23、祈り

 


 暗冬が終わり、宿にも平穏な日常が戻ってくるはずだった。しかし現在 は、バルドに事の経緯と真相を浮かない顔で説明しているコノエを食堂でぼんやりと眺めていた。


  の予測通り、バルドは適当に納得してコノエや悪魔たちを受け入れた。まあ、もし今更拒みでもしようものなら も一発食らわせて出て行くぐらいの気概ではいたのだが。
 
 食堂には少し前までカルツもいたのだが、話が始まるとどこかへ消えてしまった。相変わらず哀しげな顔をしていたが、アサトへ一瞬だけ真摯な視線を向けた事に は気が付いた。
 やはり、あの二匹の間には何か接点があるのだろうか。そんな事を がぼうっと考えていると、いつの間にか他の猫四匹の視線が自分に向けられていた。

「――ん? なに?」

  が顔を上げると、コノエが問うような視線を向けてきた。唇の動きで「アンタの事は?」と呟く。
 その動きだけでもバルドには何かあるという事が伝わってしまったのだろう。バルドにも訝しげな視線を向けられ、 はなんとなく気まずい思いで口を開いた。



「――と、いう訳なのよ」

 この後、個別にでもバルドに話すつもりだったので多少早まったところで問題はない。自分にまつわる事象をかいつまんで説明し、 は肩を竦めた。

「何が『と、言う訳だ』だ。お前自身の事だろうが。――まったく緊張感が感じられん」

「うっさいなあ。どう説明しようが内容は同じでしょうが」

 すかさずライから呆れ声が漏れたが、 も強くは言い返せなかった。自分の事を語ろうにも、分からない事が多すぎるのだ。間の抜けた説明にしかならないのが情けない。

「まあ喧嘩するなって。コノエも も大変そうだが……ま、焦ったってどうにかなる訳でもなし。気長に構えるしかないんじゃねぇの」

 ぽむ、とコノエと の頭に手を置き、バルドが間延びした口調で告げる。

「何か手伝える事があったら言ってくれ。昨日はお疲れさん」

 くしゃりと髪を撫でるとそう一言だけ残し、虎縞の猫は厨房へと去っていった。その背をライが苦々しく見送る。

「……よく言う。――おい、付いてこい」

 会話に横入りされた形のライが、吐き捨てるように呟いてコノエを呼んだ。今日は二匹で行動するらしい。
 数分後、軽く反発しながらもコノエはライと共に出て行った。後にはアサトと が残される。


「えーと、私たちもどこか行こっか? 祭りも終わったから、きっと歩きやすいわよ」

 目の前でコノエに去られてなんとなくしょんぼりしてしまったアサトを見て、 は慌てて声を掛けた。
 アサトは顔を上げると、いつかと同じように「いいのか」と聞いてきた。 が笑って頷き、アサトと共に立ち上がろうとしたその瞬間。
 何故か部屋に火の粉が舞い込み、天井まで高く火柱が舞い上がった。

「――ッと。あら、ヴェルグ」

「……燃やしたら、あいつに怒られるぞ」

 炎の中から姿を現したのは快楽の悪魔だった。ある程度予想していたため大した驚きもなく迎えた とアサトを、ヴェルグがつまらなそうに見遣る。

「つっまんねぇ猫どもだな。――で? 俺らン事、アイツに話したのかよ」

 厨房を顎でしゃくって問うたヴェルグに、 は頷いた。ふん、と小さく笑みを浮かべたヴェルグを が訝しく思うと、その腕を引く者があった。アサトだ。

「―― 、早く行こう」

「あ、うん……」

「ケッ。猫のくせに色気づきやがってよー。……へいへい、さっさと行きやがれよ」

 腕を引かれる をヴェルグは舌打ちと共に見送った。 は扉をくぐる瞬間に、ヴェルグが厨房の扉に手を掛けるのを見た。
 バルドに用でもあるのだろうか。意外な思いを抱きながら、 は雑踏へと踏み出した。





「お金の使い方は分かった?」

「ああ。この前は『お釣り』を貰うのだとコノエに教わった」

 数刻後、二匹は猫の少ない裏通りをのんびりと歩いていた。特に目当ての物がある訳ではないから、せっかくなのでトキノの店にでも顔を出そうかなどとぼんやり考える。

「じゃあ、今度買い物でも頼もうかしら――、……ッ!?」

 表通りを直前にして がアサトを振り向いた瞬間、何か妙な風が通り抜けた。咄嗟に二匹が飛び退くと、二匹の間を切り裂くように何かの影が駆けた。――灰色の布を纏った猫だ。

「誰…!?」

「――またか。……吉良の追っ手だ」

  がアサトを振り仰ぐと、アサトは苦渋を浮かべた顔で答えた。その言葉に は目を見開く。

「また、って――まさか、藍閃に入ってからも追われていたの?」

「そうだ。この前はコノエと一緒の時だった。…… は危ないから下がっていてくれ」

 そう告げて を背後に押しやり、アサトが鞘から剣を引き抜く。小さな唸りを上げて殺気を満たすアサトの姿に が息を呑むと、不意に前方の吉良の猫から掠れた呟きが漏れた。

「……魔物の子め」

「――ッ」

 その言葉を発端に、アサトの様子が一変した。今までにも見た事のある純粋な強い殺気とはまた違う、狂気と言わんばかりの獣のごとき咆哮に は慄然とした。
 正気の光を失ったアサトが剣を、爪を振るう。やがて滅茶苦茶な猛攻に押されて倒れこんだ吉良の猫にアサトが圧し掛かり、その喉笛に噛み付かんとする段階になって は目を剥いた。

「――アサト! 駄目!!」

 咄嗟に叫んで駆け寄ると、背後から思い切り羽交い絞めにした。
  の重みを受けてアサトが倒れ込む。振り払う強い抵抗があったが、 は歯を食いしばって耐えた。吉良の猫は、恐れをなして背後へと飛びすさった。




 やがて、どれ程アサトを押さえ付けていただろうか。押し潰された身体が僅かに身じろぎ、 を振り返った。

「…… ……?」

「アサト……」

  を認めたその青い瞳には、正気が戻っていた。 はホッとしてアサトの上から退いた。
 立ち上がろうとして思わずよろけた腰を、アサトの腕が支える。二匹が目を向けると、吉良の猫は恐怖を浮かべた顔で後退しながら口を開いた。

「覚えておけ。その猫は呪われし子供、魔より生まれし禁忌の子よ。側にいれば、必ず不幸になるぞ」

 そう吐き捨てて、猫は高く飛び去った。言葉の意味が全く分からず呆然とする からそっと手を離し、アサトがその場に座り込む。二匹の間に重い沈黙が流れた。


 投げ付けられた言葉。アサトの正気を失った様子。聞いてみたい事は沢山あったが、頬を強張らせるアサトを見るとそんな気は消えてしまった。――聞けるわけが、ない。
  は小さく息をつくと、傍らに落ちていたアサトの剣を拾い上げた。丁寧に払い、鞘に納める。

「――はい。……アサト、帰ろう?」

 穏やかな口調で話し掛け、覗き込んだがアサトは剣を受け取らない。代わりに、苦渋に満ちた青い眼差しが に向けられた。

「……聞かないのか」

 まるで弾劾してくれとでも言うようなその様子に は一瞬息を詰めたが、瞳を閉じると静かに首を振った。

「聞かないわ。……聞かせてくれるなら、聞くけど」

「…………」

  を見上げる精悍な顔が、苦しげに歪む。逸らされることのない青い瞳が何か伝えようとしている。
 言葉には出来ないが、聞いてほしい――そう言われているように思えて、 はアサトの剣を抱えなおすと黙って背中合わせに座り込んだ。

 アサトが小さく息を呑む。しかし は構わずその広い背に寄り掛かった。
 温かい体温が伝わってくる。ならば、自分の体温もアサトに届くだろうか。


「――さっきの猫の、言葉……」

「……うん」

 やがて、しばしの沈黙の後にアサトが小さく声を漏らした。ちゃんと聞いている。その意思を伝えたくて は相槌を打った。

「俺は、魔物の子だって……。理由は分からないけれど、ずっとそう言われ続けてきた。……吉良が俺を執拗に狙うのは、存在していてはいけないからだ」

「――ッ、……そう……」

 アサトの言葉に は思わず激昂しそうになったが、必死で押さえ付けて小さく頷いた。
 先程の正気を失ったアサトの様子が目に浮かぶ。

 魔物? ――まさか、そんなはずはない。おそらく比喩的なものなのだろうが、そんな事のためにアサトは追われ続けているのか。
 存在してはいけない? 何故吉良の猫は同じ村の猫にそんな事が言えるのか。
 一体どうして。頭に疑問が浮かんだが、とりあえずは置いておいて は振り向かないまま小さく口を開いた。


「……アサトも、そう思うの?」

「え……」

「アサトも、その言葉が真実だって思うの?」

 訝しげに返したアサトに が問うと、アサトが迷いながらも首を振る気配がした。しかし、躊躇いがちに暗い声が発せられる。

「だが理由が分からないぶん、否定も出来ない。もし皆の言うようにそれが本当だったら――」
  
「……それでも、今私が話しているアンタは魔物なんかじゃないわよね」

 アサトの声にならない呟きを引き継いで、 は毅然と声を発した。アサトが を振り返る気配がする。 も背中を離して首を捻るとアサトに向き直った。

「こんなに不安そうな目をして悩む魔物がいるかしら。猫と話が出来る魔物がいるかしら」

  はアサトを覗き込むと、静かに問い掛けた。アサトが黙って目を見開く。

「今目の前にいるアンタは、私にとってはアサト以外の何者でもない。魔物じゃない、ただの猫よ。……それに、アンタはもう既に存在を許されてる。だって、今生きて呼吸をして、私と話をしているじゃない。……そうでしょ?」

  が覗き込むと、アサトは目を丸くしていたがやがておずおずと頷いた。子供のようなその様子を見て は小さく笑んだ。

「だったらもう、それでいいじゃない。私やコノエや……今一緒にいる皆にとってはアンタは魔物なんかじゃないのよ。猫として確かに存在してるの。……それだけじゃ、ダメ?」

 重ねて問うと、アサトは小さく首を振った。それを見た は息をつくと静かに立ち上がった。つられてアサトが視線を上げる。

「でも、もしアンタが本当に魔物なんだとしても、アンタはアンタよ。どんな姿でも、どんな種族でも……アサトには変わりない。私はそう思う」

  がそう呟くと、アサトは息を呑んだ。物言いたげに唇が数度わなないたが、声が発せられることはなかった。そんなアサトに、 は手を伸ばす。


「アサト。――帰ろう? 皆が待ってるわ」

 差し出された手をアサトは呆然と眺めていたが、やがて の手のひらに褐色の手が重ねられた。
 ――温かい、猫の手だ。

 アサトを引っ張り上げると はすぐに手を離し、剣を差し出した。今度は受け取ってもらえた。
 二匹は静かに視線を交わすと、並んで歩き始めた。今アサトを待つ者がいる、あの宿へと。


  は気が付かなかった。背後でアサトが重ねられた手を握り締め、祈るように額に掲げたことを。

 


 

 

 

 

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