>

 

      1、誘う猫






「な、なんとか……っ、行けそう……」

 あれから数十分、 は迫り来る不快感に耐えながら宿までの道をようよう歩いていた。
 不快感にも波があり、どうにか無事に帰りつけそうだ。あと数回角を曲がれば宿が見える――そんな距離まで来た は、道端にうずくまる猫の影を捉えた。



 壁に手をついてしゃがみ込んでいるその猫の顔は見えない。だがコートの裾から覗く茶色い鍵尻尾にはっとすると、 は確信を持って声を掛けた。

「コノエ?」

「……? あ、アンタ――」

 顔を上げたコノエの表情に、 は目を見張った。上気した顔、とろんとした目、覇気のない尾と耳。コノエは 以上に具合の悪そうな顔をしていた。

「だ、大丈夫? コノエも具合悪いの? ……とりあえず、宿に帰りましょ。ほら、私に掴まって――」

「俺もって……アンタも、なのか? ああ、悪い――、ッ!」

「いいから――、あッ!?」


  が伸ばした手をコノエが掴む。その手に触れられた瞬間、 とコノエは互いに電流のような衝撃を感じて思わず手を離した。 はその場に踏みとどまったが、コノエは再び手をついて座り込んでしまった。
  は呆然として自分の手を見た。コノエに触れた瞬間の、あの衝撃。そしてこの不快感は、まさか――

 ある可能性を思いついて息を呑んだ は、次の瞬間足元の苦しげな呻き声を聞いて我に返った。コノエが息も荒く喘鳴している。
 本当に具合が悪そうだ。 もコノエに会ってから症状が悪化してきたが、だからと言ってコノエをこのままにはしておけない。

  は息を一つ吸うと、コノエの肩に手を掛けた。衝撃に歯を食い縛って耐えると、その肩を貸してコノエを立ち上がらせる。


「ゴメン、ちょっとだけ我慢して頑張って。もうすぐ、着くから……!」

「ッ、アンタ……。アンタだって、具合悪いんだろ。いいから、置いていけよ……っ」

「ダメ! 絶対、宿に帰らなきゃダメ! いいから行くわよ」

「――? あ、ああ……」

  の迫力に押されて、コノエがよろよろと歩き出す。まだ成猫でないとはいえ、雄の身体を支えるのは正直言ってつらい。まして も本調子ではない。
 だが二匹とも早くここから離れるべきだ。その一心で は重い身体を奮い立たせると足を進めた。









「なん、で……こんな時に限っていないのよあのオヤジ……!」

 いつもなら数分の距離を、気が遠くなるほどの時間を掛けて二匹は宿に辿り着いた。
 だが肝心のバルドはおろか、ライやアサトの姿も見えない。一階に転がしておくわけにもいかず、 はコノエを促すととりあえず自分の部屋へと連れ込んだ。残念ながら奥の部屋まで行く気力はなかった。

 コノエを自分の寝台に寝かせると、 も寝台にもたれてへたり込んだ。
 なんとかここまで辿り着けた。 はせり上がる不快感を抑えると、傍らのコノエを覗き込んだ。相変わらず苦しげに息をついている。
 コノエに触れていたときの刺激を思い出して、彼に気付かれないよう は細く息を吐き出した。


 これは、発情期だ。
 いつものそれとは全く症状の程度が異なるため気付かなかったが、昔言われた事――「相性の合う猫が側にいれば強く惹かれ合って発情する」という症状に合致する。

 そんな事ある訳ないと思っていたが、こんな時に限ってそれは現実になってしまったらしい。危機感もなく街に出てしまった迂闊な自分に は舌打ちしたくなった。


 コノエはこの事を知っているんだろうか?
  と同様に街に出ていたから、もしかしたら知らないのかもしれない。年齢的な事もあるし、以前に両親が早くに他界したと言っていた。知らない可能性も大いにある。

「あの、コノエ……」

 とりあえずどうにかしなければと が声を掛けると、コノエは胡乱に を見上げた。
 その目は潤み、呼吸が上擦っている。普段とは異なる熱を宿したコノエの姿に、 は思わず息を呑んだ。
 ――まずい。自分の中の何かが、強烈に煽られる。

「私たちがこうなっている原因……なんだか、分かる……?」

「え……?」

 コノエの瞳から目を逸らせず、 は衝動を押さえ込むと慎重に聞いた。コノエがわずかに首を傾げる。その問うような視線に、コノエがこの現象を自覚していないことを は悟った。


(……どうしよう。どうしよう、どうしよう……!)

 熱を散らす方法なら だって知っている。おそらく今は深く考えずにそうしてしまうのが最善だという事も。
 だが、何も知らないコノエにそんな事をしてしまっていいのだろうか。そこまで考えて は動揺した。
 これではまるで、自分からコノエの熱を散らそうとしているようではないか。

 だが、コノエの様子に の中の熱が煽られたのは事実だ。
 この不快感を散らしたい。コノエの熱を冷ましてやりたい。というか、コノエに触れたい。心の底でそう思ってしまった自分を は否定できなかった。


「そ、の…雄と雌が…いや最近はそっちの方が珍しいらしいけど……惹かれ合うっていうか……」

「……?」

「つまり、は、は……」

 ――発情期。その一言が恥ずかしくてどうしても言えない。
 口を噤んだ をコノエが探るように見上げてくる。いつの間にか二匹の距離は縮まっていた。

 顔を上げた の前にコノエの髪があった。弾みで頬がぶつかる。不意に走った衝撃に は理性を手放した。


「――ッ、発情期なの! わっ、分かる……!?」

「……ッ!?」

  の口にした言葉から一拍置いて、コノエが頬をサッと染めた。
 ――良かった、発情期は知っていたらしい。さすがにそこまでは説明したくない。

「き、君と私、なんか相性がいいみたいで……衝動が強くなっちゃったみたいね。……もしかして、初めて?」

 無意識に恥ずかしい事を口走りながら、 がコノエを見上げる。 の言葉に動揺したコノエは、目を逸らしたがやがて小さく頷いた。その首が赤く染まっている。

 ――たまらない。 の中で年下の猫に対する愛おしさと共に、不穏な欲望が閃いた。



「あの……そしたら、ゴメン。少しだけ我慢してもらえる……?」

「え――、ッ……」

  は重い身を起こすと、寝台に静かに乗り上げた。そして身を起こそうとしたコノエを制して、その薄い胸に額を押し付けた。
 コノエが息を詰めてわずかに震える。その振動が にも伝わり、 は長く息を吐き出した。

「ゴメン……もう限界。――私が」

……!?」

 コノエの熱が に流れてくる。その早い心音も、呼吸も、まるで自分のものであるかのように に馴染む。……違う、自分の身体も昂ぶってきているからそう思うのか。

 
 自分はずるい。何も知らないコノエを利用して、自分の熱を発散しようとしている。
 けれどもう、限界だった。コノエに――触れたい。
 その衝動に押されるまま、 は小さく口を開いた。


「発情期の衝動を散らす方法、知ってる……?」

「……ッ、分かる、けど――」

「だったらお願い。深く考えないでいいから、私に、させて……」

「……っ」

 コノエの胸から顔を上げると、 はその顔を覗き込んだ。コノエが目を背ける。だが数回天井を彷徨った後、その瞳は再び を捉えた。コノエは目を細めると、ゆっくりと頷いた。






「そのままで、いいからね……」

「…………」

 コノエの横に寄り添い、 は力無く下がった耳に囁いた。薄い耳がピクリと震える。それを横目に見ると、 はコノエの肩口に顔をうずめた。
 安心させるように静かに額を擦り付ける。親愛を示す行為にコノエは息を詰めたが、やがてゆっくりと身体の力を抜いていった。

 コノエの顔を覗き込むと、 は軽くその唇に口付けた。深いものではなく、悪戯を仕掛けるように触れては離れる。やがてコノエも小さく顔を動かすと、角度を変えるそれを追うように へと唇を重ねてきた。


 欲に溺れてはいるけれど、それだけではないのだと伝えたかった。
 惹かれ合っている――つまり相手がコノエだったから、 もここまでの行為に及ぼうとしているのだ。
 自分の熱を散らしたい。だけど、それ以上にコノエの苦しみをなんとかしたい。
 結果としてそれが利己的な行為になるとしても、自分は望んでこうしているのだと言いたかった。


  の手が、手探りでコノエの肩に触れる。肩から胸へ、何度もさするように触れるとコノエが小さく身じろぎした。
 まだ成熟しきっていない雄猫の身体。硬さと柔らかさの均衡を保ったそれが、とても綺麗だと は思った。

 ――もっと見てみたい。
 欲望よりも純粋に興味を引かれて、 は身体をずらすとコノエの腹あたりに手を置いた。上着をそっとめくると、白い肌が現れる。


「いいなぁ……肌キレイ……」

「……は? な、何言ってんだアンタ――、ッう、あ……っ」

 触れたらどんな感じなんだろう。そんな事をぼんやりと考えて、 は小さく舌を出すとその肌を舐めた。先程から小さく吐息をついていたコノエが初めて声を荒げる。

 自らの毛づくろいを行うように、コノエの腹を は舐める。臍周りから、脇へ。手のひらで上着を押し上げて、薄い胸へ。
 自分とは異なる雄の身体を は興味深く探った。指先で触れると、白かった肌はやがて赤みを帯びていった。


「……う…はぁ…ッ、そんなトコ――舐めなくていいだろ……っ」

「だって……綺麗だと思って……」

 深く考えずに告げた は、再び手のひらをコノエの身体に這わせた。腹を通り過ぎて下衣に触れたとき、 の手首に何か引っ掛かるものがあった。

「――?」

「……ッ、あ…!」

 コノエが短く悲鳴を上げた後、苦しげに目を伏せた。 がふと目を向けると、コノエのそこがわずかに盛り上がっている。その意味を理解して、 は顔を赤く染めた。

 一度は何気なく目を逸らしたが、やはり気になる。というか、触らない訳にもいかないだろう。
 コノエの腹を舐めながら、 はゆっくりとその下衣を寛げていった。コノエはわずかに身じろいだが抵抗はしなかった。


「…………」

「…………」

 やがて現れたコノエの熱に、二匹は揃って沈黙した。コノエは から視線を逸らし、 はコノエのそれに釘付けになっていた。
 なんというか――スゴい。予想はしていたが、こんなものだとは思わなかった。

 とりあえず下衣を引き抜いたが、この後どうすればいいかを探ろうとして がコノエを見上げると、コノエは口を噤んでそっぽを向いてしまった。
 逸らされた目尻が赤く染まっている。だがその尾が緩く動くと、偶然 の手に触れた。それに誘われているように感じられて、 は覚悟を決めるとその熱に手を添えた。

「――ッ、ぁ!」

「……っ」

 触れた瞬間、目の前の熱がびくりと震えた。恐る恐るその幹に指を這わせると、徐々にそれは立ち上がってくる。
 雄の身体ってすごい。 は素直にそう思った。

 コノエが吐息を漏らす。 が指に力を篭めると、その唇から噛み締めるような喘ぎが漏れた。それを聞いた の尾が不可解にわななく。
 どうしよう。――もっと、聞きたい。


「! ――う、あッ」

「ん……ッ、ふ……」

 次の瞬間、 は舌を出すとその幹を舐め上げた。とっさの行動だった。戸惑いが無い訳ではなかったが、衝動の方が勝っていた。
 ――自分は何をしているの? そんな疑問は、熱に浮かされた頭には浮かんでもこない。

 滑らかな熱を先端までなぞると、 は口を開いて熱を受け入れた。そのまま括れまで呑み込んでいく。


「アン、タ……何してんだよ…ッ! やめ……!」

「! ――う、んッ! …っは……」

 焦りを滲ませた叫びを上げて、コノエが身を起こした。その弾みで口腔の奥深くまで熱が押し込まれる。圧迫感に はえづくと、けほ、と小さく咳を上げて熱から唇を離した。


「そんな事、する必要ないだろ! ……ッ」

「いいから、黙って。……したいの」

 挑むような目で見上げると、コノエが息を呑んだ。その後の沈黙を肯定と受け取って、 は再び顔を伏せる。
 その唇が熱に触れようとした瞬間、 の肩をコノエが強く掴んだ。その痛みに ははっと我に返った。

 ――今、自分はなんと言った? 何をしようとした?



「コノエ、痛い――。……ゴメン、嫌だった……?」

 慌てて手を引いたコノエを見て、 は自分の行動を後悔した。
 後先考えずに突っ走ってしまった。一方的に追い立てられて、コノエが困惑しているのが伝わってくる。

「そうじゃなくて……! その、これじゃ俺ばっかり解消して、アンタは楽にならないだろ。それじゃ意味がない。俺だって雄なんだから……!」

「え……」

 だがコノエが口にしたのは、 の予想とはまったく異なる言葉だった。叩き付けるように言われて は一瞬呆然とした。だがその意味を理解すると、 の胸にどくんと衝撃が走った。
 頭が霞む。思考が上手く回らない。震えを隠すように細く息を吐き出すと、 は熱に浮かされるまま口を開いた。


「……じゃあ、コノエも……して……」




「……ッ!」

 何を言ったのか、自分でもよく分からない。 はコノエの熱を解放すると、その身をコノエの隣に横たえた。
 しばらく経っても動かないコノエに焦れて が尾をすり寄せると、コノエはやがて身を起こして に覆い被さってきた。

「……違う、そうじゃなくて……逆向き……」

「え……こう、か…?」

  の服を探ろうとしたコノエを制して、 は小さく注意を与えた。
 恥ずかしい。恥ずかしいけれど、お互いが楽になるにはこのままではダメな気がした。
 戸惑いを含みつつも、頭の上下を入れ替えたコノエが の隣に寝そべる。その身体に視界を半分覆われた は、胸の前で揺れるコノエの熱にそっと手を添えた。

「う…っ」

 視界の先にあるコノエの腹が、途端に緊張したのが見えた。そのまま促すように優しく撫でていると、腰に指が掛かるのを感じた。ためらうように、だが確実に の下衣が脱がされていく。
 途中で引っ掛かるように指が止まり、その理由を察して は小さく腰を浮かせた。そのまま少し乱暴に下着ごと下衣が引き抜かれる。下肢が外気に晒されて、産毛が小さく逆立った。


「ゴメン……少し、足を開いてくれ……」

「うん……」

 コノエはしばらく沈黙していたが、やがて の太腿に手を添えると戸惑いを含んだ声で告げてきた。戸惑いの中にも、確かな熱が感じられる。それに期待を煽られて、 は小さく頷くとそろそろと足を開いた。 の片足がコノエに押さえ付けられる。


「……っ……スゴイ、な……」

「そ、そんな事ないよ……」

 コノエが見ている。そうするように仕向けたのは自分なのに、コノエの漏らした台詞に は頬を真っ赤に染めた。
 いつの間にかコノエの熱からも手を離してしまっている。内腿に息が触れる気配がして、 はわずかに身を震わせた。

「なんか、濡れてる……」

「あ……んッ!」

 興味深そうに告げたコノエが、その指を の潤みに添わせてきた。 の腰がびくりと跳ねる。 コノエが息を呑む気配がしたが、再びおずおずと触れられて は吐息を零した。

「すごい……」

「……コノ、エ…ッ」

  の太腿に遠慮がちに触れるものがある。それはコノエの舌だった。
 わずかにざらついた舌が、柔らかな皮膚を躊躇いがちに舐めていく。そのもどかしい動きに の下肢が勝手に震えた。

「コノエ…ッ」

「…… ……ぅあ…ッ」

 溜まっていく熱を散らすように、 は目の前で揺れるコノエの熱に手を掛けた。そのまま頭を寄せると、それを口に含む。


 ――熱い。先程はそんな事思わなかったのに、 はその切っ先の熱さに息を詰めた。

 一度吐き出すと、目の前のそれをまじまじと眺める。小さく窪んだ先端から何かが溢れ始めていた。それを舐め取るように は再びその舌を伸ばした。――苦い。でも、甘い。

「……ん、ふ……んあッ! う……んん……」

「……うっ……はぁ、っく……はっ……」

  に負けじと、コノエの舌が潤みに伸びてきた。外周を回って、伸ばされた指に亀裂を割られると温かな何かが溢れた。コノエの舌がそこに触れてくる。
 粘膜が舌に触れ、 はたまらずに腰を捻った。




 二匹は行為に没頭した。快楽を与えられれば、同じ事を相手に施す。手で触れて、指で探り、舌で攻め立てる。互いの尾がもどかしく寝台を叩き、その昂ぶりを相手に伝えた。
 室内には濡れた水音と、二匹の嬌声だけが響いていた。


――ッく、あ……!」

「え? ――んッ…、あ!」

 やがて追い詰められたコノエが、短く叫んで腰を震わせた。
  の唇から零れた熱が、次の瞬間白濁を放つ。 の頬に生温かいものが掛かった。その衝撃にぐっと腰をすくめると、コノエの舌が偶然 の芽を掠めた。

「……ッ!」

 最も敏感な部分への刺激に、昂ぶらされていた熱が一気に弾けた。 は声にならない声を上げて達すると、腿をきつく震わせた。
 思考が白く攫われる。やがて浮遊した意識が現実に戻されると、 は脱力して寝台に伏せた。





「……っ……はあっ……」

「あ……、ふ……」

 互いに息を切らせて、 とコノエがうずくまる。身を苛んでいた不快感がすっと消えていった。代わりに与えられた熱が下腹をわずかに疼かせている。

 ぼんやりと目を開けると、力を失ったコノエのものが目の前にあった。先程まで散々舐めしゃぶっていたのに、急に直視することが出来なくなってしまった。 は慌てて目を逸らすと、身体を持ち上げてコノエを覗き込んだ。


「……コノエ、大丈夫……?」

「ああ……アンタは……、――ッ」

 コノエも起き上がって を見やった。だがその顔が再び赤く染まる。
  が首を傾げると、その顎を伝って何かが寝台にぱたりと落ちていった。引かれて目を落とすと、コノエの放ったものが敷布に染みを作っていた。

「ゴメン……! すぐに拭くから!」

 慌ててコノエが衣服を整え、部屋に持ち込んだ麻袋へと飛んでいった。 は顔を伝うものを理解して真っ赤になったが、動く事も払う事もできずにその場で固まっていた。
 顔に精を滴らせて……しかも半裸だ。自分の姿を想像すると羞恥で死にたくなってくる。


「ゴメン……本当にゴメン……!」

「あ……うん、もうい…痛ッ、もう大丈夫……!」

 やがて布を取り出したコノエが、とりあえず服を着た の顔をごしごしと拭った。水分は既になく、痛い。というかハゲる。
  がコノエの手を押さえると、二匹は至近距離ではたと見つめ合った。その顔が同時に染まっていく。

「……あ……」

「……う……」

 気まずい。ものすごく気まずい。
 だが逃げ出す事も立ち上がる事もできず、 は尾を振るとぼそぼそと口を開いた。


「は、恥ずかしいね……」

(――って、何わざわざ煽ってんのよ私! 馬鹿!)

  が己の失言にばたばたと激しく尾を振ると、それまで沈黙を貫いていたコノエが小さく呟いた。


「アンタ……その、慣れてるのか……? ああいう、こと……」

「は――な、ええッ!? な、慣れてないわよ! 何言ってんの!」

 コノエの発言に は目を剥いた。頭を強く振って否定すると、コノエはどこかホッとした顔で息をついた。

「そう、か……その……ありが、とう……。助かった……」

「あ……うん、どういたしまして……? じゃない、私も助かったわ……」

 もごもごと呟いたコノエにつられて、 もよく分からない返答を返した。 を見ないままコノエが立ち上がる。やや疲労した様子で部屋を出る直前、 はその背に声を掛けた。


「あの、ね。あの……良かったと、思って」

「……?」

 コノエが訝しげに振り返る。その視線を受けて はいたたたまれない気持ちになったが、微妙に視線を逸らすと言葉を続けた。

「私も発情期で、苦しくて……でもコノエがいてくれて良かったなぁって、思って。わ、私が襲ったようなものだけど……結果的に、コノエが私を助けてくれたの。……ありがと」

「――ッ! ……アンタ、本当に……。はぁ……」

「? ……んッ」

 顔を赤らめたコノエが、何かを叫ぶように声を上げた。だが結局それは溜息に変わり、コノエは苦笑を浮かべると に向き直った。
 何事かとわずかに息を詰めた の唇に、何か温かいものが触れる。それはコノエの唇と舌だった。


「――仕返し。……お返し、かもしれないけど。……寝台汚して、ごめん」

 そう告げたコノエは部屋を出て行った。初めてまともな精神状態で触れられた熱に、 の頬がサッと染まった。




「あ、あの子――。お返しって、仕返しって……な、なんてコト言うのよ……」

  はひとり呟くと、余韻の残る部屋の気恥ずかしさを散らすように窓を開け放った。













「んあ? あんた、なんで今頃洗濯なんてしてんだ? 明日出せばいいだろうが」

「……ッ、いや、あの……ちょっと汚してね……」

 夕食後、敷布を宿の裏で洗っていた はその帰り際にバルドに呼び止められた。
 ぎくりと身を竦ませた が振り返る。内心だらだらを汗を流しつつ が下手な言い訳を答えると、バルドが意味ありげな視線を向けた。


「それ……ははぁ、なるほどな。さっきコノエも妙にすっきりした顔してたと思ったら、そういう事か」

「ど、どういう事よ……」

「発情期の事とか聞いてきたからな、相手は誰だと思ったんだが……あんただったんだな。若いっていいな」

「な…ッ! 何言ってんのよアンタ!! ていうかやめてよ、発言がオヤジくさい!」

 あっさりと見破られ、 の顔が真っ赤に染まる。よせばいいのに、むきになって歯向かうとバルドはますます相好を崩した。

「ま、いいんじゃねぇの? 愛もクソもない世の中で、惹かれ合った相手がいるってのは珍しい事だろ。それが発情の衝動でも、そこから発展することだって十分有り得る。せいぜいアイツを支えてやりな」

「……っ」

 意外に真剣な顔で告げられたその言葉に、 は息を呑んだ。


 支える事ができるのだろうか。助けになる事が、できるのだろうか。
  は次々と見舞われる苦難に立ち向かう年下の猫を思い浮かべた。そして友愛以上の感情を持ってあの猫の力になっていきたいと思っている自分がいる事に、ようやく気が付いた。

 支えになりたい。コノエが何度も自分を気に掛け、励ましてくれたように自分もコノエを支えたい。


 新たな決意に身を固めた を横目に見て、バルドは笑みを深くすると髭面を好色そうに緩めた。

「――で、アイツをガキから卒業させてやってくれ。……言ってる意味、分かるよな?」

「……? ――ッ!! 〜〜知らないっ!」

 にやにやと笑うバルドの意図するところを悟り、 は顔を染めると足音も荒く階段を駆け上った。



 破れるほどにきつく水を払って敷布を干すと、 は冷たい布に顔を押し当てた。
 この不可解な火照りを、なんとかして冷ましたかった。













BACK.TOP.NEXT.