7、黒と白の衝突

 


 またもや硬い表情で痛み止めを飲み干したアサトに付き添い、 も食事を摂ることにした。
 時間を置いてもう一度痛み止めを擦らないといけないし、まだ動けないアサトを残していくのも気が引けた。次の薬湯が出来たら街に戻ろう。そう思い、 は木の実を取り出した。

「あげる」

  が差し出した実をアサトは黙って受け取る。そのまま迷うように実を眺めていたが、 が食べ始めたのを見てようやく口を付けた。暮れかけた森に、二匹が実を齧る音が静かに響く。

は……いつもこんな事をしているのか」

「ん?」

  が質問の意味が分からず「こんな事って何」と聞き返すと、アサトは考えるように俯くと小さく口を開いた。

「その……怪我してる猫を助けたり、とか。……もしそうなら、やめた方がいい。いい猫ばかりとは限らない」

 遠慮がちにたしなめるアサトを見やり、 は軽く目を見開いた。どうやら、心配してくれているらしい。

「いつもいつもこんな事しないわ。危ないし、そんなにお人好しじゃないもの。今回は、たまたまよ。目の前で倒れられちゃね。……ねぇ、その傷負ったばかりなの?」

  はアサトの肩の傷を眺めた。恐らくは、斬り付けられた傷。
 倒れるほどの傷をあの場で負ったのか。だが相手はいなかったように思えた。

「違う。他の場所で斬られて、そのまま逃げてきて倒れた。……そうしたら、不思議な歌が聞こえてきた」

「……歌?」

「ああ。頭の中に響いてきた。それで力が湧いてきて目が覚めた。あの歌 だろう?」

 邪気のない眼差しで見つめられ、 はうろたえた。確かに歌は歌っていたがごく小声だった。それをアサトは聞いたのだろうか。

「確かにそうだけど……よく聞こえたわね。私、大声だった?」

「いや。耳で聞いた歌じゃない。…… は賛牙なのか?」

「え!? ……違うけど。なんで?」

 予想もしなかったアサトの問いに は目を丸くした。何がどうしてそうなるのか。

「賛牙の歌は、闘牙に力を与えると聞いた。俺は の歌を聞いて力が出た。だから は賛牙だと思った。……違うのか?」

「う〜ん……違う、と思う。今までも歌っていたけどそんな事なかったもの。単に疲れていたときに歌が聞こえたからそう思っただけだと思うよ。私、たぶん闘牙だし」

 今までに歌を歌って賛牙のような力を与えたことはない。アサトの考えを否定すると、アサトはしゅんと耳を下げた。なんだか悪いことを言ってしまったような気持ちになる。

「そうなのか……」

「ゴメンね。……ところで、それ誰にやられたの。さっき吉良の追っ手か、って言ってたけど……追われているの?」

  が先程から気になっていた話題を振ると、アサトの顔が強張った。
 やはり聞かれたくなかっただろうか。

「あ、ゴメン。言いたくないなら言わなくていいから――」

「いや……吉良の猫だ。ずっと追われている」

「どうして……」

「……俺が、村を裏切ったから……らしい」

「裏切った? ……つまり、アサトは吉良の猫なの?」

「そうだ」

 吉良。幽谷の谷の近くにひっそりと住まう部族の名前だ。そういえば、確かにこんな褐色の肌を持っていると聞いたことがある。しかし――

「なんで同じ村の猫が……」

「…………」




 アサトが言うには、吉良を訪れた「呪われた」猫を泊めていたら、村猫が皆一変して襲ってきて、森の中でその猫とはぐれてしまったのだそうだ。藍閃に行くという言葉を手掛かりに、同郷の猫に追われながらもここまで来たとの事だった。

「呪われた猫……」

 口に出して呟いてみる。昔、そんな話を聞いた気がする。その時 は伝承などまるで信じていなかったが。

「違う。コノエはそんな猫じゃない!」

 アサトが の呟きを聞き取り、反論する。それを は醒めた目で眺めた。

「そう、コノエって言うの、その猫。……それにしても、嫌な話だわ」

「! お前までそんなことを言うのか……」

 アサトの瞳に信じられないというような驚愕と軽蔑の光が浮かぶ。それを見て は溜息をついた。どうやら誤解させたらしい。

「……違うわよ。私はそんな伝承で振り回されるのが嫌だって言ってるの。黒い耳と尾と痣……だったっけ。そんな猫、祇沙中にいくらいると思うの。……って、あれ、アンタもなの?」

 内心の怒りを抑えて低く呟くと、そこで初めて はその「呪いの証」とやらがアサトにも一致することに気付いた。

「俺は違う。これは描いているだけだから」

 アサトは首を振ると、左腕の紋様を見た。入れ墨かと思ったら違ったらしい。

「そう。とにかく、村の猫が急に変わったのはよく分からないけど、その特徴を持ってるってだけで追われるのは間違ってるのよ」

「でも……コノエは本当は違う色で、急に黒くなって痣が出たと言っていた……」

「呪いっていうのが事実だとしても、その猫が何かをした訳じゃないんでしょう? だったら同じよ。その猫には全然責任ないじゃない」

 吐き出すように言うと、 は押し黙った。なぜこんなにも憤りを感じるのか。コノエという猫と自分とを、理不尽に追われるという理由で重ねて考えてしまうのかもしれない。
 怒りを静めるべく、 は額に手を当てた。

「コノエは、悪くない……」

「分からないけど、たぶんね」

 同意を得てそう繰り返すアサトに応えると、アサトは思案するように黒い尾を揺らした。

「…… に、コノエと会ってほしい。今の言葉を聞いたら、きっとコノエも元気が出る」

 アサトの提案に は少々驚いたが、ゆっくりと頷いた。
 余程大切に思う猫のようだ。 も少し「コノエ」に興味が湧いた。

「そうね。藍閃にいるならきっと会えるわね。――でもその前に、アンタの怪我を治す方が先よ。……傷見せて」

 今にも飛び出していきそうなアサトをそっと制し、 は苦笑してアサトの腕を取った。





「ん〜、血は止まってきたみたいね……」

 布を取り傷を確かめると、 は再び手にした痛み止めを擦り始めた。その手元を見ていたアサトがふと思い出したように口を開いた。

が雌だと気付いた理由、もう一つあった。……手だ」

「手?」

  は手を止め自分の手を見つめた。あちこちに火傷の跡が目立つ、お世辞にも綺麗とは言えない手だ。

「そうだ。ほら……全然大きさが違う」

「え……」

 驚いたのは、話の内容よりもアサトが急に傍に寄ってきたからだ。肩を寄せ、手のひらをぴったりと の手の横につける。その近さに は警戒し、身を硬くした。

「? どうかしたか」

 不自然な の様子に、アサトが手を離してキョトンと覗き込んでくる。 
 ……なんの他意もないのだ。落ち着け自分。

「う、うん……なんでもない……」

「?」

  は自分に言い聞かせ、落ち着きなく視線を彷徨わせた。すると、ある一点に目が留まった。

「あ……ちょっと、尾も血が出てるじゃない。せっかく綺麗な毛並みなのに勿体無い」

 気まずさを繕うように早口で話し掛けると、アサトはピクリと身体を震わせた。構わず尾を覗き込むと、艶のある尾の先端に血がこびり付いていた。
 見たところ小さな傷のようだ。既に血も止まっている。

「それは平気だ。……それより今、綺麗って言ったか」

「え? うん、綺麗じゃない。耳も尾も真っ黒で艶があって……鞭みたい」

「…………」

  が何気なく返すと、アサトはまじまじと を見つめた。そして突然後ろを向くと、背後の木を猛烈な勢いで削り始めた。
  は唖然としたが、慌てて止めに入る。

「ちょっと、何やってるのよ!」

「……爪研ぎだ」

「見りゃ分かるわよ! 傷が開くからやめなさい!」

 強く言うと、アサトは手を止めて を見た。木の根元には、ほんの数秒だったのにも関わらず木屑が山と落ちていた。……なんという鋭さか。
 アサトは悪戯がばれた子供のように上目遣いをして、小さく口を開いた。

「綺麗と言われたのは、二度目だ。それまで誰にも言われたことがなかった」

「…………。アンタの周りの猫も、見る目がないわね。きっと藍閃にでも行ったらモテるのに」

 呆れていたのから一転、再度に渡るアサトの暗い発言に は顔が曇りそうになった。しかし、湿っぽくならないように軽い調子で返す。
 本当にどんな状況で生きてきたのだろう、この猫は。己を肯定してくれる猫が近くにはいなかったのだろうか。

「そうか? ……でも の方がずっと綺麗だ」
 
  が軽い痛みを覚えてアサトの尾を拭おうとすると、アサトが の顔を覗き込んで言った。 の手が止まる。

「そう……ありがと」

 容姿を褒められるのは実はあまり好きではない。綺麗な言葉の影に、必ずと言っていいほど下心が透けて見えるからだ。今までも綺羅綺羅しい言葉を贈られた後に、当然のように求められたことが何度かある。
 アサトに限ってそんなことはないと思うが、答える声が自然と暗いものになる。それをどう受け取ったのか、アサトが真剣な声で重ねて言った。

「嘘じゃない、 は本当に綺麗だ。さっき目が醒めたとき、髪が陽に透けてキラキラしてて綺麗だった。陽の月の光みたいだった」

「…………」

「それに は優しい。手当てがテキパキできるのもすごい」

「……ッ」

「それに――」

「――ッあ、ありがと! もう十分分かったわ。分かったから……それ以上勘弁して下さい……」

「?」

 放っておけば延々と を褒め続けそうなアサトを無理やり止め、 はガクリと項垂れた。――全身が熱い。
 そう言えば確かに、ひかりとか何とか言っていたような気がする。そういう意味だったのか。
 
 ……恥ずかしい。ストレートな言葉の数々は、飾り立てた言葉を聴くよりもよほど恥ずかしい。
 なんと直球なのだろうか。

  は顔を赤くして乱暴にアサトの尾を拭った。

「…… 、痛い」

「……我慢しなさい」

 アサトが小さく訴える。それを は目を逸らして黙殺した。






 数分後、 が飲み頃になった痛み止めを再びアサトに差し出すと、アサトは耳を伏せ森の奥を凝視していた。つられて もそちらを見るが、物陰もなく怪しい物音も特に聞こえない。
 すると突然アサトが立ち上がり、剣を掴んで森へと駆け出した。

「――コノエ!」

「……え!? ちょっと、アサト!」
 
 猛然と駆け出したアサトを追って、 も慌てて立ち上がる。手早く荷物を掴み、木々の中に飛び込んだ。

「待ちなさい! まだ無理よ! 傷が――!」

 叫びながら追うが、アサトには追い付けない。なんと足が速いのか。見失わないようにするのが精一杯だ。

 限界まで走り続けていると、前方で金属音が響いた。
 まさか打ち合っているのか。あの傷で…!

 焦燥に駆られ、力を振り絞って木々を抜けると重なり合う白と黒の影を は捉えた。
 黒はもちろんアサトだ。

「アサ――、……ッ!」

 そして、アサトと剣を交える白い影。その正体を は知っていた。
 目を見開き は叫んだ。


「――ライ!」







 

 

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