3、恋煩い


 


 翌日、午前は宿の仕事を手伝って午後に備えた は、午後を幾分か過ぎてもコノエが戻ってこない事に疑問を抱き始めていた。

 コノエは が知らぬうちに、朝早く出掛けて行ったらしい。昼には戻るとバルドに告げていたから、 も気にはしていなかったのだが……もともと生真面目なコノエが約束を反故にするとも思えない。
 ただ忘れているだけなら良いのだが、何となく気に掛かって は街に探しに出る事にした。

 とは言っても、コノエが行きそうな場所など に分かるはずもない。 は取り合えず、一番に思い付いた場所に足を向ける事にした。




「――トキノ!」

「? あ、 。……今日はひとりなんだな」

 店番をしていたトキノは、今日は手元で花を束ねていた。……どうやら花冠を作っているらしい。久し振りに見るその光景に口元が緩んだが、 は気を引き締めると問いかけた。

「ねえ、コノエ……ここに来なかった?」

「いや、来てないけど……。姿が見えないの?」

  の顔が真剣だったのだろうか。トキノも心配そうに眉を寄せると、 の話を熱心に聴いてくれた。話しているうちに、何故こんな些細な事で動揺しているのだろうと気恥ずかしくなってきたが、不安を吐露できる相手がいる事に は安堵を感じた。



「心配しすぎかなって、思うんだけど……。もし見掛けたら、宿に戻るように声を掛けてあげて。無事でいるなら、それでいいから」

「うん、分かった。……あ、そうだ 。これ持っていって」

 そう言ってトキノが差し出したのは、二本の花冠だった。先程トキノが作っていたものだ。 が驚いて顔を上げると、トキノは悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「これ、ネイガンでしょ。貴重な物じゃないの? しかも二本も……」

 花冠は、それぞれ微妙に色彩の異なる花で編まれていた。優しい草色と黄色い花を主体にした一本と、黄色と薄緑の花を主体にした一本。そのどちらにも、ネイガンと呼ばれる珍しい群青色の花が彩りを添えている。

とコノエの分だよ。いいから持っていって。次の春くらいまでは持つはずだから」

 眺めているうちに、自分たちのためにトキノがこの花冠を作ってくれた事を は悟った。まるであつらえたようなこの色彩は、自分たち二匹のものだ。そしてそのどちらにも、トキノのように鮮やかなネイガンが加えられている。

「ありがとう。……必ず、コノエに渡すから」

 トキノの心遣いを感じ取って、 は深い感謝を込めて礼を告げた。トキノが照れたように笑う。踵を返して次の場所に向かおうとした に、トキノから声が掛けられた。


。コノエの事……大切なんだな」

 思いがけず真剣なトキノの口調に は一瞬気圧されたが、じっとトキノを見据えると静かに頷いた。

「うん……。大切よ」

「そっか。早く見つかると、いいな。今度は二匹で遊びに来てくれよ」

「……うん!」

 
 ――頷く を見た瞬間に一つの淡い想いが消えた事を、トキノは静かに感じ取った。





 


 それから図書館やら露店やらを探し歩いたが、結局夜になってもコノエは戻ってこなかった。
 受付の番をしながら、 は手元に置いた花冠をじっと見つめていた。

「どこ行っちゃったのよ……」

「お、なんだ恋煩いか? 花を見ながら溜息とは、あんたも少しは雌らしくなってきたじゃないか。ん?」

「……うっさい黙れオヤジ猫」

 浸る間もなくもたらされた声に が顔を上げると、バルドがにやにやと覗き込んでいるところだった。常と変わらないその顔が、今は心底ありがたく思える。……が、正直に礼を言うほど も素直な性格ではなかった。

「オヤジって、あんたな。俺はあんたの気を紛らわそうとだな……」

「……分かってる。――ありがと」

 温かいランプの光に照らされた瞳には、からかいの中にも への心配が覗いている。子供っぽい態度が申し訳なくなり が苦笑して答えると、ぽんぽんと優しく頭を叩かれた。

「ま、そんなに心配することないだろ。ひょっこり帰ってくるさ。恋煩っている色っぽいあんたを眺めるのもいいが、そんなに溜息ばかりだとやつれちまうぞ」

「そうね。……恋煩い?」

 バルドらしい慰め方に はふっと笑んだが、その発言に引っ掛かりを覚えて聞き返した。……ありえない単語があった気がするが。

「おう、恋。年下の雄が心配で心配でしょうがない。……そりゃ恋だろ。アンタが年下に引っ掛かるとは思わなかったけどな。ま、いいんじゃねえの?」

 ――恋。あまりに縁のなかった単語に、 の頬が熱くなった。
 これは断じて、照れではない。……猛烈に恥ずかしい単語に対する、羞恥だ。

「ア、アンタね……言ってて恥ずかしくないの……?」

「お、赤くなった。……否定はしないんだな。ほーう、そうかそうか」

 わなわなと震えた に追い討ちを掛けるように、バルドが畳み掛けてくる。その髭の生えた顎に鉄拳を食らわせながら、 は低く呟いた。

「……やっぱり黙れオヤジ猫」



 ――それでもバルドの言葉を否定する事は、どうしてもできなかった。











 

 

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