8、葛藤




「もしもーし。誰かいるー?」

 朝食の後片付けを手伝った は、悪魔の部屋の扉を叩いた。何故なら、ヴェルグに会って話を聞きたいと思っていたからだ。
 昨日バルドは否定したが、バルドの傷とヴェルグとの関わりが……やはり気になる。少なくとも、ヴェルグはあの傷に関して何かを知っている風だった。

「……やっぱ、いないか……。仕方ないわね」

 だが、誰かしら帰ってきているのではないかと期待した の行動は、徒労に終わった。
  は取りあえず宿を出て通りを歩いてみたが、他に悪魔を呼び寄せるあてがある訳もない。行動に詰まった はひとまず、この街の中では一番ヴェルグがうろついていそうな裏通りをとぼとぼと歩き始めた。……しかし。


「――うわ…ッ!」

 突然背後から大きな手で腕を取られ、 は裏路地へと連れ込まれた。壁に打ち付けられた が驚いて振り返った先には――今まさに探していた快楽の悪魔、ヴェルグが腕を組んで立っていた。

「なんか用か、メス」

「あ……」

 探し求めていた悪魔に突然見下ろされ、 は不意打ちに言葉を失った。









 衝撃を何とかやり過ごした は、さっそくヴェルグにバルドの契約との関わりを聞いた。ヴェルグは違うと否定したが、にやりと笑って「正確には、な」と付け足した。……何かツテはあるという事だろうか。
  が勢い込んでその契約を解く方法を尋ねると、それまでダルそうに聞いていたヴェルグの態度が一変し、左右色違いの瞳に剣呑な光が宿った。


「知ってたとしても……なんでお前に教えなきゃならねーんだ? 関係ねーだろ」

「……ッ」

 ……確かにその通りだ。だがぐっと唇を噛んだ がバルドの今後を尋ねると、ヴェルグはあっさりと「死ぬ」と答えた。

 ――死ぬ。……バルドが。

 突き付けられた宣告に、 は一瞬目の前が暗くなった。それは、半ば予期していた事でもあった。徐々に疲弊し磨耗していくバルド。それが今後も続けば近いうちにどうなるのかぐらい……分かっていたはずなのに。
 はっきりと声に出された事で一気に現実味が増してきたように思えて、 はゾッと身震いした。


「そんな事よりもよぉ……お前さ、なんっか臭わねーか?」

 だが が押し黙ると、ふいにヴェルグが身を乗り出して の身体をくんくんと嗅いできた。……一体なんだ。

「……は?」

 唐突な行動と言葉の意味が分からず が目を点にすると、ヴェルグは顔をしかめて「げ」と呟いた。それを聞いた の顔も思わず歪む。……「げ」とは何だ。しかも臭うとは失敬な。
 だが顔を上げたヴェルグが次に呟いた言葉に、 は心臓が止まりそうになった。

「お前よー、リークスの野郎に、痣以外にもなんか仕掛けられてんだろ」

「……!」


 ――何か。何かなんて……一つしか思い当たらない。顔を強張らせた を、ヴェルグは「ふん」とつまらなさげに見遣った。

「妙な術、仕込まれたな」

「…………分かるの?」

「ああ。すげー強え臭いがプンプンしやがる。このまま放っときゃお前、身体……乗っ取られるぜ」

「!!」

 他人事のように(実際そうなのだが)呟かれたその言葉に、 は目を見開いた。
 あの他者に無理やり身体の中に入り込まれるような感触を思い出して は総毛立ったが、震える唇を動かすと恐る恐るヴェルグへと問い掛けた。

「一体、どんな術なの……」

「さあな。今分かんのは、『一番殺したくない奴を殺したくてたまらなくなる』っつー暗示をお前が掛けられてるって事だけだ。……ハッ、アイツもなかなかいい趣味してんじゃねーか」

「――ッ!!」

 ……一番殺したくない奴。それが誰の事を指すかを一瞬にして は悟り、蒼白になった。

「……私が……殺す――。何で……!?」

「知るかよ。俺に聞かれたって分かる訳ねーだろ」

「……じゃあ、これ…どうやったら解けるの……!? こんなままじゃまたアイツを――!」

「無理だな。術なんてもんは基本的に、掛けた当事者じゃなきゃ解けねーんだよ。あとは時間切れか、そいつが弱るのを待つかだ」

「…………」

 取り乱した を冷めた目で見遣り、ヴェルグが低く告げた。絶望的な状況に目の前が暗くなりかけた は、深く息を吐き出すと頭を振った。
 ……落ち着け。今ヴェルグに聞きたいのはこんな事ではなかったはずだ。 
 

「……分かったわ。……私の事は、取りあえず今はいいわ」

 何とかそう呟いた が顔を上げると、ヴェルグは片目を興味深そうに歪めた。

「へえ。いいのかよ」

「ええ。これは私の問題だもの。自分で何とかするしかないわ。……それより話を戻すけど、バルドの契約を解く方法は?」

 強く問うた がじっと見つめると、ヴェルグは途端に剣呑な顔つきに戻ってしまった。

「……俺の言ってる事聞いてんのかよ。だから教える義理がねーって。つか、それだってアイツ自身の問題じゃねーのか? お前が首突っ込む事じゃねーだろ」

「そうよ。でも、それでもアンタは何かを知ってるんでしょ!? だったら少しくらい……!」 

 食い下がる に見向きもしないヴェルグの態度に、 は思わず激昂した。
 ……分かっている、ヴェルグの言葉にはそれなりに筋が通っていると。けれど、バルドを失うかもしれないという焦燥が胸を突き、 は気付くとヴェルグの瞳を睨み付けていた。そんな を、ヴェルグが嘲りの眼差しで見下ろす。

「随分必死じゃねーか。トラに惚れたか? あ? ――ハッ、違うだろ。お前のそれは……お優しい自分に酔いたくて言ってるだけだ」

「……!」

 嘲るように吐き捨てたヴェルグの言葉に、 は息を呑んだ。

「同情も憐れみも正義も優しさも関係ねぇ。全て、他の奴のために見せかけて、本当は自分のために言ってるに過ぎねぇんだよ」

「…………」

 侮蔑を隠そうともせずに、ヴェルグが見下ろす。その凶暴な視線に は思わず呑まれそうになったが、奥歯を噛み締めると昂然と顔を上げた。


「――そうよ」

「あ?」

 静かに肯定の意を示した に、ヴェルグは怪訝な声を上げた。己を奮い立たせると、 はキッとヴェルグを睨み付けた。

「そうだって言ってんのよ。アンタが言ってるのが正しいって。……そうよ、私は私のためにアンタに聞いてるわ。他の誰のためでもない。もしかしたらバルドのためでさえないかもしれない。私は自分の欲求に従って動いてるだけだわ」

「…………」

「アイツが死ぬのは嫌だわ。アイツを喪うのなんて耐えられない。……手を差し伸べてくれた猫を傷付けて、アイツ自身にも拒絶されてるのに、それでも私は自分の欲望に逆らえない。こんな身勝手な願いが、自分のため以外の何だって言うの!? ――教えてよ! アイツを解放する方法、どこかにあるんでしょう!?」

 ……そう。こんなに必死になって食い下がるのも、解決策を求めるのも、きっとバルドのためなんかじゃない。
 バルドが苦しむ姿を見たくない、前を向いてもらいたい、笑顔でいてほしい。……綺麗な言葉で飾っても、結局それらは の一方的な願いでしかない。
 それでも……どれだけ嘲笑されようとも、バルドの解放を は願った。

 言葉を紡ぐうちに感情が昂ぶり、最後はほとんど叩き付けるように叫んだ が、息を切らす。ヴェルグは無言で を見下ろしていたが、やがて口端を吊り上げた。


「へぇ……。自分の醜さを認めるってか」

「醜いわよ。結局自分の事しか考えてないんだわ」

「ふん。……じゃあよ、醜いお前に一回だけチャンスを与えてやるよ」

 きっぱりと言い切った に向けてヴェルグが放った言葉に、 は目を見開いた。

「チャンス……?」

「ああ。条件を飲めば契約解除について考えてやる。すぐ解く事はできねーが、俺の眷属が請け負った契約だから、探せばなんか出てくるかもな。そしたら契約も解けるかもしんねぇ」

「…………」

 ヴェルグが提示した案は、にわかには信じられなかった。だが契約を解く切っ掛けが……目の前に示されている。思わず飛び付きたくなる衝動に は駆られたが、息をゆっくりと吸うと慎重に問い掛けた。

「……条件は」

 ――条件。そう言えば聞こえはいいが、実際のところは代償に他ならないだろう。この悪魔に限ってそんな生易しいものは期待できない。
 緊張に唾を飲んだ の顔を眺め、ヴェルグは突然その腕を伸ばすと の腰を引き寄せた。はずみで身体がヴェルグの胸に押し付けられ、耳が荒々しい手にこじ開けられる。

「ちょ…っ!」

「簡単な事だ。――やらせろ」



「……!」

 無理やり開かれた耳に直接注ぎ込まれた言葉に、 は目を見開いた。同時にヴェルグの手が、はっきりとした意思を持って の臀部を掴む。 は咄嗟にその手を振り払うと、目前のオッドアイを見上げた。

「なに……言って――」

「出血大サービスだぜ? 本来は食わせろって言うところを、大幅に負けてやってんだからよ。まあ一回とは言わねぇけどな。……お前がどこまで這いつくばって醜態さらして足掻いてくれるかが楽しみだぜ」

「…………」

 はなから を嬲るつもりで舌なめずりするような視線に、 の身体が強張った。だが同時に、そんなものでいいのかと拍子抜けする思いもあった。この身体を一時自由にさせれば――

(……でも待って。コイツがそんなに虫のいい話をする?)

  は一瞬頷きかけたが、ふと冷静な疑念が頭に浮かび目を逸らした。ヴェルグはさっき、何と言っていた……?
 『契約解除について考える』だけではダメだ。でも悪魔は嘘を付かないと、確か昨夜に言っていた。
 だったら、必ず契約を解くと約束させなくては。それから、ちゃんと自分も生きて帰ってこられるかを確認して――


「……一つ、聞かせて。仮に条件を飲んだとして、私はこの世界に帰ってこられる? 殺されない?」

 張り詰めた声で更なる説明を促した に、ヴェルグは一瞬意外そうな表情を浮かべた。まさか が乗ってくるとは思わなかった、という顔だ。

「殺さねぇよ。どーせお前食えねーしな。俺が飽きたら、戻してやる」

「……そう。…………だったら、約束して。考えるだけじゃなくて確実に契約を解くって。それなら条件を飲むわ」

 ……必ず、契約が解けるのなら。他に具体的な解決策のない現状では、それは喉から手が出るほど魅力的な想定だった。それが本当に可能ならば――自分の身体など、どうなったっていい。
 たかが、セックス。それでバルドに笑顔が戻るのならば、安い対価だ。自分の何が変わる訳でもない。

 嫌悪感を押し込めて自分にそう言い聞かせると、 はヴェルグの返事を待った。


「……いいだろう。約束してやる。お前を犯す代わりに、契約を解除してやる」

「……分かったわ。――応じる」




「そうかよ。……じゃ、早速――」

  が頷いた次の瞬間、ヴェルグがすっと腕を伸ばしてきた。色違いの瞳が、暗い熱を宿して輝く。……蛇に喰われるようだ。

「……っ……」

 だが息を詰めた の胸に、ヴェルグの指先が届こうとした瞬間――緊迫した空気は、低い怒鳴り声によって遮られた。

「お前ら――何してる!!」










「……! バル――」

「……ちっ。ンだよ、邪魔すんなよ」

 路地に駆け込んできたのは、バルドだった。 に手を伸ばすヴェルグを見て、その形相が変わる。バルドは荒々しく地面を蹴ると、今まさに触れられようとしていた を横から強く引き寄せた。

「触るな!」

「ッ!!」

 加減も何もなく手首を強く引かれ、 は顔を歪めた。バルドは を背後に押しやると、ヴェルグに向かって吼えた。

「こいつに何をしようとした!」

「俺じゃねーよ。そいつが望んだから、ちょっと遊んでやろーかと思っただけだ」

「……なんだと……」

 低く呟いたバルドが、ヴェルグを睨み付ける。ヴェルグは無表情にバルドを見下ろしていたが、緊迫した時間はやがてヴェルグの溜息によって終わりを告げた。


「……つっまんねーの。せっかく引っ掛かったと思ったのによ、興醒めだぜ」

「え……」

 顔を歪めて吐き出されたヴェルグの言葉に、 は目を見開いた。……まさか。

「ちょっと、どういう事よ! ……嘘だったの!?」

「違ぇよ。だが、方法を探すっつてもどんだけ掛かるか分かんねぇから、ほぼ確実に無理だって事だ。……ないもんはないんだよ。諦めろ」

「……! 待ち――」

 暗い宣告を最後に告げて、ヴェルグは電流と炎を出しその姿を呑み込ませていった。 の引き止めも虚しくみるみるうちに炎はヴェルグを呑み尽くし、やがて跡形もなく消えていった。







「…………。い…ッ!」

「――来い」

 ヴェルグの消えた跡を呆然と眺めていた は、不意に手首を強く引かれて苦痛の声を上げた。きつく握り締められ、バルドが歩き出すのに合わせて力任せに引き摺られていく。

「バルド! ちょっと、痛い……! 離し――」

「いいから来い!」

「…ッ!」

 乱暴な振る舞いに抗議した は、逆にバルドに怒鳴り返されてビクリと竦んだ。……何故だろう。ものすごく怒っている。
  が口答えする暇もなく、バルドは を引き摺って歩いていく。その歩調は速く、 は足をもつれさせた。だがバルドは歩みを止めなかった。

 全くこちらを振り返らないバルドの姿に、深い怒りが一層伝わってきて は動揺した。そして、いきなりこんな行動に及んだバルドに怒りを覚えた。

「……離してよ」

「…………」

  が再三訴えても、バルドは手を離さなかった。段々怒りも冷めて何となく悲しい気分になってきた は、唇を噛み締めた。

 ……こんなのは、嫌だ。悲しい、悔しい。……怖い――




 だが宿の扉をくぐる頃になると、 は不意にゾクリとした感覚を覚えて毛を逆立てた。
 ……また、来た――!?

「離…して! 離して!!」

 今度こそ必死に腕を振り払おうとする を無言で引き摺り、バルドは自室に入った。扉を閉めると不意に手を離され、勢いを殺し損ねた は寝台に倒れ込んだ。


「あ…ッ!」

「――どういうつもりだ」

「え……」

 咄嗟に起き上がった は、バルドに低く凄まれて声を失った。 の前に立ちはだかったバルドが、 を見下ろしている。その眼差しは冷えているのに強烈な怒りを孕んでいて、術の衝動が消失するのと引き換えに、 の背中を冷たい汗が伝った。

「どうしてあんな奴に近付いた。……あんた、抵抗していなかったな。あいつに何をされる気でいた」

「…………」

 ――怖い。バルドに対して初めて抱いた感情に、 は口を開く事ができなかった。
 耳を下げた が黙り込むと、バルドは腕を組んで溜息をついた。


「だんまりかよ。……まさかとは思うが、身体目当てで――」

「違う! そんなんじゃ――!」

「じゃあ、何だ。あいつに近付くならそれ相応の覚悟があっての事だろう」

 心外とも言えるバルドの発言に、 は顔を上げると強く否定した。琥珀色の瞳に、射るように見つめられる。心を見透かすようなその視線にこれ以上の誤魔化しはきかないと悟り、 は俯くと小さく口を開いた。


「……取引を、した……。私の望む事と、アイツの出した条件で。……実際のところは騙されてたみたいだけど」

「……取引? 一体何をあんたは望んだんだ」

 怪訝な顔をしたバルドが問い掛ける。 は唇を引き結ぶと、ぽつりと告げた。

「……アンタの契約が、解消される事……」

「――ッ! ……それで、代価が……アンタか……」

「…………」

 強く息を呑んで搾り出すように問うたバルドに、 は沈黙で応えた。頷く事はできない。さすがにそれは……バルドの重荷になるだろう。


 しばらく二匹の間には沈黙が続いたが、やがて俯いた の視界にバルドの耳が映った。バルドが……へなへなとしゃがみ込んでいる。

「馬鹿野郎……。何で、そんな事……」

 片手で額を押さえたバルドが漏らした声に、 は息を詰めた。声音には既に怒気はなく、ただ苦悩と呆れが滲んでいる。 は顔を上げると、項垂れた虎縞の耳を見つめて口を開いた。

「……アイツなら解けるかもしれないって、思った……。他に方法もないし、だったらって……」 

「…………」

 口を開いたはいいが、 の答える声もだんだんと小さくなっていく。

 ――実際のところ、 はヴェルグに騙されそうになっていたのだ。あのまま応じても、バルドは助からないと言っていた。しかも、自分はヴェルグに嬲られるというオマケ付きで。何の利益もない取引だ。

 もし本当に実行されていたらと考えると、今更ながらにゾッとした。……何という選択をしたのか。
 交換条件に目が眩み、取り返しのつかない事態を招きそうになっていた。そんな自分を止めてくれたバルドに、 は心底感謝した。


  の言葉を淡々と聞いていたバルドは、やがて寝台に腰掛けた の太腿に両手を置いた。そのまま静かに握り締める。

「……頼むから、もうこんな事はしないでくれ。心臓がいくつあっても持たん」

「……心配、したの……?」

「当たり前だろう! ……俺が助かったって、あんたが代わりに傷付けられてたんじゃ何の意味もない」

「…………」

 搾り出すように呟かれたバルドの言葉に、 は胸が締め付けられるのを感じた。結局バルドに、迷惑を掛けてしまった。
  はバルドの手をそっと握ると、小さく口を開いた。

「……ごめんなさい……」

「いいや。……俺のほうこそ、怒鳴って悪かったな。………間に合って良かった。あんたが無事で、本当に良かった……」












 やがて から離れて椅子に腰掛けたバルドは、長く息を吐き出すと視線を上げた。

「聞けよ。……あんたが疑問に思っていること全部」

「……いいの?」

「ああ。――知らないうちにあんたが暴走して、傷付いたりいなくなったりしちまうよりはマシだ。……長くて退屈な話になるだろうけどな」




 それからバルドは、この傷に至るまでの長い長い話を静かに語った。 は姿勢を正すと、初めてバルドの口から語られる「真実」を食い入るように聞き入った。


 ――遠い昔。ライと狩りに行ったバルドは、ライが獲物に頬擦りしているところを目撃してしまった。あの獲物を前にした狂気の片鱗は、幼い頃からの事だったのだ。それをバルドは、ライが温もりを求めていたからではないかと語った。

 ライの両親は、ライに対してとても厳しくあたっていたらしい。それをバルドは痛ましく思い、自分といる時は子供らしくできるよう構っていたのだと。
 だが、そんな仲だった二匹を引き裂いた理由が、自分にあったとバルドは告げた。

「初めて目にしたときな……羨ましいと思っちまったんだ。あいつを」

「……羨ま、しい……?」

 ライの純粋な狂気に嫉妬したとバルドは言った。獲物を確実に仕留める事が本当の強さで、情や迷いといった心の隙は弱さなのだ。そんなものを抱えた自分が大嫌いだった、と。

 不可解なバルドの言葉に、 は眉を寄せた。……何を言っているのか理解できない。
 だが の困惑は、続くバルドの言葉に遮られた。


 ――それから少しして、ライの両親が夜盗に襲撃されて殺された。これはいつかに聞いた話と同じだ。だが、ライがその血の海を呆然と眺めていた事が加えられ、 はその凄惨な光景を思い浮かべて言葉を失った。

「『動かないね』『死んじゃったからしょうがないね』って……おかしいだろ? 親が目の前で死んでるってのに」

 その時の光景を思い出すように顔を歪めたバルドは、逃げていく夜盗を見て復讐を誓ったと告げた。だが、その後ライを引き取った後もその事ばかりを考えて、とうとうある行為に及んだと言った。
 それが……悪魔との契約か。


「契約は……完成しなかったのね……?」

「ああ。……ライに見られて、中断された」

「……!」

 ……だから、ライを「裏切った」。やがてその行為の意味を悟ったライがバルドを避けるようになり、刹羅を飛び出した。それが、二匹の最後だった。
 醜い傷だけが残されたバルドは、それから魔を引き付けながらも呼び寄せる闇に抗って生きてきた。……ただ静かに死ねる事を望みながら。その一方で闇に食い殺される未来を予感しながら。



 全てを話し終えたバルドを、 は沈鬱な面持ちで見遣った。そして一度唇を引き結ぶと、小さく口を開いた。

「……馬鹿だわ、アンタ」

「馬鹿か。確かに悪魔に頼ろうなんて正気の沙汰じゃなかったな……」

「違う。そういう事を言ってるんじゃない。そんな事が強さだって考えてる事も、弱さが心の迷いのせいだって感じてる事も……全部、私には理解できない。……アンタが弱いのは、行動する前に逃げているからだわ」

「……何……?」

 わずかに怒りを閃かせたバルドに怯まず、 はその目を見据えて強く告げた。
 本当の強さなんて にも分からないが、少なくともそんな事ではないはずだ。それに、弱さも。

 敵を仕留められないのは弱さではない。その迷いや揺らぎは、痛みを知っている者なら誰だって持っているものだ。
  の言葉に、バルドの瞳から怒気が削ぎ落ちて驚愕が浮かんでいく。


「どうしてライがあんなにアンタを憎んだのか、よく考えなさいよ。ライが本当に望んだのは……きっと、そんな事じゃないわ」

  は呆然とするバルドにそう告げると、寝台を立ち上がって歩き出した。扉の前で振り返り、口を開く。

「……ちゃんと向き合いなさいよ。過去とも、ライとも。……アンタがそんなだから、アイツだってあんな態度を取らざるを得ないのよ。アンタが変わらなきゃ、何も変わらない」

「今更変わることなんて――」

「できるわよ。死ぬ死ぬ言って諦めてる無駄な時間があるなら、変わる事が何だって言うの。……苦しいなら、寄りかかりなさいよ。傷付くのが怖いなら、私に分けなさいよ。アンタが変わろうと決めたなら――私は、どんな協力も惜しまない」

 目を見開くバルドに強く告げると、 は扉を開いて部屋を後にした。









 変わってほしい。そうでないと……共に探し出せない。バルドが解放される道を。
 ひとりで足掻いていても、ダメだ。例え解放されたとしても、バルドが生きながら死んでいる事に変わりはない。

「生きてよ……。お願いだから――!」

 祈るように呟くと、 はバルドの過去と苦悩を想ってきつく目を閉じた。













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