雄たちは魔道にのめり込み身を焼き尽くし
雌たちは病み狩られ、縛られたまま滅んでいった。

雄は村を出てそのまま還らぬ猫となり
雌は捕らえられて暗き地下から叫び続けた。


 ――オマエダケハ許サナイ――!


乾いた村には、怨嗟の声だけが響き続ける。






3、怨嗟の館






「ここは……?」

「……村長の館跡だ。どうやら焼き払われてしまったようだが…いつも『声』はこの辺りから聞こえていた」

 
 村の最奥までやってきたふたりは、黒くすすけた大地の中心に立って周囲の様子を伺っていた。
 巨大な建物の残骸が残るそこは確かに不気味ではあったが、今のところおかしな声が聞こえたりとかカルツが反応を見せるという事もない。
 だが思い詰めたような顔で敷地を歩いていたカルツはふいに座り込むと、黒土を手で探り始めた。

「……何かあったの?」

 不思議なカルツの行動に近寄った は、その手元を覗き込んだ。浅土の下に埋まっていたのは――


「――宝石? 随分綺麗な石ね。なんでこんなところに――」

「待て。不用意に触るな……!」

「え――。……ッ!」

 豪華な台座に乗った青い輝石に、しゃがみ込んだ が触れた瞬間―― の意識は、真っ青な霧に覆い尽くされた。







……? おい、どうした。怪我はないか……!?」

『…………』


 輝石に触れた直後、 は瞳孔を見開いて後方へ倒れ込んだ。だがその頭が地面に衝突する寸前に持ち直し、ゆっくりと上体を起こす。
 俯いた顔の表情は伺えない。カルツが思わずその肩に手を掛けると、半開きだった唇が美しく弧を描いた。

「……?」

 何か――異質な気配を感じる。 に触れた手のひらから本能に訴えかけてくる、違和感。
 カルツが怪訝に手を離そうとすると、ふいにその手首が握り返された。


『やっと……来て下さいましたわね……』

「……ッ。お前は――」


 見知った唇が紡いだのは、聞きなれたはずの の声。だがそこに含まれた響きは のものとは全く違っていた。身を引きかけたカルツを制し、 が手首を引き寄せる。雌の力とは思えぬ強い力にカルツは思わず体勢を崩した。

「何を……っ。――放せ」

『あら……酷い方。この身体は大事な猫のものではありませんの?』

 するりと頬に両手が添えられる。悪魔を捉えた猫は、伏せていた顔を上げ真正面からカルツを覗き込んだ。その瞳の色は――息子のごとき青。 の持つ色ではない。


「……ッ!」

 息を呑んだカルツは次の瞬間、雌猫に唇を奪われて固まった。





 『 』の唇は柔らかく温かかった。激しく喰らいつかれた訳ではない。だがカルツの抵抗を封じる、強固な力を持った口付けだった。まるで生気を奪われるような――


「う……っ、――ッ、やめ……ろ…!」

 カルツは咄嗟に細い氷柱を『 』との間に突き立てた。無理やり唇を離された形になった雌猫はうっすらと笑い、濡れた口端を指で拭った。

『くっ……、ふふ……。随分と可愛らしい反応をなさいますこと。子まで残された雄の態度とも思えませんわね? ――悲哀の悪魔、カルツ様……』

「…………」


 ――この者、自分の事を知っている。 の記憶を読んだのか、それとも元から知っていたのか。いや、それよりも――


を……どうしたのだ。まさか魔に魅入られたのか……?」

 距離を取り、青い目を光らせる猫を睨み付けるとカルツは低く問うた。だが雌猫はきょとんと瞬いた後に高く笑い出した。 がする事のない哄笑は、カルツの神経をジリジリと逆撫でする。


『――いいえ? 残念ながら。たまたまこのお嬢さんがわたくしの宝石に触れてくれたから、身体をお借りできたのよ。でもまあ……土壌はあったのでしょうね。この子の中には『哀』が押し殺されている。入り込みやすかったわ』

 くだけた口調になった雌猫がすっと胸元に手を翳す。そこをなぞった猫は、唇を吊り上げて呟いた。

『それとも――この子の中の闇は、魔を呼び寄せてしまうほどに昏かったのかしらね。……何があったのだか』

「…………」

 自身こそが昏い光を宿し、雌猫がカルツを見据える。爛々と光りながらも底冷えするような眼差しは、全てを見通すかのようだ。カルツは込み上げた苦いものを押し殺して猫を見返した。


が引き込んだのではないなら、お前が乗っ取ったのだな。……貴様、何者だ」

『ふふ……名乗る名などないわ。わたくしはこの土地に縛られ、魂のみとなっても解放されなかったただの猫……だった者』

 猫が楽しげにくるりと回る。カルツは目を見開き、苦々しい思いで告げた。

「……冥戯の猫か……。――私を呼んでいたのはお前だな。何の用だ」

『…………』

 雌猫が押し黙る。目を伏せた『 』は喉の奥でかすかに笑った。喉から漏れたその声は、やがて空気を揺らすほど高く大きくなっていく。雌猫は目を見開くと、哄笑と共に叫んだ。


『――何の用……? 何の用! 笑わせてくれるわ! 悪魔が呼び出されて何用とは! その力が欲しいからに決まっているでしょうに! ……強大な力を欲し、わたくしは悪魔を呼び出した。肉体を得て、ただ一匹の猫に復讐を遂げるために! でも――』

 耳障りな笑い声を止め、雌猫がニッと笑う。まるで気狂いだ。カルツの双眸を見据えた猫は、歌うように囁いた。


『目的は既にして叶ったわ。わたくしが殺したかったのは――お前よ、カルツ!』

「……!」


 

 ――ドン、と音がしてカルツの視界が揺れた。……『 』が、カルツの懐に飛び込んだのだ。
 ただの猫にはありえない速さだった。悪魔の目にも止まらぬスピードで迫った雌猫が、カルツの首に手を掛ける。


「……っく……!」

『ああ……貴方は色褪せないのね……。その美しい顔をどう屈辱と苦痛に歪ませてやろうかと、ずっと考えていたわ……。こんな風に……!』

 シャッと音がして、頬に熱い痛みが走った。爪で引っ掻かれたのだ。研ぎ澄まされた爪が肉を切り裂き、どろりと血液が零れ落ちる。
 一息にはくびり殺さず、雌猫がゆっくりと首を絞めてくる。カルツはその手に抗いながらも、爛々とした笑みを宿す雌猫を見上げた。


「……お前……、私の、知っている猫か……。……ッ、誰、だ……」

『…………』

 その問いには猫は答えなかった。ただ笑みを冷酷な無表情へと変え、拘束の力を強めてくる。そして思い出したように皮膚に爪を立てる。カルツはせき止められた息の下、雌猫の背後に氷柱を生み出した。

『無駄よ! そんな事をしてもこの猫が傷付くだけだわ!』

「………」

 それはそうだろうと思う。 の身体を傷付ける攻撃を仕掛けるつもりはない。ただ一時でも注意を逸らす事ができれば――


『……攻撃しないの? ――この猫が、大事だとでも? さんざん期待を持たせておいて裏切りながら、こんな時だけは大事にするの? ……卑怯な方』

「……っ」

 氷柱を水の粒子へと変えようとしたカルツは、無感情な猫の言葉に思念を止めた。雌猫はわずかに手を止め、カルツを嘲るように罵る。


『教えてあげましょうか。さっきのキスは……潜在的にこの猫が望んでいた事よ。この子――貴方に惚れているみたいね。でも同時に何か罪悪感を抱いている。……貴方はこの猫に優しくしてあげた。大事にして、傷付かないように。けれどそれがこの子の苦しみを生んでいるとは、思いもしなかったのでしょうね』

「…………」

 それはきっと――事実だ。カルツが無言で眉を寄せると、雌猫は再び狂気の笑みを浮かべた。


『――そう。貴方はいつもそう。何も言わず、優しさを無自覚に振り撒いて猫たちを掻き乱すの。そのくせ良かれと思ってした事は、周りの猫たちを不幸にしていく……! 貴方に関わった猫はどうなった!? 冥戯の猫たちは? 奥様は? 息子は? この猫は……!?』

「ぐっ……、っあ……」

 興奮したように声が荒くなるのにつれ、首の拘束が増してくる。空間転移しようと意識を集中させると、雌猫は鼻で笑って言った。

『消える!? いいわよ。その代わり貴方が消えた後にわたくしはこの猫を殺すわ! 貴方がもっとも嫌がるやり方でね……!』

「……っ……、貴…様……」

 これでは消える事もできない。圧迫される思考をかき集めてカルツは再び氷を生み出すべく指を動かした。その時―――



『……! ぐ……ああ……ッ!』

「……なーに、してんだぁ……? 悲哀の悪魔様ともあろうモンが、みっともないんじゃねーの?」


 
 突如として立ち上った炎から放たれた低い声に、雌猫が苦悶の声を上げて動きを止めた。









「……お前は……っ……」

 聞き覚えのある鬱陶しい声に、カルツは目を見開いた。だがそれよりも早く雌猫はカルツの首を抱え直すと、姿を現した闖入者に向かって殺気を放った。


『貴様……何者だ……ッ!!』

「……俺? 俺様は……誰でしょう? そうだな……哀しむ猫の皮をかぶったサディスティックなメス…の快楽を喰らいに来た者、とでもしておくか」

『……貴様……快楽の悪魔か…!』

 苦々しく呟いた猫が、顔を歪める。炎が消えて輪郭を現した悪魔……ヴェルグは、カルツをにやにやと見遣った。


「よう。猫の時間で言やぁ久し振り……か? くたばったと思ったら生き長らえたようで。随分とモテモテじゃねーか」

「……お前……なぜここに……」

 ヴェルグの悪態に、いつぞやの闘いの時のような険悪ながらもどこか緩んだ空気が流れる。
 ……確かに、顔を合わせるのはあの最終決戦以来だ。懐かしさなど微塵も感じるわけがないが。

「あ”ー? 知るかよ。ただ何となくこの上空飛んでたら、濃い快楽の匂いがしやがったんでな。んで来てみたら間抜けにも悲哀の悪魔様が捕まっていた、と」

「…………」

 否定はできないが、鼻で笑うような態度にカルツの顔が憮然となる。一瞬雌猫の存在すら忘れた。
 すると無視された形になった雌猫がヴェルグを睨みつけ、呪うように叫んだ。


『快楽の悪魔風情がわたくしに何用!? 呼び出してなどいないわよ!』
 
「……その顔、やめろよ。そいつに合ってねーよ。年増くせぇ雰囲気がプンプンしやがる」

『な……ッ。貴様……!』

 雌猫の顔にサッと怒気が走る。牙を剥き出した猫に向かい、ヴェルグは余裕の笑みで歩み寄った。


「なんっで呼び出されたかは知らねーけどよ、お前……アレだろ? 哀しい顔してこいつを呼んどきながら、内心こいつをいたぶるので感じてたんだろ? 興奮と快感がガンガン伝わってくんだよ」

「…………」

 雌猫は答えない。しばらくヴェルグをねめつけた後、やがて猫は再び笑みを刻んだ。


『ふ…ふ……、そうよ……? 気持ちいいわ。この日をどれだけ待ち望んでいた事か……! この館に囚われて炎に焼かれ死んだわたくしは、ただこの者に復讐する念だけを抱いてこの世界に残ったわ! 悪魔に転化する力もなく、こんなちっぽけな石を寄り代にしながら、悪魔を呼び続けた……! この者を殺すためだけに!』

「……っ……」

 再び首筋に強い圧迫が掛かる。雌猫は荒い息と狂ったような笑いをたたえてカルツを凝視した。高い声でヴェルグに叫ぶ。


『だから邪魔をしないで! わたくしの感情が欲しいのなら、勝手に取っていけば良いでしょう!』

「……ふん。―――でも……こっちだって選ぶ権利ってモンがあるんだよ。お前みてーな濁った『快楽』、美味そうでも何ともねーや」

 そう吐き捨てた快楽の悪魔が、右手に光を溜める。バチバチと稲妻が弾ける音がしてカルツは掠れた声で叫んだ。


「……おい、やめろ……!  は関係ない! 傷付けるな……!」

「知るかっつーの。……ま、みてろよ……っ!」 


 電流が悪魔の手から放たれる。カルツに視線を向けていた雌猫はハッと後ろを振り向くと目を剥いた。

『……!? 何をす――っ、ギャアアアアッッ!!』

「……おい! お前――!」



 バリ、とショート音がして雌猫が叫んだ。つんざく悲鳴の後に、ばたりと崩れ落ちる。首が解放されたカルツは咄嗟に を抱きかかえた。
 ……呼吸はある。心音も。わずかに安堵したカルツは、ヴェルグにきつい眼差しを送った。


「誰がここまでしろと言った……! 何かあったらどうするつも――」

「へっ。……ショック療法、完了ーってな。……見ろよ、後ろ」

 カルツの視線もなんのその、ヴェルグはいたって皮肉な笑みを浮かべている。その視線を追って怪訝に振り返ると、カルツは目を見張った。

「……っ」

 すすこけた黒土の上に――揺れる影が現れたからだ。



『おのれ……おのれぇ……ッ! 貴様、わたくしを誰だと――!』

 影から放たれる声は、先程までの の声色とは明らかに違う。しゃがれた低い声が呪うように空気を切り裂いた。

「だから知らねーって。……ああ、それが本当の顔かよ。確かに表情に見合ったツラしてんな。……嫉妬と妄執と逆恨みか。ほんっとメスはヒステリックな奴が多くてうぜーな」

『貴様……重ね重ね、よくも……!!』


 霧のようだった白い影が、やがて輪郭をなしていく。……こげ茶の髪の、やはり雌だ。
 ヴェルグを睨み付けるその顔は、中年に差し掛かった年の頃に見える。やや衰えた顔に抑えきれぬ怒りを宿しながらも、その猫は十分に美しい容姿をしていた。……そう、若い時分はさぞや美貌を誇っていたと思われるような――

「……っ」

 そこまで思って、カルツははっと目を見開いた。……この猫の容貌には、どこか見覚えがある。
 輝石のような青い瞳をした、かつての――



「まさか……ナタリア…か……?」

『……ッ!』



 知己の名を呼ぶと――雌猫は顔を覆い、勢いよく姿をかき消した。

 後には色を失い無残に砕けた輝石の欠片と、気を失った だけが黒い大地に取り残された。














 
 BACK.TOP.NEXT.