……!?」

「――ッ! ……アサ、ト……?」

 その場にへたり込んでどれぐらい経ったのだろうか。不意に聞こえてきた耳慣れた声に は緩慢に首を上げると、次の瞬間目を見開いた。

 

 

1、乱れる花






「なんで……」

 突然の黒猫の出現に が呆然とすると、駆け寄ってきたアサトが の顔を覗き込んだ。その青い目が不安げに細まる。

「具合、悪いのか…?」

「……平気。少し休んだからもう大丈夫……、――ッ!?」

 心配そうに伸ばされたアサトの手が肩に触れた瞬間、 は電流のような衝撃を感じて思わず身体を竦めた。アサトも驚いた顔をしている。二匹はとっさに目を合わせたが、やがてどちらともなく目を逸らした。


(これって、これって――。まさか……)

 無意識に自分の肩を抱いた が、上手く回らない頭である一つの可能性に思い当たった。その単語を思いついた途端、頬がわずかに染まる。ついでにアサトの出現により頭痛と眩暈も先程より強くなっていた。

「ごめん、なんでもない……。ゆっくり帰るからアサトは先に戻って――、あっ」

!」

 これは、まずい。何がまずいのかも既によく分からなくなっているが、とにかくアサトから離れなければ。そう思い は力を振り絞って立ち上がったが、その足が心もとなくふら付いた。その腕をとっさにアサトが掴む。強い衝撃が走り抜けて は思わず瞳をつぶった。

「ひとりで、帰れるわけがない。……俺も一緒に行く」

「あ……、うん……」

 振り払おうとした の腕をアサトは離さなかった。その腕を引き寄せて己の肩に掛けさせると、アサトはゆっくりと歩き出す。肩を借りた もつられて歩き始めた。
 頭痛と眩暈は相変わらず強いし、アサトに触れた部分からも鈍い刺激が伝わってくるが耐えられないほどではない。二匹は猫の少ない通りを選んで、ようよう宿へとたどり着いた。







 帰り着いて、二匹はアサトの部屋へとなだれ込んだ。 がへなへなと寝台に腰掛けると、アサトも躊躇するような素振りを一瞬見せたあと結局 の隣へと座り込んだ。身を支えていることが出来ず、思わずアサトの肩にもたれ掛かる。アサトはビクリと震えたが、 を突き放すことはなかった。

「…………」

「…………」

 黄昏に暮れる部屋を沈黙が支配する。 は身を苛む電流のような刺激とせり上がる不快感を感じながら、ぼんやりと己の身に生じた出来事について考えていた。

 身の安全を考えれば早くこの部屋から立ち去るべきだ。そう思うのに、アサトから身体を離す事ができない。というか、その熱がどうしようもなく苦しいのに心地良いようにも感じられて、もっとくっつきたいとすら思い始めていた。

 これはおそらく――発情期だ。

  とてそれを経験したことはあるが、今まではただの不調と割り切れる程度のもので家で大人しくしていれば済んでしまっていた。今日襲ってきた不調はそれらとは根本からまるで違っているように感じられたため、アサトに触れられるまでまったく思いもしなかった。

 いつだったか、同世代の友が「相性が合えば強く惹かれ合って発情するんだって! 素敵よね〜」などと言っていたが、まさかこんな形でやってくるとは思わなかった。

 つまり自分とアサトは――
 そこまで考えて、 は思考を散らすように瞳を閉じた。閉ざされた視覚の代わりに、 の嗅覚がある香りを捉える。


「アサト、花の香りがするね……」

「……そうか? 今日あの花畑に行ってたから、そうなのかもしれない。帰ろうとしたら、あそこに がいた」

  が呟いてアサトを見上げると、アサトも を見下ろした。再び視線がぶつかり、収まりかけていた衝動がゆらりと湧いてくる。それは野放しにして、視線を逸らさないまま は言葉を続けた。

「何か、あった……? つらそうな顔してる」

「――ッ。……いや、別に何も……」

 嘘だ。 はとっさにそう思ったが、アサトを追求する事はしなかった。自分の声が掠れて熱を帯びている事に気付いたからだ。

 頬が熱い。その顔を隠すようにアサトの胸に顔を押し付けると、再びアサトはびくりと震えた。 の頭上で吐かれる息がどこか荒い。
 ――きっとアサトも、 と同じなのだ。

 
(……ああ、駄目。もう我慢できない……!)


…ッ、――!?」

「――ッ、アサト…ッ!」

 アサトが苦しげに の名を呼んだ次の瞬間、 は体重を掛けるとアサトを押し倒した。アサトの目が見開かれる。その褐色の身体の上で四つ這いになると、 は声を荒げた。

「ゴメン。アサト、ごめん――! でも、もう私……!」

 そこまで叫んで身体を屈めると、 はアサトに口付けた。一回、二回、三回――浴びせるように口付けて顔を離すと、アサトは呆然として を見上げた。
 その青い瞳に映る自分が、どうしようもなく穢れたもののように思えて胸が痛む。だがもう止める事はできなかった。


「ごめん。すぐ終わるから……そのままでいて……」

「――ッ、 ……!?」

 慌てたように起き上がろうとしたアサトを は胸を押さえて制した。戸惑うように息を詰めたアサトの目が驚愕に見開かれる。その視線の先で はアサトの身体に手のひらを押し付けた。

「――ッ、 ……」

「……ッ」

  は無我夢中でアサトの身体に手を滑らせ始めた。喉から胸へ、胸から腹へ、腹から下肢へ――衣服の上からでも、たくましい筋肉の隆起がありありと感じられる。

 ――アサトに触れたい。その熱に触りたい。

 常ならば感じないような欲望が、頭を白く焼いていく。雄の身体の事なんて分からない。それでも本能で辿るようにその身体に触れていると、その手はやがて熱の中心へと行き着いた。

……!」

 衣服の上からその場所をさすると、わずかに持ち上がっていたそこが膨らみを増した。アサトの声に焦りが滲む。その声を聞いて、不意に の頭の片隅で冷静な声が沸き上がった。


 ――アサトは嫌じゃないだろうか。
  はふと不安になったが、込み上げる熱に思考はすぐにさらわれていった。

 本当に嫌だったら、非力な などとっくに押し退けているはず。
 優しさで突き放す事ができないだけかもしれないという一抹の可能性は無視して、そう卑怯にも頭の中で結論付けると は思い切ってアサトの下衣の中に手を入れた。アサトの熱に、直に触れる。

「うっ……」

 ……熱い。初めて触れたそこの思いがけない熱に は一瞬手を引きそうになった。だがおずおずと指を絡ませると、その熱を外へと引きずり出す。

「アサト……」

「……ッ……」

 ぼんやりとアサトを見下ろすと、その喉仏がごくりと動いて生唾を飲み込んだ。そんな仕草にすら、欲情する。
 その目を見つめたまま手探りで熱を掴み、そっとさすると手の中のそれは途端に質量と硬度を増した。

 ――これが、雄の身体。
 初めて目の当たりにする現象に は戸惑いつつも、興味を引かれてふと下方を覗き込んだ。
 自分の指が握っている、浅黒いもの。それは――


「……すごい……、大きい……」

 思わずぽつりと漏らした感想に、アサトの顔が真っ赤に染まった。それを不思議そうに見つめ、 は手の動きを再開させた。
 いまや固く芯を持って立ち上がったそこは、わずかにぬめりを帯び始めている。
 このまま続ければいいのだろうか。どこをどうすればいいのか、分からない。
 
「ねえ……どうすれば、いい……? どこが気持ちいいの?」

 熱に浮かされた が問い掛けても、アサトはじっと目を伏せたままで答えない。
 もどかしさに が歯噛みすると、呼応するようにその尾が頼りなく揺れた。
 何度となく、 の尾が無意識に寝台やアサトの足を叩く。再度振り上げられた次の瞬間、 はアサトに尾の先端を掴まれた。



「――ッ! ……アサト?」

 急所を掴まれ、 は思わず尾を逆立てて熱を掴んでいた手を離した。ハッとしてアサトを見下ろすと、アサトは を強く睨み上げ低い唸り声を上げている。

 怒らせただろうか。やはり嫌で仕方なかったのだろうか。


「アサ――、あっ!」

  が今更ながら自分のした事に我に返ると、次の瞬間アサトは素早く身を起こしてその身体の下へ を組み伏せた。 の背にアサトが圧し掛かる。慌てて振り返ろうとすると、アサトが強い力で抱きしめてきた。

「……もう、無理だ……!」

「や、なん……ッ!?」

 たまらない。そう告げるように吐き捨てたアサトが、乱暴に の下衣を掴む。そのまま膝まで引きずり下ろすと、 の臀部が露わになった。さっと頬を染めた がその意図を察して身を捻ろうとすると、むき出しの太腿にアサトの熱い手が触れてきた。

「――ッ、う……」

 その時感じた衝撃を、なんと言えばいいのだろうか。
 熱に触れたい。その一心でアサトに触れていたはずが、本当は自分も触れられたくて仕方がなかった事を は思い知った。
 抵抗しない をどう思ったのか、アサトがその手を動きを大胆にする。アサトは の脚の付け根へと触れてきた。


「……アッ! んん……や、だぁ……!」

「すごい……濡れてる……」

 いきなり局部に触れられて、 が強く首を振る。初めて触れられたそこは既に熱く潤んでいた。無心に呟いたアサトが指を動かす。そのたびに濡れた音が下方から聞こえてきて は眩暈を感じた。――違う、これは快感だ。

「ふッ……、う……」

……」

 アサトは探るように、指をそこへ伸ばしてくる。やがて指が一本亀裂に入り込むと は小さく背をしならせた。感じたのは異物感ではなく、浅ましいほどの快楽だった。

 アサトの熱が欲しい。だがそんな事はさすがに口にできる訳も実行できる訳もなく、 はなすすべもなくその愛撫を受け止めるしかなかった。
 アサトの指は滑らかに の中を行き来する。 の背に覆い被さり、アサトは掠れた声でうわ言のように口を開いた。


……、すまない……ッ」

「え……、あっ!」

 熱を孕んだアサトの言葉に が息を呑んだ次の瞬間、深く埋め込まれていた指が引き抜かれた。そして間髪を入れず、亀裂に何か熱いものが押し当てられる。――まさか。

「アサト、待っ――! う、あッ!!」

「 …… !」


  がとっさに身を引こうとしたのよりも早く、アサトが の腰を掴んで引き寄せた。そのまま強く腰を捻じ込む。身体の奥で何かが裂けるような鈍い感触がした後、 の中に圧倒的な熱が押し込まれた。

「ふ……あ…!」

 衝撃に目がくらむ。だがそれでも痛みと呼べるものはまったくなかった。それはむしろ異常であり、発情期の効果に は頭の片隅で冷たいものを感じた。

…、 ……ッ!」

「――ん、あ……アッ、やあッ」

  の身体を抱えたアサトがゆっくりと動き始める。大きな塊に中を擦られ、途端に腰から甘さが湧き上がってきた。

(なんでこんな、簡単に――。私、変……!)


 あっという間に快楽に流されていく身体が信じられない。アサトが動くたびに鳴る濡れた音が、信じられない。
  はたまらず額を敷布に押し当てると、その動きを受け止めた。
 敷布はどこか花の――アサトの香りがした。

 アサトの寝台で、アサトに抱かれている。そう思うと腰に震えが走った。
 振動が伝わり身体が揺れる。閉じようとする唇の合間から、高い嬌声が漏れていった。


……気持ち、いいか……?」

 背後からアサトが熱に浮かされたように小さく問いかけてくる。その意味が分からず が沈黙で返すと、アサトは重ねて問うように の耳に舌を差し込んできた。

「ふあッ……!」

 濡れた感触に は息を呑み、その質問を理解した。「見て分からないの?」――そうとっさに言おうとしたが、わずかに残る羞恥がそれを邪魔する。

「アンタ、は……どうなのよ……ッ」

  は頭を擦り付けると逆に問い返した。アサトは息を詰め、やがて陶然としたように口を開いた。

「気持ち、いい。……こんな風になったのは、初めてだ……。お前は、どうなんだ……?」

「……ッ」

 その口調に見えないアサトの顔が思い浮かび、 の腰を再び甘さが駆け抜けた。口にするのはどうしても恥ずかしくて が無言でこくこくと頷くと、腰を掴むアサトの手にさらなる力がこもった。


「あ……ンン……、アッ! ッふ……あ、あ…ッ」

「……ッ、く……」

  を穿つアサトの速度が速まっていく。急速に未知の感覚に昇りつめさせられ、 はその衝撃に耐え切れず首を振った。
 何か、得体の知れないものがやってくる。


「や……あ、ア――!」

「……ッ……」


  が高い声を上げて達した直後、アサトが背後で息を詰める気配がした。 は熱に浮かされながらもとっさに身を捻った。ほとんど無意識の行動だった。
 わずかに身を引いた からアサトの熱が抜ける。その直後、 の太腿の裏に何か温かいものがどろりと落ちた。


「あ――、は……はぁ……っ」

「――っ、……」

 余韻を受けて は寝台に崩れ落ちる。アサトも の横に膝をつくと、力尽きたように倒れ込んだ。そのまま、二匹の荒い呼吸が室内に響いた。







 ――危なかった。正直、とっさにそう思った。
 リビカは発情期の交尾により確実に妊娠する。逆に言えば、発情期以外に交わっても妊娠する事はない。……つまり発情期に雄を受け入れるというのは、雌にとって物すごくリスクがある事なのだ。

 今日だって、まさかここまでの展開になるとは思っていなかった。――いや、アサトから離れられずに仕掛けてしまった時点でそうなる可能性は十分にあった。これは が招いた事態だ。
 つまりは衝動を抑えきれず、はっきり言ってリスクなど頭から抜けていたという訳だ。

 
 そこまで考えて、冷静に頭が回り始めていることに は気付いた。いつの間にか、あの身体を苛んでいた眩暈と頭痛も消えている。
 発情期が終わったという事か。しかしそこに至るまでの恐ろしく即物的な自分の行いと痴態に、 の口から思わず自嘲と羞恥の溜息が零れた。

……?」

 すると、 の様子を怪訝に思ったのだろうアサトが声を掛けてきた。顔を向けると思いがけず至近距離にその瞳があり、二匹は一気に顔を赤くした。慌てて起き上がろうとした の背をアサトが制す。

「待て。今起き上がると、汚れてしまう」

「? あ……」

 目を逸らして言ったアサトに、 はやがて合点がいった。 の太腿には、アサトの放ったものが伝ったままなのだ。
 アサトは身を起こすと軽く身支度を整え、隣の寝台の枕カバーをはがした。 は目を丸くしたが、「それ備品なんだけど」と突っ込む気力もなく、その動きをぼんやりと追っていた。

 アサトが の足を拭いてくれる。それが終わろうかという時、黒猫が背後で息を呑んだ。怪訝に思い、振り返る。するとアサトは顔を強張らせて敷布の一点を凝視していた。

「お前……初めて、だったのか……」

「え。……あ」

 アサトの視線を追った が目を落とすと、敷布に散った血痕が目に飛び込んできた。
 ……本当に血が出るのか。 が身支度を整えながら妙に感心すると、頭上からアサトの動揺した声が振ってきた。

「すまない――。俺は、なんて事を……!」

「え……アサト!?」

 アサトが大きな身体を丸めて の前に手をついた。それを呆然として見やり、 は次いで真っ赤になった。

「――ッ、いやあの……別に、気にしないでいいから! こういうのってお互い様だと思うし……っていうか、無理やりしたの私だし……私の方がむしろゴメンっていうか――」

  の答える声も段々と小さくなっていく。確かに初めてではあったが、終わってしまえばこんなものかと思ったぐらいだ。そんなに恐縮される価値もないし、むしろ申し訳ない気持ちにすらなってくる。というか、自分は一体どんな猫だと思われていたのだろうか。

「あの、だから……気にしないで。顔を上げてよ、アサト」

 一抹の疑念は置いておいても、一向に頭を上げようとしないアサトに焦れて はとうとうその顔を掴むとぐいっと自分に向けさせた。 とアサトの視線が合う。お互いの顔が赤くなるのはこの際仕方がなかった。

「責める気持ちなんて、ないから。た、助かったし。……この布は、私が洗っておく」

 そう言ってアサトを立ち上がらせると、 は敷布を引き剥がした。枕カバーとまとめて丸めると、それを抱え上げる。そうして出て行こうとした にアサトが声を掛けた。


。その――身体は、平気か」

「平気よ。……今日はそっちの寝台で寝て。明日直しておくから」

 嘘だった。本当は発情期の不快感と引き換えに、下肢の付け根に痛みではないものの違和感が生じ、ついでに喉もカラカラだった。だがアサトに告げれば心配するだろうし、その原因が分かりきっていて恥ずかしいため は笑みを浮かべるとなんでもない事のように言った。

「そうか。すまなかっ――」

「『すまない』は禁句ね。……私、それよりもアンタに言いたい事があるのよ」

 軽く睨み付けると、アサトはきょとんと目を瞬いた。 は苦笑すると布を抱えたままアサトに近付き、背を伸ばして素早く口付けた。

「――ッ!」

 目を見張ったアサトを一瞥すると、 は踵を返してそのまま扉をくぐった。
 扉が閉まる直前、 は小さく「ありがと」と呟いた。
















「とは言っても……私、なんつー事を……」

「――あれ。アンタ、こんな時間に何洗ってるんだ?」

「ふわぁッ!?」



 夜、 がバルドに内緒で敷布を洗っていると、声を掛ける者がいた。――コノエだ。
  が大仰に驚くと、コノエも目を見開いて一歩下がった。闇夜に揺れる鍵尻尾が毛羽立っている。

「あ、ああゴメン……。ちょっと考え事してたから」

「すごい尾を振ってたぞ。――敷布? なんで今頃……」

 呆れたように言ったコノエが隣にしゃがみ込む。 の手の中の物を見てコノエは目を丸くした。血痕があった部分を思わず手の中に隠し、 は取り繕うように勢いよく布を擦る。

「あはは……ちょっと、アサトの部屋のが汚れたみたいで……」

 口を開いてから、 しまったと思った。別に言わなくてもいい事だ。明らかに口をつぐんだ を見て、案の定コノエが怪訝な視線を向けてくる。

「アンタ、アサトと何かあったのか?」

「――ッ、……何かって、何が?」

 鋭いコノエの質問に の息が一瞬止まった。それを誤魔化すようにさりげなさを装って が逆に問うと、コノエは地面を見つめて沈黙する。

「あいつ、夕方からなんかボーッとして……。さっき出て行ったけど、色々追われてるのに危ないっていうか――」

「ボーッとって……。――ッ、追われてる? それって――」

 そこまで答えた はハッと顔を強張らせた。下を向いていたコノエも顔を上げる。二匹は立ち上がると、とっさにその場から飛び退いた。



「――!! 冥戯の猫!?」

 二匹に飛びかかってきたのは、図書館でやり合った冥戯の猫だった。コノエも も今は剣を持っていない。ともに賛牙であるため、歌で支援することもできない。

 二匹はどうにか爪を剥き出して応戦したが、武器がなければ二対一でも分が悪い。次第に追い込まれた が誰か――ライでもバルドでもいい、仲間を呼ぼうかと宿を振り返ったその時。 の身体の横を、銀白の針が掠めていった。


「えっ」

「……まったく、情けないねえ。油断しすぎなんじゃないかい」

「アンタ――カガリ!」

 コノエが叫んだのは雌の名前だ。それも、 にも聞き覚えのある名前。 が針の飛んできた方向を見やると、樹上から一匹の猫が軽やかに舞い降りた。
 その身は小柄で明らかに雄の体格ではない。フードを被った と、布を払った雌猫――カガリは無言で対峙した。

「そいつも仲間かい。どいつもこいつも暢気な事だねえ」

「アンタ……アサトを監視してたんじゃなかったのか」

 警戒を緩めない からふと目を逸らし、カガリは馬鹿にしたように鼻で笑った。コノエの問いに緩く首を振ると、カガリはそのしなやかな肢体を冥戯の猫へと向けて戦闘態勢を取った。

「監視していたさ。けど、アイツが出て行った代わりにこいつがやって来たからね。……今ここで、お前たちが殺られると大変な事になる気がしてね、こっちに残ったのさ」

「どういうこと……?」

 思わず呟いた にわずかに視線をくれると、カガリは再び冥戯の猫を見据えた。その唇が挑発するようにしなる。

「さあお前。今度はあたしが相手だ。あいつを殺りたかったらまずはあたしから倒しな!」

 そう叫んでカガリが高く跳躍する。冥戯の猫もつられて飛び、二匹は森の奥へと走り去っていった。
 後に残された二匹は呆然として、たった今雌猫が現れ、そして消えていった場所を見つめていた。





 カガリは、姉のような猫だと言っていた。アサトが生きてこられたのはその猫のおかげだと。
 けれど吉良はアサトを追ってきている。そしてカガリもアサトを追ってきているらしい。

 それはアサトが『魔物の子』だから――?
 アサトには、もう味方となってくれる猫は自分たち以外にいないのか――?


 走り去った雌猫の物言いたげな眼差しを思い出し、 は溜息をつくと静かな夜空を見上げた。

 



 

 

 

 

 

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