13、狂宴
 





 翌朝、 は屋外の喧騒に刺激されてぼんやりと目を覚ました。
 いつもそうするように、起き上がって耳を撫でる。なんだかちょっと冷える……などと思っていると、突然傍らより声が掛けられて は飛び上がった。

「――丸見えだぞ、阿呆猫が。……早く服を着ろ」

「っ!?」

 尾を逆立てて振り向くと、自分の隣にはライが……全裸で座っていた。ついでに自分も一糸も纏っていない事に気付き、 はバッと身体を隠した。
 そうだ……。昨日、自分はライと――


「……アンタね! 気付いてたならさっさと言いなさいよ!!」

「知らんな。……隠しても今更だと思うが」

「うっさい! こっちだって恥じらいってモンがあるのよ!」

「……恥じらい、な。……その割には随分と積極的に応えていたようだが」

「……っ!」

  は掛布で身体を押さえ、寝台の隅に押しやられた服を探りながらライを睨み付けた。ライは平然と背中を向け、同じように服を拾っている。――その時。


「……っ、う……」

 ドロリ、と腰を上げた の脚の付け根から、何か温かいものが溢れてきた。内腿を伝う不快な感触に が息を詰めると、余計な事にライが振り向く。

「……出たのか」

「〜〜っ、あ……」

 それが何なのか、分からない訳がない。だが が肯定もできずに固まると、ライはふいに口端を吊り上げた。

「……拭ってやろうか」

「! 結構よ!」


 意地悪そうな笑みが最高にムカつく。 がボスッと上着を投げ付けると、顔に当たる寸前で受け止めてライはまた笑った。……この野郎。

 ぬめる液体はトロトロと腿に滴り続け、ついでに全身のいたる所が尋常でなく強張っている。あれだけ何度も何度もされたら、まあ確かにこうなるだろうが…… は胸中で『ムッツリ猫』と毒づいた。
 ライは優雅に上着に袖を通している。その白い胸を不可抗力で見てしまった は、あるものに気付いて再び顔を染めた。

(う、わ……。私が付けた痕が……)

 ライの胸には、数ヶ所にわたって赤い痣が散っていた。他の誰でもない、自分が付けたものだ。
 昨夜は想いに任せて躊躇いもしなかったが……こうして我に返ってみると、恥ずかしい事この上ない。
 気を紛らわすように視線を逸らした は、自分の胸にも同じように痣が散っているのを認めてガクリと項垂れた。『マーキング』という嫌な単語が頭に浮かぶ。


 荒々しく服を身に着けた に、仕度を終えたライが呼び掛けた。

「何を百面相している。……仕度は済んだか」

「はいはい。……何か、表の様子が変なんでしょ」

「そうだ。他の連中ももう集まっているようだ」

 キュッと表情を引き締め、 は剣を取るとライに続いて屋根へと上った。











 屋根の上には、悪魔とバルドとコノエが揃っていた。なぜかアサトの姿だけがない。
 ふたりの到着に気付いたコノエが振り返り、ふと目を見開いた。

「あれ……アンタ、なんでライと一緒に……」

「……っ、あー……」

 邪気のない質問に、 は咄嗟に答えが出てこなかった。そんな には構わず、ライが口を開く。

「どうという事はない。同衾したからだ」

「……ほーお」

「ど……っ、バカッ!」

 直球すぎるライの発言に は目を剥くと、その背中を平手で叩いた。ジロリとライが睨んでくる。

「……ドウキンって何だ?」

「いいいい! 知らない方がいい!」

 にやにやと笑うバルドに、コノエがきょとんと問い掛ける。口を開こうとするバルドを遮って はぶんぶんと頭を振った。――知らなくていい。むしろ、知らないでいて欲しい。
 そんな猫たちをチッと一瞥して、ヴェルグががなった。

「イチャついてんじゃねーよ、猫のくせに。……それよりホラ、始まったぜ」






 いつになく真剣なヴェルグの口調につられ、猫たちは空を見上げた。そして信じがたい光景に絶句した。朝の空に輝いているはずの陽の月が……まるで侵食されるように、欠けていっているのだ。

 その現象は「蝕」と言うらしい。陰の月が陽の月と一緒に上って、陽の月を覆い隠してしまうのだとバルドが語った。
 そしてまさに今、陽の月の全てが隠されると――空は一面の赤に染まった。
 再び声を失った たちは、その時響いた道化の声にハッと顔を上げた。


「いよいよだね。――時が来た」










 唐突に現れたフィリは「あの方が待っている」とだけ告げて、くるりと掻き消えた。
 そしてその直後。邪悪な歌の訪れと共に、大勢の死猫が藍閃へと押し寄せてきた。


「あの村と同じ……。でも、数が多すぎる!」

 死猫たちは、邪悪な歌に操られてゆっくりと、だが確実に藍閃に近付いてきていた。
 この歌を止めなければ。 が叫ぶと、コノエも同じ気持ちのようだった。

 意見を求めるように悪魔を見ると、この歌は蝕の月を利用して魔力を祇沙中に振り撒いているとカルツが告げた。今ならば――リークスの居場所も分かると言う。


 いきり立ったヴェルグが瞬間移動をしようと姿を揺らがせる。それをコノエが引き止め、同行を願い出た。『一人一匹』と告げるヴェルグに、ライがコノエを顎で示す。

「充分だ。二匹運んでくれればいい」


 ライは、 には視線を向けなかった。……置いていくつもりか。

 共にいると誓った。たとえ狂気に呑まれても、この手で命を絶つ瞬間まで側にいると誓った。こんな時に共に行かずして、どうして誓いが守れるというのだ。
 自分だけが安寧な場所で待つつもりはない。最後まで――共にいたい。



「待って。……私も行くわ」

「お前――」

 進み出た に、ライが視線を向ける。その目は咎めるような意思を宿していたが、 も今度ばかりは引かなかった。
 赤い空を背後にライが見下ろしてくる。 は視線をまっすぐに上げると、「来るな」と告げるライの瞳を見つめた。

「お前が行って、何ができる」

「……闘えるわ。歌をうたう事もできる。……手勢は多いに越した事ないでしょ」

  は「それに」と加えると、トン、とライの胸に手を当てた。

「忘れないで。――私の誓いを」

「…………」

 一息に告げて、一瞬だけ見つめ合う。ライは の視線を受け止めると、悪魔に顔を戻した。


「……三匹だ。手荒に扱ったら、貴様らから先に倒す」











 もう一刻の猶予もないと言うことで、カルツは目を閉じると青い燐光を発し始めた。ラゼルがライの肩に手を置き、ヴェルグがコノエの首根っこを掴む。という事は、自分は――
 恐る恐る振り向いた は、フラウドのニッコリと笑んだ唇に釘付けになった。

「僕だね」

「えっ、ちょ……ッ、アンタだけは……!」

「貴様…!」

 いつかの暴挙を忘れた訳ではない。だが総毛立った が後ろ抱きにされた腕から逃げるよりも、ライが止めるよりも早く――フラウドとラゼルは、空間転移を始めてしまった。





 ぐわん、と視界が回る。脳を押し潰されそうな圧迫が加わり、色彩が明滅しては弾けていった。
 とにかくその行為は……何もかもが無茶苦茶だった。

 パッと暗い場所に出る。崩れ落ちた はしばし、ひどい眩暈と頭痛の終息を待った。息を吐いて顔を上げると、そこは――緑の悪魔以外、誰の姿もなかった。


「な――」

 ここは……あの洞窟だ。突き立てられた錆びた剣も、天井からぶら下がる忌まわしい紐にも見覚えがある。まさか――自分だけが連れてこられたのか。

「アンタ……! どういうつもりよ!」

  が叫んで立ち上がると、緑の悪魔はニッと笑った。 の怒りなど承知の上という顔だ。

「大丈夫。ちゃんと呼び掛けてあげたから。……君は招待客だ。主賓は――彼だよ」

「……!」

 スッと尖った爪を上げ、フラウドが の背後を指差す。振り返った は驚愕に目を見開いた。


「ライ……」

「懐かしいだろう? その剣。君が僕の両目を奪っていった……あの最高の日の剣だよ」

 立ち上がったライは、地面に突き刺さった錆びた剣をじっと見つめていた。だが が呼び掛けると、ハッと我に返って を背後に庇うように立ち塞がる。

「……コノエたちは、どうしたの」

「ちゃんと砦に向かったよ。でも……ほら、見てご覧よ。心細そうに走ってるじゃないか」

 パチンと指を鳴らし、フラウドの背後に丸い暗闇が生まれた。その中に揺らめく映像に二匹は息を詰める。
 コノエがどこかの回廊のような道を走っている。その顔にははっきりと、自分たちがいない事に対する動揺と不安が浮かび上がっていた。


「この先に進めば、リークスのいる砦に着くよ。たった一匹で敵の前に立つのは、どれほど恐ろしいだろうね?」

「この……外道!」

 ニッとフラウドが笑む。 が殺気を込めて睨むと、喜悦の悪魔はますます嬉しそうに身体をよじった。

「すぐに行かないと……!」

「まあそうだろうね。でもそれには、君たちは僕を倒していかなきゃならない」

 フラウドの視線がライに向けられる。 が意思を込めて振り仰ぐと、ライの視線は再びあの剣に向いていた。


「ライ……?」

「やはり……お前だったか」

  の呼び掛けも聞こえない様子で、ライがフラウドを睨む。――『やはり』とは、どういう事だ? そう が眉をひそめるのにも構わず、二匹の間で激しい視線が交わされた。
 フラウドはライの眼差しに牙を見せて笑うと、目元を覆うようにサッと手を翳した。

 ザアッと突然風が吹き、思わず目を瞑る。再び が目を開けると、そこにはフラウドが先程と同じように立っていた。……ただ、仮面だけを外して。


「……っ」

 フラウドは素顔だった。白い白い温もりを感じさせない肌の上に、両目を横切る大きな傷痕が走っている。 はまずその事よりも、あの仮面の下に普通の猫や悪魔のような顔がちゃんと存在していた事に驚いた。何となく、フラウドはもうあの仮面が素顔のような気がしていたのだ。

 そんな動揺をする の横で、ライとフラウドの会話が交わされる。
 一方は圧倒的な憎悪を込めて。もう一方はあからさまな悦びを込めて。

 ライはこちらをちらりとも見ない。その事に は嫌な予感を抱いた。
 ライから放たれる殺気が、ともすれば宿敵に再び巡り合った事への狂った歓喜のようにも感じられたからだ。ピリピリと肌を焼く気配が、何かを に告げる。


「最愛の可愛い立会人もいる。さあ、君と僕とで今一度、殺し合おうじゃないか! 最高の悦びを、共に分かち合おうじゃないか!」

 フラウドが両手を上げ、嬉々として叫ぶ。するとその輪郭が徐々にぼやけ、フラウドは姿を変え始めた。
 嫌な音を立てて関節が隆起し、肉が盛り上がる。そうして最後に現れたのは――昆虫めいた姿をした、巨大な竜だった。


「な……っ」

 あまりにグロテスクな姿に、 は息を呑んだ。これが……ライが闘った魔物か。
 だがライを見上げた は、今度こそ固まった。ライの目が、爛々と輝いていたからだ。眼帯を押さえ、フラウドを射られたように見つめている。


 ――行っては駄目だ。引きずられては駄目だ!
 ライにもう一度呼び掛けようとした は、完全に己の身の防御を失念していた。緊迫した場にあってはならない事だが――油断した。



「ギャラリーが触っちゃダメじゃないか! ちゃんと観客席にいないと!」

「え……、――ッ!」


 叫んだフラウドの身体からのこぎりのような緑の突起が伸び、恐ろしい速度で の元に向かってくる。 は勿論、ライですら反応できなかった。


「っ!!  キャアアアァァァ――ッ!!」

!!」


 鋭利な緑の刃は の両手を貫き、洞窟の高い位置へと叩き付けて――雌猫を磔にした。















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