『ねえ、本ッ当にあの猫、信用できるの? ……あからさまに怪しいんだけど』

『言ってる事は信頼できると思う。……多分』

「何じゃ、失礼な奴らじゃのう。聞きたい事があるならとっととこっちに来んか」




     古の断章  呪術師





 あれから数刻、 は現れた痣について聞きにいくと言うコノエに付いて、藍閃近くの呪術師の祠へとやって来ていた。

 少し落ち着いたとはいえ、 の身体は痣による熱が出てきていた。
 薬湯で取りあえずの応急処置をした は、止めようとするコノエを押し切って同行を主張したのだった。自分の身に生じた出来事についての情報が欲しかった事もあるが、何よりも動揺したコノエが心配だったからだ。

 だが暗い祠に入り、振り向いた雄猫の姿に は思わず小声でコノエに問い掛けてしまった。何というか……言っては悪いが胡散臭い。
 元々の顔かたちは決してそうではないのだろうが、古風な衣装や何よりも額に掛けた骨か殻のような面が、胡散臭さを際立たせている。

 コノエが若干同意したような表情を浮かべながらも呪術師を弁護すると、祭壇の前から呆れたような声が掛けられたのだった。





「聞きたい事がある。俺の呪いの痣と同じものが……この猫にも、現れたんだ。アンタなら何か分かるかと、思って」

 挨拶もなしにそう切り出したコノエが、ちらりとフードを被った に視線を送る。呪術師もつられて を見遣ると、興味深げに口を開いた。

「ほう……おぬし、そんなナリをしているが……雌じゃな?」

「……! ――よく分かったわね……。そんなに分かりやすかった?」

「いや。見た目は上手く隠せていると思うがの、纏う気が雄とは異なる」

 目ではなく感覚で性別を見抜いた呪術師に は瞠目した。その感覚の鋭さを悟り、 はそっとフードを払った。

「……ごめんなさい、怪しいなんて言って悪かったわ。……何か分かる事があったら、教えて下さい」

「……おぬし――。……そうかそうか、そういう事か。何ともまあ、懐かしい……」


 素直に頭を下げた の顔を見た呪術師が、わずかに目を見開いた。
 何かを思い出したように頷く姿に はどこか怪訝な思いを抱いたが、今は先に聞くべき事がある。 は服をめくると、黒い痣を呪術師に見せた。コノエもそれに倣う。

「……これが、私に現れた痣よ。何か分かる……?」

「ほう……これはまた嫌な場所に出たものじゃのう。というかおぬし顔色が悪いが、大丈夫か?」

「……平気よ」

 どこか面白げに二匹の痣を凝視した呪術師が、他人事のように口を開く。 が多少悪化してきた体調を押し隠して問い掛けると、呪術師は痣とリークスにまつわる情報をいくつか語ってくれた。


 リークスは、戯れではなく何かを狙ってコノエの呪いを掛け直したり、身体を乗っ取ったりしたのだろうという。その狙いが何なのかは分からないが、リークスの語ったこの世界の最後の時が近付いてきているという話もどうやら事実らしい。
  はコノエの口から初めて聞くリークスの言葉に衝撃を受けたが、黙って会話の成り行きを見守った。




「リークスが何かの結末にコノエを導いているのだとしたら、なんで私にも呪いが現れたのかしら……? 嫌がらせにしては手が込んでるわ」

 やがて二匹の会話が落ち着いた頃、 は疑問に思っていた事を思い切って呪術師に問い掛けてみた。呪術師の視線がコノエから へと移る。呪術師はわずかに口元を笑ませると、静かに口を開いた。

「それは、おぬしらが……深く心を通わせたからじゃろう。結びつきが強いほど、呪いも同調しやすくなる」

「深く心を……」

「……通わせた――」

 呪術師の言葉に、二匹は揃って目を見開いた。オウム返しに呟いて顔を見合わせると、コノエの頬がわずかに赤く染まる。

「気付かなんだか。おぬしら揃ってにぶにぶじゃのう。……リークスはおぬしにそんな相手ができると想定して、呪いが掛かるように細工していたのかもしれん。何か言ってはいなかったか?」

「何かって言われても――あ……!」

 赤くなった頬を隠すように考え込んだコノエが、目を見開いた。 もおそらく同じ事を思い出し、コノエを見遣る。


『一つだけ、忠告しよう。お前と深く関わる者はいずれ、同じ運命を辿ることになる――』


 あの四色の光に満ちた地で投げ付けられた禍々しい言葉を呟き、コノエが呆然と を振り向いた。その顔は色を失っている。

「……俺が近付いたから……アンタを巻き込んだ――。やっぱり、俺が……!」

「コノエ、それは違うって言ったでしょう。これは私が望んで君に関わった結果、起こってしまっただけの事よ。私はこんなの気にしないし、コノエのせいだとも思わない。ここで落ち込んだらそれこそアイツの思う壺だわ」

 コノエの自責を が静かに否定すると、呪術師は片眉を上げて面白そうに笑った。

「ほう。……おぬし、パッと見はくーるびゅーてぃーだが中身は意外に熱いのう。いやはやいやはや」

「く、くーるびゅ……?」

 不可解な呪術師の発言に何かの呪いかと眉を寄せ掛けた は、気を取り直してコノエに向き直った。

 
「まあいいわ。……リークスは、もしかしたら私を狙って呪いを掛けたのかもしれない」

 思いついた可能性を告げた は、ふと視線を逸らした。コノエが目を見開く。すると、呪術師が同意をするように頷いた。

「……そうじゃな。考えられる可能性はもう一つ、ある。そこのおぬしとリークスの間にも何らかの繋がりがあったのなら……呪いはより掛かりやすい環境にあったと言えるじゃろうな」

「…………」

「その顔は……思い当たる節がありそうだのう?」

 沈黙した は呪術師の問いを受けて唇を噛んだ。コノエにはまだ言っていないが……こうなった以上黙ってもいられないだろう。

「――母親が……リークスに操られて殺された…らしいわ。随分昔の話だけど、顔がそっくりだって……アイツが言ってた」

「!!」

 コノエが振り向く。驚愕した視線を受け止めながら、 は問うような視線を呪術師に向けた。呪術師は何かを思案するように瞳を閉じている。


「……やはりの。間違っていなかったか。――おぬしの母親を、私は知っておる」

「え……」

 今度は が驚愕する番だった。思い掛けない言葉に目を見開くと、呪術師は目を細めて を見遣った。

「そこまで知っておるなら隠す事もないじゃろう。もう何年前になるかの……おぬしの母親も、丁度その場所に立っておった。背格好もほんにそっくりじゃのう」

「母が、ここに……!?」

 昔を懐かしむような呪術師の言葉に、 は思わず辺りを見回してしまった。だが見えるのは怪しい祭壇と呪術師とコノエの姿だけで、母の面影がそこに残っている訳もない。それでも母が生きてこの猫と関わりを持っていたという事実に、 の鼓動は早まった。

「母親だけではない。おぬしも……ここへ来た事があるのじゃぞ。まだ赤子だったがの」

「……! 私、が――」

 自分の過去まで持ち出され、 は再度の驚愕に息を詰めた。
 ――ここに、来た事がある……? 全く記憶がないし、そんな話を聞いた事もない。一体何のために、そして誰と自分はここに来たのだ……?


「私は……何をしに、来たの――?」

 過去にまつわる情報を が震える声で問うと、呪術師は薄く笑った。

「おぬしは父親に連れられてここへやって来た。まだ口も利けなかったのう。……じゃが、それよりも少し前に母親が一匹でここを尋ねてきたのじゃ」

「……一匹で……」

「どこで私の事を知ったかは知らんが、その猫は何かに怯えているようじゃった。そして……おぬしの賛牙としての能力を封印するよう、私に依頼してきた」

「!!」

 ……封印。それを施した者と理由を、以前ヴェルグに問うた事がある。その理由は分からないと言われたが、まさか自分の力は――

「最初は私も専門でないゆえ渋ったんだがのう、あまりに必死な様子だったからついには口約束で応じてしまった。おぬしがここへ来たのは、それから少し後じゃ。……おぬしの賛牙の力を封印したのは、私じゃよ。あの時の赤子が、大きくなったものだ」


「……あなたが……私を――」

 明かされた事実に、 は呆然として呪術師を眺めた。コノエも無言で成り行きを見守っている。
  は衝撃をやり過ごすと、胸に湧いた疑問を呪術師にぶつけた。

「母は……何のために、私の力を封印しようとしたの……?」

 賛牙の力は猫の間では珍重され、その力を持つものは不幸になりえないとまで言われている。そう思う程には は賛牙の力にありがたみを感じていなかったが、それでも持っていて余計な力だと思った事はない。そんな力を、母はなぜ封印したがったのだろう。

「残念だが、それは言えんの。私もそれほど母親と親しかった訳ではないし、何より当事者から語る事を禁じられておる。既にこの世を去っているとは言え、ある意味あの猫の遺言じゃ。破る訳にはいかんのう」

「…………。そう――」

 思いのほか固いガードに は思わず呪術師を見上げたが、呪術師の瞳は静かで揺らぎがなかった。母の遺言と言われれば、 が無理に荒らす訳にもいかない。
  が少々の落胆に肩を落とすと、呪術師は「じゃが」と続けて再び に視線を向けた。

「決しておぬしを害そうとして掛けた訳ではない事だけは、伝えておこう。あの猫はおぬしら家族を何よりも大切に思っていた」

 呪術師の言葉に、 は顔を上げた。リークスには『家族を捨てた』とまで言われた母だが、直接関わりがあった者から聞く言葉は の胸に重く響いた。すると呪術師は、目を眇めて の顔を見定めた。


「……しかしおぬしの封印は、既に解けているようだな。それが必然だか偶然だかは分からぬが――歌を発動できたという事は、おぬしの中に何か強い願いが生まれたからであろう。資質があっても想いがなければ、賛牙の能力は発揮できんからの。……強い想いは、おぬしやおぬしの周りの猫を助ける力になる」

「…………」

「それから……おぬしの剣。それも、私が最後に預かったものじゃ。父親を通じて、おぬしが受け継いだのだな。その剣には、血の記憶と母の想いが刻まれている」

 呪術師の視線につられて が剣に目を落とす。腰に下げたそれが急に重みを増したように感じられて、 は息を詰めて呪術師を見遣った。


「おぬしの力は母親によって守られ、そして今おぬしが誰かを守るために再び目覚めたのじゃよ。それはこの猫の闇を埋め、絆を強くするほどに周りの猫を震わせる稀有な力じゃ。……守られたその炎を、絶やすでないぞ。その炎はきっと、この猫の苦難を払う助けになるじゃろう」


 静かに告げた呪術師が、コノエに向き直る。再び交わされる会話の横で、 は呪術師の言葉を繰り返し噛み締めていた。




 




「――先が見えるって、言ってたわね。じゃあ、あなたは過去も見ることができるの?」

 やがて会話も終わりというように祭壇に向き直った呪術師の背に、 は最後に声を掛けた。母と自分の過去を知る者に、聞きたい事があったからだ。

「教えて欲しい。母は……肉親の死に関する情報を求めてリークスに逆らい、殺されたって言われた。その『肉親』とやらが誰だか、あなたは知っていたの? それから、その猫とリークスとの間には何か関わりが――」

「――全ては、喪われた過去の出来事じゃ。先程と同様に、私が知っていたとしても語る事はできん」

「…………そう。……そうね……」

 矢継ぎ早に問い掛けた の言葉を、呪術師は静かに遮った。納得しながらも落胆に俯いた の背に、呪術師の柔らかい声が掛けられる。

「じゃがおぬしがそれを知りたいと強く思うならば、いずれ分かる日も来るじゃろうて。……しかしおぬし、ほんに大丈夫か? 顔色が悪いのを通り越して今度は真っ赤じゃぞ。ほれ、そこの小さいの。早く連れ帰ってやるがよい」

「小さ…ッ! ――っ、 、大丈夫か? そろそろ出よう」

 憮然としたコノエの顔が、 に向けられる。その手が背に添えられて、 は自分がひどくふらついている事を知った。先程から、視界がグルグルと回ってきている。薬湯レベルでは太刀打ちできない熱だったらしい。
  は呪術師を振り返ると、炎に照らされた顔を見つめて口を開いた。


「色々教えてくれて、ありがとう。……でも最後にもう一つだけ聞かせて。――母は、どんな猫だった? 情けないけど、全然覚えていないの」

  の問いに呪術師は振り返って目を見開いたが、口元をゆったりと笑ませると静かに呟いた。


「赤い髪と緑の目を持った……誇り高い猫じゃったよ。そして美しかった。既婚でなければ、私が口説きたかったところじゃ」



 淡々と答えた呪術師の声に は目を瞬かせると……小さく、笑った。













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