8、花々の闘い 「なんだい、アイツ……。お前、狙われてるのか?」 キルの姿に眉を寄せたカガリは、 を振り返った。 はキルに視線を据えたまま、顔を見ずにカガリに告げた。 「……カガリ、今のうちに逃げて。あなたには関係ないから、早く!」 「そうは言っても、お前……!」 鋭い の言葉に、カガリは一瞬怯んだ。しかし続くキルの言葉に目を見開く。 「……くろいねこはいっしょじゃないのか? あいつもいっしょにころしてあげるよ」 「! アサトの事も狙ってるのか! ……そうはさせないよ!」 「……ッ、カガリ、待って!」 即座に戦闘態勢を取ったカガリを押し止め、 は眉を寄せると笑みを浮かべるキルを見つめた。 「……傷、治ったのね……」 「そうだよ。ねこごろしのねこ。……あいたかった」 「…………」 ……追われる覚悟は、できていたはずだった。あの、ウルに刃を突き立てた瞬間からずっと、ずっと。 あの時よりもなお暗く を見据えるキルの目には、もはや正気は宿っていなかった。これも……自分が犯した罪の報いだと言うなら、真正面から受け止めよう。 はそう思ったが、キルが抱えていた丸い包みをおもむろに解き、その中身を晒した瞬間――心臓が、止まるかと思った。 「ほら、ウル。あいつだよ。おまえをころしたきんのめす」 「おれをころしたきんのねこ、あいつか。……いたかった、いたかったよあのときは。でもリークスさまが、よみがえらせてくれた」 「そうだ、よみがえらせてくれた。おれたちはふたりでひとり、ふたつでひとつ」 「……随分とおぞましい奴らだね。……冥戯か」 「…………。分か、るの……?」 キルとウルは……確かに一つになっていた。ウルの生首が、しかも生きた生首が……キルの胸に縫い付けられていたのだ。 常識も、この世の理も外れた光景に は呆然とした。そんな を静めたのは、嫌悪を滲ませながらも冷静に分析したカガリの声だった。 「ああ。いがみ合ってると、その分情報も入ってくるもんでね。……あの首の奴は、お前が殺したのか?」 「…ええ。ふたりで闘ったけど、手を下したのは私なの。しかもアイツらつがいよ。だから、カガリは……」 「でもアサトを狙ってるのも確かなんだろう。……ここは、やるしかないよ!」 再度撤退を求めた を遮って、カガリが武器を構えた。その間にもウルとキルは楽しそうに……本当に楽しそうに、クスクスと笑っていた。 「こんどはそのめすねこが、あいてになるの? ……いいよ! あそぼうよ! ちのひめいといたみのきょうめいで!!」 首だけになったウルが、高く叫ぶ。すると、周囲にはあの緑の光が漂い始めた。 もう逃げられない。やるしかないのか――! 「……カガリ、退く気はないのね?」 「当たり前だよ!」 一応 が聞いてみると、カガリは語尾も荒く答えた。だが相手は一方が一度死んだとはいえ、つがいだ。バラバラに闘って勝てる訳もない。 はカガリを振り返ると、その目を見据えて叫んだ。 「聞くけど、あなた闘牙?」 「は? そうだよ。それがなんだい!」 「じゃあ、一緒に闘って! 私が歌うから!」 「! ……お前――賛牙か!」 キルの攻撃を避けながら、 は腹の中に炎をイメージし始めた。 出会ったばかりの猫に、歌が届くかどうかは分からない。けれど、こうでもしないとこの場は切り抜けられないし、何となく、大丈夫じゃないかという気持ちがしていた。……この猫ならば。 カガリの戦闘スタイルはよく分からない。けれどその本質は……おそらくアサトと一緒だ。 「! ……これが、賛牙の力……」 やがて から漂い始めた赤い光が、カガリに届いた。三叉の剣が朱色に染まり、熱を持つ。 が口を開いて歌を紡ぎ始めたのを合図に、二匹の闘牙は地面を蹴った。 「あそぼうよ、おねえさん!」 「気持ち悪いコト言ってんじゃないよ! 雌一匹追い回して情けないったら!」 高い音を立てて、剣が重なった。火花を散らして擦れ合い、離れ、また重なり合う。 目にも留まらぬその剣戟に、 は歌いながらも鳥肌を立てた。……すごい。 カガリの剣は軽く、しなやかで、そして速かった。アサトのような一撃の重さはないが、速さを生かして次々に攻撃を繰り出してくる。その速さをさらに加速させているのが、自分の歌だった。 剣舞のような動きに は思わず見惚れそうになったが、気持ちを引き締めるといっそうの想いを込めてカガリに歌を送った。 カガリは、敵だ。その思いは今も変わってはいないが、心中の複雑な葛藤を は垣間見てしまった。カガリは敵だが……アサトを想うという点では、深く共感もできる。そんな猫を、死なせたくはなかった。もっともっと話してみたいと、 は思った。 だからこんなところで、お互いに死ぬ訳にはいかない――! 「ちょこまか逃げるんじゃないよ! ぶつかって来たらどうだい!」 「おねえさん、なかなかつよいね! でも、おれたちがさいきょうだ!」 カガリの猛攻に押されていたキルが、狂気じみた叫びを上げて左手を掻きむしった。あれは……ウルが歌をうたう時にしていた仕草だ。 キルは唸ると、高く飛び上がった。風を味方に付け、カガリへと襲い掛かっていく。 「……カガリ!!」 「……ちっ!」 今度はカガリが、押され始める。キルの剣を受け止めてはいるが、その足元が徐々に利かなくなってきていた。耐久力が、限界なのだ。 これ以上は厳しいか。歌の支援から直接攻撃での援護に切り替えようとした は、だがキルが突然動きを止めたのを見て息を詰めた。 「……?」 「……リークスさまが、よんでいる。……くそっ!」 「!? ……ちょっと、お待ちよ! 勝負は付いてないだろう!」 顔を歪めたキルが、踵を返す。カガリが追おうとするのをすり抜けて、キルは高く路地端の屋根に飛び移った。 「きょうは、ここでひいてやる。だけどこんどこそぜったいに……おまえをころす!!」 「……!」 屋根の上から、キルとウルが憎悪の眼差しで を見下ろす。時を経て再度投げ付けられた言葉に が唇を噛むと、キルは屋根を飛び越えて去ってしまった。カガリが投げた針も、虚しく中空に消えていった。 「…………」 「…………」 しばらくの間、無言で虚空を睨み付けていると、突然 の足元がガクリと崩れた。……闘いの影響は、自分の身体にも出ていたらしい。 「ちょっと、大丈夫?」 「ええ……。あなたは、さすがね」 なんとか踏み止まった が見遣ると、カガリは呼吸こそ乱していたがしっかりと地に立っていた。……闘いの経験が、まるで違うのだろう。 は素直に感心した。 カガリは に近付くと、その顔を探るように見つめて口を開いた。 「なんで冥戯の猫と、お前やアサトが戦ってんだい」 「……それは……」 飛んできた当然の質問に、 は思わず口ごもった。別に隠す必要はないのだが、複雑すぎてどこから話したらいいか分からない。 が黙り込むと、やがてカガリは醒めた目で視線を逸らした。 「……まあいいよ。お前にも何か事情があるんだろう」 「うん……。それより、ありがとう。……助かったわ」 がその顔を見つめて心からの礼を言うと、カガリは逸らした視線を再び に向け、露骨に顔をしかめた。 「フン。何を言っているのさ。あたしはアサトが殺られると困るから、闘っただけだよ。礼を言われる筋合いはないね。……それに、今度会う時はお前とあたしは――」 「……分かってるわ。……でも、やっぱり闘いたくはないわね。私、もっとあなたと話したいもの」 カガリの言葉を引き継ぎ、 が答える。カガリは一瞬怯むような表情を浮かべ、踵を返した。 「! お前、やっぱり馬鹿だね! ……アサトを助けたいって言うんなら、せいぜい次会う時にまで腕を磨いておきな。今のままじゃ、全然話にならないよ!」 「あ、カガ――……、……行っちゃった……」 捨て台詞を残して、カガリは素早く走り去っていった。 が声を掛ける間もなかった。 路地にひとり取り残された は、大きく息をつくと乱れたフードを元に戻した。 ――闘いは、まだまだ続くのだ。 の闘いも、コノエの闘いも、……アサトの闘いも。 ……アサト。その名を想うと、力が湧いてくる。その声を想うと、心が安らぐと同時に不可解なざわめきに乱される。その姿を想うと……今すぐに会いたいと、思った。 アサトが に対して距離を置こうとしている事は、何となく伝わってきた。その発端が、あの花畑でアサトに押し倒された時である事も。 あの、獣のような瞳と行動を――アサトは恐れているだろうのか。……だけど。 (……会いたいよ、アサト。今すぐに――) 青い瞳を探すように天を仰ぐと、 は固く瞳を閉じた。そして目を開くと――正面を見据え、歩き始めた。 (……とは思ったけど、まさかこんな所で会うなんて思いもしなかったわよ!) 数十分後、 は激しい動悸を鎮めて森の木立の影に潜んでいた。何を隠そう……水浴び中のアサトに、ばったり出くわしてしまったからであった。 遠回りにはなるが宿へ帰ろうと森に入った は、小川のほとりでよく知った気配を感じて立ち止まった。慌てて木陰に潜み、覗いたその先には――下穿き一枚で水浴びをする、アサトの後姿があった。 (えええ!? ここは素直に出て行くべき? それともスルーして見なかった事にするべき!?) 突然置かれた状況に頭が追いつかず、 は混乱した。 立ち去ろうにも、一度立ち止まってしまった足は地に張り付いたように動かず、動けば音を立ててしまいそうで は結局その場に止まった。そしてまたまじまじと、アサトを見つめてしまう。 黄昏に染まる川に足を沈め、アサトが一心に毛繕いをしている。濡れた肌に残照が当たり、鍛え上げられた筋肉がはっきりと浮かんで見えた。 目を閉じたアサトの舌が、腕をなぞっていく。赤い舌の妙に艶かしい動きに、 の心臓がドキリと跳ねた。 「…………」 ごくり、と唾を呑み込む。何故だろう。分かってはいたのに……雄なんだと、強く意識した。性的な意味を多分に含めて。 あの逞しい身体は、自分にはないもの。あの濡れた腕も、自分にはないもの。だけど……焦がれる。もしもあの腕に、強く抱かれたのなら―― (――って、なに考えてんのよ私! 落ち着きなさいって!!) ふいに沸きあがった不埒な妄想に、 は強く頭を振った。――そのとき。 「……あ」 「……! 誰だ!!」 は思わず、足元の小枝をバキリと踏み鳴らしてしまった。咄嗟にアサトが振り返る。強い殺気を当てられて一瞬竦んだ は、身を引く事ができなかった。 「…… …!?」 「あ、はは………。ゴメン、私……」 覗いていた事がバレて、 は観念すると木立から姿を現した。水際まで、歩を進める。 「…………」 「…………」 ……気まずい。ものすごく、気まずい。呆然としたアサトと俯いた は、無言で対峙した。 「……なんでこんな所に、いる……」 「え? あ? ……あ、たまたま通りがかって……」 「……そうか」 ボソボソとした会話を交わすと、 はちらりとアサトを見上げた。アサトはわずかに染まった顔で、硬い表情をしている。……やはり、覗かれたのは不愉快だっただろうか。 「あの、ゴメン。私先に帰るから、ゆっくりして――」 「いや、いい。俺ももう上がろうと思っていたから。少し待っていてくれ」 踵を返そうとした は、アサトに呼び止められて足を止めた。アサトが衣服の置かれた方へと川を横切る。水際でぼんやりとその動きを追っていた は、アサトが身体の向きを変えた瞬間に息を詰めた。 先ほどは逆光になっていて見えなかった背中に――大きな傷痕が、刻まれている。 「……!」 アサトに気付かれないように目を見開いた は、その傷痕をまじまじと見つめた。……大きいが、古いものだ。何が原因だろう。 (……あ) すると は、一つの想像が頭に浮き上がり眉を寄せた。考えたくはないが……カガリの話から十分に考えられる、ある可能性。その可能性を頭を振って散らすと、 は再びアサトの動きを追った。 アサトは対岸に衣服を置いて来たようだ。服を抱え、こちらに戻ってくる。正面を向いたアサトの肉体はやはり整っており、 は思わず呟いてしまった。 「……アサト……綺麗ね」 「え」 「……あ」 ――何を口走っているのだ! はうっかり滑った己の口を、今すぐに塞ぎたい衝動に駆られた。今のは何か、別の響きまで含まれていた。 「わ、私……やっぱり先に帰るね!」 「あ、 ……危ない」 「!!」 水際から踵を返そうとした は、ぬかるみに足を取られて仰け反った。そして宙を仰ぐと、盛大な音を立てて水中へと倒れ込んだ。……つまり、コケた。 「 !!」 「――ぷはッ! けほっ!! 冷たっ!」 水は冷たいが、水深は深いものではない。 は衝撃をやり過ごすと、すぐに水面へと顔を出した。 「 、大丈夫か!!」 「けほッ、ごほ…っ! 大丈、夫……」 川の中程にいたアサトが駆け寄ってくる。浅瀬に座り込んだ は、咳き込みながらも何とか目を開いた。 「水を飲んだのか!? 早く吐き出して――」 「大丈夫、大丈夫だから……!」 叫んだアサトが の肩を掴む。ガクガクと揺すぶられ、 は慌てて叫んだ。……むしろ水が回るから、遠慮してほしい。 「本当に、大丈夫か……?」 が頭と耳を振って水気を飛ばすと、アサトが怖々と覗き込んできた。その顔を見上げ、 は目を見開いた。 アサトを眉を寄せて、 を不安げに見下ろしている。その黒い耳と尾はしょんぼりと下がっていた。重病者でも前にした子猫のようなその表情に、 は思わず噴き出した。 「……ッ……。なんて顔、してるのよ……」 「……?」 キョトンとしたその顔を見ると、 はふいに優しい気持ちが沸いてくるのを感じた。垂れてきた髪をかき上げ、 は小さく笑って口を開いた。 「大丈夫。私は大丈夫だから。――あ、服……」 「服? ……あ」 の視線につられて、アサトが後ろを振り返る。その先ではアサトの服が……投げ出され、水に浸かってしまっていた。 「……濡れちゃった、ね」 「……ああ。濡れてしまった」 の言葉を継いで、服を掴んだアサトがそのまま返す。アサトと目を見合わせると、 は肩を竦めた。 「……お揃いね」 「? ……何がだ」 「私とアンタよ。……ふたりともズブ濡れ。……ははっ」 が堪えきれずにからりと笑うと、アサトは息を詰めて目を見開いた。 「……! 、それは――」 「?」 アサトが頬を染め、目をわずかに逸らす。それまで視線が注がれていた先には、濡れて上着の張り付いた の肢体があったのだが、 はそれには気付かなかった。 ただ、 の方も下穿き姿のアサトのどこを見ればいいのだろうという困惑があったため、この場合はお互い様と言えるかもしれなかった。 取りあえず服を着たアサトと適当に水を拭った は、相変わらず張り付く衣服を鬱陶しく思いながらも顔を見合わせた。 「……帰ろっか」 「ああ、そうだな。――ッ、う……!」 の呼び掛けに、アサトが穏やかな顔で頷いた。だがその直後、アサトは頭を押さえて低く唸り声を上げた。異変に が振り向く。 「アサト? どうしたの?」 「あ……何でも、ない……。用を思い出したから、やっぱり先に帰っていてくれ」 「用って、アンタそんなの一言も……」 「 には言えない事だ。頼むから先に帰ってくれ……!」 「…………」 思わぬ強い口調に、 は押し黙った。アサトが何か……おかしい。だが がいる事でアサトが困っている事もまた、事実のようだった。 は困惑を押し殺して頷くと、アサトを振り返りつつ道を進んだ。やがて小川から離れると、アサトの姿も森に紛れて見えなくなってしまった。 その後、声にならない声で名を呼ばれた事を が知る事はなかった。 |