4、闇と光 





 あれからどれ程の時間が経ったのか。川のほとりで目覚めたコノエは、頭の中でリークスとの望まぬ対話を行っていた。

 呪いが再び発現した事、リークスがコノエの身体で街の猫たちを傷付けた事、この世界の最後の時が近い事。そして、コノエとリークスが「繋がっている」事――。
 それら全てはコノエの苛立ちと焦燥を掻き立て、不安をますます募らせた。だがその後に呟かれたリークスの言葉に、コノエは全身の血が下がるのをはっきりと感じた。


「最後に忠告しよう。――お前の側にいる、賛牙の猫の事だ」

「! …… の、事か…? なんで――知ってるんだ……」


 自分の周りにいる賛牙といったら、 以外にない。だが はリークスの前で歌った事はないはずだ。コノエが疑念を露わにすると、リークスは鼻で笑ったようだった。

「分からぬはずがあるまい。お前と私は繋がっているのだからな。……そう、お前があの猫に密かな思慕を寄せている事もな」

「……ッ。……お前、 の事を知っていたな。昔お前に逆らった雌に顔も力も似てるって、あのフィリって奴が言ってた。…… の事も、追っているのか」

 心中を暴かれてコノエは一瞬言葉に詰まったが、ぐっと奥歯を噛み締めると唸るように低く問うた。

「別に追っている訳ではない。たまたまお前と共にいたから、あの顔を再び怒りと恐怖に歪めてやりたいと思ったまでよ。そうすればお前も苦しみ、私をより楽しませてくれる」

「お前…っ! 何故そこまでして を追い詰めるんだ! 顔が似ているからか!?  には関係ない事だろう!」

 あまりに自分勝手な言い分に、コノエが激昂する。牙を剥いて叫ぶと、リークスはクックッと笑った。

「お前たちは揃いも揃って同じ事を叫ぶな。……そう、関係ない。あの雌の持つ力は光に溢れていて、私の求めるものとは相反するため利用価値もない。……だがな、コノエ。お前とあの雌には関係があるのだよ」

「何……?」

 とっておきの謎を解き明かすように、リークスが楽しげに笑う。コノエは思いがけない言葉に戸惑い、不本意ながらも話の先を促した。


に会って、懐かしいと感じた事はないか? 近しいと、感じた事は?」

「……? それは……」

 リークスの指摘に、コノエは息を呑んだ。
 ……そう、実は感じた事がある。どこかで会っているような、親近感を抱いた事が。だがそれは、自分の中の に向ける想いが見せる幻だと思っていた。そうあって欲しいという願望だと。

「お前と は相反する力を抱えるもの。あの猫だけが、お前の中の闇に引きずられずその力を中和する事ができる。 はお前の対。……そして、血に連なるものだ」

「……どういう……事だ……」

「さて、ね。少々お喋りが過ぎたな。だが――お前が側にいる限り、私はあの猫を追うのをやめないだろう。お前がもっと私を楽しませてくれるなら、話は別だろうがな」

「これ以上 に手を出したら――、……くッ!!」

 投げ掛けられた言葉を呆然と聞き返したコノエは、次の瞬間頭の中に突如として響いた轟音に押されて目を閉じた。風が吹き荒ぶような衝撃に、思考が蹴散らされる。
 たまらずにしゃがみ込んだコノエが最後に耳にしたのは、リークスの意外なほどに静かな呟きだった。


「――闇と光は、相反しながらも惹かれ合うもの。だが例えそれが重なったとしても、結局は互いを滅ぼすばかり。何も生みはせぬ――」








 しばらくして目を開けたコノエは、何一つ変わっていない現実の残酷さと、リークスの言葉に打ちのめされる事になった。


  は自分の対、そして血に連なるもの――。……まさか、 はコノエの血縁者だとでも言うのだろうか?
 そんな話は聞いた事がない。けれど、 に対する時に感じる不可解な郷愁や親近感は、言われてみればコノエの思慕だけでは説明がつかないようにも思える。

 だがそうだとしたら、一体どういう繋がりだ――?
 母方か、父方か。だがどちらかに兄弟がいたという話は聞いていない。叔母や従姉弟、それより更に遠縁の存在だというのならまだいい。だけどもしも――もっと近い血縁だったら?
 例えば……そう、姉弟とか。

「嘘だ――」

 片親違いの姉弟なら、ありえない話ではない。コノエが産まれる前に、他の猫との間に密かに子供がいたのだというなら。
 両親の過去の事など、今となってはもう分からないのだ。だが両親のどちらかがそんな行為に及んでいたかもしれないという可能性に、コノエは嫌悪感を抱いた。

 それに、もしも姉弟なのだとしたら――この想いは、禁忌以外の何ものでもない。

「――ッ、嫌だ……!」

 二重の嫌悪に襲われ、コノエは両手を震わせて頭を抱えた。腕に走る黒々とした痣が目に入り、更に絶望を掻き立てる。


  から……離れるべきなのかもしれない。
 これ以上リークスに追われないために。
 そして――自分の想いがこれ以上積み重なる前に。






    +++++  +++++







 一方その頃の は、いまだに自室の床にうずくまっていた。

 床に八つ当たりしたおかげで、衝動はそれなりに鎮まってきた。だがリークスによって与えられた暗い怒りは、冷める事なく身の内を焼き続けている。
 項垂れて金の髪で顔を隠した の前に、そのとき真紅の炎が沸き上がった。


「……? なんだ、またアンタか……。今度は何しに来たのよ……」

「純度の高い怒りを感じたのでな。何かと思って来てみれば、まさかお前が生んだものだったとは」


 現れたのは、豪奢な赤い衣を纏った憤怒の悪魔・ラゼルだった。もう驚愕する気力もとうに尽き、ゆったりと笑みを浮かべる姿を見上げると は皮肉に笑った。

「でもアンタ達に私は食べられないんでしょう? 残念だったわね」

「……ふ。そのままの姿ではな。……だがお前もいい怒りを生み出すじゃないか。意外だった」

「? よく分かんないけど……そんな事で褒められても全然嬉しくないわ……」

 言葉の半分は意味が分からず、 が分かる部分にだけ返答を返すと、ラゼルはしゃがみ込んで の頬に手を添えた。リークスに付けられた傷をなぞられ、僅かな痛みに が顔を歪める。

「リークスか」

「! ……気付いてたの?」

「僅かに残った気配が感じられる。……だが今は何も聞くまい。どうせいずれ知れる事だろうからな」

「……そう……」

 悪魔の敏さに は一瞬息を詰めたが、興味の薄そうなラゼルの言葉にホッと息を吐き出した。ラゼルがどこまで気付いているかは不明だが、まだ先程の事を話せるほど心は平静になれていなかった。
 そんな を見て、手を添えたままのラゼルが笑みを深める。


「しかし、いい顔をしている。血を滴らせ……今にも射殺しそうな目だ。焼き殺しそうな暗い怒りが俺にも伝わってくる。普段の顔よりも、そちらの方が余程美しいな――」

「……最悪な趣味ね。……ひょっとしてマゾなんじゃないの?」

 先程リークスにも言われたあまり嬉しくはない褒め言葉に は顔をしかめると、次に冷ややかな視線で切り返した。すると、心外だと言わんばかりにラゼルが鷹揚に笑む。

「まさか」

「はは……そうでしょうね……。アンタ、すごいサドっぽいもの」

 思わず苦笑した を一瞥すると、ラゼルは牙を覗かせて続けた。

「そうだな。……だがお前は、興味ないという顔をしながらも実は虐げられるのが好きそうだな」

「ハッ。……冗談。そういう趣味はないわ。ていうかアンタも否定しなさいよ」

 心外なラゼルの指摘を、 は鼻で笑い飛ばした。馬鹿らしい冗談の応酬に、 の肩からふっと力が抜けていく。


 ……そうだ、自分はまだ笑える。過去の凶事に怒りを燃やし、リークスを断罪する事を望まない訳ではないが、それよりも今の自分にはもっとすべき事があるはずだ。

 怒りに流されては駄目だ。冷静に物事を追えなくなったら、終わりだ。それではコノエの支えになれない。
 コノエが不安定な状態に置かれているというなら、自分がしっかりしなくては。そうでないと彼を受け止める事なんてできない。


「……アンタの餌扱いされるようじゃ、どうしようもないわね。少し我を忘れてたわ」

「おや、もう戻るのか。残念な事だな」

「嘘ばっかり。どこがよ。……そういう事は残念そうな顔をして言わないと、信憑性がないわよ」

「そうか。では次からはそうするようにしよう」

 中身のない憤怒の悪魔との会話に、逆に怒りが鎮まっていくのを感じる。 は一つ溜息をつくと、悪魔に手を差し出した。
 コノエが帰ってくるのを迎えるために、まずするべき事はたった一つだ。



「手を貸して。腰が抜けて、立てないのよ。――でも、立ち上がらなきゃ」

「悪魔を顎で使う猫は、なかなかいないな。だがまあいいだろう。……仰せのままに」



 憤怒の悪魔は静かに、金の雌猫の手を取った。

















BACK.TOPNEXT.