「ごめんね、コノエ。……重くない?」

「大丈夫だから。……早く宿に帰って休もう」




    7、自覚




 祠で具合を悪くした に肩を貸して、コノエは暗い森を進んでいた。負ぶおうか、と声を掛けたのだがそこまで悪くはないとの事だった。
 二匹はゆっくりと歩みながら、ぽつぽつとリークスが現れた時の事について語った。


  がリークスに言われたのは、母親が過去にリークスに操られて殺された、という事だった。
 リークスに接近した理由については、肉親の情報を探っていたから、としか言われておらず呪術師もそれ以上の事を語ろうとはしなかった。……これ以上追いようがない、という事か。

 コノエもこの世界の終末の事や、 もリークスに狙われている事、 がコノエの「対」と言われた事などを話した。ただし、 がコノエの血縁者かもしれないという事だけは……どうしても、言えなかった。
  は苦しい顔をしながらも落ち着いて聞いていたが、コノエの話が終わるとわずかに首を傾げた。


「『対』って、どういう意味かしらね……?」

「さあ。力を中和できるって言ってたけど……よく分からないな」

「ふーん。……言葉の通り、単に相性がいいってだけかもしれないわね。つがいみたいに」

「……っ」

 さらりと が呟いた言葉に、コノエは思わず尾を逆立てた。何という事を言うのだ。
 コノエがちらりと見下ろすと、当の はぼんやりと足元を眺めていた。……何も考えていなさそうだ。

(……くそっ。絶対、無意識だ……!)

 またも踊らされそうになり、唇を噛み締めたコノエは話題を転換する事にした。


「アンタの、母さん……緑の目だったんだな。アンタと同じだ」

「うん……。髪の色までは知らなかったけどね……」

 母親の話題を持ち出すと、 の顔がわずかに翳った。……まだ、情報が少なくて納得できない部分もあるのだろう。コノエはさらに言葉を重ねた。もう一つだけ、聞きたい事がある。

「……じゃあ……アンタの父さんは、どんな猫だった……?」

 母親の容姿がコノエの母親とは全く異なる事は分かった。ならば、父親は……?
 内心の動揺を押し殺して問い掛けたコノエに、 はきょとんとした目を向けた。


「え……別に普通の、猫だったわよ。毛色は金で瞳は茶色の小型種。鍛冶一筋で無口で無愛想で小言の多い……ああ、なんか思い出したら腹が立ってきたわね。私が鍛冶習いたいって言ったら、体力に関係なくビシバシビシバシ……あんの頑固親父……!」

「あ、あの……」

 思い出したように低く呟く を、コノエは目を丸くして見つめた。何がしかの感情に火をつけてしまったらしい。
 ……だけど、 にとっては良い父親だったのではないだろうか。子供が生きていけるように技術を伝え、見聞を広めさせた。 の言葉にも肉親ならではの愛情が見え隠れしている。

「……でも、もう会えないわ。こればっかりはどうしようもないけど……寂しいわね」

「……そうだな」

 瞳を閉じた がぽつりと呟く。コノエが相槌を打つと、そのとき不意に の重みがぐっと増した。……しまった、喋らせすぎたか。


「ごめん。だんだん調子悪くなってきてるんだろ。……俺の背中、乗れよ」

「え。……いいよいいよ、大丈夫だから! もう少しだし歩けるわ」

「いいから。これ以上はやっぱり歩かせられない。……ほら、乗れって」

「…………。は、はい……」

 首を振る に少し強い語調で促すと、 は赤い顔で上目遣いにコノエを眺めていたが、やがてコクリと頷いた。
 おずおずと手を添えて負ぶさった に向けて、コノエはわずかな苦笑を漏らした。


「……アンタ、結構可愛いトコあるよな」

「は、はいッ!? ……コノエ、ど、どうしたの……?」

「……なんでもない」

 自然と口から漏れた言葉に、背後の が大仰に反応する。だが、コノエ自身も咄嗟に片手で口を覆った。……なんだ今のは。

 己の口から出たとは思えない恥ずかしい台詞にコノエが黙り込むと、 も沈黙する気配がした。その代わりに荒い吐息が首筋にかかり、高い体温が背中じゅうから伝わってくる。
 ……まずい、物凄く意識してきた。というか密着度が高すぎる。


 コノエは気を落ち着かせるように大きく息を吐き出すと、歩みを速めた。宿に辿り着くまで、気まずい時間は続いたのだった。











「……ありがと。色々してもらっちゃって……」

「元はと言えば、アンタが付いてきてくれたからだろ。ほら、横になってろって」


 宿に着くなり、 は自室の寝台に倒れ込んだ。バルドに頼んで薬や布をもらい、できる限りの手当てを施したコノエが寝台から離れようとすると、 がポツリと口を開いた。

「なんか……この前と、立場が逆になったみたいね……」

「……この前?」

 ぼんやりと呟いたその顔を見下ろすと、 は目を閉じてうっすらと笑った。そして小さく口を開く。

「……発情期の、後……」

「……っ……。ア、アンタな……!」

 恥ずかしい記憶を思い出させられ、コノエの頬がサッと染まった。何でもない事のように口にした雌猫を軽く睨み付けたが、その瞳は閉じられたままだ。……もう、眠ってしまったのかもしれない。


(……ほんと、タチが悪いよな……)

 そのまましばらく眺めていても、 は目を開かなかった。わずかに歪んだ苦しげな表情が痛々しく、コノエは無意識のうちに、だらりと投げ出されていた の手をそっと握った。

「……ん……?」

「……あ」

 すると、眠ったと思っていた がぼんやりと目を開いた。咄嗟の事にコノエが手を引く事もできずに固まると、 は胡乱な眼差しを握られた手に落とした。そのままボーっと二匹の手を眺める。


「……コノエの手、結構大きいね……」

「……え? ああ……まあ、アンタよりは……」

 小さく呟いた が、ふわりと笑う。語尾が掠れて、きっと眠いのだろうと推測された。

「……雄だもんね……。きっと、まだ身体が大きくなるね……」

「…………」

  が軽くコノエの手を握る。熱で潤んだ瞳が、コノエの顔に向けられた。


「……私……今日、言い忘れた事があった……」

「……? もう、眠った方がいいんじゃないか。アンタ、苦しそうだ」

 切れ切れに紡がれた言葉に首を傾げながらもコノエが休息を促すと、 はわずかに首を振った。

「私……コノエの事、弟だなんて思ったこと、ない――。ちゃんと、雄として、見てるよ……」

「――ッ」

「それだけ……伝えたくて……。もしコノエにそう思わせていたんだとしたら……ホント、ごめん――」

 力なく告げた の瞳が落ちる。言葉の代わりに再び の指に力がこもり、コノエは思わずその手を両手で包み込んだ。


「……もう、分かったから……。いいから、眠れよ――」

 コノエが声を絞り出すと、 の指からフッと力が抜けていった。それきり、 が目を覚ますことはなかった。








 ようやく穏やかになった寝顔を見つめ、コノエは思う。


 この猫のことが――好きだ。


 恋愛感情なんて知らなかった。自分が誰かを好きになる事なんて、一生ないと思っていた。
 だけど……無理だ。気付いたら、もう抑えきれない所まで来てしまっていた。

 胸を苛む懸念が消えた訳ではない。 と自分の関係性はまだまだ曖昧なままで。
 けれどもう、自分の気持ちに気付かないふりをする事は……できそうになかった。


  をリークスから守りたいなら、離れるべきだ。だけど、それを考えると胸が苦しくて仕方なかった。





「アンタの事が……好きだよ……」

 コノエは唇を噛み締めると、そっと の手を寝台に戻した。そして立ち上がると、静かに呟いて部屋を後にした。

「おやすみ……」















BACK.TOP.NEXT.