのまま高く飛翔すると空中を回り、霧散するように消えてしまった。その一連の動きを見て は唖然とした。何か悪いものでも見てしまった気がする。
 
 フラウドが飛び出してきた宿の下方に目を向けると、遅れて白い影が飛び出してきた。――ライだ。
 ライは周りを窺うように首を巡らせていたが、やがて歩みを止めた。屋根の上の には気付いていないようだ。
 どこか苛立たしげにも見えるが、深夜の話し相手に丁度いいかもしれない。 はそう考えると立ち去ろうとしていた白い影に声を掛けた。

 

「こんばんは。……いい月夜ね」

「! お前――」

 肩を揺らし、怪訝に上を見上げたライが声を発する。それを遮って は手招きをした。大声を出せば宿泊客が起きてしまう。
 やがて不承不承という感じで傍の木から屋根へと上ってきたライが、 を睨み据えた。


「お前、こんな夜中に何をしている」

「ん? なんか目が覚めちゃってね。アンタだってこんな時間まで起きてるじゃない」

 ライの視線に肩を竦めると、 は傍らに目を遣った。視線でそこに座れば、と促すとライは溜息をつきつつも腰を下ろした。

「阿呆猫が。よっぽど身を危険に晒すのが好みらしいな」

「こんな夜中にどこの猫が襲ってくるのよ。それに、暗冬も今夜で最後でしょ。ちょっと眺めてみたかったのよ」

  が静かに街の明かりに顔を向けると、ライもつられてそちらを見た。
 二匹の間に穏やかな沈黙が落ちる。それを破ったのは、ライの静かな問いだった。


「――見ていたのか」

 ライの問い掛けの意味が分からず が首を傾げると、ライは忌々しげに「あの悪魔の事だ」と答えた。

「ああ、フラウド。なんか急に飛んできたからビックリしたけど、アンタと話してたんだ。全然気付かなかった」

  がそう答えると、ライは「そうか」と息をついた。再び沈黙が落ちる。
 屋根の上で、二匹の尾が静かに揺れる。視界をライの白い尾が掠めていくのを はなんとはなしに見ていた。
 不思議なほど、静かで穏やかな時間だった。何かと騒がしかった祭の時間もこうして終わっていくのだとふと思う。


「……それはなんだ」

  が指で弄んでいた腕輪を見てライが問い掛けた。 はちら、とライを見ると口を開く。

「さっきバルドに貰ったのよ。オヤジのくせしてこういうのを選んでくるあたり、怪しいわよね」

 口を開いてからバルドの名を出したのはまずかったかと思い、さりげなく苦笑を加えると はライを窺った。ライはやはりむっつりと押し黙ったが、やがて顔を逸らすとボソリと呟いた。

「あいつが選んだかと思うと癪だが――悪くない色だ」

「――っ、あ、そう……」

 ライがまさか肯定するとは思ってもみず、 は唖然として小さく呟きを返した。別に が褒められた訳ではないのだが、 と同じ色彩を「悪くない」と言われ小さく心が跳ねた。
 そんな には構わず、ライは に向き直ると声を落として告げた。


「今日、なぜ勝手に離れた。とても勝算があったとは思えんが」

 一瞬 は何を言われたのか分からなかったが、ライが今日の戦闘の事を指しているのだと気付くと神妙な面持ちになった。

「あの時は、ああするのが最良だと思ったからよ。歌えないならせめて敵を引き付けて、アンタの戦闘が早く終わるようにしようと思ったの」

「だが逃げた先にあいつがいたから良かったものの、誰もいなければどうするつもりだったんだ」

「その時はその時で、きっと闘う事を選んでいたわ。でも戦闘を早く、かつ安全に終わらせる事が今は最優先事項だと思ったから、離れた」

  がそう言うと、ライは冷たい瞳で見返して笑った。

「安全な戦闘などあるものか。お前が言っているのは甘い理想論だ。自分が傷付くのがそれ程に怖いか? だったら俺たちに同行するのなどやめておけ」

 辛辣な言葉に は押し黙ったが、やがてライを見上げると首を振った。

「怖いわよ。決まってるじゃない。でも闘わなければいけない時には剣を取るわ。そうしないと生きていけないもの。……たしかに安全な戦闘なんてありえない。でも私は出来る限り、自分が生き残るやり方を選ぶわ。生きてないと……コノエの呪いも解けないし、真実にも近付けない。そうでしょう?」

  が問うと、ライも の眼差しを見つめ返した。色の異なる視線が重なり合う。


「つまり、生き残るために闘う、と?」

「ええ。こんな所で負けてなんていられるものですか。私もコノエも生き残って――勝つのよ」

 一体何に勝つつもりなのか自分でもよく分からなかったが、 は静かに宣言した。それをライは探るように眺めていたが、やがて呆れたように吐息をつくと から目を逸らした。

「お前の考えも分からないでもないが――無闇に突っ込んでいって玉砕するような真似はするなよ。それこそ阿呆だからな」

「はいはい、分かってますよ」

 呟かれた言葉の言外には の身に対する憂慮が滲んでいたが、 は何気ない振りをして軽く答えた。そして会話を切り上げるように腕輪を手首に通そうとすると、その手にライが目を留めた。


「――お前、怪我をしているのか」

「え? あ、本当だ。気付かなかった」

 言われて が手首を捻ると、死角となっていた部分に切り傷が出来ていた。
 血が滲んだ跡があったが、まったく気付かなかった。正直なところ、他の部分にも細かな傷が多くて把握しきれていないのだ。

「まったく。ちゃんと手当てをしておけ。化膿しても知らんぞ」

「ハイハイ。こんなの舐めときゃ治るわよ。――なに?」

  が無理に腕を捻って舌を伸ばそうとすると、その手を取るものがあった。ライが の手首を掴んだのだ。

「……舐めてやろうか」

「は!? ちょ……ッ」

 そう言ったライが、 の手を引き口を寄せる。赤い舌が伸ばされ の傷に触れようとした瞬間、 は強く腕を引いた。

「けけけ結構よ! 間に合ってます!」

  は立ち上がると猛然と叫んだ。……悔しいことに勝手に頬が染まっていく。
 ライもにやりと笑うと立ち上がり、踵を返した。


「祭が終わったからといって、あいつの呪いが解けた訳でもない。まだまだやるべき事はある。――早く寝ろ。明日も行動するんだろう」


 そう言って立ち去った背中を、 は呆然として見送った。
 眼下に見下ろす藍閃の街では、祭が終わろうとしていた。 






 

 

 

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