12、あやまちを越えて





「……っぐ、ぅお……ッ!」

「……バルド……! ……なんで――……!?」


  の凶刃は――バルドの手のひらを貫いた。
 いきおいで倒れこんだ身体がふわりと抱き止められる。その時 は気が付いてしまった。……バルドが、わざと手を突き出した事に。


「――アンタ、馬鹿よ……ッ!」

 自分の所業を棚に上げて、 は叫んだ。再度の攻撃を恐れてもがくが、固く戒められた身体は身動きが取れない。そんな の頭に手をやり、息を荒くしたバルドが呟いた。

「馬鹿か……。確かに、馬鹿だよなぁ……。でも身体が動いちまったんだ。仕方ねぇだろ?」

「……っ…でも、手が……!」

「……いいよ。手の一本ぐらい、なくしても構わねぇ。むしろ痛みでうるさい声が聞こえなくなったから助かるよ」

 バルドが苦しげに笑う。 は目を見開いて、その言葉を呆然と聞いていた。


「――約束しただろ、何してでも止めるって。こうして片方残ってりゃ……アンタを抱きしめられる」

「――ッ……。……バルド……!」


 グイと頭を引き寄せられる。強引にバルドの肩に頬を押し付けられた は――涙と共に、何か禍々しいものが押し流されていくのを感じとった。







「……自己犠牲とは美しい精神だな。だがその猫の術やお前を呼ぶ声を封じたとしても、そんな右手で何ができる……?」

 リークスが抑揚なく呟いた後、嘲笑する視線をバルドに向けた。バルドは剣を抜き を離すと、脂汗を滲ませて不敵に笑った。

「死ぬ気になってみりゃあ、できない事なんざないんだよ。片手でも、お前と闘う事ぐらいはできる」

「……戯言を。あと何秒で死ぬかが見物だな。――良かろう。……フィリ、歌え」


 唇を吊り上げたリークスが告げた。左手で剣を構えたバルドを嘲笑うかのように、フィリの命を懸けた歌が始まり――やがて赤い炎の塊が、バルドに向けて放たれた。





「――バルド!」

 歌を生み出そうと意識を集中していた は、バルドへの攻撃を悟り身を翻した。
 地を蹴って駆ける。手を伸ばす。だが炎の軌道に触れた瞬間、 の身体は衝撃を受けて弾き飛ばされた。――間に合わない……!


「バル……――ッ、うあ……ッ!」

「――阿呆猫が。まったく……揃いも揃ってお前たちは、何をしている」


 炎が――落ちた。飛んできた短剣に軌道を曲げられたそれは、バルドに当たる事なくくすぶって消えてしまった。
 ガシリと抱き止められた は、その怜悧な声の主を呆然と見上げて絶句した。

「ライ――!」






「ライ……。どうして、ここへ……」

 コノエが呆然と口を開いた。突然現れた白猫……ライは、 をさっさと放すと座り込んだバルドに歩み寄り、その身体を引っ張り上げた。


「どうもこうもない。駄目猫の駄目な末路を笑いに来ただけだ」

「……ライ……」

 バルドは目を見開いた後、わずかに顔を歪めてライの顔を見遣った。ライも、薄氷の眼差しを静かにバルドに注いでいる。
 今までの確執を溶かしていく、長く長く短い視線の交差を打ち切ったのは――ライの方だった。


「情けない面を晒すな。……ふん、あんな魔術師など大した事はないな。すぐに片をつける。そうしたら次は貴様の番だ。……貴様が死んだら、あいつの面倒は俺が見てやる」

 ライが薄く笑って をちらりと見た。バルドは呆気に取られていたが、やがて唇を吊り上げた。

「絶対渡さねえ。……つーか、俺怪我してんのにそれって卑怯じゃねぇか?」

「知らんな」

 
 ライが長剣を引き抜く。バルドも剣を構え、その隣に並んだ。その光景は とコノエに震えるような衝撃を与えた。
 やっと――絡まった糸が、一本に戻ったのか。



「美しきは師弟の絆、か。……ならば師弟ともども、地獄の淵に沈むがいい!」


 リークスが叫んだ。すると既に爆死したフィリの亡骸からおびただしい量の黒霧が溢れ、猫たちを威嚇する。だがその中で突然コノエから清浄な白い光が放たれて、 は目を見開いた。

 それは――歌。まばゆいばかりの光の奔流に、 はふと心が軽くなるのを感じた。
 押し流されるように口を開く。コノエの旋律を支えるように、 は声を絡め始めた。




 ああ、バルドが――楽しそうだ。
 ライと共に駆け、剣を振るう姿は今までに が見たどんなバルドよりも、生き生きとしていた。


 その心の迷いに、苛立った事もあった。 が何度喚いても叫んでも揺るがない凝り固まった心に、焦燥を感じた事もあった。

 癒えない傷なら共に分け合う。消えない罪なら共に背負っていく。
 それでも、共に生きたいのだ。――そう告げたら、バルドは笑って『それなら の痛みも自分が負う』と言ってくれた。

 過ちは消えないけれど……共に償っていく事は、きっとできる。


 だけど今のバルドは、何からも自由だ。たとえ命を落としても、まるで悔いがないというような顔をしている。そのこと自体は嬉しいが――


(でも……絶対に、死なせないからね……!)

  は歌いながら、強い眼差しで雄猫の背を見つめ続けた。






 薄紅の光に包まれた闘牙たちが駆ける。 が突っ伏しコノエが床に倒れた瞬間――バルドの剣は透明な壁を突き破り、リークスの頭へと振り下ろされた。
  はその光景を見ることなく、意識を闇に失った。









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「――  ……、――……! ……せ……って――」


 何か……声が聞こえる。次に感じたのは、パタパタと頬を叩く感触。優しい感触だ。
  は一瞬眉を歪めると、光に誘われて薄く目を開いた。


「…………。……バルド……?」

 逆光の視界の中、覗き込んでいるのは琥珀の瞳。……バルドだ。
 バルドは息をつくと、安堵するように眉根を緩めた。

「……ああ。――良かった……。あんたが一番遅かったんだ」

「……何、が……?」

 目を慣らしながら、周囲を見回す。するとしゃがみ込んだバルドの隣にコノエが立ち、こちらを心配そうに覗き込んでいるのに気が付いた。それから少し離れた所に――ライが。


「私……、――えっ、コノエ……!?」

 ゆっくりと起き上がった は、コノエの耳と尾の色が戻っている事に気付き、目を丸くした。見上げたコノエが眉を歪め、泣き笑いのような表情を浮かべる。


「――ああ……。全部、終わったんだ……」

「……終わった……。――ッ!」

 コノエの言葉に は呆然としたが、ふいに背後に不穏な感触を覚えて勢いよく振り向いた。……バルドが、突然ぴらりと の上着をめくったのだ。

「……ちょ…っと、何してんのよアンタ……!」

「こっちも……消えたな」

「え――。あ……! ……ホントに……?」

 腰の紋章が……消えているらしい。自分の目で確認する事はできないが、服を下ろしたバルドの瞳によって はそれが事実である事を確信した。
 本当に――終わったのだ。



「バルド……」

  は知らず、バルドに向けて手を伸ばしていた。服を掴み、その顔を見上げる。するとバルドはスッと腕を掲げた。


「ここも……消えた。……あんたとコノエの、おかげだ――」

「……! あ――」

 手首に刻まれた黒い痣が――ない。
 震える手でその手を掴み、まじまじと見つめる。やがてそれを引き寄せると…… は手のひらを自分の頬へと押し当てた。


「良かった…ね。……良かった……本当に……ホントに……ッ」

 触れた手は大きく、温かい。涙を溢れさせた を慈しむように、親指が頬をなぞっていった。
 だがふいにその指がピタリと止まると――耐えかねたように引き寄せられ、 はきつく抱きすくめられた。


「……ありがとう…… ――」


 耳元に落ちた囁きに は腕を伸ばすと、雄猫の首を抱きしめ返したのだった。










「……行くぞ、馬鹿猫」

 重なり合う二匹を感慨深く見守っていたコノエは、突然かけられた声に振り返った。


「……え。でも、 とバルドが――」

「邪魔をするな。……というか、所構わずな馬鹿つがいなど、放っておけばいい」

「…………」

 白猫がすたすたと歩き出す。その後姿をポカンと見つめていたコノエは、やがて苦笑を浮かべるとその後を追って歩き始めた。


「……アンタ、実は結構悔しいんだろ」

「黙れ、馬鹿猫が」


 白猫が切り捨てる。見上げたその顔には、満足げな中にほんの少しだけ面白くないという感情が浮かんでいて、コノエはそっと視線を逸らしたのだった。


















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